削れるSAN値
1.クランハウス-ポチョの部屋
ログアウト時のキャラクターは睡眠状態にある。
このゲームのキャラクターは睡眠を要するという話だ。
もちろん死ねば肉体はリフレッシュな状態になるが、長時間生存していれば肉体が休息を欲して眠くなる。
これは不眠不休で活動しうる身体には何らかの欠陥が生じるからだと言われている。例えば火事場の力が失われるとか、瞬発力が鈍るといったものだ。
つまり、このゲームの楽しみ方の一つとして二度寝はアリなのだ。
「ママ。ママ〜」
おぉよしよし、ポチョ子や。
ポチョと赤ちゃんプレイをしている。
ポチョはウチのサブマスターなので偉い。偉いやつは何もしなくていい。そのような理屈を突き詰めて行った結果、俺とポチョは底なし沼のように赤ちゃんプレイに魅了されてしまった。
ポチョにもポチョなりのプライドがあり、スズキや赤カブトの前でこのようなだらしない姿を見られる訳には行かないという考えはあるらしい。だからウチの子たちの目を盗んで、二人きりになれる瞬間に赤ちゃんプレイをする。
俺はポチョ子を抱っこして人肌に温めたミルクを飲ませてやった。哺乳瓶に吸い付いたポチョ子がちゅっちゅとミルクを吸う。可愛い。俺の可愛いポチョ子。ヤバいぞ。後戻りできる気がまったくしない。母性が満たされるこの感じとウチの子たちに内緒でポチョとイケナイことをしているという背徳感が絶妙にマッチしていて脳みそがとろけてしまいそう。可愛いよポチョ子。今日も一緒にねんねしような。ねんね。ねんね〜。
満腹になったポチョ子を抱き締めて布団に潜る。細い腰に腕を回して身体を撫で回してやっていると、ポチョ子がぐりぐりと頭を押し付けてくる。幸せだ。俺は人生に意味を見出した。俺はこの日のために生まれたのだと思った。
俺はポチョ子の安眠を促すために小声で「ピャアアアア……ピャアアアア……」と奇声を発した。ポチョ子はすっかり安心しきった様子で俺に身を委ねてくる。
階下で何やら物音が聞こえたのはその時だ。
「んっ! んんっ!」
自分はここに居ますよと言わんばかりのわざとらしい咳払いだった。
俺とポチョは跳ね起きた。おしゃぶりと哺乳瓶を枕の下に隠し、素早く戦略的な話をしていたように装う。キリッとしたポチョが女教師さながら指揮棒を手に持って壁に吊ってある地図の前で背筋を伸ばす。俺は戦術担当だ。チームポチョのコンビネーションや陣形を今一度見直すように床にホワイトボードを置いて座ると駒に見立てたマグネットを手のひらでジャラジャラと鳴らした。もう片方の手にガラガラを持ったままであることに気付いてギョッとする。ポチョっ、パス! 俺が放り投げたガラガラをポチョが旋回しながらキャッチして一挙動で開閉したクローゼットに叩き込んだ。多少もたついたものの、かろうじて体裁は保った。イヤしかし哺乳瓶とおしゃぶりの隠し方が雑だ。枕の下ってお前。ポチョの部屋は半端ロリとAI娘一号二号の溜まり場だ。あいつらは普通にポチョのベッドに寝転がったりする。いや、落ち着け。俺は自分に言い聞かせた。階下から聞こえた咳払いは男のものだ。先生じゃないしアットムでもない。じゃあ誰だよ?
俺はポチョと目線を交わすや壁にぴたりと身を寄せて、ドアをバッと勢い良く開いた。迎撃の体勢を取っていたポチョが俺を見て首を横に振る。俺は指でカウントダウンして素早く廊下に飛び出した。ポチョとハンドサインで連携して迅速に未開拓のマップを潰していく。階段に辿り着いた。ポチョに手のひらを向けて待機を命じながら慎重に階段を降りていく。近接職のポチョは【スライドリード(速い)】を駆使して五体を凶器にできるが、俺は無理だ。刺客の奇襲を受けて死ぬのは俺の役目ということ。俺たちはクランハウスでくつろいでいる時は武器を持たない。武器の携帯を日常化してしまうと俺の死傷率が飛躍的に跳ね上がるからだ。
慎重な足取りで階段を降りた俺を、腕組みなどして居間のドアに肩を預けたスマイルくんが待ち構えていた。
俺を見上げ、気取った様子で居間のドアをコンコンとノックする。
……よう、スマイルの旦那。
「勝手に上がらせて貰っているよ」
そりゃ構わねえが……イヤ構うな。あんたに限った話じゃねーんだが、勝手にウチの敷居をまたぐのはヤメロ。何しに来た?
