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第13話 取り残された声

 広場の向こうで辺りを見渡すロルフを背に、ルシアは家並みへ駆けた。

 戸口の隙間、塀の陰、納屋の裏。

 手当たり次第に覗く。


 すれ違った村人に問う。


「レナ、見とらん?」


 村人は首を振った。


「さぁ。少し前には教会の前にいたと思うけどねぇ」


 ルシアの切羽詰まった顔と、切れる吐息にも、相手の温度は変わらない。

 それは決してレナに興味がないわけではない。


 ただ、この村では、子どもが一人見えない程度なら、まだ騒ぐ段階ではなかった。

 そのうち、どこかの戸口からひょいと戻ってくる。そう思われている。


 だが、ルシアは足を止めない。

 レナが消えた頃合いが、嫌な形をしていたからだ。


 時間だけが削れる。

 冬の夕方は、空が落ちるのが早い。


 二人は村の真ん中で落ち合った。

 目が合うだけで、互いに何も掴めていないと分かる。


「残すところは……」


 ロルフが言いかけたところで、ルシアも同じ方角へ視線をやった。

 昼、子どもたちと走り回った森。


 空の下のほうが、薄い橙に染まり始めている。

 陽が落ちれば、森は先に暗くなる。


 ルシアは迷わず森へ向かった。

 その肩を追うように、ロルフの腕が伸びる。

 触れ方は強くない。だが、動きを止めるには十分だった。


「この時間の森は危険だ」


 声が低い。

 命令に近い響きだった。


「俺が行く。あなたは司祭殿に報告を」


 ルシアは一歩だけ引いた。

 けれど引き下がらない。


「あんたも一緒なら大丈夫なんやないの?」


 ルシアは言いながら、森を見た。


「一人より、二人やろ」


 その言葉は正しい。

 だが、正しさだけでは森を歩けない。


 この村の周りで魔物の噂は聞いていない。

 それでも、噂がないことと、いないことは違う。

 ロルフはそれを知っている。


 ロルフが押し切れば、ルシアは黙って従うふりをして、あとから来る。

 それも危険だ。


 言い方を探して一息置いた、そのとき。


「……秘密基地」


 ルシアがぽつりと言った。


 ロルフは眉を寄せる。

 聞き慣れない響きだった。


「私、レナと秘密基地に行った」


 ルシアの目が、森の奥へ吸い込まれている。

 そこだけが、森の中で唯一、色を保っているかのように。


「もしかしたら、そこかもしれない」


 ロルフは短く問う。


「場所は」


 ルシアは一度だけ瞬きをした。

 木の陰、倒れた枝、踏み固められた土。頭には浮かぶのに、言葉が追いつかない。


「口じゃ説明しづらい」


 嘘をつく声ではない。

 迷っている目でもない。


 ロルフは即座に理解した。

 ルシアがいなければ辿り着けない。


 時間もない。

 この暗さで、言葉だけの案内は当てにならないのも確かだ。


「……分かった。急ぐぞ」


 ロルフは踵を返し、森へ向かった。

 ルシアも追う。

 森は、村の縁だ。


 雪解けのぬかるみを蹴って、二人は駆けた。


 森の手前で、近くの村人が小さく声をかけた。


「騎士様、この時間はもう……」


 ロルフは足を止めずに、視線だけで返した。

 止めるな。止めても行く。そういう目だ。


 ルシアが先に駆けていく。

 ロルフは半歩遅れて並び、左右と背後へ視線を切り替え続けた。


 陽はすでに低い。

 枝の影が伸びる。

 風が木々を揺らし、葉のない枝が擦れて乾いた音を立てる。


 ルシアが息を吐く。


「もうちょっと……。確か、この先で……」


 足元で、雪の縁がざくりと沈み、すぐ下の湿った枯れ葉がくしゃりと鳴った。

 その二つの音が、やけに大きい。


 ロルフは呼吸を浅くした。

 音を立てないためではない。

 音を聞き逃さないためだ。


 一度、どこかで枝が折れた。


 ロルフの指が剣の柄に触れた。

 抜かない。だが触れる。

 かつて、守れなかった手のひらの熱を思い出すかのように。


 ルシアは気づかない。

 気づかせないようにするのも、ロルフの役目だった。


 枯れた草の匂いが濃くなる。

 やがて、腰ほどの高さの雑草が生い茂る場所へ出た。

 ここなら子どもは簡単に隠れられる。


 ルシアが足を止め、顔をしかめる。


「あれ……、こんなとこやっけ」


 昼に見た景色と、夕方の影が違う。

 同じ場所なのに、森は別の顔をしていた。


