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『弟・異聞 』〜素に戻った五郎様と、時空を越えた共犯者たち〜  作者: 滝丸


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【天国コメディ編・第一話:花畑の先制攻撃 —— 再会は苦虫とノロケの味】

「……五郎様、こちらですよ。……五郎様」


懐かしい白檀の香りと共に、耳元で囁くお愛の優しい声が聞こえた。

五郎は、深く長い眠りからようやく覚めるように、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

(……ああ、終わったんだな。俺の、『家康』としての人生も。……お愛、今行くよ)


視界に飛び込んできたのは、見たこともないほど鮮やかに咲き乱れる花畑だった。

立ち上がってみると、足取りは驚くほど軽い。長年、五郎を苛み続けてきた腰の重みも、肉体に食い込んでいた鎧の重圧も、霧が晴れるように消え去っていた。


だが、光り輝く花道の先に、待っていたのは愛しい妻……ではなかった。

そこには、具足をきっちりと着込み、世界で一番苦いものを噛み潰したような顔をした男が、腕を組んで立っていた。石川数正である。


「……数正。……なんでお前が最初にいるんだよ。俺はお愛を探してるんだ」

五郎があきれたように突っ込むと、数正は眉間に深い皺を刻み、ひどく不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「……フン。遅い。遅すぎますぞ、五郎殿。貴殿を待つために、ここにある花の種類を三周も数え終わってしまいましたわ」

「いや、俺だって必死に天下を守ってたんだよ! ……というか、お前、その顔……本当は俺に会えて嬉しいだろ?」

「断じて」

数正は即座に顔を背けた。

「断じて、そのような腑抜けた感傷は持ち合わせておりませぬ。さあ、とっとと進みなされ。先で『お気楽な方々』がお待ちです」

耳まで真っ赤に染めた数正は、ツンデレの極致のような仕草で花畑の奥を指差した。



促されるまま花畑をさらに進むと、どこからか楽しげな笑い声と、三味線の音が風に乗って聞こえてきた。

そこには、三方ヶ原で散ったはずの兄・家康がいた。見たこともないようなデレデレの笑顔を浮かべ、一人の少女の膝枕でくつろいでいる。

「あははは! 瀬名、そこはくすぐったいってば!」

「もう、殿ったら。じっとしていてくださいませ」


五郎は自分の目を疑った。本編では「般若」のような凄絶な表情で家康を追い詰めていたあの瀬名が、今はまるで春の陽だまりのような、可憐で可愛らしい少女の姿に戻っている。二人の周りには、もはや物理的にピンク色のオーラが漂っているようだった。


「……あ、兄上。……瀬名様?」

五郎がおずおずと声をかけると、家康は薄目を開けてこちらを見た。

「あ。おー、五郎か。やっと来たか。……っていうか、お前、誰だよ。老けすぎだろ、おじいちゃんじゃん」

「絶句。おじいちゃんって……! 誰のせいで、俺がこんなに苦労して七十五まで生きる羽目になったと思ってるんですか!」

「あらあら、五郎ちゃん」

瀬名がクスクスと鈴を転がすように笑った。

「本当にすっかりおじいさまになっちゃって。あんなに可愛かった弟くんが、今や殿より年上に見えるわ。……ちょっと遅すぎよ、待ちくたびれちゃった」

「瀬名様まで……! ……というか、お二人とも、ラブラブすぎませんか? 本編のアレは何だったんですか!?」

「あー、あれは『器』としての役目だからね。ここでは名前も身分も関係ないんだよ」

家康は事もなげに言うと、ひらひらと手を振った。

「ほら、五郎も早く行きな。お前の『本命』が、その先で白檀を焚いて待ってるぞ」

そう言うなり、家康は再び瀬名の膝に頭を預け、幸せそうに鼻歌を歌い始めた。



背後で繰り広げられる兄夫妻の「いちゃつき」をこれ以上見ていられず、五郎は足早に花畑の深奥へと踏み出した。

数正の小言も、兄の身勝手なツッコミも、もう耳には入らない。

風に乗って、懐かしい、けれど今の五郎にはどんな薬草よりも効く、あの香りが漂ってきた。

「お愛……」

ようやく、ようやく、会える。


徳川家康という仮面を脱ぎ捨てた、ただの「五郎」の顔で、彼は愛する人の姿を求めて駆け出した。

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