階段の前から動こうとしない俺に、スマイルくんは首をもたげて俺の肩越しに階段の上を覗き見ようとする。
「誰か居るのか? 邪魔してしまったかな。すまないね、コタタマくん。君が身内と過ごす時間を大切にしているのは知っている」
……コイツ、どこまで知ってる?
俺はスマイルくんの真意を測りかねた。
俺とポチョの余暇の過ごし方まで知っているとは考えにくいが、万が一はある。元々は軽い気持ちで始めたプレイだからセキュリティが甘かった頃もあるのだ。
スマイルくんは俺の内心を透かし見るようにフッと微笑した。
……立ち話も何だな。茶の一杯くらいは淹れてやるよ。居間で待ってな。
「いや、ここでいい」
β組というのは……本当に厄介な人種だ。俺の言葉にいちいち裏があるんじゃないかと勘繰ってくる。
スマイルくんはニコニコと笑っている。それは感情を読ませないために被っている笑顔の仮面だ。最初の一言は俺の動揺を誘うためのもの。強い言葉で意表を突いてくる。
「やはりルリイエの正体は君だったか」
ルリイエ? 何のことだ?
俺はしらばっくれた。
あらかじめ心理的なガードを固めていたので動揺せずに済んだ。しかしそれだけでは不十分。スマイルくんは何らかの確証があってそう言っているのだ。追求を躱すためには攻めるしかない。
……ああ、思い出したよ。あんたに付きまとってる女が居たな。そいつのことか。ミドリから聞いたよ。そう言って俺はチラリと階段のほうを見た。さもついさっきまでミドリと一緒に居たかのように振る舞う。
しかしスマイルくんは微塵も動揺しなかった。
「ミドリは良い女だろう? つくづく私は失ってから初めて得難いものであったことに気が付く。これは性分だな」
フフフ……! 俺は楽しい気分になってきた。立ち直ってやがる。一度ブッ壊れた精神は治らない。それが俺の持論。しかし例外は居るのだ。そいつらはいつも俺の予想を越えてくる。
そのお礼って訳じゃないが、俺は種明かしをした。
嘘だよ。ミドリはここにゃ居ない。あの女は俺の手には余る。スマイルの旦那、あんたはイイ男だよ。
そう言って俺はスマイルくんの脇を抜けて居間に入った。ソファにドカッとケツを落として手振りで向かいに座るよう促す。
スマイルくんは肩を竦めて俺のススメに応じた。ソファに座って長い脚を見せびらかすように組む。
「……不思議だな。どうやれば君のようなプレイヤーが生まれるんだ?」
なに、簡単だ。女の色香に迷ったのさ。
「コタタマくん。人間に人間を思い通りにコントロールすることなどできないよ。先生ですらそうだ。いや、先生だからこそか……。彼は人間へと寄せる期待を捨てられないからね。しかしコタタマくん。君はそうでもなさそうだ。その辺りが秘訣なのかな?」
おいおい、ひどいことを言うんだナ? サトゥ氏にこっぴどくやられてボロボロになったあんたをフォローしてやったのは俺だぜ? それは、あんたの言う「期待」あってのものなんじゃないか?
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
俺とスマイルくんはニヤニヤと口元に笑みを貼り付けて見つめ合った。
俺というキャラクターがどうやって生まれたかなど答えの出ない問いでしかない。言ってみれば意味の為さない問答。本題は別にある。
スマイルくんクラスの巧者ともなれば、対話の限界というものを強く意識するようになる。話術は技術であり、ならば当然才能の有無が関わってくるからだ。それは反射速度に近いもので、ある一定の領域に達すると乗り越えられない壁が厳然と立ちはだかる。俺が先生には決して敵わないように。
だからスマイルくんは無理をしない。やってやれないことはないのだろうが、俺を言葉で絡め取るのは少しばかり面倒臭いからだ。
俺はワクワクしている。気持ちが浮き立つ。β組ってのは本当に凄ぇ。スマイルくんの話の続きを早く聞きたかった。この堪え性のなさは俺の致命的な弱点だと自覚はしていても、最高の遊び相手を前にして我慢するのは本末転倒だという言い訳に納得してしまう自分が居るからどうにもならなかった。俺は急かすように言った。
それで? なんで俺だと分かった?
