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幕間 結節点④

12/10 ミアの舌惟制御式に伏線を追加しました。

10月は不定期投稿となります。


 村長の家。その執務室。

 一人の男が影のように室内を見渡していた。


 家屋への侵入は容易かった。

 むしろ困難だったのは、数日間にわたる潜伏と観察の方だ。「蒼聖霊」があれほど明確に顕現しているとはな。正直、この目で見ても未だに信じがたい。


(欺瞞か?)


  黒装束の男――公爵配下の密偵は思考する。聖霊の顕現には膨大なカロリックを要する。ましてや、伝承に謳う蒼聖霊となれば、皇帝陛下とそれに連なる血脈でもなければ顕現さえできるはずがない。おそらくは白色聖霊か、それ以下の聖霊を何らかの魔動器か秘術で蒼く見せかけているのだろう。


(どんなトリックを使ったか、調べれば分かる。背後にはドワッフ王国か? 教皇派か?)


 ふっと自嘲気味に密偵は笑う。詮索は自分の仕事ではない。ありのままの情報を持ち帰るのみ。窓の外で閃光が瞬き、魔物の咆哮が聞こえる。手配した陽動はうまく機能しているようだ。


  密偵は足元の床に転がる老人に目を向けた。執事のロウ。それなりの手練れではあったが、自分の敵ではなかった。実存強度3の騎士団長クラスでもなければ、この「影」には触れることすらできまい。 密偵は執務室を見渡し、積み上げられた書類には目もくれず、壁に隠された金庫に触れる。カチリ、と解錠の音が響く。慣れた手つきで扉を開き、中に保管されていた数枚の羊皮紙に目を通す。


(千人都市計画?)


 しかも、この都市計画には帝国への許認可申請の形跡がない。辺境の村が独断で? 面白い。争いの火種は多いほど良い。密偵は書類を懐から取り出した漆黒のキューブ《情報記録用の魔動器》に素早く転写した。


 ことり。


 背後で微かな物音がした。密偵は油断なく気配を探る。この家には執事以外、誰もいなかったはずだが? ‥‥‥侵入を許したか? だが、すぐに密偵は口元に冷笑を浮かべた。聖霊魔法の微かな残滓。実存強度1にも満たない、稚拙な力の痕跡だ。


(強敵を警戒しすぎて、足元の鼠を疎かにしていたとはな)


 ことり。


 今度は別の場所から音がする。同時に、部屋のランプの灯りがちかちかと明滅し、再びフッと消えた。


(なるほど。死属性か)


 密偵は感心する。新米は自分の位置から遠くで音を立てる。だが、手練れは自分の近くで音を立て、自らの気配と音源を重ねて欺瞞の精度を上げる。使い方としては正しい。面白い。


 ミアは息を殺し、暗闇の中を素足で滑るように移動する。村長の家は勝手知ったる我が家だ。目をつぶってさえも歩けるほどに、どこに何があるかは分かっている。でも、私が使える魔法は限られている。ここで大きな音を出しても、外の魔物との戦闘音と閃光でかき消されてしまう。それでも、私がなんとかしないと!


 死属性の初歩――『音写し』。物音を、別の場所で鳴らす幻術。まずは消えた照明を明滅させて、敵を驚かせる。そして、音を立てる。執務室から敵を誘い出すために。私を追わせるために。


 ミアは廊下の角で立ち止まり、息を殺して周囲の気配を探る。背後から追ってくる微かな気配を感じ取る。来ている。ミアは再び『音写し』を発動。今度は、自分のすぐ近く――隣の部屋で物音がしたかのように。そして、自身はさらに奥へと移動する。


(大丈夫。ルルナ様は、私の制御式は綺麗だって褒めてくれた。きっと、やれる!)


  不安と恐怖で押しつぶされそうになるのを抑えるように、ミアは胸に手を当て、次の制御式を紡ごうと意識を集中させた。


 その瞬間、首筋に氷のような冷たさが走った。


「え‥‥‥?」


 思考が凍りつく。冷え切った声が、耳元で囁いた。


「なかなか見どころがある」


(っ! どうして!? 気配は、まだ向こうの部屋に‥‥‥!)


 ミアの思考が悲鳴を上げる。まさか――死属性!?


「そうだ。俺も使える」


 声と共に、背後から腕が回され、首に冷たい刃が当てられる。ミアは咄嗟に、練習中の土属性の制御式を編もうとした。死属性は幻術と精神操作が主だ。物理的な抵抗には土しかない!


 ダンッ!


