タイトル未定2026/05/10 14:54
第五章~…イレス、お兄ちゃん…?~
タルファームを出発した二日後、二人は無事にユニス王都へ到着した。
「タルファームと比べると、やっぱり活気がないわね」
「ま、そこは仕方ない」
今いるのは噴水広場。時間的にはまだ夕食を少し回ったぐらいだ。噴水は止められており、静寂が支配していた。所々の店は明かりを漏らしているが、それ以外に明かりは無い。街灯もいくつか設置されているものの、それらも光を点していなかった。
噴水にしても、街灯にしても魔道士が魔力を込めて水を出したり光らせるものだ。そうした人材が不足しているため、対応し切れていないのだろう。
「さて、城までもう少しだ」
「うん」
アルフに頷き、二人は歩き始めた。
ユニス王城に到着すると、こちらも静寂に満ちていた。二人が門に近づくと、門番は敬礼して二人を招き入れた。
一階と前庭部分は一般の人でも自由に出入りができる。よほどのことが無い限りは入城お断りとはならない。理由としては、城本館の一階には、この町の役所としての機能が押し込まれており、冒険者協会もその一角にあるためである。
二人は協会の受付に赴くと、ラミアは急に寂しそうな表情となった。
「? ああ、そうだったな……」
ここではかつて、ラミアの母が働いていた。ラミアが来たときには大体母が受付にいたため、懐かしさと共に悲しさがこみ上げてきたようだった。
強く生きる、と間際に約束はしたものの。こうして思い出が深い場所は、やはり寂しさが混み上がってくるのだろう。
そんなことを知らぬか気にしていないのか、受付が気さくに声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。こちらは冒険者協会の受付となります。ご用件は何でしょうか?」
「ああ、デニアス王国タルファームの冒険者協会から手紙を預かってきててね。……ラミア」
「ん、……これをどうぞ」
ラミアは荷物から書簡を取り出し、それを手渡した。
受付は封を確認し、それを切る。そして手紙を広げ、内容を確認し始めた。
「分かりました。お疲れさまです。そちらのベンチでしばらくお待ちください。ホリー様に面会ができるかどうかお尋ねしてきます」
受付は軽く会釈をして、奥へと行ってしまった。
「ここは、お母さんとの思い出が少しあるかな。思い出したら少し寂しくなったけど、……うん、大丈夫」
「そっか」
思い出が深い場所だからこそ、ラミアは避けるのではなく、受け入れる方を選ぶ。寂しがっても、悲しんでも母は故人であり、帰っては来ないのだから。
二人並んでベンチに座り、結果を待つことになった。そしてややあってから、受付の奥が少し騒がしくなった。
「ああ、ホリー様、こんな場所までお出迎えしなくてもっ」
「うるさい! これは我が二人を迎えなくてはならぬのだ!」
ああ、騒がしいのが来た、と二人は同時につぶやき、同時に吹き出した。先ほどまでのしんみりした空気は、見事に吹き飛ばされた。
「姉よ! ようこそだ! 積もる話もあるがまずは我の部屋に来てくれっ!」
と、やたらテンションの高い弟が登場したのだった。
ホリー・スナー。もうすぐ誕生日を迎える一三歳。幼いながらも中性的で整った顔で、紫色の目と髪色はラミアや父と同じ。背丈は既にラミアを抜いている。真っ白なローブに身を包んでいるため解らないが、実際は結構な筋肉質である。宮廷魔導師としての道を進み、様々な学問にも精通しており、特に今は魔導の力を物理的な力へと変換し、応用する技術を研究している。これは後世に魔導工学という分野として確立する、はじめの一歩だった。そしてそればかりではなく、スナー流の剣技も奥伝を越えル実力も兼ね揃えているのだ。まさに文武両道だ。
そうした天才的な一面を見せる一方、その口調は芝居が掛かっている。しかも悪い方向に。
「まずは二人ともお帰りなさい、だ。無事にその顔を見られて我はうれしいぞ」
「王子に向かって何様口調よ」
ラミアは呆れながらホリーにツッコミを入れる。
「我と王子と王の仲だ。これしきのことでいちいち目くじらを立てるわけが無い! ……ですよね?」
「素に戻って確認するなら最初からすんな」
言い切ってからすぐ心配になって尋ねるホリーと、それにツッコミを入れるラミア。
「まあ、その辺りについては大丈夫。俺ら結構賑やかな方が好きだからな」
「……そう言ってもらえれば、我はこれを崩すことは無いだろう!」
アルフのその言葉に、ホリーはすぐにうるさくなった。
「あーあ、私は責任とれないからね?」
ラミアは諸手を挙げ、いつもよりも余計にテンションの高いホリーに、溜息を贈るのだった。
彼の態度は、いわゆる厨二病だ。語源は不明だし、実際に病気という訳でもない。闇とか悪とかそうしたものに憧れなりきってしまい、言葉遣いもそれに合わせてしまうものだ。数年後、振り返って余りの恥ずかしさに悶絶する未来が見て取れるな、と、ラミアは浮かれるホリーの背中を見ながら、そう思ってしまうのだった。
