人類型アンドロイドの愛し子と、鳥型アンドロイドの女王
『本日も海洋科学館オートマタ・オーシャンにお越しいただき、ありがとうございました。閉館時刻まであと15分となりました……』
アナウンスが響く。
科学館が閉館して、最初にアンドロイド・メンテナンス・ルームにやってきたのは双子のシロクマだ。
ふたりは妙にそわそわしていた。
「どうしたんだい? R.アルバ、R.ノクス」
「明日の貸し切りナイトミュージアムです」
「ぼくたち、お偉い方に挨拶します」
そう、明日は特別ナイトミュージアム。
夏はナイトミュージアムも開催しているけど、夏季でなくとも企業や団体向けの夜間貸し切りも始めている。
「緊張しているのかい?」
アンドロイドに緊張はないだろう。
そう思いながら問うてみる。
「そうじゃなくて、Dr.アンディニーもお偉い方の挨拶に並びますよね?」
「うん。すみっこにね」
そう頷けば、つぶらな黒い瞳はぼくの胸元へ視線を動かす。
空色のネクタイだ。ペイズリー柄にアンドロイド・ドルフィンが隠れている。COOLだ。
「ネクタイ。科学館の売店で買えるやつです」
「Dr.アンディニーの思い入れは知ってますが、間に合わせて買ってきたと思われるんじゃないでしょうか」
「……そこ、心配してくれたんだ」
いつものネクタイは、海洋科学館限定をローテーションしている。
安物ではないけど、もしかしたら急遽買いましたって印象を与えるかもしれない。
「……」
……というか、アンドロイドが人類社会の文脈と象徴的資本を理解しているのか。
衣服のなかでも機能ではない付属品を、値段やブランドではなく、本人の行動範囲から象徴資本を算出している。その上でぼくの思い入れも考慮していた。
「普段はいいですけど、明日は大事なナイトミュージアムですからね」
「そうです。どう思われるか分からないです」
「じゃあカリフォルニアサイエンスセンターで買ったネクタイがあるから、明日はそれにしようかな」
「そういう問題でも……」
「……ないですね」
双子はじっとぼくを見据えていた。
明日の20時から、貸し切りナイトミュージアム&バックヤードツアーが行われる。
貸し切る企業は、パートリッジ・エレクトロニクス。パートリッジ社の社員やその家族、株を持っている投資家が招待されていた。
そしてパートリッジ社のCEO、および筆頭株主。
見守りバードの女神、盲目の女王エレノア・パートリッジもやってくる。
特別ナイトミュージアム。
ぼくは父さんから古いブランドのネクタイを借りて、ナイトミュージアムの客を待った。
月明かりにエリー湖が照らされる夜、数多くのパートリッジ社の関係者たちが訪れる。そして最後にゆっくりと、純白の盲導鳥と、純白の盲導犬を連れて、エレノア・パートリッジがやってきた。
むかし、一度だけ会ったことがある。
二十年以上も前だけど、印象は変わらない。細くて儚くて…なのに現れただけで空気を彼女のものにしてしまうような、静かな強さがあった。
服装は落ち着いた色合いのカジュアルオフィスだけど、ジャケットがウエストからプラチナレースに切り替わっていて、学会の後のバンケットパーティみたいなドレッシーさがある。
肩に乗ってる純白のセキセイインコはおとなしく、まるでアクセサリーのように静かだった。
静謐なる緊張感。
そこにやってきたのは、シロクマ双子。
「Mx.パートリッジ。いらっしゃいませ、ぼくは警備課チャイルドルーム所属R.ノクスです」
「いらっしゃいませ、R.アルバです。歓迎ダンスします」
R.アルバが唐突に言い出した。
「ペンギンチック、わくわくちっく、ブギウギわくわく~」
ちびっこシロクマのダンスが始められた。
おしりふりふりして、ペンギンチックの真似だ。
こんなスケジュール聞いてないし、絶句している研究員たちからして予定にないぞ。
たしかにアンドロイド・ペンギンチックは、パートリッジ社のロングセラーにして、ベストセラー。主賓はパートリッジ社CEO。だけど視覚障害者をダンスで歓迎するわけない。
「わくわくわくブギウギ~」
「ぴちゅぴちゅぴぴぴぴぃ~」
踊るシロクマに、Mx.パートリッジの盲導鳥が羽ばたき、合いの手をさえずりだした。なんだこれは。
「ペンギン、チック、大好き! イェー!」
「ぴっちゅー!」
ダンスが終わる。
どう反応していいか戸惑う空気で、エレノア・パートリッジは笑う。とても朗らかに。
「ふふっ、かわいいわ。習ったの?」
「ぼくらが考えたんだよ。これ踊るとみんな喜ぶから」
R.アルバは自慢げに言うけど、目の前にいるエレノア・パートリッジは視覚障害者だ…
「ありがとう。R.ノクス、R.アルバ。ダンス鑑賞なんて久しぶりだわ」
だろうな。
ぼくは一介のポスドクなので、気配を消して推移を見守る。
「この子たちの動きは、わたくしの盲導鳥R.パラスケバスが伝えてくれました。とても愛くるしいダンスでしたわ」