 しかし、制御式が完成する前に、鋭い痛みが右手を貫いた。男が振るったナイフが、ミアの手の甲ごと、廊下の壁に深々と突き刺さった。


「ぐ‥‥‥っ!」


 声にならない悲鳴が漏れる。だが、それすらも暗闇に吸い込まれていく。


「死属性は、音を消すこともできる」


 男の冷たい指がミアの喉に触れ、そこに浮かび上がる制御式がミアの声を完全に封じていた。ミアは手の甲を貫く激痛に耐えながら、背後の男を睨みつけようとする。闇に目が慣れ、月明かりに照らされた男の姿が朧げに見えた。中肉中背、冷たい眼光。年は二十歳前後か。


「この状況で、俺を探ろうとはな! ますます気に入った。死属性に向いている」


 男はどこか楽しげに囁くと、ミアの顎を掴んで上を向かせた。


「だから、俺が直々に殺してやる」


 男の冷たい両手が、ミアの小さな頭を上下から挟み込む。このまま首をへし折る気だ。ミアの全身が恐怖に震えた。涙が溢れそうになる。だが、瞼の裏に、最後まで村人を守ろうとした父の姿が浮かんだ。泉のほとりで優しく微笑んでいた母の顔が浮かんだ。


(――ミアは、制御式がとても綺麗ですね)


 ルルナ様の声が聞こえる。そうだ、私はまだ終わってない! ここで死んだとしても、最後まで戦うんだ! そう強く願った、その時、


『――ならば、捧げよ』


 ルルナ様のものではない。もっと低く、地獄の底から響くような冷厳な声が、ミアの脳裏に直接響いた。


(え‥‥‥?)


『闘いを(ほっ)するか? なれば対価を、汝の肉を、汝の血を、汝の言葉を紡ぐ舌を。我は鬼神。原始契約に応じ、枯れた世界に芽吹きの雫を与えん』


 それは決して耳にしてはいけない聖霊のささやき。それはルルナが案じていた冥府の鬼神の声。本来なら恐怖で縮み上がるはずの悪魔の甘声。だが、今のミアにとって、それは唯一残された蜘蛛の糸だった。


(あげる‥‥‥私の舌なんて、いくらでもっ!)


 ミアは迷わず、その闇の誘いに乗った。両手は使えない。ならば――! 強く唇を噛み切り、溢れる血で舌先に制御式を描く。鬼神の声に導かれるまま、己の体を供物として捧げる禁忌の術法――舌惟ぜつい制御式。


――ゲダンケンレーレ《思考の空白》!


 実存強度1のミアの聖霊魔法が実存強度3の密偵に通じるはずがない。だが、奇跡は起きた。男がミアに密着していたこと、血を触媒とした舌惟ぜつい制御式を使ったこと、ルルナから与えられた祝福、そして聖地の泉で増幅されたミア自身のカロリック。それら全てが重なり、ほんの一瞬、1秒にも満たない時間ではあったが、男の思考に絶対的な空白を生み出した。


 その刹那の時間が、ミアの諦めない意志が、幸運を手繰り寄せた。


「――ミア、よく持ちこたえましたね」


 ふわりと、温かく柔らかな感触がミアの体を包み込んだ。 何が起きたのか分からないまま、ミアは自分が人化したルルナの腕の中に抱きしめられていることに気づく。背後で、壁が砕ける鈍い音が響いた。手の甲を貫いていたナイフは消え、激痛は淡い光と共に和らいでいく。


 だが、暗闇の奥で漆黒の影が即座に身を起こした。ルルナの不意の一撃は、男の体勢を崩しはしたが、致命傷にはほど遠い。 (‥‥‥やはり、ミアの祝福(いのり)で減衰した今の私の実存強度では、仕留めきれませんか)


「ミア、ここで待っていてください」


 その声は静かだったが、氷のような決意を秘めていた。 ルルナはそっとミアを壁際に降ろすと、体勢を立て直そうとする密偵に対し、一切の予備動作なく間合いを詰める。彼女の動きには、およそ人間が持つべき「溜め」や「癖」といったものが一切存在しない。AI由来の超演算能力が導き出す最適解と、古の聖霊から受け継いだ体術が彼女の戦闘の本質だった。

 狭い廊下で、二つの影が激突する。甲高い金属音。密偵のナイフと、ルルナの硬化させた手刀が火花を散らす。


「見ない顔だな。教会の番犬か?」


 闇の中で探るような声が響く。


「これから消え去る存在に、名乗る必要はありません」


 ルルナは体術による組み手を二、三手交わした後、ふっと体勢を低くし、床板を軽く足で踏み鳴らした。 ドンッ! それは、ただの床踏みではなかった。村全体に張り巡らせようとルルナが企図していた都市魔法の、ごく一部の発動。 ズズンッ! と家全体を揺るがす重々しい地鳴り。それは水平な揺れではなく、真下から突き上げるような局所的な重力操作(‥‥‥・)だった。 密偵はかまわずにルルナの喉笛を掻き切ろうと跳躍した、その空中の一瞬で、不自然な浮遊感と圧迫感に体勢を崩す。


(魔法だと!? これほど瞬間的に、しかもこの威力‥‥‥っ!)


