連燹《れんせん》の主
11月は、不定期更新となります。
少し設定がもりもりになってきたので、なるべく設定は少なめを心がけます。
◇
フェルム帝国、その首都クレアートル。白亜の城と呼ばれる王城の南部に、その宮殿はあった。 連燹宮殿。 清らかな「蓮」と、災いと情熱を意味する「燹」の名を冠するその宮殿は、そのまま主であるアームシュバルツ公爵という男の在り方を示していた。
五大公爵の筆頭。その地位と宮殿を武力と策略で奪い取ってから、まだ十年。だが、その所業を公に指摘する者は王城には誰もおらず、帝国玉座に座す皇帝ですら、彼を前にしては口をつぐむ――いや、例外は二人だけか。 皇嗣、そしてその懐刀である神器使い、カジハ・ナツオ。 あの二人だけがこの公爵に牙を剥く。 だが、それでも‥‥‥この帝国の歴史の奔流は、今やアームシュバルツ公爵という岩盤によって、その流れを決定づけられていた。
「閣下、ご報告がございます」
広大な執務室に、アームシュバルツ家の家令が恭しく入室し、深々と一礼した。
「公務は一通り終わらせたはずだが?」
アームシュバルツ公爵は、山と積まれた書類から目を離すことなく、静かに問うた。
「はっ。我が家の暗影『フェニス』より連絡がございました」
「‥‥‥そうか」
公爵はそこで初めて手を止め、顔を上げた。どこまでも見通すかのような、冷ややかな黄金色の双眸が家令を射抜く。家令は、これから己が口にする報告など、我が主はすでにお見通しなのではないかという畏怖に背筋を凍らせた。
「地下組織『崑』に依頼していた件。ドルフ村に潜入させた密偵より、連絡が途絶えましてございます」
「そうか」
公爵の表情は変わらない。情報の入手を『崑』のような外部組織に依頼したのは、それが公爵に決して繋がることのない、使い捨ての駒であったからだ。公爵手勢の諜報組織である暗影『フェニス』は、その動向を観測していたに過ぎない。
(ドルフ村の情報自体が目的ではない。目的は、あの村に潜入し、生きて帰還することが可能か否か、ただそれのみ)
公爵は内心で呟く。あの辺境の村で観測された「蒼聖霊」。それが真に最上位の聖霊であるならば、潜入した密偵が生きて戻れるはずがない。連絡が途絶えたという事実こそが、何よりの答えだった。
(やはり、本物か)
蒼聖霊は、帝国開祖が契約したとされる伝説の存在。皇帝の血族のみが召喚し得る。
(それが辺境の村に? 皇帝の落胤‥‥‥と考えるほうが自然だ。我が網に掛からぬところを見ると、十数代は遡る流れ者かもしれぬ)
「計画を変更する。マジルの領主を演習地より戻せ」
小さく、だが執務室の空気を震わせる重厚な声が響く。家令は反射的に背筋を伸ばした。
「はっ。ですが、マジル領主ドンヘル様はあと二週間は演習地に留まる予定‥‥‥。全軍の帰還となりますと、相応の時間もかかると愚考します」
「演習計画が早まった、と思わせればよい」
「‥‥‥では、かの者には、何も?」
「『かの者』と約定を交わした記憶はない」
「はっ、失礼いたしました。畏まりました」
家令が退出の辞を述べようとした時、公爵が思い出したように続けた。
「それと、マジルの新たな領主はグドンといったか。確か、あれは聖地派であったな」
家令の思考が一瞬停止した。グドン‥‥‥? マジル領主はドンヘルのはず。グドンは国境砦の長官だ。公爵閣下に陶酔する、根っからの反聖地主義者でもある。それを、マジルの領主に据える? しかも聖地派として? ‥‥‥では、現領主であり、公爵の忠実な部下であったドンヘルは――?
家令が恐る恐る主の顔色を窺うと、公爵は冷ややかな黄金色の瞳で「どうした?」とただ無感情に問い返した。
――全てを察した。
ドンヘルは今回の件をもって「死亡」する。その後任として、国境砦のグドンが就任する。しかし、根っからの反聖地派であるグドンを「聖地派」に仕立てることで、どんな益を手にしようとお考えなのか‥‥‥。家令は、主の底知れぬ残忍さに内側から震え上がった。だが、それを微塵も表に出さず、声が震えないよう必死に平静を装う。
「はっ。‥‥‥それでは、グドンの任期は、いつまでとなりましょうか?」
「一年であろう」
もはや、言葉はなかった。一年。それは、強力な聖霊魔法による精神支配を示唆する。‥‥‥洗脳によって聖地主義者とせよと、わが主は言っているのだ。しかも1年とは、強力な精神支配が対象の生命力を削り尽くすまでの猶予期間だ。 忠実な部下ドンヘルは堅実な領主であったが、用済みとして一族もろとも処分され、忠誠を誓うグドンは使い捨ての駒として洗脳され、一年後には廃人となる。全てが、あまりにも冷徹に計算されていた。
その時、執務室の扉がノックされ、執事が静かに入室した。
「閣下、お客様がお見えになりました。カジハ・ナツオ様が面会を求めておられます」
「‥‥‥何だと?」
その報告に、アームシュバルツ公爵の端正な顔が初めて微かに歪んだ。
「カジハ‥‥‥。あの男は、西部の紛争地帯にいるはず。この時期に帝都にいるということは‥‥‥」
皇嗣の懐刀であり、神器使いであるカジハ・ナツオ。 公爵は、不快な歪みを即座に冷笑へと変える。
(皇帝の血族も、あの『蒼聖霊』に気づき、動き出したか)
「存外に、楽しくなってきたではないか。どちらが先に、あの駒を手に入れるか。試してみよう」
黄金色の双眸が、愉悦を瞳に宿し揺らめいた。
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