その後、ホリーは二人を自分の研究室へと案内した。そこには様々な研究用器材、たとえばアルケミストが薬剤を調合するためのガラス管が張り巡らされた装置や、それらに繋がるように設置され中に資材を入れる扉が付いたものなど、そんな器材が所狭しと並んでいた。二人は、何に使うものなのかなんて理解すら出来ない。
ラミアは、ここに入るのは初めてだった。
「これは、……すごいわね」
こうした実験器材を見るのが初めてのラミアは、それしか言葉が出なかった。
「こればかりは、本当に王には感謝しかない。限りある国家予算を我のためにつぎ込んでいただいているのだ。必ず結果は残さないと、だな」
ホリーは笑顔で答えた。
丸形フラスコを取り出し、水の魔法を使って軽くゆすいでから、半分ほど水を注いで穴の空いた台に置く。そして炎の魔法を使って獣油式のランプに火を灯し、それをフラスコの下へと入れた。何やら実験の途中だったのだろうか。
「手紙にもあるとおり、これがその魔導石と魔石。あと即興で魔法を一つ編んだのだけど」
ラミアはそのときの呪文をホリーに教えた。ホリーは教えられた魔法を早速使い、魔導石を軽く
調査した。
「ふむふむ、なるほど。これはまた面白い魔法だ。魔力の繊細な動きを解析し、どのような事変が
起こるかを感知するとは。王には悪いが、ラボの半分以上の器材がいらなくなるぞ、これは」
ホリーは目を見開き、魔法の有用性を語って聞かせた。
「感謝だ。この二種類の魔導石と魔石、しっかりと調べておこう」
ホリーは魔石類を袋ごと受け取った。
「それにしてもホリー、やけにテンション高いけど、何かあったの?」
ラミアがそう尋ねると、ホリーは途端に静かになった。
「え、いやその……」
ホリーは手を組んでもじもじし始めた。思ったのとは違う反応を示すホリーに、ラミアもアルフも困惑した。そしてややあってから、ホリーは小さな声で話し始めた。
「実は我、……アリーナと付き合い始めた」
それはなかなか嬉しい報告だった。
元々、脈ありだとラミアは考えていた。
彼がこんな面白おかしいものを患ってしまったのはアリーナのせいであるし、当のアリーナも彼のことが好きだと自覚したのは、ラミアの何気ない一言からだ。
「ひゅーひゅーっ」
ラミアが茶化し始める。
「そ、そういう姉こそ付き合っているんだろ、この王子とっ」
「う、……まあね」
ラミアは思わぬ反撃を受け、赤面する。そして二人して沈黙する。コポコポと、フラスコ内の水が沸騰する音が、その場を支配していた。
アリーナ・スニラフスカヤ。ラミアが以前、一月の間住み込みで働いていた宿酒場の一人娘であり、宿の看板娘でもある。ラミアが働きはじめる以前より彼女がホリーに対する想いは周囲にダダ漏れで、酒場の常連達は皆、陰ながら応援していたという。
最初は、料理の勉強を兼ねて、城勤めの父へお弁当を届けるようにと、母から言われて始めたことだった。城に弁当を届けた初日に、スナー家も王城で住み込みでいることを知り、そしてホリーとの久々の再会も果たした。そこでアリーナが父に弁当を持ってきていることを聞いて、ホリーは自分も食べたい等と言ってしまったことから、アリーナは二人分の弁当を作るようになった。
最初ごろはアンナには内緒で作っていたつもりだったのだが、実のところ即日バレていた。アンナはそれを止めるような無粋なことはせず、むしろ他の人にも食べて貰って料理の腕を鍛えなさいと、大義名分まで与えた。
そうした生活を続けているうちに、「ホリーちゃんは美味しく食べてくれた」、「ホリーちゃんはこういうものが好みだ」、「ホリーちゃんはこういうことを研究している」、など、気がつけばホリーの話ばっかりするようになっていた。宿の常連達はいち早くアリーナの気持ちに気づき、ひっそりと応援していたのだが、ユニスに来たばかりで色々事情を知らないラミアが、彼のことが好きなんじゃ、とツッコミを入れたところ、アリーナは自身の気持ちにようやく気づいた、というのが大まかな経緯だ。
自分の気持ちに気づいたアリーナは、本人を目の前にして照れてしまいうまく言葉が出なくなった時期がある。それに対しホリーも何か思うことがあったのか、アリーナがよそよそしい、自分が何かしたのでは、と心配していた。
その後、ラミアとアルフを取り巻く事件が起こる。色々あって事件は解決したが、この時にホリーとラミアは母を喪った。ラミアは強く生きると死に際の母の笑顔に誓い、ホリーは自身の道を邁進すると墓標に誓い、今に至っている。
転機を迎えたのは、ラミアとアルフが旅に出た後日のことだった。
