刀武家なる者②
5/30まで、平日(土日祝は休み)に投稿していきます。
*GW期間はまだまだありますので、5/5と5/6は夜の投稿を予定しております。
言葉は最後まで続かなかった。
ぐにゃり、と視界が歪む。真夜中の森の景色が水面を波立たせるように変化していく。次の瞬間には、全く異なる光景が広がっていた。
さっきまでは真夜中だったが。今は昼下がり、だろうか。
暖かな陽光が降り注いでいる。左右には、どこまでも続く緑の田畑が広がり、目の前には馬車が通れるほどの幅の、土埃が舞う道が伸びている。さっきまでいた薄暗い森は影も形もなかった。
「‥‥‥ここは?」
呆然と呟く。見渡す限り、典型的な日本の農村風景だ。道の先には、立派な一本杉が見える。その根元には、風化した石像があった。
「これって道祖神だよな? 千年後の世界でも、こういうものは残っているもんなのか」
現実逃避よろしく浅慮な知識を呟いてみたりする。そんな場違いな感慨にふけっていると、ざく、ざく、という土を耕す音が聞こえてきた。音は、道祖神のすぐ後ろの畑から聞こえてくるようだった。アルドは、警戒しつつも、そっと畑の方を覗き込む。
「んー? 誰だべ?」
畑を耕していたのは、一人の‥‥‥いや、一体の人形だった。年季の入った農夫のような、朴訥とした声。しかし、その体は明らかに金属で組み上げられたような、機械然とした魔動人形そのもの。この光景は間違いなく異世界のものだ。
「あ、いや、すまない。邪魔をするつもりはなかったんだ。俺はアルドという者だが、どうにも道に迷ってしまったようで」
アルドが言いかけると、魔動人形は鍬を振るう手を止めて、こちらを向いた。
「ほぉ? 久しぶりに見たべ、そんな業物。その刀から察するに、あんた、刀武家さまだべ?」
「刀武家? ああ、まあ、そう名乗っていいのかは分からないが、刀を持っているのは確かだ。それより、ここがどこなのか、帰り道を教えてもらえないだろうか?」
「帰り道ってかあ。まあ、ちぃっとばっか待ってくんろ。この畝ば、もうちっとで終わっからよ」
魔動人形はそう言うと、再び鍬を振るい始めた。アルドは仕方なく、「分かった」と頷き、近くにあった切り株に腰を下ろした。
しばらく、黙々と土を耕す音だけが響いていたが、突然、魔動人形が奇妙な音を立てて動きが止まった。
「ぐがっ!?」
「おい、どうしたんだ!?」
慌てて駆け寄ると、魔動人形は腰のあたりを押さえて呻いている。
「あーあ、やっちまったべ。こりゃ、腰の油が抜けちまっただ。すまねぇがよ、刀武家さま、頼まれてくれねぇか?」
人形は、手に持っていた鍬をアルドに差し出した。なるほど、残りの畑仕事を代わってほしい、ということか。
「ああ、それくらいなら構わんが。それより、あんたは大丈夫なのか?」
「へへ、心配ねぇ。ちぃっと休ませりゃあ、油もまわっからよ。それより、急いでるんだろ? すまねぇな」
「いや、急いでいるというか‥‥‥迷っている、というか」
アルドは思わず本音を漏らしていた。確かに、物理的に道に迷っている。だが、それだけではない。刀の道にも、そしてこの異世界での生き方にも、迷っているのだ。見ず知らずの、しかも人ならざる相手だからこそ、素直な言葉が出たのかもしれない。アルドは苦笑しながら鍬を受け取り、代わりに腰の刀を切り株の上にそっと置いた。
「ほう。刀武家さまでも、迷うことがあるもんだな」
腰をさすりながら、魔動人形が興味深そうにアルドを見つめている。そんな視線を感じながら、アルドは少し恥ずかしい思いで鍬を振るい始めた。刀の使い方も分からない自分が「刀武家」と呼ばれるのは、どうにもむず痒い。
もくもくと土を掘り返していく。慣れない作業だが、無心になれた。
「おっと、刀武家さま。腰が高いようだべ。それじゃあ、俺みてえに腰をやっちまうぞ」
「え? おお!?」
いつの間にか隣に来ていた魔動人形が、アルドの腰や腕のあたりを、その無骨な指でちょんちょんと突くようにして、姿勢を正していく。するとどうだろう。あれほど重く感じた鍬が、まるで自分の手足のように軽くなった。体の動きも、驚くほど楽になっている。
