エピローグ その後の、その後の、その後
フィオリアは失踪前夜、フローレンス公爵邸を訪れていた。
老齢の父グレアムと夕食を共にしたあと、少量のワインを飲み、自室に戻った。
そして、翌日。
なかなか起きてこないフィオリアを不審に思ったメイドらが部屋を訪れたところ、どういうわけか室内にフィオリアの姿はなく、開けっ放しの窓から吹き込む微風がレースのカーテンを揺らしていただけだった。
なお、この日の早朝、ベルガリア大陸の各地で不可思議な現象が目撃されていた。
たとえば、とある商人はこのような手記を書き残している。
「あれは明け方のことだった。
黄金色の光がパーッと彗星のような尾を引いて、点いたり消えたりしながら、西の空へと昇って行った。
それが何を意味しているのかは分からなかったが、いつのまにか涙が流れていた。
私は地面にひざまずき、祈りを捧げずにいられなかった」
この商人だけでなく、多くの人々が同じような証言を残している。
それらを総合して考えると、どうやら“黄金色の光”はフローレンス公爵邸の上空に現れ、まっすぐ天に昇って行ったらしい。
……余談だが、フィオリアが失踪した翌々日、まるで彼女の後を追うように、“飼い犬”のモフモフとその家族たちは姿を消している。
それからおよそ40日が過ぎたころ、今度は、世界規模での異変が起こる。
夕暮れ空が黄金色に染まったかと思うと、天使の大軍勢が現れたのだ。
まるでモナド教の経典に記される《最後の審判》を思わせるような光景に、世界中の人々は恐れ慄いた。
だが、世界の終わりは訪れなかった。
代わりに、いくつかの国が終焉を迎えた。
フィオリアの失踪に乗じてトリスタン王国に反旗を翻そうとしていた国々――。
そのような国々に対し、天使たちは猛然と襲い掛かった。
……とはいえ裁かれたのは反乱を企てた権力者ばかりであり、その国の民たちが傷ひとつ負うことはなかった。人々はこれまでと変わらずトリスタン王国の民として丁重に扱われた。
ところで、フィオリアが使っていた魔法のひとつに、次のようなものがある。
――《開闢の降臨》。
何千何万もの天使たちを召喚し、自在に使役する魔法である。
天使たちが反乱 (といっても未遂だが)の鎮圧に現れたことと、《開闢の降臨》が結び付けられるのは、当然と言えば当然だったのかもしれない。
人々は互いに囁き合った。
「あの天使たちは、フィオリア様が遣わせたものに違いない」
「反乱なんてとんでもない。下手をしたら、《神罰の杖》を落とされるんじゃないか?」
「フィオリア様は失踪したんじゃない。天に還って、空から我々を見守っているんだ」
噂というものは人から人へと伝わるうちに、どんどん膨らむものである。
そしてそれと時を同じくして、新モナド教の二代目教皇――ハインケル・ウィンフィールドによって次のような声明が出された。
「経典に曰く、創造神モナと破壊神フラグタルは兄弟であり、彼らには共通の姉神がいる。それこそが“黄金の女神”フィオリア・ディ・フローレンスなのだ。トリスタン王国を乱すことは、神意に背く大罪である」
言葉の真偽は、定かではない。
だが人々は、フィオリアが女神の生まれ変わりだと信じ込んだ。
結果、トリスタン王国は分裂することなく、およそ三百年の栄華を誇ることになる。
なお。
フィオリアの執事、レクスオール・メディアスは、フィオリア失踪からちょうど一年が過ぎた頃、ひそかに消息を絶っている。
周囲の証言によると、行方不明になる少し前から、レクスは西の空をジッと眺めていることが多くなっていたという。
レクスの蒸発を知ったトリスタン王国国王ヴィンセントは、
「置いて行かれたか。まあいい、いずれまた会うこともあるだろう」
と呟いたという。
ほどなくしてヴィンセントは遠縁の男子に王位を譲り、その後、生涯独身のまま静かな余生を過ごした。
* *
結局のところ、フィオリア・ディ・フローレンスが何者だったのかは、今日に至るまで明確な回答は出されていない。
だが、彼女の残した功績は未来永劫に渡って讃えられ、まるで太陽のように人類史を照らし続けることだろう。
旧教会の打倒と、新教の設立。
《黒き森》の征服と、邪神フラグタルの討伐。
世界統一国家の実現。
まさに神のごとき所業であり、神話以上に神話じみている。
後世の人々は、フィオリアがいた時代をいつしかこう呼ぶようになった。
『黄金の時代』と。
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