第十四話 迅の盃
「まあ、呑め」
テムより差し出された盃を両手で受け、そのまま一息に飲み干した。
「ほう、良い飲み振りだ」
こちらを見ていた守鬼が言う。その手元には並々と注がれた盃がある。
「であろう。相変わらず、良い女だ」
洞穴にはテムと守鬼と私しかいない。他の兵は外で待機している。
「予期はしていたが、ここまでの激しい戦になるとは」
「少しは俺たちのことを信頼してくれるようになったか?」
守鬼の言にテムが返す。
「ああ、事実として銀狼の力がなければここまで持たなかっただろう」
「それは良かった。俺たちも、お前の力が必要であったのだ」
テムは満足気に述べると、私に向き直った。
「ここに呼んだ理由はもう分かっているだろう。在真シウミについてだ」
在真シウミ、その言葉に背筋を正す。
「敵軍が山の中腹にて陣を構えたまま動かなかったことは訊いているな?」
「はい、伺っております」
「遂に動いたぞ。それも二手に分かれてだ」
「二手……?」
「敵軍八千の内、およそ五千は山を降り始めた。一方、残りの三千は登ってくる」
「なんと」
合理的には理解ができない事態である。
山を降りる集団と登る集団。八千の軍勢が、敵地のど真ん中で分裂することは、例え奇襲を狙いにいっても見透かされるだけだろう。
つまり、この状態はどちらかと言えば、敵への陽動などではなく、
「仲間割れ、でないかと俺と守鬼は考えている」
「はい」
一軍が進攻も退却もせずに一か所に留まり続ける内情を考えても、敵首脳部内で対立が発生したことが予想される。
「奴らの一挙手一投足は監視している。そして無論、進攻してくる三千の側にシウミがいることも確認している」
ここでテムは酒をぐいと呷った。
「俺たちは奴らが優雅に腰を落ち着けているときに罠を張った。とびきりのものだ
巨大な丸太と岩石が三千の敵を圧し潰すだろう」
「――では、私の役目は?」
「分かっているだろう? 常なる兵はこの罠と、その後の化者の総攻撃で止まる。
敵に中に数名いる大美貴も、鬼熊が止めてくれる」
ちらりと、テムは守鬼を見た。守鬼の目は据わったままで、一口、酒で唇を濡らし、述べた。
「我が一族も半数以上は死ぬだろう。我も含め、一人も残らぬかもしれん。
だが、在真との戦で死ぬのであれば本望よ」
その言葉は重々しく腹に落ちる。
銀狼一族も、この戦にてどれほど死に、どれほど生きているのか。
「だが、そこまでしても在真シウミは止まらないだろうな」
話すを戻すように、テムはその名を改めて口にした。
「故に、この鬼熊の里で、俺たちが至美貴を迎え撃つ」
「――当初の予定通り、ということですね」
「ああ、違いは鬼熊だ。守鬼を除いて彼らには全員敵軍の抑えに行ってもらう。
だから、俺と守鬼、ミシュ、そしてお前の騎狼隊で戦うことになる」
「承知いたしました」
「ふん、決意を新たにした顔もまた美しい、良い女よ。
暫く気も休まらぬ野宿をしていたのだろう。
来るべき時がくるまでは、たっぷりと飯を食って休むよう、部下にも伝えてくれ」
「有難き言葉です。――テム」
「どうした?」
「ついに来ましたね。この時が」
万感の思いの吐露に、主もまた口を微かに歪めた。
肉を喰らい、休息を取った後、テムは私を戦場を確認できる場所へと連れて行った。
そこは山を一望できる高台が築かれている場所である。
高台には葉がかぶせられ、周囲からはそれと分からない構造になっている。
供回りはアチェと私の数名の部下である。全員が騎白狼に騎乗している。
眼下を見ると、山を登る敵影が見えた。在真を示す朱に統一された鎧は、緑溢れる山にあってよく識別できる。
同時に物影に潜む仲間たちもいた。彼らは敵の進行方向に潜んでおり、部隊をごとに巨木を切った丸太や、石を詰め込んだ袋、岩を落とす担当を担っている。弓を構えている者たちもいる。
「味方はおよそ七百程度。大分減ったが、今の俺らの全兵力だ」
味方の兵の中には銀狼も混じっている。他の兵と一線を画す白の鎧は、在真の朱と同様に、容易にそれと分かる。
誰も彼もが傷つき、死地を潜り抜けてきた雰囲気を纏っている。
ふと、一人の銀狼がこちらに気づき、頭を下げて一礼をした。
以前、他の化者と川の利権争いをしていた、若者の銀狼である。
これからやることは、普段、私の部隊が行っていることと変わらない。
死角から急襲して、敵が混乱の渦に飲まれているままに勝利を勝ち取るのである。
違ことは、実際に突撃するは騎狼隊ではなく、岩や丸太、矢であり、対象の敵数が比較にならなく大規模なこと、そして、在真シウミを筆頭として上級の美貴がごろごろといることである。
掌に汗をかいた。
自らが実行するのではなく、見守ることは、これほどに緊張することであるのか。
薄氷の上、とテムは言った。
ここまでは渡り切ったが、それでも一方間違えれば終わりはすぐに追いついてくる。
敵も警戒している。
だが、その足取りは不自然なほどに急いているようで、十全な確認はできていない。
「これはいけるな」
テムの言葉に頷いた。
確信が現実に変わったのは、落とし転がした岩や巨木が、見事に敵に命中した時である。
其処かしこから砂煙があがる。
一見して強烈な衝撃に襲われた敵のただ中に放たれる矢に混じって、ひと際巨大な味方が敵に突撃するのを見た。鬼熊である。
「ここは決着がついたな。
兵らは役目を果たした。恐らくあと数刻もあれば敵は退却するだろう」
「ただ、在真シウミは諦めません」
「そうだ。奴はただ一人となっても、攻めてくるだろう。
いくぞミシュ。それを止めるのは俺たちの役目だ」
撃退に成功したとの報が来たのは、想定通り数刻の後であった。