するとスマイルくんは苦笑らしきものを浮かべた。
「君は……賢いようで抜けているな。フレンドリストだよ。ロストしたろう? しっかりしてくれよ。ルリイエにささやきが送れなくなってるじゃないか。私は君が何かしらの手を打ってくるものだとばかり思っていたのだが……。肝心の君が何もアクション起こさないものだから、しまいにはしびれを切らして、こうして推理も何もない締まらない名探偵役を買って出たんじゃないか」
フフフ……! そりゃあすまないことをしたな。俺としても、旦那。あんたをどうにかして手駒に加えたかったんだが、生憎と立て込んでてな。そこまで気が回らなかった。しかしフレンドリストか。俺も焼きが回ったな。我ながら大ポカをやらかしちまった。情けないったらありゃしねえ。
もはや挽回は不可能。俺は開き直るしかない。
スマイルくんは不甲斐ない俺に色々と言いたいことがありそうだったが、俺への不満を長い吐息で押し出して水に流してくれた。そうした目下のものに対する寛容さはスマイルという男の美点だった。
一方的に俺をやり込めることに大人気なさを感じたか、スマイルくんは「だが」と人差し指を立てる。
「ルリイエはここに居る。こうして私の目の前にね。それもまた動かぬ事実だ」
……ん? 俺は首を傾げた。スマイルくんが何を言ってるのかよく分からなかった。
いや、まぁルリイエは俺のサブキャラみたいなものだから居ると言えば居るが。そんなことを今更になって指摘する意味が分からなかった。
スマイルくんは俺の瞳をじっと見つめてくる。
「正直言ってね。彼女には救われたよ。参考までに聞きたいのだが、君はどういう筋書きを考えていたのかな? ああ、つまりこの私を籠絡するストーリーだ。君のことだ。いずれルリイエは私の前から去るというシナリオだったんだろ? 彼女の存在は君にとって負担になるからね。どうかな? 当たってる?」
……まぁな。
俺は認めた。
そこまで分かってるなら話は早い。ルリイエは国外の……アメリカサーバーを想定していたが……そっちのプレイヤーという設定だった。残りのストーリーは二本。毎日のようにベンチに座って誰かを待っている双剣士のプレイヤーを不思議に思ったルリイエがあんたを連れて行って彼は何をしてるんだろうと尋ねる。あんたは頭が回る。双剣士と言ったが、それが本来の戦闘スタイルじゃないことは見れば分かるだろう。すぐに引退したプレイヤーの帰りを待ってるんだと察しが付く筈だ。もっとも全て俺の仕込みなんだが……。
スマイルくんは頷いた。
「なるほど。ルリイエにも帰りを待っているものが居ると匂わせつつ、私が彼女にどのように伝えるのかで私の仕上がり具合を確認するつもりだったのか。アオとミドリの件もある。実際にその場面になったら私は否定的なことを言ったかもな」
だろう? 俺もそう思う。でも、それだけじゃないぜ。あんたの言う通り、ルリイエは最後にはあんたの前から姿を消す予定だった。エンディングはこうだ。帰国することになったルリイエはあんたを呼び出して別れを告げる。先生の木彫り像をあんたに託してな。ルリイエが去ったあと、あんたは例の待ち人来ずのプレイヤーがもう一人のプレイヤーと狩りをしてるのを見掛ける。ここまで言えば分かるな? そいつは引退した筈のプレイヤーで、約束通りちゃんと仲間の元に戻ってきたんだな。どうよ? 我ながら完璧なストーリーだぜ〜。
俺は自画自賛した。
スマイルくんはにこっと笑って冗談めかして言った。
「だが、コタタマくんがロストしたことでストーリーは破綻した。私とルリイエの別れは立ち消え、ストーリーは続いていく。どうやら私は間に合ったらしい。そういうことか」
……んん?
俺は混乱してきた。このサトウシリーズ御大、何を言いたいんだ?
一人で勝手に納得したスマイルくんは聞きたいことは聞けたとばかりにテーブルに手をついて大儀そうに席を立つ。
そして去り際にボソリとこう呟いた。
「やはりルリイエはここに居た」
【Egg(Ability……)】
【Sit On】
【RLyeh】
これは、とあるVRMMOの物語。
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