番外編 下僕、出産に立ち会う※挿し絵あり
長岡更紗さまから頂いたベスのイラストからのSSです。
若干、メタ要素ありです。
「あっちー」
さんさんと日差しが照りつける畑で。ベスはダイコ片手に空を見上げた。雨期も明けての快晴。青い空が目に眩しく、熱を持った太陽光が肌を焼く。
シャツはとっくに脱ぎ捨てた後。面倒臭いので裸の上半身を伝う汗を拭いもしない。どうせ拭いても流れるのだから一緒だ。
「何で夏なのにダイコが穫れんだ?」
本来、ダイコという野菜は冬に穫れる。
「ふん。作者の誕生日だからな」
同じくダイコの収穫をしているサナトから、予想外の答えがきた。
サナトの方はベスと違い、きっちりと農作業用のつなぎを着込み、軍手と長靴、農帽までかぶっている。サナトいわく『農業には正装で臨まねば』とのことで、一度なぜか真冬に脱いだことがあったものの、基本はこのスタイルを崩さない。
「え? 誕生日? 誰の?」
『サクシャ』という聞きなれない名前に、ベスは首をひねった。
狭い田舎町である。住んでいる人間の数も戸数も少ない。加えてベスは農具屋のせがれ。半数以上が農家というこの町で、知らない人間はいないが、サクシャという人間は知らない。
「阿呆は深く考えなくてよい。一部だけが知っていることだがな。作者と言えばダイコ。ダイコといえば作者なのだ」
聞き返すと、小馬鹿にしたような冷たい視線が返ってきた。しかもさっぱり意味が分からない。腹立つ。
分からないのはベスがアホだからじゃない。サナトの説明が悪いのだ。
しかし反論はやめておいた。これ以上の口ごたえはヤバい。鉄拳が飛んでくるか、指輪を締められるか、肥溜めに落とされるの三択になる。どれも嫌だ。
決して、サナトの言っていることの半分も理解できない、馬鹿だからじゃない。
「ま、細かいことはどうでもいーや。さっさと収穫しちまおうぜ」
考えても仕方のないことは考えない主義である。ベスは土に埋まるダイコの葉の根元を両手で持つと、スポスポと次々引き抜いていく。
「言われずとも。ダイコの収穫だぞ!? こんな役得があるか。ああ、この青々とした葉と白く真っ直ぐに太ったダイコのなんと美しいことよ」
流れ作業で抜くベスに対して、サナトは一本抜くごとにダイコに見とれ、黒い切れ長の目をキラキラさせている。キショい。
ちなみに畑はベスのものでも、サナトがレンタルしているリベラの畑でもない。東の国から移住してきた夫妻の畑である。
兼業農家の旦那は、急な出張で昨日から隣町に行っている。今日の夕方には戻るのだが、市場には毎日ダイコを卸しているため、今日の分の収穫を旦那に頼まれたのだ。
もちろん、報酬は貰う。そしてその報酬はカジノで有意義に使う予定だ。夫妻の事情から少し多めに報酬を貰えたので、ベスはほくほくである。
「ったく、ちんたらしてんなよぉ。俺が抜いちまうぞ」
早く済ませてカジノに行きたい。ベスは最初に決めていた自分の収穫区画から、サナトの収穫区画にあるダイコに手を伸ばそうとした。途端に。
「触れるでないわ」
「ぐぉおおおおおおっ。痛ぇっ、ギブギブ!」
ベスにはめられた隷属の指輪が締まった。
「いいか。貴重なダイコの収穫は一本たりとも譲らん!」
「へいへい。頑張れよー。じゃ、俺はダイコ洗っとくから」
ビシッと指を突き付けて宣言するサナトに、ベスはひらひらと手を振った。抜いたダイコを用水路に持っていき、洗い始めると、またサナトが騒ぐ。
「何っ!? 待て。それも捨てがたいっ」
「面倒臭ぇな! だったらさっさと収穫しちまえよ!」
これだから畑狂いの変態野郎は。一人より二人の方が早く終わるだろうと、畑仕事ラブのサナトに声をかけたのが、失敗だった。野菜愛が強すぎて面倒臭い。
「待っておれ。秒で片付ける」
流石は魔王あらため、畑魔王。慈しむような視線と手つきながら、高速でダイコを抜いていく。やっぱり変態だ。
「どうだ! 終わらせたぞ! 残りのダイコ洗いは私の仕事だ」
「……あ、そう……好きにしろよ……」
ドン引きのベスなどなんのその。サナトは受け取ったダイコを上機嫌に洗い始める。こうなってしまえばベスの仕事はない。手持ち無沙汰になったベスは、シュタッと手を上げた。
「よしっ、じゃあ後はお前に任せた! 俺はちょっくら別の仕事に行ってくらぁ!」
別の仕事とはもちろんカジノだ。報酬は前払いでもらってある。それを元手に倍以上に増やそう。うん、立派な仕事だ。
「ほどほどにしておくのだぞ」
ベスのいう別の仕事が何かを察したサナトが、黒い瞳を金色に光らせた。震えあがりそうな眼光だが、ギャンブルを前にしたベスには効きはしない。