いつも通り、アリーナが弁当を届ける日々が戻ってきていた。しかし、アリーナが自覚してからは、会話もそこそこに目を合わさず帰る毎日だった。さすがにホリーは、アリーナを呼び止めたのだ。
「我、アリーナと話がしたい。……だめか?」
アリーナはうつむき顔を見せず、しかし首を振って答えた。
「駄目じゃ無いよっ、うん、駄目じゃない」
少し上擦った声に、アリーナは余計に顔を伏せてしまった。
二人ともやや沈黙したが、それを破ったのはホリーだった。
「最近、我のこと避けてるよな。……理由が聞きたい」
と、寂しさが溶け込んだような声が出た。ホリーは自分でもこの声に驚いたが、かまわず言葉を続ける。
「……もし、もし我のことを嫌っているのなら、もう弁当は良い。カイさんが仕事に出た後、どうして我なんかに弁当を作ってくれるのか。我は頼んだつもりじゃなかったし、強制もしていない。その……嬉しくはあるが」
ホリーは、自分の声が震えていることに気づいた。ここでアリーナを拒絶すれば、心に大穴が空く、そんな気がした。アリーナに避けられているようで、寂しかった。ただそれだけではないことに、ホリーは自分の心の中に生まれていた気持ちに、ようやく気付くことができた。
―――つらいなら、弁当は、もう良い。最初はそう言葉にしようとしていた。だが、口を開いたとき、彼は自分でも思ってもみない言葉が出てしまったのだ。
「だから、今まで通り話をしたい。僕はアリーナともっと話をしたい。話してくれないと寂しいんだ。……僕のことが嫌いになったんだったら、それでもいい。ただ、理由を、聞かせて欲しい」
アリーナは、ずっとうつむいたまま彼の話を聞いていたが、自分を飾らない『ホリー・スナー』の言葉を聞き、勇気を絞って顔を上げた。
彼女の顔はゆでだこ並に真っ赤で、しかし視線をホリーにちゃんと合わせた。
「だ、だって。ホリーちゃんの顔見るとこんな風になってっ。家に帰ってもホリーちゃんのことばっかり考えてるし、酒場でもホリーちゃんのことばっかり話してるってお客さんに言われるしっ、それにラミアお姉ちゃんに、……その」
「……姉に、何を言われたの?」
しばらく沈黙が訪れ、アリーナは勇気を振り絞る。
「ホリーちゃんのこと好きかって聞かれて、……自分の気持ちに気づけたの。……私はっ」
「ストップ」
ホリーも真っ赤な顔になって、アリーナの言葉を遮った。
うすうすは感じていた。どうして弁当を持ってきてくれているのか。おそらくアリーナには理解し辛いであろう、難解な研究関連の話ですら嬉しそうに聞いてくれていたこと。その他細かいところで、常にアリーナの姿が見えていた。
それを自惚れと同時に、そうであってほしいと考えたこともある。
いつ頃からなんて、もう思い出せないが、ホリーもアリーナのことをよく考えるようになっていた。
アリーナが避けるようになった原因は、単純に照れくさくなっただけだったようだ。それで安心できたと同時に、先ほど感じた気持ちに対し、ホリーは自分の気持ちを確信した。
「その先は、僕が言う。……僕は、アリーナのことが、好き、みたいだ」
その言葉を聞き、アリーナは目を見開き、次いで大粒の涙を流し始めた。
「ホリーちゃんっ、私も、私も、ホリーちゃんのことがすきっ!」
アリーナはホリーに飛び込み、大粒の涙を流しながら泣いた。
ややあって、アリーナが落ち着き、ぐすっと鼻を啜る。
「……ホントに、僕のことが好き? 普段アレだよ? 自分のこと我! とか言ってる痛い奴だぞ?」
そうした事は、ホリーは自覚している。それでも自分を貫き通している。理由はずっと分からないままだったが。
「知ってるし。それ、昔私がかっこいいって言っちゃったから始めたんだよね? 周りがはやし立てるから収拾が付かなくなって……」
ホリーは一瞬呆けたが、そのときの光景を思い出し、そして理由が分かって驚いた。
「え、マジで!?」
「どうしてホリーちゃんが驚くの!?」
「いや半分忘れてた。それに、だってさ、もしかしたらアリーナに言われなかったら、我こんな話し方を続けるつもりは……」
と、ホリーは急に顔を赤らめた。
「……どうやら先に好きになったのは、我かもしれない」
「そ、そんなこと無い。ホリーちゃんのこと気にしてなかったら、あのときかっこいいなんて言って無いっ」
二人そろって、どんどん恥ずかしい思い出をほじくり返すのだった。
「何はともあれ、……僕は、アリーナのことが好きだ。……付き合ってくれないか」
「うん、私もホリーちゃんのこと好き。だから、……その、お、おねがいします」
二人は両手を握り、アリーナは笑顔で答えるのだった。
ホリーは、馴れ初めを話してくれた。ただその後は、互いに恥ずかしがってなかなか進展はせず、今はまだ手を握るぐらいが限界と話す。その先に突き進んでしまっているラミアにとっては、初々しいなー、と思うのだった。
「その、我が話したってこと、アリーナには秘密にしておいてくれっ」
「はいはい分かったわよ」
