闇へ……!
1.クランハウス-居間
バンとテーブルを手のひらで叩いたネフィリアが、ぐっと身を乗り出して整形チケットを突き出した。
「変装しろッ!」
先生はぷいとそっぽを向いて両腕をクロスした。X。バッテンマークだ。アウトぉー!
ネフィリアが食い下がる。先生の頬にぐいぐいと整形チケットを押し付けながら吠える。
「なんだこの着ぐるみ! 何を意地になってる! アンタならその変てこりんな着ぐるみさえ脱げばどうとでも誤魔化せるだろ!」
すると先生はスッとひづめを上げた。
「よく出来てるだろう? 自信作なんだよ。とても苦労した。ネフィリア。君も誉めてくれたね。当時の君はとても素直な良い子だった。それなのに……」
先生はまじまじとネフィリアを見つめて深々と溜息を吐いた。処置なしとばかりにかぶりを振って言う。
「こんなにもひねくれてしまって」
「何をっ、このッ……!」
ネフィリアたんがキレた。先生に掴み掛かるもテーブルの上に片膝を乗せた不安定な姿勢が災いした。グラリとテーブルが傾き、反射的に重心を保とうとしたネフィリアの隙を先生が突く。素早くネフィリアの手を払ってふわりと投げ飛ばした。変形の払い腰。文句なしの一本勝ちだ。背中からソファに叩き付けられたネフィリアがわなわなと屈辱に震えている。
一人で勝手にエキサイティングして一人で勝手に転び掛けたのだ。放っておいたらテーブルの角を頭をぶつけるくらいの展開はあったかもしれない。
そんなのはシリアス要員がやることじゃない。やっていいことじゃない。悪名高き魔女も地に堕ちたな……。
ネフィリアは一番弟子の俺の反応が気になるようで、チラッとこっちを見た。胡乱な目を向ける俺にネフィリアがカッと赤面して先生を睨み付ける。
「私を助けたつもりか〜……!」
先生は素っ気ない。
「何が?」
先生は公明正大なお方だが、昔馴染みのお犬様やネフィリアの前では普段とは少し違った態度を見せる。それが……正直に言って俺は少し悔しかった。
さて、変装するしないで揉める先生とネフィリアはともかくとして。
壁に磔にされている俺は腹に刺さっている包丁に視線を落として、ごぷっと吐血した。
下手人の赤カブトさんがもじもじとしながら指を絡めて、チラチラッと俺を見ている。
その赤カブトさんの肩に手を置いているスズキさんが、死に掛けている俺をうっとりと眺めてこう言った。
「コタタマ。ウチのことは私たちに任せて。一緒に韓国に行くのも楽しそうだけど、私たちね。今、何かを掴み掛けてるんだ。新マップも気になるし」
そ、そうか……。俺はひゅーひゅーと掠れた呼吸をしながら、かろうじて答えた。その件は……分かっ、た……。ゲーム、だからな……。お前たち、が、楽しそうなことを、優先していい……。
スズキさんの瞳が一瞬だけ寂しそうに揺らめいた。そっと俺に身を寄せて俺の耳元で囁いてくる。
「……戻ってきたら気持ちいいコトいっぱいしようね?」
言い放たれた殺害予告に俺はびくりと震える。
別れを惜しむ半端ロリとAI娘に元騎士キャラのポチョがうんうんと頷いている。
昨晩、二人に内緒で散々っぱら俺を殺したので心に余裕があるようだった。
この金髪はウチのサブマスターだ。
俺はクラン内の上下関係を重んじる……と言うより無視するべきではないという考えなので、重大な相談事はひとまず先生とポチョに預ける。
我らが【ふれあい牧場】のサブマスター様に特別な権限などというものはなく、除名権や新規メンバーの加入承認権は先生が一手に握っている。以前に先生に近付こうとするゴミの扱いは俺に一任して欲しいと願い出たのだが、首を縦に振ってくれなかった。先生には先生のお考えがあるのだろう。
つまりポチョは名ばかりサブマスターなのだが、対外的にはそういう訳には行かない。各クランのマスターが集まって会議する時なんかは原則的にクランマスターとサブマスターだけが指名される。そんなの関係ねえとばかりにブッチ切ってたら最近ついに名指しでコタタマくん立ち入り禁止の旨が通告されてしまった。貫禄のブラリ入りであった。
失礼な奴らだよ。俺だって別に好きこのんで面倒臭え会議に殴り込んでる訳じゃないんだぞ。参加せずに済むならそれが一番だ。
という訳でサブマスターのポチョりんには先生に近付こうとするゴミを可及的速やかに分別して貰わねばならない。そのためには場数を踏むことだ。以前に赤カブトにも言ったことだが、俺ら平メンバーでポチョを支え、盛り立てて行くのだ。
