第一話 汝が死を想え
帝都カエレルム。
大陸最大の都市にしてカエレスティス神聖帝国の首都にして、竜素と竜骨により栄えるこの世界の中心にして――歪みの根源だ。
今日もその巨大都市の下層外縁に位置する竜狩り特区の日当たりは最悪だった。
吹き溜まる湿度を孕んだ風が、悪臭を鼻へ運ぶ。
付け焼き刃の修理で無理矢理動かしている中型騎で門を潜る。
門と言っても門扉は無く、ましてや門衛などいようはずもない。
ここには帝国にとって守るべきものなど、何一つ無いのだから。
舗装されていない土の道路は日当たりの悪さに加え、水捌けが悪いのもあって常にぬかるんでいて足を取られる。
人の足であってもそうなのだから、そこを竜騎で歩くとなれば尚更だ。
山林を行くよりもなお慎重な足取りで進まざるを得ない。
その足元を裸足の子供達が駆け抜けてレグナは肝を冷やす。
道ゆく人々の割合は顕著に女に偏っている。
男共は皆、強制的に竜狩りにされるため日中は猟場にいるか、あるいは死んだかだ。
「おいおいレグナ。お前さんほどの竜狩りが走竜の駆除なんぞで中型騎をやられちまったのか?」
格納庫——と呼ぶのも憚られるような作業小屋はしかし、それでも特区では一番大きな建物だ。
声の主は筋骨隆々の体に虎髭。失った前髪を惜しむかのように襟足を伸ばした大男だった。
男の名はユーリ。
アタランテに生まれながらその技術を認められ、狩人の任を免除されて竜機技師になった男だ。
ユーリは何も言い返さないレグナの後ろをトボトボと歩く小型騎の乗り手に気づく。
「……そういう事か。ったく、相変わらず新米に甘いな」
狩ってきた走竜の死体を下ろしてから騎体を降りると、ナトラもそれに続く。
帰り道、川に寄って洗った服がまだ乾き切っていないのを悟られぬよう、ナトラは隠れるようにレグナの背後に回った。
「……死なれたら寝付きが悪い。修理と……竜の解体も任せていいか?」
「ああ。ま、五体満足で帰って来ただけでも御の字だわな。とっととそのガキを休ませてやんな」
「悪いな。行くぞ」
ナトラはユーリにぺこりとお辞儀をしてから、小走りでレグナの後を追った。
「そのまま宿舎に帰るか?」
「えっ! ご飯奢ってくれるんじゃなかったんですか!?」
「……下着も穿かずにか?」
そう言われて、洗って絞ったままポケットに突っ込んだままの下着の存在を思い出したナトラは生乾きのズボンを押さえると、カニ歩きでレグナから距離を取る。
「先に食堂に行ってるから、穿いてから来い」
その言葉にパッと顔を輝かせると、
「分かりました! 最大速力で向かうので、待っててくださいよ!」
明るい声を残してその場を走り去った。
レグナはその背中を見送ってから小さく肩を窄めると、食堂への道を歩き出す。
「おや、レグナじゃないか。今日は新人の……アトラだったかの初陣じゃなかったかい? あんたの事だから死なせちゃいないだろうけど無事なんだろうね」
痩せぎすな老婆が厨房から顔を覗かせてレグナに声を掛ける。
夕食どきにはまだ早いためか、他に客の姿は見えない。
「ナトラだ、女将。無事だよ。少しばかり痛い目は見たけどな」
「ハッハッハ。初陣で火傷した子の方が長生きするもんさ」
女将はその細い体のどこから出ているのかというほど大きく響く声で笑う。
微かに表情を曇らせたレグナに対し、女将は小さく咳払いをしてから訊ねる。
「で、注文は?」
「ああ悪い、あいつが来てから聞いてくれ」
「そうかい。茶は?」
「やめとくよ」
茶、というのは女将が仕込んでいる密造酒の隠語だ。
特区にも酒は卸されるが、酒を造った副産物の搾りかすと言ったような代物で、味の酷い酔うためだけにあるような存在だ。
そこで女将が竜狩りに美味い酒を、と密造を始めたのが、かれこれ三十年も前だという。
清潔な水が手に入りづらい特区においては、それなりに度数の高い酒は嗜好品であると同時に”安全な飲み水”としての価値も持ち合わせていた。
それからというもの、特に危険な狩りに赴く際はこれを水筒に詰めて持ち込むのが多くの狩人にとって言わば儀式となっている。
「お待たせしました!」
テーブルについてしばらくすると、粗末な扉を勢いよく開いてナトラが飛び込んで来た。
「おう、遅かったな。……?」
先程まで来ていた操縦士服から、布は粗末だが白くヒラヒラとしたワンピースに変わっている。
特区では滅多に見掛けない形の服だ。
「こ……これは、まだ濡れてて気持ち悪かったので……」
怪訝な顔のレグナにジロジロと見られ、ナトラは求められてもない弁明を始める。
「それもそうか。ほら、好きなもんを頼め」
「いいんですか!?」
「約束だからな」
壁に貼られたメニューをキラキラとした目で見るナトラを傍目に、レグナはテーブルに頬杖をつく。
美味い物……と言っても特区で食えるものなんて知れてはいる。
だからこそ、食える内に食うべきだ。
ナトラはレグナの様子をチラチラと伺いながら二、三品を注文した。
程なくして料理が運ばれてくると、その目を輝かせる。
歯を剥いて固い竜の肉に齧り付くナトラを、つい今しがた死にかけたのに美味そうに食うものだと感心しながら眺める。
「先生もどうぞ、すっごい美味しいですよ」
視線に気づいたナトラが、肉の乗った皿をこちらへと押し出す。
「貰おうか。お前があんまり旨そうに食うから腹が減ってきた」
そう言ったレグナが肉を頬張ると、ナトラは嬉しそうに笑んだ。
「……次は、必ず先生の役に立ちます」
肉についた自らの歯形をじっと見ながら、ポツリと言う。
「教えたはずだ。まずは一年、生き延びることだけ考えろ」
「……私、もっとやれるって思ってた……。同期で、私が一番なんだって。それで、先生の右腕になって……」
ナトラの声に、少しずつ涙が混じる。
肉を口に運ぶ手が止まり、鼻を啜る音だけが食堂に響く。
レグナは掛けるべき言葉を見つけられず沈黙し、厨房では女将がやれやれとこちらを眺めている。
「——だからッ! 私強くなります!」
ナトラが突然、クワッと口を開けて肉に喰らいつく。
「んぐ……先生みたいに……ううん。先生より……強くなって! 先生の事も……むぐむぐ……守りますから!」
頬を流れた涙の跡も拭わず、口の周りを脂でギトギトにしながら肉を食うナトラを見て、レグナは小さく息を吐く。
「誰が誰を守るって?」
大きな手を頭に乗せられたナトラが、目をパチパチと瞬かせた。
今日は生き延びた。
けれど、明日はどうか分からない。
一月後、一年後など言うに及ばない。
どれだけ生き延びる術を伝えても、この身を挺して守っても、竜狩りは死ぬ。
レグナの目の前で、死んでいった。
今度は。
今度こそは。
そんな誓いは、いつも己を裏切った。
そして、自分だけは生き残った。
諦観がぬるりと心を塗り潰す。
それでも——
左手首の小さな鱗が少し熱を持った。