と、ラミアはどこか嬉しそうに返事するのだった。なお、速攻でバレる未来が待ち受けているが、余談だ。
ホリーは席を離れ、棚に置いてある缶ケースを取り出す。そのままポンッと良い音を立てて、開封した。すると、部屋には馴染みのある香りが漂いはじめた。
「え?」
ホリーは缶の蓋に中身を適量取りだし、それを更に沸騰しているフラスコ内へと投入した。
「ちょ、まてまてまてまて。……ドラゴニア・ティー?」
「うむ。まあ、島で売っているくず物だが」
ラミア達の故郷の島で栽培されている、北に行けば行くほど高級品扱いされる茶葉だ。くず物は島の中だけで売られている、一部虫食いなどで形が悪い茶葉を集めたもので、格安で売られているものだ。
「じゃなくて、じゃなくてっ! 何で実験器材でお茶入れるとかっ! おかしいでしょ!?」
ホリーはきょとんと首をかしげる。
「そこにっ! ティーポットがあるでしょ! アレを使いなさいよ!!」
ラミアが指さした先に、普通にお茶を入れるためのポットがある。
「あれ直火で使えないでしょ」
「そうだけどっ、そおだけどっ!」
フラスコ内では、茶葉が踊りながら、お湯を赤色に染めていく。ついでにフラスコから吹き出る湯気が何気に良い香りだ。
ラミアが口をパクパクさせている中、ホリーはティーポット横からカップを取り出して並べ、そして別の器材を取り出す。漏斗と濾紙、そして漏斗を固定するためのフレーム。ここまですれば、もう何をするかは明らかだ。
ホリーは流れるようにそれらをセッティングし、フラスコを火から下ろす。ご丁寧に木製のはさみでフラスコを支持しながら。
呆れかえって何も言えないラミアの前で、フラスコから赤茶色になった液体を、ガラス管をつたうように漏斗へと移していく。濾紙で濾過された液体は、そのままティーカップへと注がれていった。
そして三つのカップがいっぱいになり、ちょうどフラスコも空となった。漏斗もちょうど茶葉で一杯になり、すべてが計算し尽くしたかのようだった。
そして。
ラミアは悔しそうに呟く。普通においしい、と。
三人でお茶を飲んでから、アルフが切り出した。
「さて、これからどうする? 手紙と例のブツはホリーに渡した。もう結構遅い時間だから宿も取れない。そしてラミアには自室が用意されている」
「ブツって……。つまりも何も、泊まっていけってことよね。別にそんな遠回しに言わなくても」
以前ラミアは、城の雰囲気が性に合わないという話をして、元職場のスニラフスキーの宿へと早々に戻っていた。その実、母の息づかいが所かしこに感じられたため、悲しくなりそうで飛び出した、というのが事の真相である。強く生きると誓っていても、脆いときは脆い。
今は、もうそこまで悲しみを覚えることはない。今回の旅の間に、ラミアは少しだけ強くなることが出来たのである。それに、弟だって辛いはずなのに、それを微塵も感じさせていない。負けてなんか、いられなかった。
「分かったわ。荷物も整理したいし。宿とは契約終わってるからお邪魔するのもアレだし。どのみち今から部屋取れるかも分からないし」
「では姉、気が済むまで泊まっていくが良い。なんならまた茶を馳走しよう」
と、ホリーは笑う。いつもの痛い発言とは裏腹に、邪気の無い素直な笑顔だった。
「だからあなたは一体何様なのよ」
「我様だ」
「…もはや意味不明」
ラミアは呆れて諸手を挙げてしまった。
しばらく見ないうちに、ホリーの破天荒さに磨きがかかっていたことに、ラミアは呆れかえってしまった。小さく溜息を零し、お休みと告げて部屋を後にするのだった。
アルフに案内された部屋は、スナー家にあてがわれている部屋の隣だった。なので、ひとまずスナー家の部屋を訪れることにした。
ラミアは部屋にいた父と再会した。父と娘である。微妙に話しづらい内容は躱しつつ、近況を報告した。躱したのだが、父がその話を正面から切り出してきたことに、ラミアは面食らった。
「まあ、俺も彼のことを認めているし、結婚してもいい年齢だ。だからそういった行為をしても俺は文句は言わない」
「うっ……」
ラミアは、背中に冷や汗が流れる感じがした。認めて貰っているのは良いが、どちらかといえば、これは忠告だろう。
「出来婚にでもなってみろ、色々大変だったんだぞ。冒険はそこで終わりになるし、どこに定住するかも考えなくちゃいけないし。あと向こうの両親になんて話をしようとか……」
父は一気にまくし立て、不意に言葉をつまらせた。ラミアの母は、父にとっては最愛の妻であり、長い間苦難の道を共に過ごしてきた仲である。二度の流産を乗り越え、二人の子供をもうけて。その後もユニス王国の占領と解放を夫婦で乗り越えた。ラミアが巻き込まれたあの事件も、マリアはもう二度と帰ることはないと知りながらも、覚悟を持って、止めることはせず送りだしたと、ラミアは聞いている。