 ルシアが草をかき分ける。

 一度、外れ。二度、外れ。


 ロルフは焦りを顔に出さないまま、周囲に耳を澄ました。

 風の音に混じって、なにか小さい音がある。


 弱い。

 喉を鳴らすような、詰まった呼吸。


 ロルフは視線で示す。


「……あっちだ」


 ルシアが振り向く。

 ロルフは草むらの奥、少し低くなった影を指した。


「音がする」


 ルシアは一瞬だけ目を見開き、すぐに頷いた。

 次の瞬間、息を殺して走る。


 細い木を組んだ秘密基地が、草むらの奥に隠れていた。

 枝の隙間から光が漏れ、冬の影がまだらに揺れる。


 ルシアが息を呑む。


「ここ……」


 ロルフが声を上げかけた瞬間、ルシアが手のひらを立てた。


 その合図だけで分かる。

 大声は、子どもの心を閉じる。


 ロルフは静かに頷いた。


「行ってくるわ」


 ルシアは膝をつき、身を滑り込ませた。

 草が揺れ、入口が一瞬だけ閉じる。


 ロルフは入口の外で、森を睨み続けた。

 静かすぎる。小さな音ひとつが、やけに大きく感じた。


 秘密基地に入ったルシアは奥へ進む。

 昼、おままごとの道具を見せてもらった場所。


 そこに小さな影があった。

 膝を抱え、動かない。


「……レナ、みつけた」


 ルシアの声が、柔らかく落ちた。

 影がびくりと震える。


「おねぇ……さ……」


 喉の奥で詰まっていた音が、ようやく言葉の形になった。

 涙と鼻水で、顔はぐちゃぐちゃだった。


 ルシアは迷わず抱きしめた。

 抱きしめる腕が少しだけ震えた。

 走ったせいだけではない。


「心配したがね」


 ルシアは息を整えながら、声だけは優しい。


「話はあと。今は一緒に帰ろ」


 レナはルシアの胸に額を押しつけたまま、首を振る。


「……怒られるから、やだ」


 ルシアは一瞬だけ考えた。

 怖いのは怒られることか。怒られる理由か。

 それとも、みんなの目か。


 けれど答えを探すのは後だ。


「じゃあ私も怒られるかぁ」


 ルシアはわざと明るく言った。


「こんな時間に森におるんやから。私も同罪」


 レナが顔を上げる。

 泣き腫らした目が丸くなる。


「大人なのに、怒られるの?」


 ルシアは歯を見せて笑った。


「教会の前であの騎士に怒られてたの、見たでしょ?」


 レナが息を吸って、ふっと笑った。

 ルシアは小さな手を握った。

 握り返す力が、遅れて返ってくる。


「帰ろう」


 ルシアは短く言って、出口へ向かった。


 入口の外で、ロルフが待っていた。

 暗がりの中でも姿勢が崩れていない。

 いつでも動ける立ち方だ。


 ロルフを見て、レナの体が小さく強張った。


 ロルフの目が、その反応を一度だけ捉えた。

 追わない。


「……見つけたか」


 声は小さい。

 それでも、言葉の芯が固い。


 ルシアはレナを抱き上げた。

 レナの腕が、ルシアの首に回る。


「今のところ、魔物の気配はない」


 ロルフは森を見たまま言う。

 言い切りながら、視線は一度も遊ばない。

 気配がないから安心ではない。

 気配がない時ほど危ないこともある。


 その時、背後の草が擦れた。


 ロルフの肩がわずかに動く。

 剣の柄に触れた指が、今度は強く握った。


 風だ。

 草が揺れただけだ。


 そう分かっても、レナの体が小さく強張るのが腕の中で伝わった。

 ルシアは抱く腕に力を込め、明るい声を作る。


「じゃ、今のうちに急いで帰ろ」


 ロルフは一歩前へ出て、道を選ぶ。

 草の少ないところ。

 足音が立ちにくいところ。


「足元を見るな。前だけ見ろ」


 ルシアは頷き、抱っこしたレナの耳元へ口を寄せた。

 声は、喉を通さないくらい小さい。

 今日あった楽しいこと。明日したいこと。今好きなこと。それらをゆっくりとした口調で聞いた。

 レナの返事に、ルシアは微笑みで返した。


 十字のことには触れない。

 それが、今ルナが息をしていくための、唯一のきまりごとだ。


 森の出口が見えてきた。

 まだ村は見えない。灯りも届かない。

 だが、空の色がわずかに明るい。


 ロルフは最後まで森を振り返らず、歩調を崩さなかった。

 ルシアはレナを抱いたまま、楽しいことばかりを並べ続けた。


 帰り道を、言葉でつないで。

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