*1* しゃべるウサギと出会った
*1*
明日から連休だ――。
沈む太陽が、青かった空をオレンジ色に染めていく、夕暮れ時。すっかり桜も散り、並木道はイキイキとした葉に覆われている。そんな道を二人の小学生が歩いていた。下校途中のようだ。黒いランドセルを背負った眼鏡の少年は、陽介。サラサラした髪が肩の長さまである少女は、春美だった。五年生になっても仲良しの二人は、いつもこの並木道を通って学校へ行き、家へと帰る。
「ねぇ、陽介くん。陽介くんは、明日からのお休み何するの?」
春美が後ろ向きで歩きながら陽介の前に出て訊いた。
「僕は、明日から田舎のおばあちゃん家に行くんだ。親戚がみんな集まって、バーべキューするんだよ」
「あ、あたしもバーベキューしに行くの! 同じだね!」
にっこり笑うと春美は、その他に何をするのか訊いた。陽介はやる気満々の表情で、父の部屋にある本を読み漁ると言って、右手の拳を握り上を向いた。
陽介の父は小説家で、父の部屋にはたくさんの本がある。五年生になって、読める漢字が増えてきた陽介は、最近父の本を読むことに夢中だった。
そんな本大好き少年とは違って、あまり本を読まない春美は、
「へぇ~……。頑張ってね」
と、苦笑い。本の虫の陽介は、春美にも、連休中、何をするのか訊いた。
「あたしはねー。明日えみちゃんとプリクラ撮りに行くの」
「女の子って、プリクラ好きだよねー」
「だって楽しいんだもん。今度陽介くんも行こうよ!」
「遠慮するよ~」
春美は頬を膨らませ「つまんないのー」とつぶやき、話を戻した。
「明後日はママと映画、その次の日はバーベキュー、次の次はー」
春美の予定はぎっしり埋まっていた。五日間ある連休を遊び尽くそうと、ずっと外出の計画でいっぱいだった。
外で遊ぶより、家の中で本を読む方が好きな陽介は、真似できそうにないと思っていたが、春美が楽しそうに予定を話す顔を見て、羨ましそうにしていた。
そろそろ並木道を抜けて、信号機が見えてくる頃、陽介は前を向いた。すると、
「あっ」
「ん? 何?」
「ウサギ」
陽介が指をさした先、信号機の前にウサギが一匹立っていた。そのウサギは不思議だった。黒の上着を羽織り、赤い蝶ネクタイをつけ、小さなつま先で人のようにまっすぐ立っている。そして陽介たちをじぃーっと、見つめているのだ。
そんな不思議なウサギを見て、目をキラキラと輝かせる春美は、
「なんかアリスみたいだね、不思議の国の。服を着たウサギなんて」
と嬉しそうに、ウサギに近づいていった。彼女は『不思議の国のアリス』がとても好きだ。それとウサギも。
春美はウサギの前に来てしゃがみこみ、ウサギに話しかけた。
「どこから逃げてきたの?」
ウサギは鼻をヒクヒクさせながら、春美の顔を見上げる。
あとから陽介も、春美の隣に来てしゃがみこみ、陽介がウサギを見つめると、ふと目が合った。陽介はビクッとして怯えた。彼は動物が少し苦手だった。すぐにウサギから目をそらしたが、ウサギはじーっと陽介を見ていた。話しかけている春美を無視して。
(なんでこっち見てるの……)
「こっちおいでー。あなたのお家見つけてあげる」
と、春美が手を伸ばそうとすると、横から陽介が腕を出して止めた。びっくりした春美は陽介の顔を見て、「どうしたの?」と訊いた。
陽介は何か言いたそうにしているが、口を閉ざし黙り込んでいた。彼は戸惑っていたのだ。
(これ以上、このウサギといるのが嫌だなんて言えないし。かと言って、春美ちゃん一人でウサギの家を探させるのも……)
陽介はどう言い訳をすれば、ウサギと別れられるか考える。すると、ウサギがぴょーんと空高く飛び上がった。見上げる二人の頭を飛び越えて、見事陽介たちの背後に着地したウサギは、赤と黒のランドセルを掴んだ。掴まれた瞬間、後ろにグイッとひっぱられ、陽介と春美はしりもちをついた。その時、
「つーかまえった♪」
「「え?」」
二人は耳を疑った。なんとウサギがしゃべったのだ。まるでアニメに出てくる幼い男の子みたいな声で。ウサギがしゃべったことに、目を丸くした春美は、
「え、今……しゃべった?」
「しゃべった……よね?」
二人は目をぱちくりさせた。陽介は夢じゃないかと、自分の頬を軽くつねって確かめたが、痛くなかった。すると春美が、もう一度同じ質問をくりかえしながら、陽介の頬を強くつねった。
「ほんとにしゃべった?」
「うん、しゃべっ……いたたたた!」
今度は痛くて、涙目になる陽介。対して春美はつねる手を離して「夢じゃない!」と嬉しそうに目を輝かしていた。つねられた頬を撫でながら、陽介が立ち上がろうとすると、グイッと後ろから強い力でランドセルをひっぱられ、またしりもちをつく。
「いたたたー……」
お尻も頬もヒリヒリ痛みながら、陽介は春美と一緒にウサギに引きずられていた。ウサギは二人が歩いてきた方向に戻っていた。ランドセルをひっぱる力は強かった。
「ウサギさん? ちょっ、ひっぱんないでよー」
「うるさい女の子ですねー。少し黙っててください」
とウサギが言った次の瞬間、ギュンッとスピードが速まった。走り出したのだ。陽介たちの引きずられていた足は、速さが上がるほど、宙に浮き、身体も浮き始めた。どんどん速くなる。風を切る。ビューっと後ろにひっぱられ、まるで後ろ向きジェットコースーターに乗っているような感覚に陥った二人は、いつの間にか目を閉じて叫んでいた。ランドセルを掴みながら、どんどん速度を上げて走り続けるウサギは、フンフフーンフーンと、鼻歌を歌っていた。
一体、このウサギは何なのか。二人はどこへ連れていかれるのか。
いつの間にか、ウサギの足は止まっていた。