愛しているからこそ、愛されているからこそ、妻の望みを叶えた。
最愛の人が亡くなって、一番悲しい思いをしているのは父である。
あの日から、まだ日は浅い。悲しくないなんて、そんなことがある訳がない。
「……お前はなるべく長生きしてくれ。スナーの呪いで孫の顔を見ることは敵わないかもしれない。でも、それでも。アゼナルフ王子や、いつか生まれるおまえらの子供のために、俺たちの孫のために。……何より、お前自身のために、な」
「……うん」
母と父が知り合ったのは、父が冒険者として旅をしているときのことだ。ある依頼を受け、アクエイスを訪れたときだった。母は、父に一目惚れした。そしてあの手この手を使って、彼の心を掴んだ。そして二人の間に子供ができたことで、冒険者を引退、ファーネル王夫妻と合同結婚式を挙げ、ユニスの近衛として勤務するようになった。その後二度にわたり、流産を繰り返し、その後もさまざまな事件や事故に巻き込まれ。しかしそれでも、母はそんな不運を蹴散らかすように、生きて、生き抜いた。
その生き様を、父は知っている。だから、ぎこちないながらも、笑顔だ。
改めて、ラミアはその笑顔に、そして父に誓うのだった。
ラミアは自室に入り、様子を確認する。
調度品も何も無い、こぢんまりとした部屋だ。大きなベッドが窓辺にあり、床頭台が有り、小さなタンスがある、ただそれだけだった。将来は、アルフとの夫婦の部屋となることも想定されている。
壁には何本かのくさびが打ち込まれており、ここに絵画などを飾るようになっていた。
ラミアは荷物を開封し、ジャマダハル≪漆黒≫をクロスさせ、そこに飾る。最初はアリアが使用し、母は闇に染まってしまったアリアから奪い去った。その後母は、自身が亡くなるまで愛用し続けた。遺品となり、一度はアリアに返却した。しかし彼女は改めてラミアへと贈り、名実ともにラミアのものとなった。
その横にも飾る場所はある。冒険者を引退したら≪雷帝≫やスナー流で使う短剣も並べて飾ろうなど、そんなことを考えたところで、我に返る。
「まるっきり武器コレクターじゃん、私」
自分でツッコミを入れつつ、結局どうしようかと悩む。
現在持っている武器は、ジャマダハル≪雷帝≫、水の聖霊剣、壊れた剣。壊れた剣は、いつかダミーの刃を入れ、ここに飾っておきたかった。古ぼけてはいるが、柄に刻まれる、風を彷彿とさせる見事なまでの装飾が、とても気に入っていたからである。
「……あれ?」
水の聖霊剣と並べてみて、装飾に似たような部分があることに今更気づく。そして、『案外、これが聖霊剣だったりしてね』、という言葉が脳裏をよぎった。これはアルフに向かって自分が発言した冗談だったが、もしかしたら本当にそうかもしれない、とラミアは考えを改める。
呪文を唱え、解析魔法を発動させる。
「イスカーチ・マギーチェスカヤ・シトーリバ」
こうして解析してみると、水の聖霊剣は、複雑に絡んだ旋律が美しい音楽を奏でるように、魔力が流れていた。対する壊れた短剣では、かつての『神の涙』の残滓が時折見えるだけで、それ以外は何も見えなかった。
魔法を停止し、ラミアは考えすぎかな、と思った。
使い物にならないし、かさばる荷物でしか無い。それでも、次の旅にも持って行こうと、そう考えてしまう。どうしてここまで愛着が出てしまったのか、不思議に思い苦笑した。
こんこんこんっ
ノックに気づいたラミアは短剣をタンスの上に置き、扉を開ける。そこには侍女がいた。彼女はワゴンに簡単な食事をのせ、運んできてくれていたのだ。
「メル?」
ふわっとした黒髪ロングは、所々跳ねている。ほんの少しだけくせ毛があるらしい。目の色は栗色で、瞳孔は縦に長い。ラミアよりほんの少しだけ背が高いぐらいで、世間的には背は低い方だろう。黒を基調とした侍女服に身を包んだ彼女は、柔らかく微笑んでいた。以前と比べると、血色も良くなっているし、少しふくよかになったような、そんな気がした。
「お姉ちゃんが先ほど戻られたとお聞きしまして。夕食がまだとも聞きましたので、用意してきました。是非食べてみてください」
と、彼女は屈託の無い笑顔で答えた。口ぶりからすると、彼女自ら作ってきたようだ。
メル。本名、メローディカ・アレクサンドローヴナ・カル=アストローヴァ。デリシア王国カル=アストロフ自治州、その自治州長の一人娘、だった。だが州都を襲った悲劇により、彼女は天涯孤独の身となってしまった。その後様々な運命といくばかの幸運が重なり、ユニス王家の養女となり、今に至る。書類上ではユニスの姫君ではあるのだが、表向きは王家の専属侍女となっている。実際に今はラミア専属の侍女である。ミリア王妃は、どちらかといえば後見人としてメルのことを見守っている、そんな感じでもあった。
なお、ラミア本人は旅に出てしまったため、これまで通りの仕事をそつなくこなしていたが。
「メルは食べたの?」
