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醜と美そして陰謀論、を物語る。  作者: 神谷尚明
第一章 神話となる美と醜の姉妹
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醜悪なものによってより高められる善美

 

 誰かの指示のもと生きていきたい、という人は案外に多い。


 誰かに生き方を決めてほしいという気持ちを心のどこかに持ち続けている。


 自分の判断を信じられいないから信頼できるものから適切かつ正確な指示を戴き、それを全力で遂行したいという欲が人にはある。


 リーダーになりたい人のための教えは世にいくらでもある。指導者になるための方法は学びたい人が多数いる。


 だが上手に部下になる方法を学ぶものは中々いない。

 

 大多数のものはこう考えている「絶対服従でしょ」「要は上の言うことを聴いていればいいんでしょ」と。


 もちろんこれは半分合ってはいるが半分は合ってはいない。だから不満が溜まる。


 何故なら上からの指示は半分程度は間違えているし肝心なところで外すからである。


 その時に絶対服従をすることは間違いであるし絶対服従できなくなる。その時の対応が問われるのだ。


 意見を言いたくなるし反対したくなる。もしもそれをリーダーが力づくで抑え込んだとしたらその権威は著しく傷つく。


 権威主義が必ず個人崇拝かつ弾圧的になるのはここによる。


 よってここで先ほどに述べた素晴らしいリーダーの指示のもと、全力を尽くしたいという願望は潰えてしまうのだ。


 我慢しながら従うかそれとも違うのを捜すかという、嫌な気分のもと人は生きなければならないしそれが人の心なのだ。


 人情とは人の指示は完璧なものではないと分かりながら、なんとか妥協しながら従っていく態度のものである。


 間違いの時は間違いと言い、間違えていると予想しながら指摘し反発される、なんとも中途半端な心の持ちよう。


 上手に部下になる方法は絶対服従しながらもくすぐり程度の良いツッコミができるとなるが、それはお笑い芸人的な道化みたいなものだから常人には難しい。


 さて、そうであるからこそこの姉には人情というものが欠落していた。


「妹が間違えるはずがないし。それだったら世の中が間違えているのだから逆なの逆」


 世の中を対して対抗する構えを取る絶対服従。


 心の底から信頼し指示に従いもしもそれが世の中と真っ向から対立しても前に進もうとする。


 まるで立ったまま胸を反らしながら進む姿勢の絶対服従。


 信仰心の発露、狂信者の構え、そこに輝く一種の徳。


 あなたの望むことを全て受け入れるということは人であることを放棄することとイコールである。


 妹はそこに神聖さを見出した。姉には自我が亡く無私である。


 だからこそ自分が命に代えても護らなくてはならない、と。


 その二人の関係だが傍から見たら違って見えていた。


 あの醜い妹は姉を利用してのし上がろうとしている野心家。


 まったく見た目通りだと。


 そうである、悪は醜くなくてはならない。醜悪という言葉の座りの良さよ。そこには自然さを感じてならない。


 これに対して美悪とはどうだろうか? 


 どこか作りものめいたものを感じてならない。創作もののにある悪と美しさはその試みであろう。


 けれどもそれは困難である。


 なぜなら人は美しければその悪を善なるものとして受け止めがちであるからだ。


 そして悪は決して美を損なわない。妖しさでむしろ増幅させるかもしれない。


 それに比べてどうだろう醜悪という完全さは。


 読者の方々も醜善なんて言葉は見たことも聞いたこともないのではないか? そんな言葉は、ない。


 対義語みたいな美善・善美はあるというのに。それにしてもこの言葉は重複的であるから使われないのだろう。


 そう、醜美とかそれは座りが悪いしおまけに人はそれを望んではない。


 実際に醜くても善行をしているものは確かにいるし相互に関係はないが人々の意識は違う。


 醜いものはそれ相応のことをしてほしい。


 つまりはこうだ。醜い妹は美しい姉の善良さを利用して己の野心を果たそうとしている悪である、と。


 まさにこれではないか? そしてこれこそが陰謀論のひとつになる。


 何度でも確認するが陰謀論とはそうであったらいいのにという願望の説明でもある。


 嫌いなあいつが悪であったらいいのに……陰謀論はこの願望から始まることもある。


 その願望は同じくそれを嫌っているものと話したり噂を集める。


 そこに裏取りや検証などしない。しないでいい。目的は研究ではなく共感による快感であるからだ。


 嫌いなことが同じというのは仲間のうちでもなかなか強固なものとなる。


 好きなものと仲間になるのは良いがそこの結束は案外緩く外れやすいものだ。


 しかし嫌いなものとなるとそうはいかない。


 一種の同盟関係であり敵と戦うための関係に近くなるために結束は固く外れにくい。


 あいつは悪い奴だ! おおそうだ! この呼びかけの気持ち良さはまた格別。


 共通の敵に対しての悪口くらい楽しいものはないとは我々のよく知るところだろう。


 悪口は歪んだ事実から推論そして噂によって膨らむだけ膨らんでいきやがては実態から大きく外れてしまう。


 それはもはや創作であり小説となるがそれが陰謀論というもの。


 実態はなんだっていいのだ。こちらの解釈がなによりも大事なのだと。


 そうであって欲しいと願いはやがてそうであるに変わる。


 けれど幸いなことにこの陰謀論はここから広がらない。


 なんたって姉妹の関係である。他者がいくら気に入らなくてもそれ以上は何もできはしない。


 余計なものが姉に御注進をしてあなたは騙されているのですと伝えても無駄である。


「そんなはずはないわ。妹ちゃんは私のことを真から思ってくれているの」と返すのみ。


 ここまでの語りを聴いている皆様なら首肯するだろうが、作中人物たちはそれを知らないために首を振るう。


 いいえ、あなたは騙されていると思うと同時にその胸には感動が湧いてくるのだ。


 なんという純真な人だと。


 この世で最も美しい女の心が真っ白なほど清潔で綺麗だということが分かる感動。


 そこには犠牲者としての哀しみ殉教者としての崇高さというさらなる美の境地を同時に味わえるのだ。


 これでますます人々はこの姉を愛しますます妹を憎む。


 もしもこの姉が真実に目覚めて助けを求めてきたら八つ裂きにしてくれるわ……と誓いつつ妹の顔を見ると怖くて反射的に目を避けてしまう。


 妹は見た目通りの悪そのもの、そしてそれは彼女自身もそれを否定はしなかった。それで姉の美が増幅するのならなお良い。


 それに姉が自分の真実を知っているのならそれで良いのである。世界中を敵に回したとしても神にのみ心が分かって貰えているのならそれ以上の何がいるというのか。


 さて、こうした陰謀論なんかとは裏腹に姉は妹の心が分かり妹は姉の心が分かっている最良の関係性のなか遂にその日を迎える。


 王と出会う時が来たのだ。次回、姉は王と出会いいわば決闘を行う。

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