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執行猶予の聖域、異邦人の慟哭

バックヤードで仮面を被り直し、再び現れた真白。しかし、その姿はもはや「バイト店員」という言葉では収まりきらない、完成された神の美しさを放っていました。彼女が突きつけたのは、あまりにも残酷な二択。神格化という時限爆弾を抱えたまま、この「偽りの日常」を続けるのか。それとも、すべてを道連れに破滅を選ぶのか。エテルニテの静寂は、今、聖域へと変質しようとしています。

扉が閉まる音と共に、カウンターに残された三人は、言葉を失って呆然と立ち尽くしました。


礼奈は、その場に崩れ落ちるように車椅子を傾けました。彼女の脳裏には、真白の告白が刃となって突き刺さっています。(今の……何? あの子は、自分を『時限爆弾』だと言ったのよ。二戦目を打てば、この街が滅びるかもしれない。それをさせないまま、爆弾を抱えて共に生きるか、それとも破滅を覚悟で対局させるか。……そんな選択を、あの子は私たちに突きつけて消えたの?)


桂奈は、握りしめたスマートフォンがひび割れるほどに強く力を込めていました。(残酷すぎるわ。真白ちゃんは自分の口で、自分はもう人間ではないかもしれない、と白状したのね。私たちが彼女の『日常』を愛せば愛すほど、彼女は私たちのために、神格という爆弾を抱えたまま『普通の少女』を演じ続ける……その罪深さを、私たちに背負わせるつもりなのね)


斎藤社長は、震える手でカウンターに突っ伏しました。(……聞かなければよかった。彼女の孤独に触れてしまった。彼女は、自分が帰る場所のない異世界の迷い子であり、その存在そのものがこの街の理を崩壊させる引き金だと理解している。それでも『私の隣にいてくれるか』と問うてきたんだ。あんなに寂しげな顔をして……私たちを『共犯者』に仕立て上げたんだ)


三人は悟りました。真白が店内に戻ってきた瞬間、そこにはもう「バイトの真白」はいない。彼らが向き合うのは、一翻市の運命をその掌で握りつぶせるほどの神性を宿した、脆く美しい破壊神なのです。


一方、バックヤードの冷たいコンクリートの床の上で、私はモップを抱え、ただ静かに呼吸を整えていました。


(伝えるべきことは伝えました。後悔はありません)


心の中で、私は淡々と自分に言い聞かせます。私の正体は、この街の記憶にもない、ただの異世界からの転移者。どこから来たのかも分からぬ迷い子。魂天神社という器がなければ、私は消えていたはずの存在です。


(二戦目さえしなければ、私は神格化しません。これさえ守れば、この愛しい日常は崩れない……)


私は自分の両手を見つめました。少しずつ銀白へと変色していく指先。この身体は、すでに人間としての境界を越えようとしています。


(私がここを出て、カウンターへ戻った瞬間、彼らが私を『恐ろしい何か』として見るのは分かっています。もしそうなら……それまでの縁だったと諦めるしかありませんね)


窓から差し込む光が、私の銀白の髪を強く照らします。鏡すら見たくないほどに、その輝きは神々しく、そして痛々しい。


「……はぁ。戻りたくないなぁ」


私は重い溜息を漏らしました。


「普通の人間で居たかったのに……どうして、魂天様はこんなにも残酷なことをされたのでしょうか。私に神格を授け、日常を守るという『偽りの希望』を与え、その上で……『時限爆弾を抱えて生きろ』と強いるなんて」


私の心の中には、二つの選択肢が絶えず渦巻いていました。

このまま誰にも対局させず、神という檻の中で静かに消えていくか。それとも、すべてを焼き払うことを承知で、再び牌を握り、この街と共に滅びるか。


「……もう、私は人間ではないのかもしれませんね」


バックヤードの静寂の中で、私は自分の声がどこか他人のもののように聞こえました。私は深く息を吸い込み、再び「普通のバイトの真白」としての表情を、まるで仮面を被るようにして作り上げました。


扉を開ければ、そこには私を恐れ、それでも私を繋ぎ止めようとする三人の共犯者が待っています。私はエプロンを締め直し、消えゆく人間としての尊厳を抱えて、再び「日常」という名の舞台へ足を踏み入れました。



バックヤードの扉が、乾いた音を立てて開きました。


そこに立っていたのは、先ほどまで熱心に掃除をしていた「勤勉なアルバイトの真白」ではありませんでした。背中まで届くほどに伸び、透き通るような白銀へと染まりきった髪が、カフェの薄暗い通路で燐光を放っています。その姿は、あまりにも完成された「神の彫像」のようで、人間が抱くべき「親しみ」という感情を強制的に「畏怖」へと書き換えてしまうほどに、冷たく、そして美しいものでした。