「はい、少しだけですが」
「…何で少しなの?」
「…お、オトメというものには少々事情がありまして」
と、少し恥ずかしげに答えるメルだった。
「ユニスのパティシエは優秀すぎるのがいけないんですっ」
なるほど、とラミアは妙に納得する。ふくよかに感じたのは、見間違えではなかった。
メルは、感情を取り戻した直後の数日は、やはり感情に振り回されてしまったそうだ。そんなタイミングで美味しいケーキなんてものを出されてしまったら、食べるしかないだろう。そんな感じで食欲の方に気が回ったことで、感情云々はすぐ落ち着きを見せたものの、結果としてウェスト周りが気になる事態に発展した、らしい。そんな話を、鈴が鳴るような、清楚で可愛らしい声で話してくれた。
ラミアは、食事をしながら今回の旅路について話をすることにした。
アルフがパルスの土地勘に明るく、宿を簡単に見つけられたこと、タルファームで顔に傷を負った女戦士と出会ったことなどだ。
そして話はアクエイスへと向かう道中の話になる。
メルはずっとにこやかに聞いていたが、ある男の名を聞いて、その笑顔を凍り付かせた。
「………え」
その様子に、ラミアも驚いてしまった。
「……メル?」
「えっと、その人の名前を、もう一度お願いします」
メルはいつの間にか立ち上がっており、必死な表情で、ラミアの両腕をがっしりと掴んでいた。その手にちょっと力が入りすぎており、ラミアは痛みを感じた。それでも、ラミアは無理に振り払うことはしない。メルの目は真剣だったからだ。
「えっと、イレスに、ガリエス」
「…イレス、お兄ちゃん…?」
そうつぶやいたメルは、明らかに動揺していた。
「その人のフルネーム、イレス・サンドラと話してませんでしたか?」
ラミアは、彼らの名字は正直うろ覚えである。そんな名字だったかな、という程度の認識だった。
「多分、そう、だと思う」
「えと、えと、それと、料理が上手でパン屋の息子とか、自慢してませんでしたか?」
こちらについては、彼は自信満々言っていた。それでどちらがうまく料理を作れるかなんて話にもつれていった訳だが。
「ええ、うん。言っていた」
ラミアは他にも彼の特徴を挙げていく。その反応を見て、確信を持てた。
「メルの、知り合い?」
こく、とメルは頷いた。その拍子に、涙がひとしずく落ちる。
「イレス、お兄ちゃん……、無事、だったんだ…、っ!」
そして感極まって、メルは声無く泣いた。
しばらくして、メルは落ち着きを取り戻す。そして、彼女は事情を話し始めた。
数年前のことだった。
ディトリア・クレール大陸にあるデリシア王国、その東側にカル=アストロフ自治州と呼ばれる、古い時代に龍族が拓いた一帯がある。その中心となっているのがカル=アストロフ市。自治州の中心地であり、州都とも呼ばれている。
自治州長は代々、町の名と同じくするカル=アストロフ家が受け継いでおり、民衆の言葉を気さくに聞き入れ、そして真剣に考えてくれる良き支配者だった。そのため民衆からの信頼も篤く、確かな絆を結んでいた。
メルは、そんな州長夫妻の間に生まれた一人娘だった。
彼女は、今よりもずっと快活で、周りからはお転婆娘とまで呼ばれるほどだったらしい。
当時、領主家に出入りのパン屋があり、ほぼ毎日パンを届けていた。メルが生まれてからは家族ぐるみの付き合いとなり、そのパン屋の息子を、一人っ子だったメルは兄のように慕っていた。
パン屋の名称はサンドラ亭、その息子の名を。
「それが、イレスお兄ちゃんです。私とは一回りは離れていました」
平和な毎日だった。イレスがいたずらでガーリックトーストに更ガーリックペーストを混ぜてメルに食べさせようとしたり、メルがその報復でイレスを椅子ごと蹴り飛ばしたりと、仲睦まじい様子だったそうだ。
しかし、その平和は突如として終わる。
カル=アストロフの街が、黒龍に襲撃されたのである。
「黒龍は、暴龍ガイレイド=ボウルドと名乗りました。彼は、カル=アストロフの在り方を許せない、と話した、そうです」
それは州長のカル=アストロフ家、そして街であり自治州の名でもある『カル=アストロフ』全てに向けての言葉だった。
カル=アストロフ市は、古くから龍族と人々が寄り添い、共に生きてきた街である。血も混じり合い、その子孫も多く住んでいた。当然ながら、そうした生き方を認めない龍族の一派も存在した。ガイレイド=ボウルドも、そのうちの一人だった。
彼は単騎にして当千、黒龍の中でも随一の戦闘能力を有し、カル=アストロフの街はあっという間に蹂躙されてしまった。
ガイレイド=ボウルドを前に、力なき人々は逃げ惑うしか無かったが、メルの両親を先頭に、大勢の龍族ゆかりの者たちが立ち上がった。両親はメルをイレスに託し、ガイレイド=ボウルドへと戦いを挑んだ。その戦いは炎の向こうへと消え、メル自身はその後の様子は知らない。その後、ガイレイド=ボウルドの蹂躙はそこで止まっており、撃退には成功したのだろう。だが、メルの両親を含め、家族全員が折り重なるようにして亡くなっていたことは、メルが感情を取り戻してから、改めて聞かされている部分となる。
