西方の檻⑥
◇
幌をかぶせた荷馬車が轍に足を取られ、ガタンと大きく車体を揺らした。
渓谷の谷底に大きく構える西部研究所は、研究所というよりも大型の工場といった体を成している。その施設へ続く道は、正門よりも貨物運搬路の方が広く整備されていた。真新しい石畳には、無数の重い車輪が刻んだ深い轍の跡だけが黒々と残っていた。ここ最近、搬入口だけが異常に拡張された証左だ。
だが、新調された搬入門とは対照的に、周囲の壁はひび割れ、塗料の飛散によるものか無残に変色し朽ちるに任されている。その歪さにアルドは顔をしかめ、そしてフードを深く被り直した。門兵が二人ほど、荷馬車に歩み寄ってくるのが見えたのだ。
「止まれ!」
「出荷番号の控えを提出しろ」
淡々とした口調だった。御者台のゲルドが無言で羊皮紙を差し出す。門兵はそれを手元の表と照合して頷いた。
「オスト地区、三鉱区の積荷だな。‥‥‥数量は合っているが、その奥にいるのは何だ?」
「補充員だ」
ゲルドが短く答えると、門兵は眉一つ動かさずに言った。
「そうか。昨日は随分と使い潰したからな。丁度いい」
――使い潰した、だと?
アルドの奥歯がカチリと鳴る。荷の個数を数えるのと全く同じ声音で、人の命が語られていた。
門兵が通れと顎でしゃくった、そのとき、
「ちょっと待て」
「なんだ? まだ何かあるのか」
「お前、見ない顔だな。いつもの奴はどうした?」
「‥‥‥今回は、俺に代わったんだ」
「ほう? ‥‥‥怪しいな。後ろの補充人員ども、顔を見せろ。そうだな、まずはその背の低い防護服の男から――」
門兵の指先が向いたのは、ヴィッセン王だった。
王はおずおずと御者台の脇に進み出ると、防護服の懐から一つの宝石を取り出して、痩せた掌に載せて門兵に見せる。深い青と緑が渦巻く、王家の秘術による宝石だ。
「おお? ま、待て。確認する」
門兵は慌てて詰所から懐中電灯に似た棒状の魔動器を持ち出させ、先端を宝石にかざした。すると、内側から毒々しい紫の光が明滅し出した。
「本物だ。だが、今日の予定にはないぞ。ああ、なるほど‥‥‥例の極秘取引か」
門兵が露骨に態度を和らげ、妙に納得した様子で頷く。ヴィッセン王が頭部を覆うフードを脱ごうとすると、門兵は手をかざして制した。
「顔の改めは不要だ。管理官ならいつもの奥の部屋にいる。それと、これを持っていけ」
門兵はニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、近くにいたイエルに赤い木札の通行証を手渡した。
(極秘の取引?)
アルドは隣のココミとゲルドと視線を交わした。二人も不審げに眉をひそめている。だが、イエルとヴィッセン王は固く口を閉ざしたまま、深くフードをかぶり直すだけだった。
王とその周辺は、以前からこの忌まわしい施設と何らかの裏取引を行っていた‥‥‥ということなのだろう。その事実がアルドたちの前に重く横たわる。
(それと、あの門兵たちの態度だ。あまりにも異様すぎる)
この西部研究所が亜獣発生の震源地である可能性は限りなく高い。国土が食い荒らされている最中に、その元凶の門を守る男たちが、荷の番号を突き合わせて欠伸を嚙み殺している。外の惨状を知らないのか、あるいは知ったうえでゴミ屑の出来事だとしか思っていないのか。
アルドが問いかけるように視線を向けると、イエルは数秒ほど口をつぐんだ。彼の背後にはヴィッセン王がいる。アルドは王をうかがったが、王は俯き、ただ黙ったまま荷馬車の床を見つめているだけ。
再び視線を戻すと、イエルはアルドの耳元で掠れた声を漏らした。
「‥‥‥門兵は、黒の信徒です」
(黒の信徒! 門番の末端にまで浸透しているというのか)
潜伏しているのは一人や二人ではない。帝国に、マジル都市に、そしてドワッフ王国においても、国境や種族の壁を越え、狂信の網は張り巡らされている。アルドは目を伏せ、その視界の端でヴィッセン王を盗み見た。
(極秘の取引‥‥‥まさかヴィッセン王は、黒の信徒と手を組んでいたのか‥‥‥?)
