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雨井が来りてなんか言う

「すみません、お待たせしました。どうぞ中へ」


 蒼曼先生が入室を促す。教室には二組の机といすが、二対並べられている。手前の席に蒼曼先生が座る。

 対面に私と、もう一人が座る。


「では改めまして、初めまして、岩崎君の担任を務めております、蒼曼と申します。

 本日はよろしくお願いいたします」


「はじめまして、媛遥の保護者の、出虫(いでむし) (いたり)と申します。いつもお世話になっております」


「あの…ぶしつけな質問ですみません。その…出虫さんと岩崎君は、どういったご関係で…?」


「話せば長くなりますが、先ほどの通り私は彼の保護者であり、家族です。しかしながら、苗字は彼の本当のご両親である岩崎の名を残しています。

 媛遥は物心つく前にとある並木の近くに捨てられていて、通りかかった私が保護しました。そこには手紙が添えられていて…」


 …よくもまぁそんなにスラスラと嘘がつける。察しの通り、私の隣で出虫と名乗るこいつは雨井だ。基本人の前に姿を現すことがないと言ったが、頼んでみたところあっさり了承した。もちろん二つ目の願いがあるからというのもあるのかもしれないが、そういうものではなく、単に興味がありそうだから受け入れたと私は考えている。


「…だからっ、私が…(グスッ)、私はこの子がいつかっ…本当の両親にぃっ(ズビズビ)

 会えた時に…“岩崎”と名乗れるようにっ…苗字を変えないでおいたのですっ…」


「そうだったんですね…。そうとは知らず、デリケートな部分を聞いてしまい、すみませんでした…。岩崎も、辛いことを聞いてごめんな」


「いえ、私は物心ついたころから両親を知らない上に、物心ついたころにはこいつと一緒だったので、特に何とも思ってないです」


 蒼曼先生がこらえきれず泣き始めたそばで、雨井が私の腕を軽く小突く。


―ちょっと、媛遥さん。あなたが言い出したんだから合わせてくださいよ―


―そう言われても、お前を“お前”とか、“こいつ”とか、“悪魔”以外になんて呼ぶんだ―


―だから!今さっき“出虫”って名乗ったでしょう!

 普段もそうですよ!なんで“雨井”って名乗ったのに呼んでくれないんですか!―


「すみません、保護者様の前で無様なところをお見せしました…。

 それでは、岩崎君の進路についてお話しする前に、普段の様子をお話しできればと思います」


 そんなこんなで、私の進路相談が始まった。最初は私の不断の学校での様子を先生が話してくれ、そのあと雨井が家での様子を話していた。家出の私の設定は、それはそれはごく普通の高校2年生だった。

 実は、雨井は遠い昔に人と暮らしていたこともあるらしい。しかし、ある制度ができてから、そういったことができなくなったそうだ。そのため、雨井がこうして生きている人間と話すのは、実に何百年ぶりだとか。その割にちゃんと話せているのは、生きている人間と話すのが何百年ぶりというだけで、死んだ人間とはほぼ毎日のように話しているからだ。現在こうして日本語をしゃべっているが、これもどうやら悪魔なりのフィルターをかけて勝手に翻訳するよう出来ているようで、私と話すときにも使っているらしい。実際に雨井が話しているのは、上位の共通語で、母語自体はフランス語なんだそうだ。


「では、この先の進路ですが、岩崎、お前は進学と就職、どっちを考えているんだ」


 雨井がこちらを見る。


「私は、現在その辺で迷っています。実は、先生の授業を受けている中で、人間の歴史に非常に興味を持ちまして、もし大学に行くのならそのあたりを重点的に学びたいと思っています。しかし、実は先日剛田君の家に行くことがあって、そこで剛田君本人やお父様とお話ししたときに、実際に社会に出ることで、より人の営みに触れ、それはつまるところ歴史に触れられることなのではないかとも考えています」


「嬉しいな、ありがとう。なるほど…、どっちかで悩んでいるのか。

 出虫さんはいかがお考えですか?」


「私は媛遥の意見を尊重します。個人的な見解を申し上げますと、今の媛遥の望みを叶えるのであれば、大学に行ったほうがいいのかなと考えます。確かに、早期に社会人経験を積めば、仕事の経験値も人より得られますし、コミュニティの中での立ち回りも非常にうまくなると思います。

 しかし、“学ぶ”となると、やはり専門的な、より深い知識を短期で習得できる大学が良いかとも考えます。

 …まぁ、ぶっちゃけた話、どれだけ経っても人の世は学歴社会が根強いですからね。大学に行ったのと行っていないのとではお給料から違ったりしますし、そういう点でも行っといた方がいいんじゃないですかね」



 雨井が素を出したので、足を踏みつける。ことのほか強かったのか、雨井が一瞬すごい声を出した。しかし、雨井の言うことはもっともな意見だった。今まで大学がどういったモノなのか知らなかった私は、行っても行かなくてもどちらでもいいのだとばかり考えていたのだが、とかく人間の間では“行った方が良い”モノであるというのは悪魔も知るところだった。剛田の父親も行っていたが、大学にはキラキラとした知識が山のように散りばめられていて、学生は好きな知識を選んで取得できる。私にこれほど適した場所はない。