燃えさかる街の中、メルはイレスに手を引かれ、逃げ惑っていた。あちこちが燃えさかる瓦礫によって通れなくなり、仕方なく曲がればその先もまた火の海だった。メルは恐怖で震え上がっており、イレスは彼女を怖がらせないよう、努めて明るい顔でいた。
そんな矢先、すぐ近くの建物が倒壊し始め、瓦礫が二人に降り注いできたのだ。イレスはとっさにメルを突き飛ばし、大きな瓦礫からメルを守った。
「……あの時、お兄ちゃんは下敷きになってしまったんだと思っていましたが、……無事、だったんですね」
メルは、キュっと手に力を入れる。その表情は安堵だった。再び浮かんだ涙を拭い、メルは話を続ける。
「それから私は、あちこちの避難場所や孤児院を転々とした後、東のサンディー家に引き取られ、ユニスのミリア王妃様の元に迎え入れられました」
メルは、これまでの経緯を話した。
「私の口からこの事件を話すのは初めてですが、アゼナルフ王子やクラウド王子は、王妃様より事情を聞かされているはずです」
ラミアは、なんと言葉を返して良いか解らなかった。自分は母を喪っただけだ。彼女は、町ごと何もかも喪った。唯一、彼女が兄として慕っていた人が生きていたことが、せめてもの救いなのだろうか。
「……イレスに会ってみたい?」
「そ、それはもちろんですっ!」
メルは叫ぶように大きな声を上げ、立ち上がっていた。
「あ、えと、ごめんなさい」
メルは少し恥ずかしそうにしながら、席に座った。
「はい、それはもちろんです。……会えるんですか?」
「ごめん、ぬか喜びさせたみたいで。イレスはガリエスと一緒にデニアス方面に向かっていったわ。まだ道中だと思うけどね」
「そう、ですか」
メルは、残念そうに俯いてしまった。
「旅をしていればどこかで会えると思うわ。そのときに、イレスにあなたのこと伝えてあげるからね」
「はい、ありがとうございますっ!」
その後メルは、遠いディトリア・クレール大陸の地からどうしてこのユニスにまで連れてこられたかの理由も話すことにした。
「先に謝っておきます。私は、王妃様からお姉ちゃんの傷の事情を聞いています」
「……うん」
「それに、マリア様からも。あのときのノートにも記載されていたことは、一通り聞かされました」
これについては、当時のラミア自身、薄々とは気づいていた。お腹の傷はかなり深いところにまで達しており、もしかしたら、とは考えていた。それがあのノートによって正しいことだと分かったぐらいで、それほど驚きはしなかったことを覚えていた。
あの傷は、女性として一番大事だと考えられている臓器、子宮にまで達していたらしい。手術を受け、ある程度の形には修復できたが、その後の成長に関してどうなるのかは、完全に未知の領域だ。子供は無理かもしれないし、或いは産むことができるかもしれない。ただ、このことについては、ある程度の覚悟はあった。
「ところで、マリア様に夢見の能力があるってことは知っていますよね?」
「ええ、当然」
メルは、話題を変えてきた。この話はここで終わりにしようという配慮と感じて、ラミアもそれに合わせることにした。
夢見とは、夢で未来を見るものである。これを魔法といって良いのか、技術といって良いのかは不明である。何かを訓練して身につくような物ではなく、また誰かに教えられるような物でもない、持って生まれた何かしらの異能、といわれている。
「それで、夢を見たそうです」
メルは、もったいぶるようにしてなかなか話そうとしない。じれったくなってきたところで、メルが口を開いた。
「お姉ちゃん、将来、子供を産みます」
「…………はい?」
ラミアはしばらく呆けていた。
何を言われたのか、しばらく理解が追いつかなかったようだ。
「……まてまてまてまて。え? 私、……子供、産めるの? ……子供産めるの!?」
メルは頷き、話を続けた。
メルがこの王城に連れてこられたのは、メルの母親が王妃の親友だったこと、メル自身が侍女としての能力が高いことも買われてなのだが、それよりも大事な任務を背負ってのことである。
メルは、ラミア達と年齢が近い。そのため、側室としてアルフに嫁がせることが可能だった。もしラミアが不妊である場合や、妊娠自体が危険視される場合などの問題があれば、アルフの実子をメルに産ませるという計画があったという。必然的に生まれる子供は、黒龍の血が混じることになるが、アルフ自身が黒龍ハーフなため、世間を騙しやすい。
加えて、当時のメルは感情を塞ぎ込んでおり、御しやすいということもあってメルが選ばれたのだという。
