3章-深夜の密談④-
しんみりとした空気にはなってしまったが、仕事として話をするべきことは全て片付いた。
「ねえアキト。よければ少しお酒なんてどう?」
「また唐突だな」
「いいじゃないたまには。アタシはともかくアンタは第七人工島出てからまともに休みだってとってないんでしょ?」
「……ラムダか」
「ご想像にお任せするわ」
最終的にアンナの提案にアキトは首を縦に振った。ほぼ休みなく働き続けていることを気遣われたと察したのだろう。
アキト・ミツルギという人間は、長い付き合いの友人の好意を無碍にするような男ではない。
艦長室で飲むわけにもいかないと隣接するアキトの私室に移動したふたり。
待ってましたとばかりに最初から持って来ていた小さなカバンから数種類の酒の小瓶を取り出したアンナにアキトがなんとも言えない目を向けてきたが、気にせずにそれらをテーブルに並べ、コップも用意してしまう。
そんなアンナに諦めがついたのかアキトもちょっとした軽食をテーブルに手早く並べ、テーブルを挟んで座り合ったふたりによる小さな酒盛りが始まった。
「にしても、意外と片付いてるのね。もっと散らかってるのかと思ってた」
アキトという男はしっかりしているように見えて、意外とずぼらなところがある。
特にプライベートにおいてその傾向は顕著で、学生時代から私室はそこそこ散らかっていることが多かったのだが、この私室はそうでもなく片付けられているようだった。
「もしかして、誰か連れ込んでたりするの?」
からかい交じりにそう口にしたアンナだが、正直ただの冗談だった。
ルックスとスペックの高さから大層女性人気のあるアキトだが、本人はその辺りに猛烈に鈍い。
そんな彼なので夜な夜な誰かを連れ込むなどということはまずあり得ない。
仮にそんなことが起きていようものなら、アンナはまずアキトの体調不良か天変地異の前触れを疑う。
「ああ。まあな」
だからこそアキトの返答を聞いて盛大にむせたのは仕方がないことだ。
突然むせたアンナを心配する声をスルーして、テーブルに力強く両手をついたアンナは前のめりにアキトに迫る。
「誰!? 誰連れ込んでるの!? アタシの知ってる子!?」
「あ、アンナ、どうしてそんなに驚くんだ?」
「驚くに決まってるでしょ!? 鈍さここに極まれりってくらいのアンタが部屋に人を連れ込むとか!」
「たった今お前も連れ込まれてるじゃねえか!」
アンナの勢いに引っ張られたのかアキトの口調が学生時代のものに近くなっているが、そんなこと今は大した問題ではない。一番気になるのは誰を連れ込んでいるのかだ。
「あと、何か勘違いしてるようだが女性を連れ込んでるわけじゃねえからな!?」
「でも部屋を片付けてるってことはラムダとかじゃないでしょ? ってことはまさか男の子に手を……」
「違う! イースタルだイースタル!」
「…………え? シオン?」
ヒートアップしていた会話は、アキトの返答によって急激に沈静化した。
「時間ができたときに人外社会講座と銘打って《異界》や人外について話を聞いてるんだ」
「あ、さっきの地図とかも?」
「ああ」
勝手に盛り上がってすぐに落ち着いたアンナを呆れたような顔で見ながら酒を口にするアキト。
女性を連れ込んでいたわけではないのはわかったが、シオンを――立場のややこしい魔法使いかつ見た目小綺麗な未成年の少年を私室に連れ込んでいるというのは、それはそれでバレたら面倒な気がする。
「というか、イースタルから聞いてなかったのか?」
「いや、初耳ね」
「そうなのか、お前になら話してるんじゃないかと思ってたんだが」
アンナにも話していなかったあたり、シオンは正しく情報が漏れた場合の面倒さを理解しているのだろう。
アキトのほうはおそらく私室に連れ込むことについては何も気にしていないと見た。
「(話す相手は少ないほどいいもんね……)」
「アンナ、どうかしたか?」
「なんでもないわ。あの子のことだしうっかり話してなかっただけとかよ多分」
細かく説明するのが面倒だったのでアンナは適当に濁すことにした。
さらに、不審がられないようにさっさと話題を別のものにすり替えてしまう。
「それで? シオンとは上手くやれてるの?」
「上手いの基準は知らねえけど、悪くはないんじゃないか?」
むしろかなり仲がいいようにもアンナには見えているが、外野からそう見えていると言ってしまうと距離を置こうとするかもしれない。
周囲の人類軍から見てふたりが親密すぎることはよろしくないので仕方がないとは思うのだが、まだブレーキをかけるタイミングではないだろう。
アンナ個人としては彼らには仲良くなってもらいたいし、多分そうなれるだろうという確信がある。
「まあ細かく考えなくてもどうとでもなると思うわよ。あの子、アンタみたいなタイプ結構好きだろうから」
シオンはアンナや十三技班の面々のような、感情豊かな人間と相性が良い。
アキトは普段ポーカーフェイスでそういった印象を受けにくいが、それは艦長として意識しているものにすぎない。
少し荒っぽい口調にも現れているように、素の性格はなかなか感情的でもあるのだ。
今の時点でそのことにシオンが気づいているかは定かではないが、自ずと気づくだろう。
「むしろ、二か月そこいらの割には懐いてる感じがしてちょっとムカつく」
「ムカつくってお前……」
「アタシですらあれくらいになるまで一年はかかったのよ?」
士官学校に入学して一年目のシオンは、周囲を寄せ付けないわけではなかったが明らかに壁があった。
アンナやギルですらそれを崩すのに一年近くかかったというのに、この男は二か月ほどでここまで来ているのだ。
ハルマとナツミという知人の兄だから、というアドバンテージはあるのだろうが、それでも少し面白くない。
鼻息荒く機嫌を損ねるアンナに対してアキトは困りつつも小さく笑う。
「まあ、あいつが懐いてくれてるなら悪い気はしねえな」
「あら、そうなの?」
「まだまだ底が見えねえし目を離すと何かやらかすしで困ったガキではあるんだが、だからこそ放っておけないっつーか」
「なんだか兄の目線よね、それ」
「……ああ。そういや家の弟も妹も手がかからなかったからな」
"馬鹿な子ほどかわいい"ではないが、手がかかる相手のほうが面倒見のいいアキトには構いがいがあるということなのかもしれない。
「とはいえ、まだまだ頼られるにはほど遠いんだろうけどな」
「そこは……アタシも似たようなもんよ」
シオンから信用されている自信はある。信頼も全くされていないわけではないとわかってはいる。
だが、近頃のシオンはアンナに対しても頼るということをあまりしなくなった。
アンノウンや人外に関連する事柄で、シオンがアンナやアキトに頼れることはない。
知識の量にしろ対処する力にしろ、誰よりもシオンが持ち合わせているのだから当然だ。
それは仕方がないことなのだと理解しつつも、成人済みの大人たちが十六にもならない子供に多くのことを押し付けて守られているだけであるというのは、情けのないことだと思う。
「さっき言ってた、人外社会講座、だっけ? アタシも参加しようかしら」
「いいんじゃないか? イースタルに聞いておく」
きっと多少話を聞いた程度では焼け石に水程度のものにしかならないだろうが、それでも少しでも知識は欲しい。
「(少しくらい、アタシたちにも任せてもらわないとね)」
その重荷はそもそも自分たち大人が押し付けたものなのだとわかっている。だとしても、少しでもシオンの負担を減らしたい。
そんな今更な願いを、アンナは少し苦い酒と一緒に飲み干した。