重苦しい沈黙が充満する荷馬車の中で、アルドは幌の天井を見つめた。普段なら真っ先に脳内で口を挟んでくるルルナが、今は不気味なほど静かだった。
疑問の答えが得られぬまま、底なしの静けさが荷馬車を支配していた。
輸送隊に扮した遊撃部隊は、施設の搬入路をゆっくりと進んでいく。通路の両脇には、ジタント鉱石を限界まで積み上げた荷馬車が何台も放置されていた。
「ジタント鉱石が山積みだな」
「処理が追いついてねえんだろうよ。なにせ俺がいた第八鉱区には、主力のジタントを削ってまで『鉄鉱石』の増産命令が来てたくらいだからな。‥‥‥ほれ見ろ、ここには鉄鉱石が一つもねえ」
ゲルドが顎先で示す。確かに、おかれているのはジタント鉱石ばかりだ。では、増産された大量の鉄鉱石は、一体どこに消えたのか。疑問が口に出る。
「鉄鉱石で何を作っていたんだ?」
誰もアルドに答えず、ゲルドがたまらずに声を荒げた。
「はっ、だんまりかよ」
「ゲルド、そう言うな。行けば分かる」
アルドは憤るゲルドの肩を静かに叩いた。
荷馬車を、それを運んできた荷役の者たちに預け、アルドたちは施設の深部に徒歩で足を踏み入れる。先導するのは、例のごとくヴィッセン王である。
搬入通路の先は、吹き抜けの巨大な建屋になっていた。
「第一建屋です」
アルドの隣にいるイエルが囁く。ここは掘り出された鉱石を細かく砕く砕石場だった。頭上には木組みの空中通路が張り巡らされ、防護服を着た監視員が眼下の作業員を見下ろしている。
――上から鞭を振るう者と、下でハンマーを叩く者。
建屋の構造そのものが、徹底した階級と支配を体現していた。
「監視員が配置されたのは、一年半前からです」
「西部研究所は、最初から塗料の精製施設だったのか?」
「はい。帝国との通商条約が締結された直後から、稼働を始めました」
ぽつり、ぽつりとイエルが説明する。その言葉を拾って、アルドは理解を進めていく。
(西部研究所自体は黒の信徒が建てたもんじゃない。帝国の要請でドワッフ王国が公式に建設して、稼働させていた。‥‥‥だとしたら、亜獣の軍勢はどこから生まれた?)
「帝国の技師は、この施設にはいないのか?」
「一年半前に、すべて王国の首都へ引き上げました」
「ヴィッセン、本当か?」
「‥‥‥はい」
王の掠れた返答。
その背後で、ココミがたまらずアルドの袖を強く引っ張った。ちょうど一行が『第二建屋』に入った直後のことだった。
「アルドさんっ! あの人たち、もう限界だよ‥‥‥早く助けに行かなきゃ!」
第二建屋の中では、巨大な樽がいくつも並び、毒々しい液体の攪乱作業が行われていた。櫂を回す作業員たちの動きが明らかにおかしい。腕が上がりきらない者。櫂を回しているのではなく、櫂に体重を預けて、かろうじて倒れるのを防いでいるだけだ。
そして、防護装束の袖口から覗く彼らの手は――指の形を失い、ドロドロに溶けかかっていた。
「ココミ様。どうか、気を鎮めてください!」
走り出そうとしたココミを、イエルが必死に制する。
「でもっ、あのままにしておけない。あんなの、拷問だよ!」
「‥‥‥あそこで働いてるのは、私の同郷の村人たちです。ですが、今は動けば全員が殺される。黒の信徒がどれほど潜んでいるか分からないのです!」
イエルは唇を強く噛み締め、血が滴るほどに噛み締めながら、ココミを押しとどめた。
アルドは、ショックを受けるココミの肩を抱き、低く囁いた。
「大丈夫だ、ココミ。必ず全員を助け出す。だから、今は耐えてくれ」
「‥‥‥分かりました」
ココミは胸の前で両手を固く握りしめ、溢れだそうになる涙を耐えた。アルドはイエルに向き直る。
「イエル。なぜあんたの同郷の者たちがここで働かされてる? あの体の変異はなんだ」
「塗料です」
イエルの答えは短かった。
「あの塗料の製作過程で、強烈な毒素がまき散らされる‥‥‥たとえ防護装束を着ていたとしても、三年で体が腐り、手が動かなくなります」
三年。それがこの場所での人間の『耐用年数』だった。
「その三年が過ぎると、次の補充が届きます」
アルドは、言葉を失った。
「私の村の者たちは、他の者よりも体が頑丈で耐性があった。‥‥‥だから、国は作業に耐えられると判断したのでしょう」
イエルはアルドを直視したまま、淡々と言い放った。
一度も、背後のヴィッセン王を振り返ることなかった。
その言葉が誰に向けられているのかは、この場の全員が分かっていた。だが投げかけられた王は、フードを深く被ったまま石のように沈黙を貫いている。
