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プロローグ

5/30まで、平日(土日祝は休み)に投稿していきます。

なお、4/18までは、1日2回投稿します。

 夜空には、二つの月が蒼く輝いている。

 一年前から始まったこの奇怪な現象は、当初こそ世界中を騒がせていた。しかし、観測機器には一つの月しか映らず、日常生活に変化がないと分かると、人々は次第に日常を取り戻していった。陰謀論者たちは『天幻』と名付けたこの現象を騒ぎ立てたが、多くの人々は二つの月を満月や新月と同じように、風景の一部として受け入れていた。


「アイダ先輩っ、天幻っすよ、天幻!」

「ああ、月が二つに見えるやつだろ。今月は頻度が多いな」


 世間では、月が二つに見えたり、スマホにしっぽが生えたり、信号機が瞬きをしたりと、文明の利器に生物的要素が付けたされたりする不可思議な現象ことを、まとめて『天幻』と呼んでいる。だが、そんな天幻も、今ではすっかり日常の一部だ。終末論を唱える者も未だにいるが、結局のところ、人は日々の生活を送るために働かなければならない。

 天幻といえど、日常には勝てないのだ。


「んな無駄口を叩いている暇があるんだったら、さっさと品出しをしとけ」

「世界が終わるかもしんねえんですよ!?」

「24時間営業のコンビニは、世界の終わりが訪れるよりも品出ししとかないと客のクレームの方が早く訪れるわけ」


 店の外にゴミ出しに行った後輩が戻ってくるなり天幻を叫ぶ。だが、天幻よりも優先されるは、無味乾燥な大人の――仕事の世界。まあ、言いたいことは分かるよ。天幻が世界を変えてくれるかもしれない、ってのは若い時分なら心躍ることだと思う。俺も若ければ、新興宗教の一つにでも目を向けたかもしれない。だが、40歳を過ぎた俺には目の前の仕事の方が優先されちまう。ふぅと息を吐く。


「・・・いつの間にか40歳を過ぎていたか」


 30代前半で会社をリストラされ、今は深夜のコンビニで生計を立てている。独り身だから何とか暮らしてはいけるが、将来への不安は消えない。

 スマホに見入る後輩を横目にして、俺は無意識に胸を指でトントンと叩いた。


「並べ方は終わったぞ」

「さすがアイダ先輩、いつもながらに早いっす! それよりも聞いて下さいよ、集団神隠しが起こったみたいなんすよ」

「はあ、それも天幻ってか? んなことよりも、俺はお前の仕事意識が神隠しにあってんじゃないかと気が気じゃねえんだが。というか、もう交代の時間過ぎてんだから、あとはお前に任すよ。そうそう、あと発注も忘れんじゃねーぞ」


 俺は片手をひらひらと振って仕事を後にする。後輩がなおも神隠しについて言ってくる。新型ゲーム展示会での神隠しねえ・・・それって神隠しっていうより事件なんじゃねえのか? そういうのは神様に祈るよりは、警察の尻を叩いた方が解決が早いと思うぜ。

 そんな言葉を残して帰途につく。


 早朝の帰り道は肌寒い。しかも、この季節は濃霧がよく立ち込める。いつもの帰宅道を歩くはずだったが、何気なく進路を変えた。天幻という言葉が耳に残っていたせいかもしれない。いつもの日常の帰り道ではなく、ちょっと新鮮さを感じたいという気持ちが手伝ったのかもしれない。少し遠回りの道を歩く。


 少し息が切れる。それほど早歩きをしたわけではないのだが――人差し指と中指で胸をタップする。「ルルナ、心拍数と血圧をモニタリング。警戒値に達したら教えてくれ」呟くように自らの胸に声を掛けた。


『マスター、おはようございます・・・了解しました。モニタリングを開始し、警戒値を監視します』


 医療用の試作AIシステム。その試験運用の被験者に選ばれたのは、俺の人生のなかで唯一の幸運といえる。生まれたときから大病を患い、常人のような運動を持続できない体だった。


 ふと、足を止めた。霧の向こうに、何かがいる。「黒猫?」しかし、何かが違う。


「・・・翼?」


 猫の背中には、黒い翼が生えていた。信じられない光景にアイダは思わず声を上げた。


「天幻、ってやつか?」


 猫は「にゃあ」と一声鳴いて、石畳を軽快に登って行った。「石段? こんなところに神社なんてあったか?」自問してみるが、寝不足の頭では混乱する一方だ。


(少し、寄ってみるか)


 石段を登りながら、AIルルナに答えを求める。『なるほど。しかし、マスターが見たという黒猫は観測されていません。なにか幻覚でも見たのですはないのですか?』いや、確かに猫が神社の石段を駆け上がって行ったんだ。『神社の鳥居と石段は確認できています。しかし、地図には掲載されていません』


