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断罪劇で王子が破棄したのは婚約ではなく計画でした ――断罪されたはずの公爵令嬢は男爵令嬢の王妃教育係になります  作者: 製本業者


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第11話 第二王子が来た日、稽古場の空気が変わる

礼儀作法室の空気は、相変わらず張りつめていた。

エレノア様が席を外しているだけで、部屋の温度まで下がったように感じる。


そんな場所へ、王子殿下が“確認”に来た――それだけで、私の心臓は最初から追い詰められていたのに。


殿下は、驚くほど普通にそこに立っていた。

壇上で見たときのような“演技じみた声”ではなく、もっと近い距離の声。

優しくもなく、甘くもなく、でも、逃げ道を塞ぐような強さがあった。


「……どうだ」


たったそれだけの問いなのに、胸の奥を指で弾かれたみたいに跳ねる。

私は慌てて姿勢を正し、教えられたばかりの角度で頭を下げた。


「は、はい……! あの、まだ……まだ上手くできません。でも……」


言葉が震える。

震えるのは、怖いから。

怖いのに、私は殿下の視線から逃げられなかった。


殿下は、私の手元――指先の小さな震えを見て、ふっと眉を動かした。

笑っているわけじゃない。

呆れているのでもない。

――むしろ、何かを確かめるような目。


「叱られたか」


「……はい。たくさん」


「泣いたか」


私は一瞬、喉が詰まってしまった。

泣いた、と言ったら駄目な気がした。

泣いてない、と言ったら嘘になる気がした。


だから、答えはそのまま落ちた。


「……泣きそうには、なりました」


殿下は頷いた。

それだけで、なぜか肩の力が少し抜ける。


「それでいい」


(……いい?)


分からない。

こんなに恥ずかしくて、怖くて、何もできない私が。

それでもいいと言われる理由が。


殿下は、私の顔をまっすぐ見て――少しだけ、言葉を探すように目を細めた。


「最初は、ただ……周囲にいないタイプだと思った。だから、目がいった」


突然の告白みたいに聞こえて、私は息を止めた。

殿下は続ける。


「だが、君が選ばれたのは――エレノアが叱ったときだ。君は反省した。だが、恐れてはいなかった。あれで決まった」


(……私が、恐れていなかった?)


そんなつもりはない。

怖かった。怖くて仕方なかった。

でも、逃げたくないと思ってしまった。

それだけは――確かに、嘘じゃない。


殿下は、少し視線を落として、苦笑に近いものを口元に浮かべた。


「……俺は、迷っていただけだったのかもしれないな。無能だったわけじゃない。方向が、定まっていなかった」


その言い方が、変に正直で。

変に人間らしくて。

私の胸の奥が、また熱くなる。


(殿下も……怖いのかな)


王子殿下なのに。

私なんかとは比べものにならない重圧の中で、何度も迷ってきたのかもしれない。


殿下は、ふっと息を吐いて、最後に言った。


「君は、ここで逃げるな。君が逃げたら……俺の判断が間違いだったことになる」


胸が、きゅっと縮む。

――殿下のため?

違う。違うのに。


その言葉は、私の足を床に縫いつけるみたいに強かった。


殿下が扉へ向かう。

去っていく背中は、堂々としているのに――どこか焦っているようにも見えた。

まるで、次の戦場へ急ぐ人の背中。


(待って……)


声には出せない。

言えば、足が縋ってしまいそうだった。


扉が開き、廊下の光が差し込んで、殿下の影が伸びる。

その影が、扉の外へ消える直前――殿下は振り返らずに、少しだけ声を落とした。


「叱られてもいい。泣いてもいい。だが、逃げるな」


その言葉を残して、殿下は出て行った。


私は、その背中を見送ったまま、しばらく動けなかった。

殿下が扉の向こうに消えた瞬間、逆に不安が込み上げる。


(……これから、またエレノア様が戻ってくる)