「ほどほど? てめぇ、サナト。仕事にほどほどもくそもあるかぁ? お前、畑仕事に手を抜けんのかよ?」
「ぬ」
腰に手を当てて指摘すると、逆に気圧されたサナトが口をつぐんだ。
「ということで、お互いベストを尽くそうぜぇ」
サナトを丸め込むことに成功したベスは、へらっとした笑みに戻すと、今度こそカジノに向かった。
のではなく。
「ハルカさん!? 何でいるんすか!」
カジノに向かおうとして、いつの間にかいたハルカに突っ込みを入れていた。
「こんにちは、ベスさん。何でって、ちょっと晩ご飯用のダイコを抜きに来たんだけど」
そう言ったハルカの両手には、既にダイコが一本ずつ握られている。その背には男の子が背負われていた。
「抜きに来たってか、もう抜いてる! いや、そうじゃなくて、あんた臨月っしょ! 重いもん持ったら駄目じゃないっすか!」
そう。それこそ、ハルカの旦那がベスにダイコの収穫を依頼してきた理由。ハルカは身重で、しかもいつ生まれてもおかしくない臨月なのだ。
「えー。ダイコくらい重くないって」
「いや、ダイコも二本だとそれなりに重いけど、背中! 背中の子、何キロっすか?」
騒ぐベスが珍しいらしい。大きなお腹を屈めてにこにこと笑うハルカの背で、息子がくりくりとした目でベスを眺めていた。
ベスの記憶ではこの子はカナタという名で三歳。体重は十キロ以上あるはずだ。
「十三キロ」
「重いじゃないっすか!」
平然と答えるハルカ。やっぱり重い。
「平気平気。ほら、持ってない。おんぶだし」
「そういう問題!? 違うっすよね? いやそもそも臨月でうろうろして、陣痛きたらどうするんっすか」
「まだ予定日より二週間早いし、大丈夫よー」
「あああ。旦那さんがやけに心配してた理由がよく分かったぁ」
くれぐれもハルカを畑に出さないよう、何度も念を押された理由を体感したベスは、思わず脱力した。
「大丈夫?……ッ」
ハルカの背中からカナタに小さな手でポンポンと肩を叩かれ、疲れさせた本人から心配されたのだが。途中でハルカが動きを止めた。
「ハルカさん?」
嫌な予感がする。ベスは恐る恐るハルカの名を呼んだ。
「……陣痛きた」
「うわぁぁぁぁああああっ、やっぱりぃいいいっ!!」
予感的中である。ベスは頭を抱えて悲鳴を上げた。
「何を騒いでおるのだ、この阿呆は。ハルカ殿? どうされた」
「サナト!! 陣痛だ! 陣痛が来ちまった」
ダイコを洗い終わってやってきたサナトに訴える。しかしサナトは蒼白い顔を困惑にゆがめた。
「ぬう。陣痛とは何だ」
そうだった。こいつは魔族で人間のことはさっぱりだ。使えねぇ!
「これから子供が生まれる合図だよ! 腹の中から赤ん坊が出てくるんだっ」
「何ッ! それはどうなるのだ。どうしたらいいのだ」
「分からねぇっ」
「何だと、役立たずめ」
「おめーもだろ!」
男二人、ぎゃあぎゃあと喚くばかりで何も進まない。
「治まった。帰るわ」
突然、ハルカがすたすたと歩き始めた。サナトとベスは顔を見合わせてから、慌ててハルカについていく。
「転移魔法で……いや、瘴気を封じているのだった。ハルカ殿。家まで私が背負おう」
サナトもテンパっているらしい。
いくら速足で歩いているとはいえ、女の足だ。サナトなら余裕でついていけるはずなのに、なぜか駆け足のような恰好でハルカの側をうろうろしている。
「このお腹で背負われたら、お腹の赤ちゃんが潰れちゃいます。大丈夫。陣痛が始まったからってすぐ産まれるわけじゃないです。この調子なら夕方か夜です。陣痛もずっとじゃないですから、来てない時は動けます。それより、産婆さん呼んできてくれません?」
ハルカが足を止めずに早口で説明する。
「産婆だな。分かった。他には?」
「あの、出来れば隣町に行った主人を呼んでもらえないですか?」
「うぬ。お安い御用だ。行ってくる」
鷹揚に頷いた瞬間、サナトの姿が消えた。ように見えた。
実際には高速で走り出したため、視界から一瞬で消えただけ。少し視線をずらせば、農道を物凄い勢いで遠ざかるサナトの後ろ姿があった。
それを見送ってから、ベスははっとなった。そういえばハルカは息子を背負い、ダイコを両手にぶら下げたまま歩いている。
「ちょっとっ、ダイコは置いて行きましょうっすよ」
「駄目よ。今晩のおかずなんだから」
「今からご飯作るつもりなんっすかぁっ!?」
素っ頓狂な声が出たのは仕方ない。どうなってんだ、この人は。
「だからすぐ産まれないって……!」
急にハルカが足を止めた。陣痛がきたらしい。
「せめて俺が持つっす。あとカナタも俺が背負うっす」
ハルカの背中からカナタを抱き上げる。が。
「ヤダ!」