「ありがとうございます。僕としても、出虫さんの意見に賛成です。

 岩崎、個人的な意見になってしまうんだけど、先生も岩崎は大学に行ってみてほしいと思ってる。

 先生は今こうやってみんなに日本史を教えてるだろ?でも、元はと言えば岩崎と同じように、高校時代に学んだ日本史とか世界史から、人の文化に興味を持ち始めたんだ。

 当時は就職の事なんて考えて無くてな、大学に行くのが当たり前だと思ってた僕は、大学で何を学びたいかを中心に進路を決めてたんだ。だから、自分の興味のある大学で、自分の興味のある分野を没頭して勉強してたんだけど、…すっごい面白いぞ。

 ただし、大学で人文学や民俗学…要するに人の歴史を専攻とした場合、最大のデメリットがある。それは、役立てる職種がほぼほぼ教員しかないということだ。経済学部や法律学科なら、まだ会計士や金融、司法書士やそれこそ弁護士への道があるけど、今岩崎が興味のある学科は、良くて国家公務員、普通は教員、大体販売業が就職先になりやすい。だから、ほかの学科と比べて、選択肢が圧倒的に狭い。

 その辺をよく考えて、岩崎には進路を決めてほしい」



 蒼曼先生はいつもの無表情とは打って変わって、熱心に私に進路を説いてくれた。ただし、就職先の部分については、どうしてそこまで慎重になるのか理解できなかった。以前雨井から教わった通り、金とは仕事で得るものであり、仕事とはどこかしらの組織に属し、社会貢献をするものである。当然その社会貢献には“教育”も入っており、むしろ個人的には一番人類に還元できるいい仕事なのではないかと考えている。

 なぜそこまで慎重なんだろうか…。当時の私には分からなかった。



「大学に行きます」



 特に大義名分があるわけではない。社や音綟、剛田と関わる中で忘れかけていた、私の当初の欲望を思い出したまでだ。

 私はセミだった。だから人として生きていくには人を学ぶ必要がある。学ぶうちに、もっと深く知りたくなった。だから大学へ行きたい。

 ずいぶん思い詰めていた私だったが、まさか自分が元セミであることを忘れていたのだろうか。これをなくして私はどうやって人として生きていられようか。危うく人生を踏み外すところだった。



「そうか。分かった。じゃあ、いい大学探さないとな」


「実は先生、私、媛遥がそう答えた時用に、大学調べてあったんです」


 そういうと雨井は一冊のパンフレットを差し出す。そこには「亜心大学」と書かれていた。


「『あごころ大学』?」


「ふふふ、これで『つぐみ』と読むそうです。うちから近くて、キャンパスもそこそこ大きい、

 施設も整った良い大学なんです」


「こんな大学は聞いたことないなぁ…。岩崎は知ってたか?」


 当然知らないので首を横に振る。そもそも、雨井には大学選びまで頼んではいなかったはずだ。


「いやね?この大学ちょうど来年開校なんですけどね?・・・」


 雨井の調べた亜心大学は、文科系・理科系の総合大学らしい。敷地面積は並みの大学よりは広く、飲食も充実。寮まであるそうだ。教授や講師陣は理事長自ら選考をした選りすぐりのエキスパートで、その大学に入れば、いわゆる「天才」になること間違いなし…だそうだ。ただし、来年開校で実績がない分、ギャンブル性が非常に高い。当然いわゆる赤本も存在しない。あるのは大学が配布している入試対策問題集だけだ。


「そんな大学が開校されるなんて…普通その辺の情報は高校にも入ってくるはずなんだけど…」


「なんでも、入学者数を極限まで絞って、優秀な生徒を集めるために、公にはしていないそうです。私もたまたま近くを通りかかって、大学のスタッフに話を聞いたときにこのパンフレットをもらったんです」


「そんな大学・・・怪しくないですか・・・?」


「大丈夫。理事長がたまたま私の古い知り合いで、信頼できる奴でした。彼自身民俗学を先行しているので、媛遥にとってはいい指標になると思います」


 蒼曼先生は不安そうな表情を浮かべたまま、しばらく黙り込む。それもそうだ。そんな大学聞いたことがなくて当たり前だ。私だっていろいろと調べてはみたが、亜心大学なんて初耳だ。しかし、雨井の提案に一切の不安がない私の顔を見て、先生は納得したかのように首を縦に振る。


「分かりました。では亜心大学を目指してみましょう。ただし、どんな大学か分からない以上、私も万全のサポートができるとは言えません。一応保険の大学は私のほうで調べて、後日岩崎君に連絡します」


 あとは何の気ない会話だった。国語をもう少し頑張らないといけないとか、体育では体が硬すぎて柔軟ができていないとか、そんなくだらない話だ。ものの数分で終わり、私は雨井と学校を後にする。



 帰り道、私なりにいろいろ考えた結果、雨井には参考書のサポート以外一切の情報を私に助言しないように頼んだ。一瞬顔を輝かせた雨井だが、「人生の大きなターニングポイントを、悪魔の力を借りたなんて思うと、一生後悔する。つまるところすごく困るから、やめてくれ」と頼むと、ガクッと肩を落としていた。しかし、その表情は不思議と、最初の頃とは違いどこかこの状況を楽しんでいるように見えた。


 雨井という悪魔は、実に変わった悪魔だ。


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