第一話 断罪、そして二度目の絶望
ヘレナ・エンヴァークラウンは、生まれてこの方、幸福以外の感情をほとんど知らずに育った。
エンヴァークラウン公爵家の一人娘として生を受け、幼い頃から美しいと評判だった。琥珀色の瞳、ふわふわした長い金髪、そして貴族の娘として恥じない振る舞い——両親は彼女を溺愛し、周囲は彼女を賞賛した。十六になる頃には、王太子との婚約も正式に決まった。
絵に描いたような、幸せの絶頂。
だからこそ、あの日の出来事は、ヘレナにとって理解の及ばないものだった。
「ヘレナ・エンヴァークラウン。お前を、魔女の疑いにより拘束する」
王城の大広間、婚約披露の場のはずだった舞踏会で、その言葉は放たれた。周囲がざわめき、誰もがヘレナから距離を取る。
「……な、何かの間違いですわ。わたくしが、魔女……?」
声が震えた。心当たりなど、欠片もなかった。
「森の中で、禁じられた儀式を行っていたという証言がある」
「そんな……わたくし、森になど、一度も——」
言い訳を口にする間もなく、両脇を兵士に固められた。助けを求めて視線を巡らせても、婚約者である王太子は目を逸らし、友人たちは扇で顔を隠し、両親でさえ、俯いたまま何も言わなかった。
誰も、庇ってくれない。
(……嘘、でしょう)
牢に繋がれてから、ヘレナはようやく理解した。婚約を妬んだ貴族の娘が、根も葉もない噂を流し、それが独り歩きして「証言」という形に成り果てたのだと。真実かどうかなど、もはや誰も気にしていなかった。
「せめて、裁判くらいは開いてくださいませ……」
石造りの冷たい牢の中、ヘレナは誰にともなく呟いた。返事はない。窓の外から差し込む月明かりだけが、彼女の頬を伝う涙をぼんやりと照らしていた。
処刑の日取りが決まったと聞かされたのは、それから三日後のことだった。
***
処刑前夜、ヘレナは牢の中で膝を抱えて座っていた。恐怖はとうに涙となって流れ尽くし、今は不思議なほど静かな心地だった。
(このまま、終わってしまうのかしら……)
そう思った瞬間だった。
頭の奥に、ずきん、と鈍い痛みが走った。目の前が白く霞み、代わりに——見たこともない光景が、脳裏に流れ込んでくる。
同じ牢。同じ月明かり。同じ涙。
けれど、それは「今」ではなかった。もっと遠い、けれど確かに自分自身のものだと分かる記憶。百年前——いや、そう表現していいのかどうかも分からない、けれど疑いようもなくヘレナ自身の記憶だった。
前世のヘレナには、兄がいた。その兄の血筋が二代下り、今の当主——ヘレナにとっての祖父にあたる人物へと続いている。「ヘレナ」という名は、その祖父が、ヘレナが生まれたとき付けたものだった。エンヴァークラウン家の歴史の中で、ヘレナは魔女で、処刑された罪人だった。本当は触れたくもない、なかったことにしてしまいたい存在のはずなのに。
(なのになぜ、お祖父様はわたくしに、同じ名前を付けたのでしょう……)
それは、無実だと分かりつつも先祖を救えなかった一族の悔恨か、あるいは、忘れてはならないという戒めか。
どちらにせよ、また同じ名前を付けられ、同じように婚約を妬まれ、魔女の疑いをかけられ、誰にも庇われず、処刑される。
(……また、これですの)
ヘレナは、声を出さずに笑った。乾いた、けれど不思議と力強い笑みだった。
(同じことを、また繰り返せというの……? わたくしに?)
怒りでも、絶望でもなかった。込み上げてきたのは、もっと別の感情——静かな、けれど確かな反骨心だった。
(冗談ではありませんわ)
鉄格子を握りしめる手に、力がこもる。
(前世でも今世でも、何一つ悪いことなどしておりません。それなのに、なぜ二度までも、同じ結末を押し付けられなければなりませんの……)
脳裏に蘇る前世の記憶は、断片的で不完全だった。それでも一つだけ、はっきりと分かることがあった。
前世の自分は、最後まで抗わなかった。理不尽を理不尽と分かっていながら、貴族の娘らしく、大人しく運命を受け入れた。そして、何も変えられないまま、処刑台の露と消えた。
(……それが、間違いでしたのね)
ヘレナは、月を見上げた。
(わたくし、こんなバッドエンド、到底受け入れられませんわ)
誰に言うでもない、決意の言葉だった。
(悪役令嬢と呼ばれようと、魔女と勘違いされようと——運命は必ず、この手で変えてみせます)
牢の隙間から差し込む夜風に、鉄格子の錆が僅かに軋んだ。ヘレナはその音を聞きながら、静かに、けれど確かな決意とともに、目を閉じた。
(今度こそ、大人しく殺されてなど、差し上げませんわ)
処刑まで、あと半日。
——それまでに、ここを出る。
「転生したらまた悪役令嬢でした」をお読みいただき、ありがとうございます。
本編「ワナビ、異世界に転生する ~僕の黒歴史キャラが異世界を救う~」にも登場する、悪役令嬢ヘレナ・エンヴァークラウンを主人公にした短めの連載小説です。彼女がどんな人生の果てに、あの強さと気高さを手に入れたのか――そんな物語を、少しずつお届けできればと思います。
本編を読んでいない方でも、単体でお楽しみいただける内容になっております。




