第4話 正しさは、誰を救うのか
「本当に、それでいいのですか?」
夜の中で、その問いだけがやけに鮮明だった。
わたくしは少しだけ首を傾げる。
「“それ”とは、どれを指しているのかしら」
エリシアは一瞬、言葉に詰まった。
けれど、すぐに視線を逸らさずに言い直す。
「……何も否定しなかったことです」
「否定する理由がなかっただけですわ」
「あります」
きっぱりと、言い切られた。
その声音には、迷いがない。
あの大広間で見せていた柔らかさとは違う、はっきりとした強さ。
「あなたは、あのように扱われる方ではありません」
わたくしは少しだけ瞬きをする。
面白いことを言うのね。
「“そのように扱われる方ではない”と判断したのは、誰かしら」
「……それは」
「あなた?」
エリシアは口を閉じた。
代わりに、ゆっくりと息を吸う。
「少なくとも、私はそう思っています」
「それが、あなたの“正しさ”なのね」
わたくしは軽く頷く。
「よく分かりましたわ」
そして、少しだけ距離を詰める。
「では、その正しさは、誰を救うのかしら」
エリシアの目が揺れる。
ああ、この質問は効く。
「あなたを、です」
「いいえ」
すぐに否定する。
「あなたが救っているのは、“制度”ですわ」
空気が変わった。
ほんのわずかに、温度が下がる。
「……どういう意味ですか」
エリシアの声が、少しだけ低くなる。
「簡単なことです」
わたくしは指を一本立てる。
「あなたは、評価が正しいと信じている」
「ええ」
「だから、その評価によって誰かが傷ついても、“仕方ない”と思える」
「それは違います!」
即座に否定が返ってくる。
やはり、素直ね。
「私は、誰かを傷つけたいわけではありません」
「ええ、存じております」
だから厄介なのだ。
「ですが、結果として傷つく人間がいる」
「それは……」
言葉が止まる。
「それでも、評価は必要です」
しばらくの沈黙のあと、エリシアはそう言った。
「評価がなければ、何が正しいのか分からなくなる」
「なるほど」
わたくしは小さく頷く。
「では、逆にお聞きしますわ」
一歩、踏み込む。
「評価があれば、何が正しいか分かるの?」
エリシアの呼吸が止まる。
その一瞬の沈黙が、すべてを物語っていた。
「……少なくとも、目安にはなります」
「目安、ね」
その言葉を、ゆっくりと繰り返す。
「では、その目安で人生を決められる人間は、どうなるのかしら」
エリシアは、答えない。
答えられないのではない。
答えたくないのだ。
それでも。
彼女は逃げない。
「……それでも、必要です」
静かに、そう言った。
「完璧ではなくても、評価があることで救われる人もいます」
その言葉に、わたくしはほんの少しだけ驚いた。
ああ。
そういうこと。
「あなた、評価に救われたことがあるのね」
エリシアの肩が、わずかに揺れる。
図星だ。
「……はい」
小さく、しかしはっきりと頷いた。
「だから、信じているのです」
その言葉には、嘘がなかった。
だからこそ、強い。
そして、危うい。
「なるほど」
わたくしは、ゆっくりと息を吐く。
「では、あなたは“正しい”ですわ」
「……え?」
エリシアが目を見開く。
「少なくとも、あなたの中では」
わたくしは視線を逸らす。
「わたくしも、あなたを否定するつもりはありません」
それは本心だった。
彼女は間違っていない。
ただ。
「ただ、わたくしは違うだけです」
再び、彼女を見る。
「評価に救われなかった人間もいる」
その一言で、空気が変わる。
エリシアの目が揺れる。
わたくしは、それ以上は何も言わない。
説明する必要はない。
それは、彼女が考えるべきことだ。
「……ルナ様」
エリシアが、ゆっくりと口を開く。
「では、あなたはどうするのですか」
「どうする、とは?」
「評価を否定するのであれば」
少しだけ、踏み込んでくる。
「その代わりに、何を基準にするのですか」
良い質問だった。
そして。
難しい質問でもある。
わたくしは少しだけ考える。
そして、答える。
「決めるのです」
「……誰が?」
「わたくしが」
エリシアの目が大きく開かれる。
「それは……」
「傲慢ですか?」
先に言う。
彼女は口を閉じた。
否定も肯定もできない顔。
「ええ、そうでしょうね」
わたくしは笑う。
「ですが、他人に決められるよりは、ましですわ」
沈黙。
夜の静けさが戻る。
エリシアは何も言わない。
ただ、わたくしを見ている。
その視線は、少しだけ変わっていた。
同情でも、優しさでもない。
――理解しようとする目。
「……あなたは、強いのですね」
ぽつりと、そう言った。
わたくしは首を横に振る。
「いいえ」
それは違う。
「強いのではなく」
一歩、後ろに下がる。
「他に選択肢がなかっただけです」
それだけだ。
エリシアは、何も言えなかった。
そして。
わたくしも、それ以上は言わない。
これ以上は、押しつけになる。
「では」
軽く会釈をする。
「これで失礼いたします」
「待ってください」
エリシアが声を上げる。
わたくしは振り返る。
「……何かしら」
彼女は、少しだけ迷ってから言った。
「あなたは、これから何をするのですか」
同じ質問。
けれど、意味は違う。
今度は、“理解しようとして”聞いている。
わたくしは少しだけ考えてから答えた。
「まずは」
視線を空に向ける。
「知ることです」
「何を?」
「どこまでが、決められているのか」
そして。
「誰が、決めているのか」
その言葉に、エリシアの表情が固まる。
やはり、そこは考えたことがないのね。
「……危険です」
小さく、そう言った。
「そうかもしれませんわ」
否定しない。
「ですが」
わたくしは、少しだけ笑う。
「安全な場所にいても、評価は変わりませんもの」
それが、この世界だ。
エリシアは何も言えなかった。
わたくしは背を向ける。
今度こそ、歩き出す。
止める声はなかった。
回廊を抜ける。
夜の空気が、また少し冷える。
けれど。
先ほどよりも、ずっと軽かった。
「……さて」
小さく呟く。
次にやるべきことは、もう見えている。
情報を集める。
評価の仕組みを知る。
そして。
“決める側”に触れる。
そのためには。
「まずは、どこに行くべきかしら」
考えた、その時だった。
遠くから、ざわめきが聞こえてきた。
夜の学院にしては、不自然な音。
誰かが、言い争っている。
それも。
ただの口論ではない。
「……評価記録が、消えている?」
その言葉に、わたくしは足を止めた。
評価記録。
それが、消える?
ありえない。
あってはならない。
そして。
もし、それが本当なら。
――この世界は、わたくしが思っているよりも、ずっと不完全だ。
エリシアとの会話で、「正しさ」が少しずつ揺れ始めました。
そして最後に出てきた“評価記録が消える”という異常。
ルナがこれから踏み込む場所は、思っている以上に危ういかもしれません。
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次話から、少しずつ“制度の歪み”に触れていきます。




