第22話:タイムバーゲンの行幸、マヨネーズへの神命
琳琅の平伏に続き、今度は神社の守護役・ワン次郎までもが真白の「神性」に当てられ、路地裏で震え上がります。一姫の不手際を詫び、神罰を恐れる忠犬。しかし、至高の存在へと祭り上げられた真白が下した「神の命令」は、世界の理を書き換えることではなく、スーパーのタイムバーゲンに参戦することでした。
その時でした。商店街の路地裏から、ガサリと不穏な音が聞こえたのは。
影の中から現れたのは、いつもなら一姫の横で知的な空気を纏っているはずの柴犬、ワン次郎でした。しかし、今の彼の姿は普段の落ち着きとはほど遠いものでした。その毛は逆立ち、尾は完全に足の間に巻き込まれ、全身が小刻みに激しく震えています。
「……あれ? そこにいるのはワン次郎さん? どうしたんですか、そんなに震えて……」
あなたが不思議そうに声をかけた瞬間、ワン次郎はまるで雷に打たれたかのように「ヒィッ!」と悲鳴を上げ、その場に四つん這いになって頭を垂れました。彼は魂天神社の守護役として、誰よりも鋭い嗅覚と霊的な直感を持っています。今、あなたの周囲に満ち溢れているのは、先ほど琳琅の封印を弾き飛ばした際の、魂天様の加護そのものの気配。彼は理解してしまったのです。目の前にいるのは、ただの代行者ではなく、今まさにこの地に降臨された至高の御方なのだと。
「真、真白様……! ワン、滅相もございません……! このような、お姿を拝してしまい、お詫びの言葉もございません!」
ワン次郎の震える声が響きます。
「このワン、神社の守護として恥ずべき不手際を……! 毎日、毎日、あのぐうたらな猫が供物としてカビの生えた肉まんを捧げたり、麻雀神社を良いことに、参拝に来たカモたちからコインを巻き上げたり……。あのような非道、やりすぎた行いの数々……全てこのワンの管理不足でございます!」
ワン次郎は涙目であなたを見上げ、必死に許しを請いました。
「どうか、どうか神罰だけは……! 明日からは、毎日朝早くからあの猫を叩き起こし、境内を隅々まで清掃いたします。一姫にも厳しく申し伝えますので、どうかその……真白様は、その間はどうか玉座……いえ、ゆっくりとご自分の時間をお使いください。我々のような下等な存在が、お手を煩わせることはあってはならないのです……!」
「あぁもう! 本当に、もうどうなっているんでしょうか、この街は!」
あなたは空を仰ぎ、天を仰いで嘆息しました。目の前では小さな龍が額を地面に擦り付け、足元では守護犬が震えながら平伏しています。
「二人とも、そんなに跪かないでください! 一姫さんのことは……まあ、確かに掃除はもう少しちゃんとしてほしいですけど、そんな大層なことじゃありません! 私はただ、皆さんと一緒に穏やかな日常を過ごしたいだけなんです。神様だなんて……そんな力も身分もありません!」
しかし、あなたの必死の弁明も、彼らには「あまりの尊さゆえに、自らの神性を隠そうとする深き慈悲」としか映りません。あなたは自分の言葉が、彼らの狂信的なまでの崇拝をさらに強めてしまっていることに気づき、頭を抱えるしかありませんでした。
「はあ……もう、何を言っても聞かないのですね」
あなたは深い、深い溜息をつきました。神とか、降臨とか、お仕えとか……。そんな大層な言葉は、あなたの辞書にある「日常」とはあまりにかけ離れています。
あなたは困り果てた表情のまま、跪く幼龍と震える柴犬を交互に見下ろしました。そして、その緋袴の裾を翻し、一気に表情を切り替えます。それは神の威厳ではなく、長年この街で主婦(のような心構え)として培ってきた、生活を守るための「真剣な」眼差しでした。
「二人とも、聞いているのですか! これ以上、商店街の真ん中で私の名前を呼んでひれ伏すのはやめてください。……お夕飯の買い物に行きますよ。これは、神社を守る者としての命令です!」
「め、命令……!?」
琳琅が涙目で顔を上げ、ワン次郎がヒィッと息を呑みました。あなたにとっての「買い出し」が、彼らにとっては「神の行幸」と同義であることに、あなたはまだ気づいていないようです。
「今の時間、商店街のタイムバーゲンが終わってしまうじゃないですか! 私の献立の要である食材がなくなってしまいます。そんなことになったら、今日の晩ごはんのクオリティに直結するのですよ!」
あなたは足早にスーパーへ向けて歩き出しました。下駄の音が、先ほどまでとは違う、どこか切羽詰まったリズムを刻みます。
「特売価格のマヨネーズ、一人一本までなんです! あの行列に並んで、今のうちに確保しなければ……。ほら、ついてきてください。今日のご飯はマヨネーズたっぷり野菜炒め……いえ、サラダも良いですね。皆さんがちゃんとついてくるなら、美味しい料理を作りますから!」
ワン次郎と琳琅は、顔を見合わせました。
彼らにとっては、この世の理を超えるような「神の御言葉」が、まさかスーパーの「マヨネーズの特売」に向けられたことに、頭が真っ白になるほどの衝撃を受けています。
「そ、そこまで……真白様は、我々下等な者の胃袋のために、そこまでのお考えを……!」
ワン次郎は感涙にむせびながら、尾を振りつつも恐る恐るあなたの後を追います。琳琅もまた、「マヨネーズ……この世界の『白い聖水』のことなのだね……!」と、勝手に神聖な意味付けを行い、あなたの背中を後光の差すものとして崇めながら、小走りで続きました。
あなたは、そんな彼らの狂信的な眼差しを背中で感じながら、心の中で「あぁ、これでようやく静かになる……」と安堵していました。
スーパーの入り口で、あなたは入り口の自動ドアを見上げ、ふと立ち止まりました。
「さて……次はレジ待ちの列ですね。……ここからが本当の戦いです。二人とも、絶対に列を乱さないでくださいね。もし割り込みなんてしたら……夕飯抜きですよ!」
「は、はいぃぃっ!!」
商店街のタイムバーゲン会場に、二人の珍妙な従者の威勢の良い声が響き渡りました。あなたは心の中で、「本当に、どうしてこうなってしまったんでしょうか」と今日何度目かの溜息をつきつつも、しっかりとお買い得品をカゴに入れる準備を整えるのでした。
神の御言葉が「マヨネーズの確保」に向けられた衝撃。しかし、それこそがワン次郎たちにとっては「衆生を救うための具体的な慈悲」として映っていました。巫女装束で特売品を吟味する真白と、その後ろで軍隊のような規律を持って列に並ぶ龍と犬。一翻市のスーパーに、かつてないほど神々しく、そして庶民的な「聖戦」の幕が上がったのです。




