街道⑤
9月は不定期投稿となります。
◇
「がははっ!」
焚火の光が、先ほどの緊張が嘘のように大口を開けて笑うゲルドの顔を照らしていた。アルドは自らの盃を静かに呷る。先ほどまでの張り詰めた空気はどこへやら、ゲルドの周りにはすでに二、三本と空の酒瓶が転がっていた。
「わーかってるぜ! 聖霊様と使徒殿については、他言無用。秘密にしなきゃいけねえんだろ?」
「いや、そうじゃなくてだな。ココミは聖霊ではないんだ」
「アルド殿、もちろんだとも。わかってるって、 秘密なんだろ?」
「いや、だから―――」
アルドは、ふぅと息をついた。これでは埒が明かない。笑い上戸が加速していくゲルドを前に、先ほどの光景を思い返す。
そもそもゲルドはひどく混乱していた。ココミを聖霊本人と誤解した直後から、彼は地面にひれ伏しては懇願し、次には故郷の惨状を思い出して泣きわめいた。無理もない反応だろう。信仰の対象そのものが目の前に現れれば誰だって理性を失う。まして、ドワッフ王国が戦乱のさ中にある今、その混乱は計り知れない。
このままでは、詳しい情報を聞き出すこともできない。アルドは一つの賭けに出た。ドワッフ族が、千年前の物語に登場するドワーフ族と同じ気質を持つならば、と。
アルドがココミに目配せをすると、彼女は心得たとばかりに「収納袋」から年代物の酒瓶を一つ取り出した。
「ゲルド殿、これを」
「酒だと? 聖霊様・・・これを、この俺に?」
「はい、飲んでみて下さい」
ココミの屈託のない笑顔に、ゲルドは感激の面持ちでそれを受け取った。
(すまないな、ココミさん。この借りはいつか返す)
アルドが心の中で呟くと、ココミは「お構いなく」と小さく首を振って返した。
聖霊から賜った酒だと思い込んでいるゲルドは、それを一気に呷った。混乱の極みにあった心身に、上等な酒が染み渡る。いくら酒豪であっても、これでは酔いが回るのも早いだろう。手持ち無沙汰になったゲルドに、ココミはさらにもう一本と酒瓶を手渡した。生きていることを噛みしめるための酒もまた、必要なのだ。
予想以上に早く酔いつぶれたゲルドをそのままに、アルドは周囲を見渡した。このままここで野営するしかない。子供たちと重症だった者たちは、修復された荷馬車で眠っている。ココミが作った温かい食事が、彼らの凍えた体を、そして心を少しでも温めてくれたのならいいが。
「どうしたら、いいんでしょうか?」
隣で野営の準備をしていたココミが、心配そうに尋ねてくる。
「聖霊だという誤解は、分かる者には分かってしまう。いずれ政治的なカードになり得るかもしれないが・・・今は解いておくべきだろうな」
「ですよね! 私も、ちゃんと本当のことを話した方がいいと思うんです!」
「ココミさんは聖霊ルルナと会話ができる。だから、『聖霊の巫女』、あるいは『聖霊から重要な役目を任せられた者』と説明するのが自然だろう」
「分かりました。そうしてみます」
力強く頷くココミを見ながら、ふとアルドはルルナが沈黙していることにわずかな違和感を覚えた。こういう政治的な判断が絡む場面では、いつも的確な助言をくれるのだが。それほど重要な問題ではないということか。
それに、ココミ自身もだ。ギルド通信でユキナに相談するそぶりがない。ギルドマスターとして、彼女は自ら判断を下そうとしている。ユキナもまた、それを信頼しているのかもしれない。
アルドが思案に暮れていると、ココミは散らかった酒瓶を手早く片付け、ぐっすり眠ってしまったゲルドの枕元に、そっと香草の束を置いた。これで二日酔いは防げるはずだ。そして、誰にも聞こえないように、はあと一つ溜息をついた。
(ギルド通信は、ギルドに蓄積された魔力を消費する・・・)
ココミは胸中で、ギルドマスターとして負うべきルールの情報を反芻する。この力を下手に減らせば、いざという時に私の『奥の手』が使えなくなってしまう。今は、力の総量をなるべく温存しなければ。
自分はギルドマスターなんだから、自分で判断しなきゃ。だけど、人を騙すようなやり方は、やっぱり苦手だ。病室にいた頃の私とは違う。もう誰も・・・騙したくはない。
ココミは両頬をぱちんと叩いて気合を入れた。頑張らなきゃ。私の力が、もっとみんなの役に立つように。
アルドはその健気な姿を見守り、よし、と呟くと、周囲を警戒していたアンネと交代するために立ち上がった。「夜は俺が見ておく。アンネさんはココミと一緒に休んでくれ」少し思い悩んでいるようなココミに、アンネが寄り添ってくれればとも考えた。
そして、アルドは静かに腰の刀に手を置いた。
その刀は、先ほどゲルドが打ち直してくれたものだった。二瓶を空けたゲルドが、酔いがまわりながらも「聖霊の使徒様に、そのような刀は申し訳ねえ!」と言って、儀礼用から戦闘用のものに変わった。そこで活躍したのが、ココミが収納袋から取り出した七つ道具の一つ『鍛冶式丸』。金床や火床に始まる道具一式を前に、ゲルドは驚き、そしてすぐに職人の顔に戻った。「生活職の七つ道具か。存分に使わせてもらうぜ」「私も勉強になりますから!」と、二人の間には短いながらも確かな職人同士の交流が生まれていた。
打ち直された刀は、もはや儀礼用ではない。アルドの身体に合わせて重心や柄の握りが完璧に調整された、実戦のための一振りだ。握るだけで分かる。切っ先まで神経が通っているかのように、感覚が刀の隅々まで行き届いている。
一振りするだけで、無水拍の理解が深まるのが分かった。刀を振るう時の、体の置き方。重心でも、中心でもない。刀と体が重なる場所が大事ということか。なるほど、難しい。
今宵は、この刀との対話になりそうだ。
アルドが浅い眠りから意識を引き上げられたのは、夜半過ぎのことだった。脳内に直接、ルルナの緊迫した声が響く。
『マスター、至急のご連絡です。――村に潜入した密偵を捕らえました』
その声は、遠くで閃光が走り轟音が鳴り響いたのと、ほぼ同時だった。
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