神を狂わせる冷やし中華と幻のレシピ
一姫というノイズが消え去り、宴は再び平穏を取り戻した。厨房から天使たちが、真白の指示を受けた「冷やし中華」を運んでくる。それは、ただの麺料理ではない。神々を理性の彼方へ誘う、危険な毒にも等しい美味であった。
喉を鳴らす女神たち
「真白様、指示通りに伊勢海老の殻で取った出汁と麺を合わせましたが、まだ何かが……」
「そうですね……。そこにある大きな葡萄柚を絞り入れてください。酸味と苦味が全体の輪郭を引き締めてくれます」
天使たちが果汁を加え、仕上げた一皿が食卓に並ぶ。
「さあ、皆様。できましたよ。天使の皆さんもぜひ。喉につまらせると危険ですので、飲み物の準備を忘れずに」
私がそう告げた瞬間、女神たちが一斉に箸をつけた。一口、麺をすすった瞬間、食堂から「ズルズル」という音が響き渡り、彼女たちは箸を止めることができなくなった。
美のヴィーナス(副会長):
「っ!? ……なにこれ。止まらない! 喉が、脳が、もっとよこせと叫んでいるわ!」
知恵のソフィア(書記):
「理性が……食欲という名の本能に塗りつぶされていく。これ、危険すぎない?」
豊穣のデメテル(会計):
「ああ、もう止めて! 窒息する……でも、麺を吸い込むのをやめられないわ!」
龍神の翠(役員):
「ぬう……この味わい、まさに至高。箸を置くという概念が消えた……」
勝負の女神(1年):
「美味すぎて喉を通るたびに震えるっす!」
創造の女神(担任):
「このままでは全員窒息死……でも止めないわ! 真白、貴女は魔女ね!」
調和の桃子(養護):
「うふふ、心が麺と一緒に溶けていくみたい……」
慈愛の女神(3年):
「真白ちゃんの料理で満たされていく……幸せ……」
芸術の女神(2年):
「味の暴力よ! 窒息寸前のアートだわ!」
料理の女神:
「こんな味、私のレシピにもなかった……! 天界のメニューに即採用よ!」
天使たちも、自分たちが作った冷やし中華の味に驚愕していた。
「これほどとは……。真白様の仰った通り、食材の命が最高の一皿へと昇華いたしました……!」
幻のレシピ
一息ついた女神たちは、興奮冷めやらぬ様子で騒ぎ出した。
「明日、学院のランチはカップ麺セレクトメニューにする予定だったけど、晩御飯はこれよ! 絶対にこれ!」
女神たちの熱狂をどこか他人事のように眺めつつ、私は思い出したように口を開いた。
「……あっ、そういえば玉蜀黍料理で思い出しました。すり下ろした玉蜀黍と玉葱を混ぜ、そこに山羊の乳と蘇を合わせて、窯の余熱でゆっくり火を通す料理も美味しいですよ」
その瞬間、食卓が静まり返った。料理の女神が、目を見開いて私に詰め寄る。
「ちょっと真白……それ、失伝したはずの幻レシピじゃないの!?」
私は不思議そうに首を傾げた。
「えっ、そうなのですか? うーん、朧気なのですが、なにかの本で読んで試しに作ったような……そんな幻のレシピなんて大げさなものでは……」
知恵のソフィア(書記):
(前世は宮廷料理人ね……間違いないわ。これだけの記憶と技巧、凡人であるはずがない)
料理の女神:
(図書館レベルの知識……いえ、これは彼女の魂に刻まれた記録よ)
女神たちの勝手な推測をよそに、私はただ苦笑した。
「料理人だなんて大げさですよ。私はただ、無駄なく美味しく食べる、節約料理が好きなだけの学生ですから」
真白の無自覚な一言が、天界の食の歴史を塗り替えていく。彼女にとって、宮廷料理も節約レシピも等しく「大切な命を活かす知恵」に過ぎない。女神たちは彼女をかつての偉大な料理人の転生だと確信したが、当の本人は明日の学院の課題と、生徒会業務のことで頭がいっぱいである。神の座にありながら、真白の日常はどこまでも「慎ましい学生」のそれであり続けるのであった。