「今お母さん大変なんだって。な? ちょっとだけこっちにこい」
「ヤダヤダヤダヤダッ!」
三歳児のヤダヤダ攻撃に撃沈。引き離そうとすればするほど、ぎゅっとしがみついて離れようとしない。
「治まった」
そうこうしているうちに、ハルカが復活した。またすたすたと歩き始める。
「マジっすかっ。せ、せめてダイコだけは持つっす!」
なんとかダイコだけは引き受け、陣痛で止まってはまた歩くを繰り返し、家までたどり着いた。
ハルカは宣言通り、本当にダイコを料理した。その後カナタと積み木遊びをしている最中、サナトが産婆を連れてきた。
やってきたサナトはハルカの旦那を呼ぶため、すぐにまた出て行った。ベスは産婆の言う通りに湯を沸かし、落ち着かない気持ちでカナタの遊び相手になったりしていた。
しかしハルカは余裕。産婆さんの診察を受け、皆一緒に晩御飯を食べ、カナタと風呂にまで入った。
「色々信じられねぇ」
風呂に入っている間、ベスはぐったりと居間の床に寝そべった。ハルカの家は出身の東の国にならって、タタミというものが敷かれている。そのため土足厳禁なものの、こうやって寝そべることが出来るのだ。
「まだ本番前に部外者のあんたが疲れてどうする」
「そうなんだけどよぉ」
くすくすと笑い混じりに産婆がベスに茶を差し出した。ベスは上半身を少し起こした、だらんとだらけたまま姿勢で受け取っものの、茶が喉を通らない。
妊婦とはもっと大事に大事にするものではないのだろうか。出産とは恐ろしく大変なことではないのか。なのにあの落ち着きよう。こっちが心配になってくる。
「ま、ここまでのんびりとした妊婦も珍しいからね。周りの方が気が気じゃないさね」
「だろ! ほんっと信じられねぇ」
産婆に肯定してもらい、少し気分が楽になったベスはぐいっと茶を流し込んだ。
「こんばんは。手伝いに来たよ」
「ハルカちゃん、生れるんだって?」
そこへ手伝いに近所のおばさんたちもやってきて、人が増えたことにより幾分か気が楽になった。
しかししばらくして、また心配になってきた。
「なんか、遅くないっすか」
「確かに時間がかかってはいるね」
中々風呂から出てこないハルカに産婆とヤキモキしていると、やっと出てきた。しかしちょっと顔が強張っている。額に滲む汗も風呂上りの汗ではなく、脂汗のような。
「大丈夫っすか?」
「……強いやつきた」
「本番だね」
マジかっ。どうする、どうする。
頭の中が真っ白のベスは右往左往。おばさんたちに邪魔だと言われ、産屋にしている寝室から追い出された。
「ハルカ!」
玄関の扉が勢いよく開き、ハルカの旦那が帰ってきた。その後ろからサナトも入ってくる。旦那だけ寝室に入ることを許され、サナトと二人だけ居間に残された。
寝室からはハルカを励ます産婆とおばさんの声。ハルカの唸り声が時々聞こえる。それが何時間も続いたのだが、ベスには何日にも及んだように思えた。
ただただ母子の無事を祈るしか出来ない。それだけの時間。とても座っていられず、ベスはうろうろと歩いていた。普段なら怒るサナトも、黙って腕組みをして突っ立っているだけだ。
やがて力のこもったハルカの叫び声が数回。
わあっという歓声と、歓声に負けない赤子の泣き声。
「う、産まれた……」
すとん、と力が抜けてベスはその場に尻餅を着いた。勝手に溢れた涙が滝のように頬を流れる。ついでに鼻水も盛大に垂れた。
「汚い」
「ぞんなごと言っでもよぉぉ」
短い一言と共にタオルが顔めがけて飛んできた。そのまま顔面で受け止め、チーン! と鼻をかむ。
「本当にありがとうございました。あの、良かったら抱いてやってください」
やっと涙が流れなくなったころ、赤ん坊を抱いた旦那がベスの前にやってきた。
「いいんすか?」
「ぜひ」
布にしっかりとくるまれた赤ん坊を恐る恐る腕に収める。首もすわっていない赤ん坊を抱くのは初めてで怖い。
腕の中の赤ん坊は、赤くてしわくちゃで小さくて頼りない。軽いのに、ずっしりとした、確かな命。
「すげぇ……」
それ以上の言葉が出てこず、代わりにまた涙と鼻水が出た。
数日後。ベスは旦那から家事代行を引き受けた。
遠い東の国から移住した夫妻には、頼れる両親が近くにいない。幸い、ベスは掃除洗濯、料理は一通りできる。それに加えてすぐに動こうとするハルカのお目付け役も兼ねていた。
一ケ月ほど家事代行をやり、さらに月日が経って。ハルカのお腹に三人目が出来た。
「この子が生まれるのはスイカの季節ね」
お腹をさするハルカの口から出た野菜の名に、ベスを含めて周囲は震えた。
生れるのがスイカの季節。
つまり、臨月で今度はスイカを持って帰る気満々なのでしたw