そうした経緯もあり、ポチョさんは俺を自分の最たる支援者と思っているふしがある。まぁ俺が【ふれあい牧場】に入りたての頃からポチョさんの実力は頭一つ抜けてたからな。この騎士キャラを味方に付けておけば安泰だと思うのは仕方のないことだった。
その結果、金髪に懐かれた俺は二人きりになると部屋にお呼ばれしてデスペナ限界まで激しく求められるようになってしまった。
事が済むと、ポチョさんはしばらく心にゆとりが生まれる。こんなことはスズキと赤カブトには言えやしない。
優しく微笑んでいるポチョさんが、俺と目が合うと少し頬を赤くして目を逸らした。昨晩の激しい手合わせを思い起こしたらしい。俺も無性に照れ臭くなってじっとしていると落ち着かなくなる。部屋に飛び散る俺の血肉とモツは記憶に鮮明だが、もうすっかり慣れてしまった今となっては、生きていく上で重要な役割を果たす臓器よりも、凶器を振り上げるポチョの汗ばんだ肢体や紅潮した肌のキメ細かさが強い印象を残していた。
着実に洗脳されていることは分かっていてもドキドキと高鳴る胸はどうにもならなかった。これが恋なの……? しまいには恐怖と恋心を混同する始末だ。イヤ実際にその二つは似ていて、意識している異性の前で無様な姿を晒せないと緊張する心理は、出くわした天敵を前にした時の心の運びと一致する部分もあるだろう。人間とはかくも欠陥だらけの生き物なのかと日々思い知らされるばかりだ。
おっと、そうこうしている内に俺のHPは残量がヤバくなってきたらしく、多少無理してでも俺を生かそうとしていた俺の内臓ちゃんたちが一斉に諦めて手を引いていくような冷たい感触が全身を蝕んでいく。
これが、死か……。
眠るように息を引き取った俺に、スズキが声を掛けてくる。
「コタタマ……?」
先生と交渉中のネフィリアが顔を真っ赤にして吠えた。
「よそでやれ! 血の海だろ! ところ構わず盛るんじゃない! ふ、不潔な……!」
なお、先生はひとしきりゴネてから整形チケットを使っての変装を承諾した。
言われるまでもなく最初からそのつもりだったのだろう。
考えるまでもなく有効な手だからだ。
先生は居室に引っ込んで、妙齢の美女に化けた。
どうせ変装するなら徹底的にやるべきだ。性別はもちろん、仕草や口調までキッチリ仕上げてきた。
ダッシュで死に戻りした俺を、柔和に微笑んだ先生が出迎えてくれた。
「では、行きましょう。ポチョ。留守をお願いね」
ネフィリアとよく似ていた。並んで立つと姉妹のように見える。そういう設定なのだろう。
面食らったウチの子たちはコクコクと頷くばかりだった。
いざ韓国サーバーへ。
2.エッダ洋-海上
完全変身したペヨンの頭の上に乗っかっている。
やい、ペ公。出迎えてくれたのはありがたいが、別にお前本人でなくとも良かったんだぞ。残機は大丈夫なのかよ?
韓国娘ペヨンのエンフレは俺やセブンと同じ魔法生物タイプだ。外観は卵と似ていて、脱落した殻の中から無数の赤い光点が覗く。垂れ下がった太い触手が海面を浅く裂いて、前進するたびに水しぶきを上げていた。
ギョロリと動いた無数の光点が頭の上に乗っている俺のほうを向く。
【バカなの? 残機を補充するために期間を置いたんだよ。ネフィリア姉さんとそういう約束になってんの。そうじゃなきゃ、もっと早く連れて来たっての】
……相変わらず可愛くねえ女だな。
おい、ネフィリア。コイツの言ってることは本当か?
ネフィリアは小娘どもとじゃれ合っていた。
「こら、ハシャぐな。機体の端に行くな。危ない。落ちるぞ。落ちっ……」
きゃっきゃとハシャいでいる小娘どもを引率している。
マゴットが落っこちた。随行しているペスさんがすかさず主人の後を追って海に飛び込む。忠犬かよ。俺にはあんな必死な顔、見せてくれないのに……。嫉妬している俺をよそにペヨンの触手が一人と一頭を素早く回収して事なきを得る。
無事に回収されたマゴットをネフィリアがガミガミと叱る。てへぺろするアホの子を小娘どもがやいのやいのと囃し立てる。
コイツら明らかにテンションがおかしい。
その要因の一つになっているのは間違いなく変装した先生だろう。
今の先生はおしとやかになったネフィリアと言っても通じる容貌をしている。
パーソナルカラーの白でまとめた装いもあって、いつか目にした白魔コーデのネフィリアに通じるものがある。しかしおっとりとした仕草や聖女じみたオーラがネフィリアとは似ても似つかない雰囲気を形成していた。対照的な姉妹だ。イヤ姉妹ではないが。イヤ姉妹か?
