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神格のレシピ、境界線上の「戦い」

極上のパスタという名の「供物」を口にした三人の共犯者たち。その美味しさに理性が屈服していく中で、礼奈はそこに「さよなら」の響きを感じ取ります。そして、真白は平然とレシピを書き留め始めました。忘れたふりをしているのか、それとも――桂奈の問いに対し、真白は自らの内側で進む「侵食」という名の現実を、静かに、そして残酷に語り始めました。

一方、ホールでは、斎藤社長、礼奈、桂奈の三人が、覚悟を決めたような、あるいは死刑台に向かうような悲壮な面持ちでパスタを口に運んでいました。


斎藤社長は、心中で自分を厳しく律していました。

(……ならん。彼女は時限爆弾なのだ。我々が共犯者となった今、この料理はただの食事ではない。彼女の人間性が削り取られる代償として差し出された、いわば『供物』だ。味わって楽しむなど、雇い主として、人間として許されるはずが――)


そう思ったのも束の間。一口食べた瞬間、社長のフォークがピタリと止まりました。そして、次の瞬間には、まるで何かに憑りつかれたように、凄まじい勢いでパスタを巻き取り始めたのです。


「……ッ!? なんだ、この味は……! 鮭の脂を梅の酸味が完璧に中和し、パスタの一本一本にまで神がかり的な調和が宿っている。……いかん、止まらん! 脳が、理性が、この美味しさに屈服していく……!」


桂奈は、その様子を見て呆然としながらも、自分も一口食べて天を仰ぎました。

「……これよ。これが一番怖いのよ。あんな残酷な宣告をした本人が、こんなに『優しくて温かい、お母さんの味』を出すなんて。脳がバグるわ……。ねえ、礼奈さん。私たち、もう味覚から彼女の支配下に置かれてるんじゃないの?」


礼奈は、パスタをゆっくりと噛み締めながら、寂しげに微笑みました。

「……美味しいわね。でも、美味しいと感じるたびに、真白ちゃんがどんどん遠くへ行ってしまう気がするの。……ねえ、社長。この味、なんだか『さよなら』を言われているみたいで、胸が締め付けられませんか?」


三人は、あまりの美味しさにフォークを止めることができず、皿を空にしていきました。しかし、その幸福感は、同時に「彼女という爆弾」を抱えて生きるという、逃れられない運命をより深く肉体に刻み込んでいく儀式のようでもありました。


厨房から聞こえる、真白の明るい皿洗いの音。

その音は、完璧な日常を装いながら、一翻市の理を少しずつ、けれど確実に書き換えていく神の足音に他なりませんでした。


「皆さん、お口に合いましたか? 良かった! 午後からも、頑張りましょうね!」


振り返った私の瞳は、先ほどよりもわずかに青白さを増し、それでもなお、世界で一番優しいアルバイト店員の光を宿していました。


「コツはね、キノコの旨味を余すことなく引き出すことなんです。軸の部分も捨てずに細かく刻んで、加熱で凝縮させるのがポイント。ソースなんて、茹で汁と少しのバター、それに隠し味の梅干しがあれば、誰でも驚くほど簡単に作れるんですよ」


私はエプロンを軽く払い、少しだけ火照った顔を桂奈に向けました。カウンターの端に置かれたメモ帳とペンを手に取り、慣れた手つきでレシピを書き留め始めます。一筆一筆、丁寧な文字が踊るその様は、つい先ほどまで私が「世界を滅ぼすかもしれない時限爆弾」だと告白した者とは思えないほど、穏やかで日常的な光景でした。


桂奈は、目の前でサラサラとレシピを書き続ける私の指先に釘付けになっていました。その指先が紙に触れるたび、わずかに燐光のような粒子が舞い散るのを、彼女は見逃しませんでした。


「……真白ちゃん」


桂奈は意を決したように、喉を詰まらせながら声を絞り出しました。


「さっきの出来事、忘れたの? それとも……もう、何もかもがどうでもよくなってしまったの?」


質問を投げかけた桂奈の背中には、冷や汗が流れていました。もしここで私が「なんのことですか?」と無邪気に笑えば、それは彼女たちにとっての「真白」の死を意味するからです。


ペンを止めた私は、ゆっくりと顔を上げました。私の右半分の髪は、既に夜空の月光を閉じ込めたかのように、透き通るような銀白に輝いています。対照的に、左側はかつての栗色を残してはいるものの、その根元からは目に見えない速度で変色が進行していました。私は鏡を見ることもなく、ただ窓の外の空を見つめ、静かに答えました。


「忘れてなどいませんよ。……むしろ、一瞬たりとも頭から離れたことはありません」


私の声は、厨房の換気扇の音さえも遠ざけるほど静かで、どこか決定的な響きを帯びていました。


「皆さんが、こんな危険な私を受け入れてくれるというのなら……私には、その期待に応えることしかできない。そう決めたんです。どれほど悩んだところで、どれほど神を呪ったところで、この右側の髪が元の栗色に戻ることはありません。鏡を見るたびに、私の中にいる『何か』が、確実に領土を広げているのを感じるんです。右側が銀白に染まる速度は、止まらない。だったら……悩んで時間を浪費するより、せめて皆さんと過ごすこの時間を、最高に美味しいコーヒーとランチで埋め尽くしたい。それが、今、人間としてここに留まるための私の戦いなんです」


私の左目は、まだ少しだけ人間らしい茶褐色の輝きを湛えていました。しかし、右目は既に神格という名の絶対的な透明度を獲得し、世界を「滅びの確率」というデータで俯瞰していました。


桂奈は、その言葉の裏にある「あまりにも残酷な諦念」に言葉を失いました。私は単に忘れたふりをしているのではない。自分が消えゆくプロセスを、あえて「日常のルーチン」の中に組み込むことで、正気を保とうとしているのです。


「……真白ちゃん、あんた、本当に……」


「レシピ、書き終わりました。これ、美味しいですよ」


私は何も言わなかったことのように、再びいつものアルバイト店員の顔を貼り付け、レシピの書かれたメモを桂奈に差し出しました。私の笑顔は完璧でした。しかし、その笑顔の端からは、この世のものとは思えないほど静かで、冷徹な神気が零れ落ち、カフェの床を微かに凍らせていました。


私たちは、この一瞬の温もりを代償に、終わりのないカウントダウンを共に歩んでいます。私は再び、「バイトの真白」として、湯気の上がるコーヒーサーバーを手に取りました。滅びの火種を胸に抱えながら、お客様に「お待たせしました」と微笑むために。


「さあ、お仕事お仕事。今日は午後のラッシュが来るはずですから、気合を入れないとですね!」


そう言って背を向けた私の歩幅は、以前よりもわずかに大きく、大地を踏みしめる音が重くなっていることに、礼奈たちは気づいていました。それは、神としての威厳が、私の身体を徐々に侵食している証拠でもありました。

「悩むより、日常で埋め尽くす」。真白が選んだのは、消えゆく自分を「バイト店員」というルーチンの中に封じ込める、最も過酷な延命措置でした。彼女が完璧に振る舞えば振る舞うほど、その内側では神格が「領土」を広げ、かつての彼女を追い詰めていく。差し出されたレシピは、彼女が人間であったことの、最後の記録なのかもしれません。

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