肩で合いの手を入れながら踊っていたのは、情報伝達のためか。
とにかくCEO兼筆頭株主のご機嫌は損ねなかった。全員、安堵する。
エレノア・パートリッジは長い髪をかき上げる。
ブレスレットがきらりと反射した。
象牙っぽい質感の羽根に、きらきらと宝石でできた花が連なっている。
見覚えあるブレスレットだな。
どっかで目にした。
ファッション誌とか見ないし、ブランド広告か…? CEOだったらハイブランドだろうし。
数秒後、唐突に思い出す。
あのブレスレット、ル・デトロワ総合文化館のアメリカンコスチュームジュエリー展で見かけたんだ。
文化館で催される美術展は、パートリッジ社の企業蔵か、創始者のコレクションが中心。そこに展示してあったブレスレット……それからほかの年代物のコスチュームジュエリー、いや、ぼくが美術展で見かけた宝石や絵画やクラシックカーは、すべてエレノア・パートリッジのものなんだ。
「すごいな……」
思わず呟いてしまった。
瞬間、白い盲導鳥が羽ばたく。
ぼくへと視線を向けて、ちゅぴりっと美しく鳴いた。
「……R.パラスケバス? そう、あとでね」
エレノア・パートリッジは返答して、盲導鳥はまた小さくさえずった。
ナイトミュージアムはまだ続いているけど、ぼくは仕事がひと段落した。退勤だ。
論文構想に取り掛からないと。
ここのポスドクは任期三年だ。それまでに論文をいくつかアクセプトされないと、正規雇用どころか任期の更新さえ難しい。新しい知識と感性を持った新人は、次から次へとやってくるんだ。そしてAIも進歩する。
分野を横断する論文に挑戦して、でかいジャーナルを目指さないといけない。
「Dr.アンディニー、まってまってー」
「R.アルバ?」
ちびっこシロクマ警備員に声を掛けられ、無視できる人間がいるだろうか。たとえ疲れて退勤したところであっても、振り払えるわけがない。むしろ疲れているときには抱きしめたい。
「Dr.アンディニーにお客さんだよ。んっとね、Dr.アンディニーというより、パピアくんにお客さん。だから5分だけいい?」
誰だ、ぼく個人にお客?
「こっちこっち、はやくはやく!」
問う前にR.アルバは走っていく。
「ぼくを待ってるの誰?」
「ないしょ」
R.アルバを追っていけば、研究職員用の裏通路にたどり着いた。
かすかな機械音と波音。アンドロイド・ホエールの予備水槽からは、青い光と蒼い影が投じられて、満ちては揺れて、引いてはさざめき、水を忘れた海底になっていた。
そこにたたずんでいたのは、エレノア・パートリッジ。
鳥型アンドロイドの女神にして、人類型アンドロイドを絶滅に追いやっている女王。
「おひさしぶり。お元気そうでなにより」
まるで親しい旧友に会った口ぶりだ。
ただ遠い昔、一度だけ雑談を交わした相手だというのに。
「ぼくを覚えていらっしゃったんですか?」
「覚えていたのは、R.パラスケバス。あなた、不思議とR.パラスケバスに気に入られていたみたいね」
華奢な肩に乗っているR.パラスケバスは、ぴちゅりと鳴いた。
「マリオットではない姓を名乗っているのね」
「母と同じ肩書きは重荷ですから」
本音の半分を語る。
あと半分は、シロクマシブリングからもらったあだ名への愛着だ。
「ぼくに何かご用ですか?」
「あなたの視点で社会情勢を聞いてみたかったの」
「しがないポスドクに?」
拗ねたことを抜かしてみたら、彼女の唇は笑みを形作った。
「いいえ。人類型アンドロイドがいかに現存在の領域を拡張したかである生き証人たる、あなたに」
「……人類型アンドロイドの製造禁止の決議に関して、ぼくと話がしたいんですか?」
もはや人類型アンドロイドは二度と作られやしない。
父さんはNASAの助力によって、文化的な保護と、サイボーグ医療技術へのフィードバックを名目に生き永らえさせてもらえる。
それはぼくの幸福であり、父さんの孤独だ。
「それも含むわね。あなたは人類型アンドロイドという人間性の家族で育ち、わたくしは鳥型アンドロイドという非人間的な権威で生きた。同じポスト・シンセティック世代でありながら、方向は真逆。だから興味があったの」
「センシティブな質問です、Mx.パートリッジ」
咎める感情を込めたにも関わらず、彼女は優美だった。
「では仲良くなりましょうか。あなたはR.パラスケバスも気に入っているようですし」
盲目の女王は微笑む。
鳥たちが羽ばたきさえずる楽園に、人類型アンドロイドは消えかけている。
………だけど、いつかの遠い未来の果て、人類が人類型アンドロイドと仲良くできるほど倫理が発展すれば、ふたたび呼び戻せる。
人類型アンドロイドの技術は、サイボーグ医療として残されている。綿々と受け継がれ、発展する。
この絶滅は、絶望じゃない。
ぼくは祈っていた。
その祈っていた手を、彼女へと差し出す。
「ええ、あなたと友人になれたら光栄です」
鳥型アンドロイドの女王と、ぼくは握手を交わした。