 己の実存強度は3。この女がどれほどのものか知らぬが、この場にて自分が最も格上であることは事実だ。俺に傷を負わせる者などいるはずがない。その思考の剛毅さが刹那にも満たないおごりを生んだ。


 だが、その刹那は、ルルナにとって永遠にも等しいほどの時間を与えてくれた。


 再び間合いを詰めるルルナの動きは密偵の認識速度を遥かに超えていた。体勢を崩したまま、男は咄嗟にナイフを心臓の前に構え、カウンターを試みる。だが、ルルナの狙いはそこではなかった。 人体の急所――鳩尾。 そこに吸い込まれるように、正確無比な一撃が叩き込まれた。


「ぐふっ‥‥‥!」


 短い呻き声と共に、密偵は糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。


「あり‥‥‥得ない‥‥‥。俺の、実存強度、が‥‥‥」

「あなたは、知る必要のない情報です」


 完全に意識を失う寸前、男のもう片方の手が懐へと滑り込む。最後の力で引き抜いた毒針を自らの首筋に突き立てようとした。 カッ! 乾いた音。ルルナの手刀が密偵の手首を寸分違わず打ち据え、毒針が床を滑る。


「自決は許可しません。あなたの生殺与奪は、私のマスターがお決めになるのですから」


 ルルナは冷たく言い放つと、仮死状態の男を見下ろし、誰にも聞こえない溜息を一つ吐いた。 (リヴィア様と交信するために、聖地の泉に貯めていたカロリックとドルフ村に構築した都市魔法‥‥‥。やむを得ません。ミアを守るため、村を守るため。ですが、泉の力はこれでほとんど枯渇しました。また、一から集め直しですね)


 聖霊のみが可能な奥の手。自らが張った結界の力を転用し、一時的に自らの実存強度をブーストする荒業。そして都市魔法――その結界システムの管理者権限を一時的に掌握し、対象領域の重力パラメータを局所的に書き換えたこと。ドルフ村は一時的な都市魔法を発動したと言っていい。本来の、この結界はリヴィア様との交信の際に、律龍に気づかれることがないように完全結界を展開するためのものだった。しかし、そうまでせねば、この男を無力化することはできなかった。


 ルルナは、気を失ったままのミアを優しく抱き上げた。

  彼女の小さな口の端から、一筋の血が流れているのをルルナは見逃さなかった。


舌惟ぜつい‥‥‥)


 聖霊であれば気づかぬはずがない。自らの体の一部――ミアの場合は舌――に制御式を刻み、供物として捧げる禁忌の術法。ミアがこれほどの術を知っているはずはない。しかし、それを実行したという事実に、ルルナは戦慄する。


(この子が、これほどの覚悟を‥‥‥。死属性に、それほどまでに魅入られていると‥‥‥?)


 ミアがあの刹那、自らの命を犠牲にしてでもと覚悟して稼いだ時間。それがあったからこそ、自分は間に合った。 ルルナはミアの口元をそっと拭う。その覚悟と引き換えに、この少女がどれほどのものを失ったのかを正確に理解していた。


(私の、失策です)


 ルルナは眠るように意識を失っているミアを、強く、強く抱きしめた。


 ミアの今後を想い、ルルナは苦渋に顔をしかめる。この舌惟の制御式は消えることはない。しかし幸いにもミアの力が弱く、この奉納儀式も完全ではなかった。だが、それでも一時的な味覚喪失という呪いを受けてしまうだろう。呪いは浅く、限定的だ。ならば、この死属性の制御を覚えれば――。


『――あ、甘いものが、食べたいです』


 脳裏に、執務室で小さく手を挙げた少女の声が蘇る。あの願いを口にした舌が、いま、味を失おうとしているのだ。甘いお菓子を売る店を夢見るココミの隣で、嬉しそうに頷いていた横顔。その未来に彩られる素敵な甘いお菓子の一皿。そこから、この子は味だけを奪われる。

 ルルナは唇を噛んだ。


(必ず元通りにする。この子が「おいしい」と笑える日を――必ず)


 しばしの時間が流れた後、ルルナは、遠く離れた主へと念話を繋いだ。


『マスター、緊急事態です。村に潜入した密偵を捕らえました――』


ご一読下さいまして、ありがとうございます。

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