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第2話

きょうりつ、迎えに来てやったぞ」


 『ももさわ保育園』と掲げられた玄関口で、悠太は奥へ向かって声を掛けた。瞬間、ツインテールの小さな少女が躍り出てくる。

「悠太兄ちゃ~ん!」

 軽い足音を鳴らしながら嬉しそうに、少女は悠太の腰に飛びついてきた。


「悠太、遅ぇじゃねぇかよ!!」

 続けて後ろから飛び蹴りが炸裂する。背中に当たったその衝撃で、悠太は少女もろとも地面へ前のめりで倒れ込んでしまった。


「響てめぇ、いきなり何すんだ! 律が怪我したらどうするんだよ!」

 痛みで顔を歪ませると、まだ抱きついたままの律を抱えながら後ろを振り返った。

「悠太がこんなことくらいで転ぶのが悪いんだろ! バーカ、バーカ」

「何だと!?」


「ふふふ…相変わらず元気がいいわね、君たちは」

 二人が取っ組み合いの喧嘩をしていると、クスクスと笑いながら一人の女性が入口から姿を現した。この園の保育士をしている成瀬遥香なるせはるかだ。


 背中まであるストレートの長い黒髪を、エプロンとお揃いのオレンジチェック柄のリボンで束ねている。

 二十歳台前半で今年保育士になったばかりだが、品の感じられる端正な顔立ちと柔らかそうな雰囲気が全身から醸し出されているような、正に「優しそうな保母さん」という姿を絵に描いたような女性だった。園児たちにも一番人気のある先生である。


 悠太もそんな遥香に逢えるのを毎日楽しみにしていた。彼にとって彼女は、憧れのひとでもあるのだ。


「はるかせんせぇ~♪」

 響と律が甘えた声を出しながら駆け寄り、抱きついた。更に響は腰を落とした遥香の胸の谷間に、そのまま顔を埋めている。


(……お前ら、羨ましすぎるぞ)


 彼らの母親は物心つく頃には、もうこの世にはいなかった。故に二人は無意識のうちに、母の温もりを求めているのかもしれない。

 その事情は悠太が一番よく分かっていたのだが、二人が遥香のふくよかな胸を思いきり揉みながら顔を擦り付けているのは、少しやり過ぎではないかと思った。とはいえ、それはまだ五歳児だからこそ許される行為でもあるのだが。


 しかし悠太からすれば、それがとても不公平なことのようにも思われた。


 本当なら自分もあの細い腕の中に包まれ、抱き締められてみたい。彼女の温もりに触れてみたい。


 悠太が見詰めていると、不意に遥香と目が合った。包み込まれるような温かい眼差しが、真っ直ぐにこちらへと向けられている。


(うわっ俺、今何考えて……)

 目が合った瞬間、我に返る。遥香に自分の気持ちを全て見透かされているようで、急に恥ずかしくなった。


「くぉうら響、いつまでもここに居たら遥香先生に迷惑掛けるだろうが」

 誤魔化すかのように慌てて響の襟首を掴むと、無理やり引き剥がす。

 本当はいつものように鉄拳もお見舞いしたいところだったが、嘘泣きをされたら困るので止めたのだ。弟を殴ることで、遥香に軽蔑をされたくはなかった。


「何だよ、俺ばっかり! 律も一緒じゃん」

「るせー、口答えするな。お前は特に生意気なんだよ」

 腕の中で暴れる響を、悠太は必死に押さえ付ける。


 が。


 次の瞬間には、声にならない悲鳴を上げながら地面へ蹲っていた。

 響の拳が悠太の股間を直撃したのだ。

 つま先から脳天まで、電流が走ったかのような痺れと激痛が身体中を駆け巡った。言葉では言い表せないほどの痛みである。


「悠太君、大丈夫!?」

「悠太兄ちゃん?」

 脂汗を流しながら動けない悠太を心配して、遥香が駆け寄ってきた。背中も擦ってくれている。律もきょとんとした表情で、膝の上から顔を覗き込んでいた。


「わー、ししょーの言った通りだ!ホント悠太弱いなぁ」

 一方響は何故か嬉しそうに、周りでピョンピョンと飛び跳ねている。


「な……に?」

 悠太は痛みを堪えながら顔を上げた。声も少し出せるくらいには回復してきているようだ。


(ししょー……さやかのことか。でも何でさやかがここで出てくるんだよ)

 男なら強者に対しては、誰でも一度は憧憬の念を抱かずにはいられないだろう。

 ご多分に漏れず響がそうだった。さやかが悠太を負かす場面を何度も目撃しており、兄より強い彼女のことを慕うのは当然の流れでもある。


 徐々に痛みの引いてきた悠太は思いっきり深呼吸すると、縮めていた身体をゆっくりと起こしていった。そして顔を響の目線に合わせ、改めて訊いてみる。


「さやかが何て言っていたんだ?」

「うんあのね。悠太に勝ちたいなら、チンコ殴れば一発だよって」

 それは実に5歳児らしい、無邪気な笑顔だった。


(アイツ、響に何教えているんだよっ!)


 憤りを感じていた。

 自分がこのようなことで倒れるのが凄く恥ずかしくて、凄く惨めな気持ちである。


 それも遥香の目の前なのだ。

 好意を寄せている女性の前では男として、情けない姿を見られたくはない。


(くっそーっ、明日ぜってー文句を言ってやる!!)

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