演説と掌握
注)11/22:演説内容の変更。分かりづらいので簡略化。
5/30まで、平日(土日祝は休み)に投稿していきます。
ふと窓の外に目をやると、中央広場にまだ多くの人々が集まっているのが見えた。ユキナとミア、それに老執事のロウ。少し離れてココミとタンスイの姿もある。避難民や村人たちが、彼らを不安げな表情で見つめていた。
(‥‥‥これから話を始めるようだ。ここは、ユキナに任せておいて大丈夫なはず)
アルドは眉間にしわを寄せる。聖霊の使徒が戦闘後に倒れたんだ。ただでさえ不安な住民たちは気が気でないだろう。
(今、俺が出て行って、またふらつきでもしたら、かえって不安を煽ることになってしまう。ここはユキナの出番というわけだ‥‥‥いや、これは、けっして怖気づいているわけじゃないぞ、戦略的な一手ってやつだ)
『なるほど、戦略ですか。でしたら、マスター。ユキナの話す内容をお伝えしましょうか?』
脳内にルルナの声が響く。
「読唇術か。ああ、頼む。俺が伝えたことをどんな風に説明をするかを知っておかないとな」
『承知いたしました。では始めます』
広場は、不穏なざわめきに包まれていた。無理もない。彼らにとって唯一の希望である『聖霊の使徒』アルドが倒れたのだ。「やはりここも安全ではないのか」という絶望の色が、避難民たちの顔に浮かび始めていた。
広場の中央、急ごしらえの演台の脇で、ユキナは群衆を静かに数えていた。
(避難民、百二十余。‥‥‥この中に「目」が一つも紛れていないと考える方が、不自然ですわね)
襲撃を受けたマジル。そのマジルを差し出した何者かがいるのではなくて? ならば、逃げ出した者の様子を見ている目も、必ずいる。もちろん確証はない。だが、確証を待ってから行動するのは三流のすることだ。
(見られている前提で、舞台を組みますわ)
隠すべきは、一つ。使徒が倒れた、という事実そのもの。
見せるべきも、一つ。この村に手を出す気を失わせるだけの「理由」。
(嘘は一つで十分。上等な嘘とは数ではなく、置き場所で決まるものですのよ)
ユキナは演台に上がり、あえて一拍置いて、よく通る凛とした声で言い放った。
「静粛になさい!」
鞭のような鋭い一喝。広場の空気が凍りつき、百を越える視線が彼女に突き刺さる。ユキナは怯むことなく、その視線を悠然と受け止めた。
「まず、お伝えいたしますわ。――アルド様は、倒れられたのではありません」
ざわめきが、戸惑いに変わる。
「先の戦いを、皆様もその目でご覧になったはずですわ。二百を超える亜獣の軍勢を、御使徒様と我らは、ことごとく討ち払いました。‥‥‥ですが、あれほどの御力は、振るえば振るうほど、この地の理を軋ませます。ゆえに御使徒様は今、聖霊ルルナ様と共に籠られ、村の全域を覆う『守りの結界』を編んでおられるのです。皆様が今夜、安心して眠るための――大いなる祈りの最中なのですわ」
嘘は、そこだけだ。倒れたことを、儀式に置き換えた。それだけ。
残りはすべて本当のこと。二百の軍勢を退けたのも、腕を失った監査官が今この場に立っているのも、皆が自分の目で見た事実だ。事実という土台の上にだけ、嘘は安全に立つ。
群衆の中に、ごくりと唾を飲む音が響いた。倒れたのではない。守って下さっているのだ。不安の色が、みるみる畏怖と安堵に塗り替わっていく。
(そして――聞こえていますこと? どこかの「目」の方)
結界。その一語こそが、放たれた矢だ。今この村に手を出せば、聖地の守りに阻まれる。攻め時を測る者ほど、「結界が完成する前に」と急ぐか、「完成を確かめてから」と待つか、どちらかに動く。そして、どちらに転んでも――動いた者は見えてしまう。
「そして皆様。祈りには、応える手が要りますわ」
ユキナは声の調子を変え、ひとつ、またひとつと指を数える仕草をとり始めた。
「怪我の手当てが分かる方は、教会の前へ。煮炊きのできる方は、広場の東へ。体の動く殿方は、ロウ殿の下で今夜の見張りの組分けを。そして子どもたちは――」
ユキナは傍らのミアへ視線を送る。ミアは一つ頷くと、小さな胸の前で手を組み、皆の無事を祈る巫女の姿勢をとった。その健気な姿に、大人たちの背筋が自然と伸びる。
「――巫女たるミア様と共に、皆様の無事を祈っていただきましょう」
不安には、仕事を与えるに限る。手が動いていれば、心は余計なことを考えない。人々は次々と持ち場へ散っていき、広場は喧騒のまま、しかし確かな秩序を取り戻し始めた。
その流れの中で、数人の男たちが目配せを交わし、静かに輪の外へと離れていく。ユキナはそれを、視線を動かさぬまま捉えていた。
(‥‥‥追いはしませんわ。泳がせて、どの道を使うかを見る。道が分かれば、雇い主の方角も分かりますもの)
演台を降りたユキナに、ミアが小走りに駆け寄ってきた。
「あの、ユキナお姉さま。‥‥‥アルド様のこと、本当のことを言っては、駄目だったのですか? 皆さん、心配していますし、その‥‥‥」
まっすぐな瞳だった。ユキナは膝を折り、少女と目の高さを合わせて、ふわりと微笑む。
「駄目、ですわ。真実というのは、この世で最も高価な貨幣ですのよ、ミア様。無償で配ってよいものではありませんの」
ミアは、分かったような、分からないような顔で「‥‥‥はい」と小さく頷いた。その瞳にかすかな曇りが差したことに、ユキナは気づかない。少女の頭を優しく撫でながら、彼女の思考はすでに次の盤面――輪を離れた男たちの追跡の手順を、組み上げ始めていた。
(さあ、忙しくなりますわよ)
『‥‥‥とまあ、そんな具合でしょうか、マスター』
ご一読して下さいましてありがとうございました。




