11.無駄な対話でしたね
家に誰もいないから。わざわざそう匂わせて誘う意味を、ひかりは知っている。
けれど、胡桃がそれを言うのは解釈違い、というか突然すぎて意味がとんと理解できなかった。
ただひかりの本能が、このまま従順について行ってはいけないと訴えている事だけは分かる。
今までにない胡桃の強引さに動揺しながら無理くりに足を止め、勇気を出して掴まれた手首を乱暴に解いた。
「ちょ、ちょっと待ってください! いきなり何ですか?」
解いた時に力を入れすぎたせいか、胡桃は痛そうに手首を見た後、ゆっくりと此方に振り向く。
「なにって……わかるだろ?」
へらりとした笑みは溶けたアイスみたいに力なく、素直に気味が悪い。大した説明もない胡桃に、ひかりは語調を強める。
「なにもわかりません。突然家にって言われても」
「……ひかりちゃん、俺の事知ってて誘いを受けたんじゃないのか?」
「は?」
あっけらかんとした物言いで驚いている胡桃に、まるで話が分からずひかりは苛立ちを露わにする。どんよりとしていた曇り空も、ひかりの心模様と同様に暗さを増していた。
――すると、いつしかの時のように周りの時間が一瞬でぴたりと止まる。
嘘だろ、こんなタイミングで? つい舌打ちをしてしまえば、おもむろに胡桃がスキニーの尻ポケットからスマホを取り出し、何の気無しに口を開いた。
「いやー……それならごめんな。暇そうだったし、この後はシオリにでも頼むよ」
1「そんな……私じゃダメなんですか?」
2「なにを頼むんですか?」
このタイミングでピンクの枠の選択肢を見るとは思わなかった。
(つーか、上選ぶやつなんていんのか!?)
全く説明すらされず、他の女の名前を出され、尚もみっともなく縋り付くわけがないだろう。
間髪入れずに下の選択肢を連打すれば、元よりゼロだった愛嬌が減る選択肢だったらしく、マイナス1と目の前に数字が浮き出た。うるせーよ。
『心配しなくても、ゼロから下になる事はありませんからひかり様の愛嬌はゼロのままですよ』
(うるせーよ!)
「なにを頼むんですか?」
愛想のないひかりの声をきっかけにまた時は動き出す。
とうに此方になど興味のなさそうな胡桃の視線は、スマホからひかりに移ることはない。
「俺を慰めてもらうんだ。別にひかりちゃんでもいいけど?」
「上の選択肢でも一緒だったじゃん」
「え?」
「あ、いえ。なんでもありません」
しまった、つい心の中の言葉を発してしまった。ひかりは首を振って失敗を誤魔化す。
そして思考をゲームから目の前の変わり果ててしまった男へと戻した。
(つまりはあれか? 俺は映画が微妙で落ち込んだから、女の子に身体で慰めてもらうんだってことか?)
脳内でまとめても全く意味がわからない。何がどうしてこうなった? ひかりは頭を抱える。
「結局どうする?」
「どうするもこうするも、私はそういう目的で来たんじゃないので帰ります」
「そっか、せめて送って……」
「結構です!!」
ひかりの口から出たのは、思ったよりずっと傷ついたような声。
ぐるりと胡桃に背を向け、ずんずんと大股で見知らぬ土地を歩いていく。胡桃はそれ以上追ってくることはせず、二人は真反対の方向へ離れていった。
最初から浮かれていたのはひかりだけだったのだ。
胡桃の女慣れに驚いたのも、翻弄されていると感じたのも今では納得だった。
出会いの時から今まで、彼の胸元にあったハートは一ミリたりとも満たされていなかったのだから。
行き先を確認もせずに歩いていると、少しずつ降ってきた雨がコンクリートにシミを作りだす。
みじめに濡れて帰る選択肢は絶対に選んではやらない、とひかりは足早に近くのコンビニに立ち寄った。