「んだ! そういう体の使い方だべ。その感じで耕してくんろ」
魔動人形は満足そうに頷いた。
「すごい。それに動きが、軽い。体の構え方ひとつで、こうも鍬が軽くなるものなのか。なあ、御仁。あんたは一体‥‥‥。名前はあるのか?」
「俺の? がはははっ!」
魔動人形は、腹の底から響くような、しかしどこか乾いた音で豪快に笑った。
「俺なんざ、ただの錆びついたガラクタだべ。こうして、壊れるまで畑ば耕してるだけの、しがない人形だ。名前なんちゅう、大したもんは持ってねぇんだ」
そう言って笑う人形の姿に、アルドは言いようのない不思議な感覚を覚えた。
やがて、アルドは残りの畑を耕し終えた。額の汗を拭い、魔動人形の方を振り返る。
「御仁。これで、大丈夫だろうか?」
耕した畑を見やりながら尋ねると、しかし魔動人形は畑ではなく、切り株に置かれたアルドの刀に目を向けていた。
「ああ、上出来だべ。なあ、刀武家さま。ちぃっとばっか、その刀を構えてくれねえか?」
「え? 構えを? 土の掘り返し具合とかじゃなくてか?」
「いいから、いいから」
疑問に思いながらも、アルドは促されるままに刀を手に取り、慣れた抜刀の構えをとった。まだ、これしかできない。ぎこちない動きだ。
「なるほどなあ‥‥‥」
魔動人形は、アルドの構えをじっと見つめ、何度か頷いた。
「俺もな、ここでこうして、ずーっと畑ば耕してきたんだべ。そうすっとだ、時々、おめえさんみてえな刀武家さまが、そこの道ば通って行くんだ。まあ、通りすがりにな、ちぃっとばっか刀の使い方ってもんを見てきたわけよ。だから、構えてもらったんだべ」
「そういうことだったのか。いや、すまない。俺は刀を差してはいるが、刀武家を名乗れるような腕前じゃないんだ。見ての通り、この抜刀の構えくらいしか―――」
「がははは! 何ば言ってんだべ!」
魔動人形は再び豪快に笑った。
「誰だって、最初は歩き方も分からねえヒヨっこだべよ。大事なのは、これからどうするかだ。まあ、ちぃっとばっか、俺の動きでも、よーく観ておくっぺよ」
「え?」
いつの間にか、魔動人形はアルドと同じように、腰に刀を差すような姿勢をとっていた。
その刹那。
―――斬られた。
「っ!!」
声にならない叫びが漏れる。何が起こった? 斬られた、はずだ。体を、胴から真っ二つに。違う。俺だけじゃない。俺が立っていたこの大地も、目の前の畑も、遠くに見える一本杉も、頭上に広がる昼下がりの空も、何もかも、全てが―――。
「‥‥‥世界が、斬られた?」
呆然と呟くアルドに、魔動人形はこともなげに言った。
「へえ? おめえには、そう観えたんか。そりゃあ、たいしたもんだべ。上出来、上出来」
魔動人形の手には、そもそも刀などは握られていなかった。ただ、抜刀するかのような、一瞬の「仕草」があっただけだ。その仕草さえ、アルドの目には捉えられなかった。しかし、世界が斬られたという、絶対的な感覚だけが残っている。
とんっ。
軽い音と共に、アルドの額に何かが触れた。魔動人形の、冷たい金属の指先だった。
触れた箇所から、まるで灼熱の鉄を押し当てられたかのように、激しい衝撃が全身を貫く。稲妻が髪の先から爪の先までを駆け巡るように、痺れる感覚に意識が白に霞んでいく。
「畑仕事、ご苦労だったべ。これは、その礼だ」
それが、アルドがその場で聞いた最後の言葉だった。
ざざあ、と突風が吹き抜け、アルドの姿は跡形もなく掻き消えていく。後に残されたのは、腰をさする、一つの古びた魔動人形だけだった。
人形は、アルドが消えた空間を細めた目でしばし見つめていたが、やがて、近くの一本杉、道祖神の陰になっている場所に声をかけた。その声音には、静かで、しかし有無を言わせぬ響きがあった。
「んで、いつまでそこにいるつもりだべよ?」
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