プロローグ
はじめまして。白塔です。
本作は、医療従事者として「波形」「画像」「数値」と向き合ってきた視点を、異世界ファンタジーに落とし込んだ物語です。
主人公にあるのは、剣でも魔法でもなく、“観測する力”。
攻撃力ゼロの観測士が、誰にも見えない「深層異常」と向き合っていきます。
まずはプロローグです。
この世界が静かに壊れ始める、その最初の気配を感じていただければ嬉しいです。
最初に気づいたのは、“音”だった。
耳鳴りでもない。誰かの声でもない。
もっと深く、もっと奥。まるで水の底から響いてくるような、低く鈍い振動だった。
……ドクン。
……ドクン。
脈みたいだ。
けれど妙だった。人の心拍にしては、あまりにも遅すぎる。
巨大な何かが、眠ったまま呼吸しているような音。そんな馬鹿げた想像が、徹夜明けの鈍った頭に浮かんだ。
「……疲れてるな、俺」
俺は白衣のポケットからスマホを取り出した。
画面には、大学病院からの未読メッセージが並んでいる。
『解析まだ?』
『至急お願いします』
『今日中です』
今日中、と言われても、時計の表示はすでに午前二時を回っていた。世間一般で言えば、とっくに“今日”は終わっている時間だ。
研究室の蛍光灯だけが、白く机を照らしている。
カップ麺の空き容器。飲みかけの缶コーヒー。散らばった波形データ。エコー画像。SWE解析結果。心電図。
全部、“見えないもの”を見るための仕事だった。
誰かの痛み。誰かの異常。まだ症状にもなっていない、小さな違和感。
それを拾う。
それが俺の仕事だった。
……いや。
正確には、“だった”。
……ドクン。
まただ。
さっきより大きい。
俺は顔を上げた。
研究室の奥。超音波装置のモニターが、ひとりでに点灯していた。
「……は?」
誰も触っていない。電源も切ったはずだ。
なのに画面には、黒い背景を裂くように白いノイズが走っている。
ザザ……ッ。
乱れた波形。意味を持たないはずの白い線。その中心に、何かが映っていた。
「……塔?」
真っ白な、巨大な塔だった。
空を突き刺すほど高い。現実離れした建造物。けれど、どこかおかしい。
塔の表面が、ゆっくりと脈打っていた。
石でも金属でもない。まるで、生き物の皮膚みたいに。
……ドクン。
その瞬間、モニターの波形が大きく跳ねた。
ピーーーッ!!
心電図の停止音にも似た高音が、研究室に響き渡る。
「ッ……!?」
視界が白く弾けた。
床が消える。身体が沈む。落ちる。
深く、深く、深く。
まるで超音波が身体を貫通し、骨も血管も神経も、全部ばらばらに解析されていくみたいだった。
冷たい。暗い。息ができない。
耳の奥で、誰かの声がした。
『――観測して』
少女の声だった。
『まだ誰も、“深層異常”に気づいていない』
そこで、俺の意識は途切れた。
次に目を開けた時、俺は見知らぬ白い空の下にいた。
風が吹いている。
研究室の空調とはまるで違う、乾いた風。土と砂、それからどこか焦げたような匂いが混じっていた。
空は白かった。
雲が出ているわけじゃない。青空が霞んでいるわけでもない。最初からそういう色で塗り潰されているみたいに、空一面が薄く白んでいる。
そこから、灰のようなものがゆっくりと降っていた。
「……どこだ、ここ」
身体を起こすと、頭の奥に鈍い痛みが走った。
スマホは圏外。白衣は土まみれ。周囲には、石造りの建物が並んでいる。
どう考えても、研究室ではなかった。
いや、日本ですらない。
舗装とは呼べない荒れた道。窓の少ない家々。見たことのない文字が刻まれた看板。
そして何より奇妙だったのは、人々の顔だ。
生気がない。
誰も笑っていない。誰も怒っていない。誰も急いでいない。
ただ、うつむいたまま、決められた動作を繰り返す人形のように歩いている。足音も、車輪の軋む音も、布が風に揺れる音もあるのに、この町には妙な静けさが満ちていた。
まるで、内側から何かを“吸われている”みたいに。
そして。
町の中心には、あの塔があった。
「……嘘だろ」
モニターに映っていた、巨大なしろい塔。
空を突き刺すようにそびえ立ち、白い灰の降る町を見下ろしている。
近くで見ても、やはり建造物には見えなかった。町の中心に建てられているというより、町そのものがあの塔を中心に生かされている。そんな錯覚を覚える。
「……なんだよ、これ」
拉致。夢。幻覚。過労による意識障害。
考えられる可能性を順番に並べようとして、どれも目の前の光景を説明できないことに気づく。
その時だった。
ピシッ、と小さな音がした。
胸ポケットのあたりが、淡く光っている。
「今度は何だよ……」
恐る恐る手を入れると、指先に妙な感触が触れた。
柔らかい。温かい。しかも、ぷるぷるしている。
取り出したそれは、手のひらサイズの奇妙な生き物だった。
丸い。白い。ぷるぷるしている。
言ってしまえば、白玉団子に近い。ただし中央には、青い目のような模様がひとつ浮かんでいた。
「……え?」
俺が固まっていると、その生き物はこちらを見上げ、ぴこん、と小さく震えた。
『観測対象、確認』
「しゃべっ――」
声が出る前に、頭の中へ直接言葉が響いた。
『初期観測精霊、起動します』
「……は?」
理解が追いつかない。
異世界っぽい町。しろい塔。灰の降る空。そして、胸ポケットから出てきた謎のぷるぷる生物。
徹夜明けの脳に処理させる情報量ではない。
だが、ソノンと名乗ったそれは、俺の混乱などお構いなしに、青い目をゆっくりと町の中心へ向けた。
『警告』
その声色が、ほんのわずかに硬くなる。
『この町全域に、“深層異常”を検知』
瞬間、俺の視界が変わった。
「っ……!?」
青白い波が、視界いっぱいに広がる。
それは光ではなかった。煙でも、魔力でもない。もっと情報に近いものだった。
人々の身体の奥。町の地下。石畳の隙間。建物の壁。そして、しろい塔の内部。
本来なら見えるはずのない“流れ”が、俺の目の前に浮かび上がっていた。
脈動。ノイズ。歪み。途切れかけた波形。
そのすべてが、塔へと向かって集まっている。
黒く濁った巨大な異常波形が、町全体を覆い尽くしていた。
……ドクン。
塔が脈打つ。
その音を聞いた瞬間、俺は理解してしまった。
医学的な根拠があるわけじゃない。解析結果が出たわけでもない。
けれど、長年“異常の兆候”だけを拾い続けてきた感覚が、全身に警鐘を鳴らしていた。
この町は、おかしい。
いや、この町だけじゃない。
この世界そのものが、静かに壊れている。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
このプロローグでは、本作の核となる「観測」と「深層異常」の気配を描きました。
剣で戦うわけでも、魔法で圧倒するわけでもない。
ただ、誰も気づかない小さな違和感を見つける。
そんな力が、異世界でどこまで通用するのか。
そして、観測することは本当に世界を救うことになるのか。
次話から、物語は「しろい塔の町」へと進んでいきます。
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