第百八十七話「時は満ちた」
「アルベルトォォォッ!!」
空気を震わせる怒号と共に、バランが床を蹴った。
その巨体が砲弾のように飛び出し、アルベルト公爵へと迫る。
かつて一族を滅ぼされ、自身を追放へと追いやった怨敵。
師匠の拳には、長年溜め込まれてきた怒りと、そして今まさに目の前で行われている蛮行への義憤が込められていた。
「オラァッ!!」
バランの渾身の右ストレートが、アルベルトの顔面を捉える――かに見えた。
バシィッ!!
乾いた音が響き渡る。
アルベルトは一歩も動かず、片手だけでバランの拳を受け止めていた。
その顔には、嘲笑すら浮かんでいる。
「遅いな。山籠もりで老いたか、バラン」
「なっ……ぐゥッ!?」
バランが驚愕に目を見開く。
師匠の怪力は、魔物すら素手で屠るほどのものだ。
それを、こうも軽々と。
「それに比べて、私は手に入れたぞ。神の力をな」
アルベルトが握り込んだ手に力を込めると、バキバキと骨の軋む音が響いた。
そして、軽く腕を振るうだけで、バランの巨体を軽々と投げ飛ばした。
「がはっ……!」
壁に叩きつけられ、バランが苦悶の声を漏らす。
「師匠!」
「バランさん!」
俺たちが駆け寄ろうとするが、アルベルトから放たれる金色のオーラが、物理的な圧力となって俺たちを押し留める。
肌が粟立つような、濃密で異質な魔力。
それは、先ほどまで戦っていた怪物たちとは次元が違っていた。
「《英雄の素》……。貴様、自分自身にも投与したのか!」
俺が叫ぶと、アルベルトは両手を広げて陶酔したように笑った。
「当然だろう。私が神になるための儀式だ。私が最高の器でなくてどうする」
彼の身体から溢れる金色のオーラは、次第に禍々しい赤黒い色へと変質していく。
それは、地下墓地で見た亡霊と同じ、しかし制御された強大な力だった。
「だが、まだ足りぬ。完全なる《亜神》へと至るには、貴様ら本物の英雄の魂が必要なのだ!」
アルベルトが手をかざすと、空間が歪み、見えない衝撃波が俺たちを襲った。
「くっ……! みんな、防御だ!」
ニーナとナナが即座に障壁を展開し、アーシャが《守護の光》を重ねがけする。
だが、衝撃波はその防御ごと俺たちを吹き飛ばそうとする。
「きゃぁっ!」
「うわっ……!」
足を踏ん張るのが精一杯だ。
これが、人の身を捨てた者の力か。
「させるかよッ!」
その暴風の中を、アカネが切り裂くように突進した。
大剣を構え、真正面からアルベルトに斬りかかる。
「《剛剣・地擦り》!」
地面を削りながら放たれた斬撃は、岩をも砕く威力がある。
だが、アルベルトは素手で大剣の側面を叩き、軌道を逸らした。
「ぬるい」
返す刀で放たれた裏拳が、アカネの腹部にめり込む。
アカネは血反吐を吐きながら後方へ弾き飛ばされた。
「アカネ!」
「調子に乗るなよ、雑種どもが」
アルベルトは冷徹な目で俺たちを見下ろす。
その圧倒的な力の差に、場が凍りついた。
バランも、アカネも、一撃で退けられた。
今のこいつに、まともにやり合って勝てるのか?
不安がよぎる俺の隣で、ルルネが双剣を構え直して言った。
「……諦めないわよ。ここで引いたら、本当に終わりだもの」
「ああ。そうだな」
彼女の言葉に、俺は剣を強く握り直す。
そうだ。
俺たちはここまで来たんだ。
どんな絶望的な状況でも、仲間と共に乗り越えてきた。
「行くぞ! 総力戦だ!」
俺の号令で、全員が動いた。
ルルネとルインが左右から高速で撹乱し、ニーナとナナが魔法で牽制する。
ミアとアーシャが後方から支援し、エリスとリアも隙を見て短剣を投擲する。
「小賢しいわッ!」
アルベルトが咆哮し、赤い衝撃波を全方位に放つ。
だが、今度は違う。
俺たちはその波状攻撃を読んでいた。
「今だ、ニーナ!」
「《グラビティ・プレス》!」
ニーナの重力魔法がアルベルトの動きを一瞬鈍らせる。
その隙に、俺は懐へと飛び込んだ。
バランとの特訓で身につけた、超近接戦闘。
「うぉぉぉぉっ!」
俺の連撃が、アルベルトの金色のオーラを削り取っていく。
傷は浅いが、確実に通じている。
「チッ……!」
アルベルトが苛立ち、大きく距離を取った。
彼は背後の扉――地下最深部へと続く、赤い光が漏れる入り口の前へと着地する。
「ほう……多少はやるようだな。だが、遊んでいる時間はない」
彼は空を見上げるような仕草をした。
ここからは見えないが、外では今まさに《赤き月》が天頂に昇ろうとしているのだろう。
施設全体が、ドクンドクンと脈打つように振動し始めた。
「時は満ちた。祭りの始まりだ」
アルベルトは不敵な笑みを残し、背後の扉の中へと姿を消した。
直後、扉の奥から凄まじい魔力の風が吹き荒れ、俺たちを吸い込もうとする。
「逃げたか……いや、誘っているのか」
「行こう、アリゼさん。決着をつけるために」
ルインが《エクスカリバー》を掲げ、毅然と言う。
傷ついたバランとアカネも、ミアの治癒を受けて立ち上がっていた。
「ああ。ここから先が、本当の地獄だとしてもな」
俺たちは頷き合い、赤い光が渦巻く最深部への扉をくぐった。