私はゆっくりと、カウンターの三人の前まで歩み寄りました。私の足音はもう、床を叩く現実的な振動を伴っていません。まるで空間そのものを滑るような、この世ならざる静謐な動き。


「みなさん、答えは出ましたか?」


私の声は、カフェのスピーカーから流れる音楽をかき消し、彼らの脳髄に直接響くような澄んだ音色を帯びていました。


「時限爆弾を抱えた私を、二度と二戦目をさせず、神格化を加速させないまま、このまま隣に置いてくれますか? それとも……今この場で、私に二戦連続の対局を強いて、この街も、皆さんの未来も、すべてを道連れにして滅びを選びますか?」


私は三人の顔を、一人一人、魂の奥底まで覗き込むように見つめました。その瞳には、もはや怒りも憎しみもなく、ただただ、底の見えない深い深い寂寥感だけが湛えられています。


「……どちらを選んでも、私が知っている『幸せな日常』は、もうどこにもないのですから」


私は自嘲気味に、少しだけ口角を上げました。ですが、その笑みはひび割れた仮面のように痛々しく、見ている者の胸を締め付けます。私は震える手で、自分の胸元に光る、琳琅から贈られたあの勾玉の首飾りに触れました。


「……本当は、こんなこと言いたくなかったんです。皆さんと、美味しいコーヒーを淹れて、ささやかな工夫を語り合い、特売の野菜に一喜一憂して、ただ笑い合っていたかっただけなのに。どうして、私という異邦人に、こんなにも重い選択をさせるのですか?」


その問いは、三人に向けられたものであると同時に、天にまします「魂天様」へ、そして自分をこの世界へ引き寄せた残酷な運命そのものに向けられた慟哭でした。


三人の反応は、もはや言葉を越えた次元にありました。


礼奈は、こぼれ落ちる涙を拭うことさえ忘れ、呆然と私を見上げていました。

(真白ちゃん……ごめんなさい。私たちが、あなたの非凡さに甘え、あなたに『奇跡』を期待しすぎたせいで。あなたは自分を異邦人と呼ぶけれど、私たちにとって、あなたは唯一の居場所だったのに。……爆弾なんて呼ばないで。あなたが消えてしまうくらいなら、私は……たとえ明日、世界が消えるとしても、今日この瞬間の、震えているあなたを抱きしめていたい)


桂奈は、常に冷静だったプロデューサーの仮面を完全に剥ぎ取られ、ただ一人の非力な友人として、カウンターの下で爪が食い込むほど拳を握りしめていました。

(地獄だわ。彼女は、自分を『滅びの装置』だと定義することでしか、私たちとの関係を保てないと思い詰めている。二戦目を打てば滅び、打たなければ永遠の緊張の中に生きる……。私たちが彼女に与えられるのは、平和ではなく『執行猶予』だけだというの? あんなに優しい子が、どうして自分の存在そのものを罪だと思わなきゃいけないのよ!)


斎藤社長は、深く首を垂れ、その老いた肩を激しく震わせていました。

(私が……私が二戦目を求めたばかりに。真白さん、貴女は自分が異邦人だと言うが、貴女ほどこの街を、この店を、清らかに愛してくれた者はいなかった。貴女が時限爆弾だと言うなら、私はその信管を共に抱え、運命を共にする覚悟をするしかない。……だが、それを強いてしまった自分の強欲が、何よりも呪わしい)


カフェの空気は、私の発する神気によって刻一刻と変質し、外界から遮断された「聖域」へと変わりつつありました。


「私は、もう人間ではないのかもしれませんね。……だって、こんなにも皆さんのことが愛おしくて、離れたくないと願っているのに……私の髪は、私の意思を無視して、どんどん白く、冷たくなっていくんですから」


私はそう言って、ふわりと片手を差し出しました。その白い指先からは、微かに青白い火花のような神気が散り、カフェの床に落ちては現実の輪郭を薄れさせていきます。


「……さあ、選んでください。私の『最期』を、どのような形にするのか。皆さんの言葉だけが、今の私を繋ぎ止める、唯一の糸なんです」


私は微笑みました。それは、滅びゆく世界を憐れむ女神の慈悲であり、同時に、一刻も早く誰かに「普通の少女」として叱ってほしいと願う、迷子の叫びでもありました。

神としての圧倒的な威光と、迷子のような悲痛な本音。その矛盾した存在が、カフェ『エテルニテ』を現世から切り離していきます。真白が差し出したその手は、救済を求めているのか、それとも終焉を告げているのか。三人が選ぶべき答えは、もはや論理ではなく、魂を削るような「共犯」の誓いしか残されていません。

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