 地図に載ってない神社か。まさか神社も天幻ってことはないよな? 妙な胸騒ぎを感じながらも、アイダは石段を登り続けた。息が上がる。やはり、無理は禁物か。ゆっくり登っていけば大丈夫だ。もう少し頑張れる。


 長い石段を登りきると、そこには古びた神社が佇んでいた。境内には立派な御神木がそびえ立ち、その根元には小さな祠があった。


「寂然不動・・・それから心極・・・居合?」


 武芸の神社らしい。ふぅと俺は深く息を吐いた。縁があるのかもしれないな。トントンと胸を指で叩く。まだ大丈夫みたいだ。

 アイダは足元に落ちている木の枝を拾った。所々が湾曲しているが、木刀のような枝を手に持った。


 格闘の手習いを受けたことがあった。幼少期から体が弱かったことから、体を鍛えるためと、そして心を鍛えるために近場の空手の道場に通ったことがある。しかし中学生になった頃には辞めてしまっていた。どうしてかようことを辞めてしまったのか・・・心臓の病気が進んだことも一因だったのかもしれない。それでも武術に対する憧れは続いていて、自分の体を動かす鍛錬だけはしていた。


「こうか?」


 両手で木の枝を木刀に見立てて、構える。体が丈夫ではないから、重さを感じないように木刀を持ち、そして動かす。軽く持ち、重く斬る。あまり体を動かす工程が多いと、体が悲鳴を上げてしまうから、動作を省略して木刀を振る。見た目には体が動いていないように見えるが、その内では数十もの木刀が境内に軌跡を描く動作を行っている。


 ふぅ。


 自然と深い息が出てしまう。それで、自分の体が疲れていたことを知って、首を振る。40歳を過ぎて独身。満足に体を動かすこともままならず、何も大成せずに、それでも武術に憧れる・・・か。まあ、これが俺の人生だよなと、頭をかく。


 ふと空を見上げると、爆音が響いた。


 早朝なのに自衛隊の戦闘機が空を切り裂いて飛んでいく。緊急発進? 思わず天幻が始まった頃を思い出してしまった。あの頃は蜂の巣を突いたような騒ぎだった。もちろん戦闘機の緊急発進なんて連日のようにあった。


『緊急要請信号を確認・・・接続します』

「ちょっと待て。接続だと? ルルナ、一体何に接続している?」

『六律系譜原典を認識。段階接続に移行します、一層目を完了』

「おい、ルルナ! 中断しろっ」


 ごおおおっ


 また爆音が空から響いてくる。大気を震わせるような振動。しかも閃光と熱波を感じた。思わず、ルルナの異常行動よりも降り注ぐ熱波の震源地を探す。


 え?


 空には漆黒のドラゴンが飛んでいた。は? 戦闘機じゃない? ファンタジーに登場するドラゴンが実体をもって眼下に広がる町に火を吐いていた。燃え上がる街。鳴り響くサイレンと舞い上がる火の粉。


 逃げなければ! しかし、体が思うように動かない。想像だにしなかった出来事に頭が追いついていかないし、体も力が入らなかった。



 ひときわ大きな爆発音が頭上で轟き、戦闘機が街中に墜落していった。そして、閃光があがり、全てを焦がすような爆風が神社のある山を登ってくる。

 

 気が付けば、背後の神社が燃えていた。

 そして、漆黒のドラゴンが俺を見つめている。腹の底から湧き上がる恐怖と、しかし、なぜかどうしようもない憧憬がアイダの体を震わせた。


「ああ、本当に美しい」


 死を目の前にして感じたのは、絶対的な強さをもつ生物に対する憧憬。これが人生最後の光景なら、存外に悪くない人生だったのかもしれないな。


 アイダは炎の中で木刀を構えた。木刀が燃えて、自分自身の皮膚が血肉が熱さに融けていくのを視界の端に捉えながらも、それでも一歩、一歩ドラゴンとの間合いを縮めていく。


 漆黒の炎が俺を飲み込んだ。ああ、終わったな。そう思う自分に対して『六律系譜原典に接続完了しました――』そんなルルナの声が消えゆく意識の片隅に聞こえた気がした。


 その日、天幻は世界を包み込み、全てを一変させた。

 列車は大蛇に、飛行機は大鳥に、戦闘機は飛竜に、自動車は小鬼に、原子力発電所はドラゴンに天幻したのだった。それは世界の法則が変わった瞬間ーーー天幻が完了したことを意味していた。



ご一読いただきまして、ありがとうございます。

これは、拙著「おっさん奴隷、天下を取る!」の難解用語平易版となります。

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