「アルド様。これがこの世の理‥‥‥弱肉強食です」
イエルが吐き捨てる。
「ドワッフ王国は帝国に敗北しました。表向きは誇り高き『技術協力』を謳っていますが‥‥‥その実態は、私たちの命を定期的に献上する血の契約ですよ」
塗料は、生きた人間の命を犠牲にして精製される。そして、その人命はイエルの故郷から優先的に切り出されていた。
人は対等に、共に支えあって生きる。
アルドがこの世界で理想として掲げてきた言葉。その言葉のすべてが、この建屋の生臭い空気の中で踏み潰されていく。ここにあるのは、搾取するものと、搾取される資源としての人間だけだ。人道も人倫も、帳簿の数字になったモノに価値は生じない。
ゲルドは、語られた真実に膝から崩れ落ちた。
彼が誇りを持って掘り進めていたジタント鉱石。それを掘れば掘るほどに、この地獄で同胞の肉体が喰われていたのだ。第八鉱区の主任技師長として、自分は誰よりも多くの死の薪を焚きつけ続けていたにほかならなかった。
鍛冶師はふらふらと近くの樽に歩み寄り、その縁に手をかけた。
塗料が煮詰まる樽の縁。その縁に、溶け残った同胞の指の骨がこびりついている。
ゲルドはそのまま床に両手をついた。
声すらも上がらない。ただ、太く節くれだった手が、冷たい石床を掴んだまま震えている。
アルドは何も言えなかった。掛けるべき言葉など、この世のどこにも存在しないのだから。
(――帝国によって、地獄はすでに出来上がっていた)
だとしたら‥‥‥、
(黒の信徒どもは、ここで一体何をしている?)
狂信者たちは、この地獄を作り出したわけではない。そもそも作る必要はなかった。最初から用意されていた地獄を見つけ、そこに寄生しただけに過ぎない。
アルドは、あらためて周囲を観察する。
黒の信徒が持ち込んだような、異質な設備はどこにもない。建屋も、精製樽も、空中通路も、すべて条約の下に正規の予算と契約文面に基づいて、国家事業として建てられたものだ。
(塗料の精製とは別に、何かを『製造』している? 増産された大量の鉄鉱石は、そのために必要だった‥‥‥!)
鉄――その単語が脳裏に浮かんだ瞬間、補給基地で刃を交えた「スチーム・ミノタウロス」の姿が重なった。装甲と機関を組み込まれた、異形の巨獣。
「‥‥‥まさか、天幻を人工的に再現しているのか?」
思わず、口をついて出ていた。
「――テンゲン? そう言えば以前もテンゲンという言葉を話されておりましたが」
ヴィッセン王が、不意に顔を上げた。
「いや、こちらの独り言だ」
王だけではない。イエルも、ゲルドも、周囲を警戒する工作員たちも誰一人としてその単語に反応していなかった。ただ王の、フードの奥から覗く目が何かを書き留めるように細められていた。
アルドは確信する。『天幻』という言葉自体がこの世界の概念に存在しないのだ。
イエルが監視員に赤い木札を示し、ヴィッセン王が一行をさらに奥の別棟に誘導する。
やがて一行が辿り着いたのは、埃っぽい事務室だった。壁際の棚には羊皮紙や紙の帳簿が所狭しと詰め込まれている。
ヴィッセン王が棚に近づき、そこから一冊の分厚い帳簿を抜き取った。
表紙をめくり、細い指先でなぞっていく。アルドは王の肩越しに、その紙面を盗み見た。
そこに人の名前はなく、並んでいるのは無機質な識別番号。それから「消費」と題された欄に、淡々と刻まれた日付。
王の指が、ある特定の日付で止まった。
その日付の横には、ただ短く六つの識別番号が記され、全て「消費」されていた。
王は、静かに目を閉じた。
それからもう一度だけ指でその欄をなぞって、静かに帳簿を閉じた。イエルとその工作員もまたその意味を悟り、唇を嚙み締めた。
王が力なく部屋を出て行った後、アルドはその帳簿を手に取り、懐に収めた。
この帳簿には、名前ではなく、番号だけが記されている。
――だが、その様式は、完璧なまでに「帝国の公文書」のルールに則っていた。
アルドはこのルールをドルフ村の村長宅にて散々というほど目にしている。アルドが決裁していた文書もまた帝国の公文書の体裁を持つものであったから。罫線の引き方、日付の並べ方、欄外の押された決裁印の位置。
この帳簿は、この場所で実行されたすべての罪の証明だ。だからこそ回収すべきだと、自然に体が動いたのだった。
アルドは懐の帳簿の重みを感じながら、暗い廊下の先を見据えた。
読んで下さいまして、ありがとうございます。
もし気に入ったエピソードがありましたら、リアクションを頂ければと思います。