叱責が来る。

冷たい声が来る。

私の粗を、容赦なく抉る。


怖い。

怖いのに――殿下の言葉が、身体の奥に残っている。


殿下――第一王子レオン殿下が去り際に残した言葉が、まだ耳の奥に残っている。


「叱られてもいい。泣いてもいい。だが、逃げるな」


……逃げない。

その一言のために、背筋が勝手に伸びる。怖いのに、逃げたくない。


扉の向こうへ消えていく足音が遠ざかると、急に静けさが押し寄せた。

さっきまで私の前にいたのは、王子殿下だったはずなのに――その余韻が強すぎて、呼吸の仕方を忘れそうになる。


(……私、いま……)


胸が熱い。

誇らしい、というのとは少し違う。

舞台に上げられた役者が、袖に戻った瞬間の、変な震え。


殿下は、私のことを「強い」と言った。

そんなこと、言われたことはない。

強いのはエレノア様で、強いのは殿下で、私はただ――運が良かっただけの、可愛いだけの下級貴族の娘で。


なのに。


「君は、周囲にいなかった」

「恐いのに立つ」


その言葉が、私を別の人間に変えてしまいそうで怖い。


そして、怖いのに――嬉しい。


(……エレノア様も、殿下も……すごい)


殿下が言っていた。

「エレノアが見抜いたものは本物だった」と。


私はそれを聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと鳴った。

なぜだろう。自分が褒められたのに、同時に別のところが熱くなる。


(お二人……本当に、同じ高さにいる)


冷たいのに正しいエレノア様。

演技のようでいて、いきなり舞台を変えてしまう殿下。


並んだ姿を思い出すだけで、息が詰まる。

……お似合いだ、なんて。

そんなこと、私が思っていいことじゃないのに。


心臓が落ち着かないまま、私は自分の手元を見つめた。

指先が、ほんの少し震えている。


(落ち着け。落ち着け)


エレノア様が戻ったら、また叱責が飛ぶ。

優しい言い方で心配してくれることもあるけれど、それは甘やかしじゃない。

むしろ逆だ。逃げ道を全部塞がれた上で、なお立てと言われる。


……でも、立つ。

殿下が私を選んだ理由が、まだ全部は分からない。

けれど私は、ここで逃げたらいけないとだけは分かる。


(次は……カーテシー。さっきの“見せ”は、絶対にやらない)


私は息を深く吸った。

ゆっくり吐いて、肩を落とす。

膝の位置を整える。視線を落とす角度も意識する。


(……よし)


そのとき。


廊下から、足音が近づく気配がした。


――戻ってきた。


私は反射で背筋を正した。

さっきよりも早く、静かに息を吸い直す。


(エレノア様だ)


叱られる準備。

叱られながら、食らいつく準備。

逃げない準備。


扉の向こうの空気が、わずかに動く。

取っ手が回る音。


扉が開いた。


「……!」


私は思わず、カーテシーの姿勢に入っていた。

けれど視界の端に映ったのは、ロングスカートの裾ではなく――男物の制服の端だった。


顔を上げてしまう。

上げてはいけないと分かっているのに、驚きが勝った。


そこに立っていたのは――第二王子殿下だった。


第一王子殿下の弟君。

いつも穏やかで、器用で、けれどどこか距離のある方。

今日の騒ぎの中心にいながら、最後まで“観客席”にいたような――そんな印象の。


(……どうして、ここに?)


口が勝手に固まる。

喉が鳴ったのに、声が出ない。


第二王子殿下は、私の硬直を見て、ほんの少しだけ眉を動かした。

驚いた顔ではない。困った顔でもない。

ただ、計算したように落ち着いたまま――それでも、どこか気まずそうに視線を逸らしてから、言った。


「……急にすまない。エレノアは、まだ戻っていないのか?」


その呼び捨てが、妙に耳に残る。

親しいのだろうか。

それとも、王族の距離感というものなのか。


私は慌てて、息を吸った。


「は、はい……! あの、私は……っ」


何を言えばいいのか分からない。

礼儀作法室で、第二王子殿下と二人きり。

そんな台本、誰も教えてくれていない。


第二王子殿下は、私の緊張を眺めるように一拍置き、静かに続けた。


「……少し、話がしたい。怖がらせるつもりはない」


怖いです、と言いそうになって、飲み込んだ。

ここで逃げたら、さっきの言葉が嘘になる。


(逃げない)


私は、もう一度背筋を正し――震える声を、なんとか形にした。


「……はい。お話、うかがいます」

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