3.学校へ行きましょう
『次の角を右に曲がってください』
「はいはい、わかったよ」
投げやりな返事はナナコへのせめてもの反抗だ。独り言のように見えたって構うもんか。所詮はゲームだ。
ひかりはズンズンと肩で風を切って、学校までの道のりを歩く。
結局疑問は何一つ解決されず、学校へ行くこととなってしまった。
何故と問えば分かりませんと言うし、せめて記憶を返してとお願いすれば、出来ませんとナナコは言う。途方もない押し問答にやはり夢かと疑ったが、 名も顔も知らぬ家族と囲んだ朝食は確かに味がした。焼鮭とお味噌汁はとても美味しかった。
ひかりの中にある記憶は名前と元の年齢の二つくらいしか今のところはない。
もっと探ろうと努力すればまだまだあるのかもしれない。けれど今は無理に思い出そうとすると記憶にノイズがかかり、簡単に思い出せるような状態ではなかった。
年齢は女子高生の制服を着るのは恥ずかしいと感じるくらい。見た目が若返ったとはいえ、ブレザーと短いスカートに抵抗がないかといえば嘘になる。しかしそれも、この世界を一旦理解するには致し方ないと妥協するしかなかった。
ヒロインとしての記憶は、ナナコが全て脳内で補完してくれた。パート主婦の優しい母にサラリーマンの父、小学五年生の妹の四人家族。全然顔が似てない妹の名前は憂ちゃんと言うらしい。死ぬほど可愛い、本当の妹だったらシスコン待ったなしだ。
『ここからまっすぐ進めば私立ハッピー学園に辿り着きます』
ナナコの声に、遠くに行っていたひかりの意識が一気に引き戻される。言われるがまま視線を真正面に移動させると、そこには立派な四階建ての校舎がでかでかと建っていた。
想像よりは普通の外観にひかりはホッとする。ハッピーなんてトンチキな名前からしてピンクの壁だとか、カラフルな髪色の生徒が通っていたりするのかと思いきや、門をくぐる生徒も至って普通に見えた。なんなら女性向けのゲームにしては地味な方だろう。
「おはようございます、新入生の方は玄関のクラス表を見て自分のクラスに行ってください」
門をくぐると校門前に立ったスーツ姿の教師らしき男性に優しく声をかけられ、次に自分が行くべき場所を指定された。本当に普通の世界みたいだ。ひかりは人の流れに身を任せ、素直に皆が向かう場所へと向かった。
(1-Aか、さすがに緊張してきたな……)
突拍子もない世界に突然連れてこられたとはいえ、新しい環境は緊張するものだ。
改めてだが、逃げ道はない。今この瞬間を生きるには、ナナコの言う通りに一日でもヒロインを全うしてみるしか道はない。そして、帰りにナナコに質問攻めをしてやろう。
ひかりは自分をそう元気付け、手に汗を握り1-Aの扉を開いた。
すると、ひかりの視界が何かに覆われる。トン、と額に軽い衝撃が走り、ひかりは反射的に目を閉じた。
運悪く教室内の誰かとタイミングが被り、衝突したようだと遅れて気付く。
「っだ、ご、ごめんなさい!」
「……! いや、僕こそごめん! 大丈夫?」
「あ、だいじょ……?」
灰司 棗。
ぶつかった男子生徒の胸元あたりに、突如名前らしき文字と何色にも満たされていないハートマークが浮かぶ。
艶の輝くグレーがかったマッシュショートに人たらしの桃花眼。制服を着崩さずしっかりと着こなし、申し訳なさそうに謝る笑顔はとても人懐こい。
明らかに他とは違う"特別な人"、俗に言う顔が良すぎる男がひかりの視界を輝かせた。
「あ、ええと、もしかして大丈夫じゃない? 保健室一緒に行こうか?」
「……! だ、大丈夫、ちょっとぼーっとしてただけだから、」
「そう? それなら良かった」
じゃあまたね、とひかりの肩をぽんっと叩いて立ち去る美少年。ひかりはあまりの衝撃に立ち尽くすも、後から続く生徒に咳払いされ、慌てて教室内に足を踏み入れた。