普段は割と冷静なノミ女ことフリエアも若干ながら浮き足立っている。地に足が付いていない。俺の肩をぽんぽんと叩いてくる。
「タマっち、それ何飲んでるの? なんか今日大人しいね。トランプ一緒にやる?」
俺はぐびっと麦をあおって、愛用のボトルちゃんを大切に懐に仕舞った。
トランプ? インディアンポーカーか。
「羊さんが強くて全然勝てないんだよ〜」
今は羊さんじゃないけどな。まぁヒツジさんってことにするか。偽名を使ってもお前らすぐにボロを出しそうだしな。
先生もお前らが相手じゃ退屈だろう。どれ。少しばかりお邪魔しますかね。選手交代だ。
俺はフリエアに代わって先生の対面に座った。
インディアンポーカーとは自分の手札をひたいに当てて、数の大きさを競うゲームだ。自分の手札を見ることはできない。よって周りの態度や言動から探っていくことになる。自分の手札が弱いと察したら降りて、イケると判断したら勝負に出るという訳だ。
ハッキリ言って小娘どもは俺の敵じゃない。コイツらは俺が負けるのを見て面白がるつもりで居るから、俺の手札を見てすぐに態度に出る。特に外野の面々はな。先生はそういうところを見てるんだ。だからコイツらは勝てない。
ゲームスタート。
先生の手札は12だ。
小娘どもは俺のカードを見て笑いを堪えるような仕草をした。おそらくは1か2。俺の引きの悪さを目の当たりにして我慢できなかったのだろう。
俺は勝負に出ることにした。
二度、三度と勝負を続けるたびに小娘どもは一回目ほど分かりやすい態度を避けるようになるだろう。
インディアンポーカーはどうやって負けるかの競技。大きな手が入った時だけ勝負に出れば勝てるというほど単純な仕組みではない。回が浅い内に手札が弱くとも勝ちに行くと印象付けるべきだ。
俺は先生に提案した。
先生。物は相談なんですが、特別ルールを設けませんか? 俺と先生の間で点が動く時だけに適用される特別ルールです。ご覧の通り、コイツらは俺と先生の一騎討ちを期待している。実際そうなるでしょう。でも、それじゃあつまらない。
先生はおっとりと微笑んでいる。
「凄い自信だね。具体的には?」
簡単です。俺と先生が勝負をコールした時に限り、コイツらは一度だけカードを引き直せる。もちろん引き直さないこともできる。どうです?
先生は乗ってくる。その確信があった。先生はガキンチョと接する時に教育を第一に考えるからだ。俺と先生が不利になるルールなら受け入れる。
俺の読み通り先生はニコニコと頷いた。
「面白そうだね。やってみようか」
乗ってきた……!
計算通り。俺はニヤリと笑った。
俺の目論見はこうだ。
どう転んでも俺と先生の一騎討ちであることは変わりない。しかし少しルールを崩してやれば、先生は小娘どもの接待に意識を傾ける。
少し考えれば特別ルールが小娘どもに圧倒的に有利であることは分かる。それでも俺と先生は勝つ。そうなれば小娘どもにも欲が出てくる。俺と先生の手札が弱い時は勝負をせがんでくるだろう。
心理戦ってのはこうやるのさ。
しかし、いささか小娘どもに有利すぎたようだ。
俺と先生は揃ってボロ負けした。
くそっ、勝てねえ! 何故だ!?
かくなる上は……。俺は隣に座ってるマゴットの脇腹をちょいちょいと小突いた。
なあ、マゴット。ちょっと頼みがある。お前の勝ち点を少しばかり融通してくれないかい?
俺は妹弟子に融資を持ち掛けた。
「へ? どういうこと?」
勝負ってのは残酷なモンさ。このままじゃ俺に勝ち目はねえ。負けがかさめば多少無茶でも勝負に出るしかねえ。結果、待ってるのは身の破滅だ。つまりある程度は勝ち点がねえと対等な勝負はできねえ。見たところお前は二位か三位に落ち着きそうだ。俺と一緒に一等を目指そうや。なあ。俺が暫定一位を引きずりおろしてやるよ。
$マークになった俺の目をマゴットはじっと見つめている。
「えー? でも、それってルール違反なんじゃない?」
ルールとはいつの世も人の手で作られるものだ。俺とお前で作るんだよ。新しい法と秩序をな。
先生! そうですよね!?
先生はしばし瞑目してから、ゆっくりと両腕を上げてビシッとクロスした。アウトぉー!
かくして俺と先生は貫禄のドベ争いを続けるのであった……。
これは、とあるVRMMOの物語。
ルールを変えて自ら深い闇へと沈んでいく男。
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