そんな形で、親友の忘れ形見を利用する形になることで、ミリア王妃はかなり心を痛めていたそうだ。
「はぁ~、……王家の闇を見た」
ラミアは大きく溜息をつくが、それほどショックでは無かった。よく考えれば、自分が同じ立場だったらきっと同じことをしているだろう、と思いついてしまったからでもある。何より、先んじて子供を産む、と確定した未来を言われたことが一番大きかった。
「あははは、……なんて言ったら良いか、わかんなくなっちゃった」
「素直に喜んじゃえ、と私は思います」
「そっかー、……産めるんだ、私」
そう言いながら、ラミアは強く椅子にもたれ掛かった。その衝撃に椅子が後ろへ傾き、そのままぼふっと音を立て、ベッドに衝突した。
ラミアは、憑物がとれた、そんな気分だった。
メルの話は続く。
母が見た夢はすぐに王家とスナー家で共有された。メルは最初の計画から変更され、ラミアの専属侍女とすることとなったという。何よりミリア王妃は、最悪な方法で忘れ形見を利用せずに済む未来が見えたことで、安堵したそうだ。
「それからもう一つ。これは少し前から考えていたことです」
「……うん?」
ラミアはベッドに手を付いて、半分倒れた椅子ごと体を起こし、姿勢を直した。
メルの表情は真剣そのもので、しかしどこか恥ずかしげなものも含まれていた。
「私と、その。……主従契約を結んでください」
「え、……主従、契約を?」
主従契約。
龍族が同族又は他の種族と結ぶ、霊的な結びつきである。一般には、龍族が一生のうち一度だけ、大切に想う人と契約する。相手はほとんどが伴侶となる人物だが、それ以外でも生涯にわたる同性の親友などとも契約する場合もある。ただ、伝承によれば親友と契約後、伴侶とも契約したという話も残されており、本当に一生に一人だけなのか、という疑問はあった。この辺りについては、龍族が詳しくは語らないため、謎が多い。
黙って待っているメルに、ラミアは口を開く。
「一つだけ聞いてもいい? 一生のうちに、一人だけ?」
「いえ、……実は、特に上限はありません。折った角もしばらくすれば生え替わりますし、その角でまた別の方とも契約はできます。ただし契約は上書となるので、相手は常に一人です。契約後に心変わりして悪に染まった場合などは、こちらから一方的に契約を破棄することも可能です」
謎は、あっさり判明した。
契約自体は、龍族をそれほど縛るものではないらしい。いつでも破棄できるし、上書すら可能だという。
「霊的に繋がれば、角笛を使用して緊急を知らせることができます。これは世界の裏側にいたとしても必ず私に聞こえます。……とはいえ、ファルアスタシアの剣技や魔族のように空間を渡って瞬時に駆けつける、ということはできないんですけどね。自身の翼を持って飛んで行くほか。常に、貴方と共にある、という意思表示です。他にも念話を補助してくれるのですが、これ自体は距離に制限があるようです。ファーネル様とミリア様も結んでいますが、距離としては大体百里程度が限度だったと聞いています。その、……複数回契約できることは、秘密ですよ?」
契約者に対する恩恵も、大したものでもない。ただこれは、貴方と心を共にする、という意思表示程度でしかない。謎が謎のままなのは、複数契約できることを秘密にしていることに尽きるようだ。
「うん、わかった。契約する」
「はいっ!」
メルは満面の笑みを浮かべ、すぐに儀式の説明に入る。
そして。
ラミアとメルは、向かい合って立つ。こうして並ぶと、やはりメルの方が少し背が高かった。両手を伸ばし、指を絡める。ラミアは顔を上に逸らし、メルも顔を近づける。そして額同士をくっつけ、二人同時に言葉を、言霊を紡ぐ。
「我、彼の者を心友とし、ここに盟約を交わさん。Я клянусь с удовольствием , отлать жизнь за вас(私は、喜んでこの命をあなたに捧げます)」
二人の足下に魔法陣が浮かび上がる。ほのかな紫色の光球が、ふわり、と上がる。その密度が増した時、メルの表情がにわかに歪んだ。
「…メル?」
「大丈夫、ですっ!」
明らかに苦しそうな表情に、ラミアは困惑するが、見守ることしかできない。しっかりと指が絡められ、手を放すことができないのだ。だから、彼女に手を差し伸べることはできない。代わりに、あわせる手に力を込め、ぎゅっと握り返すことにした。
「っ!!」
メルはぎゅっと目を瞑り、その瞬間、どこかでパキッと音が聞こえた。そしてほんの僅かの時間をおいて、メルの顔に血の筋が流れる。
「え、ちょっとメル!?」
「続けてください。……第二節、です」
「う、うんっ」
そして二人同時に口を開き、言霊を紡いだ。
「授けし、授かりし角を持ちて、盟約とす」
今度は、ラミアの方が眉間にしわを寄せる番だ。魔力が吸われる。とはいえ僅かだ。二人の顔の前の空間がゆがみ、小さな欠片が現れた。血がべっとり付いた、高さ二五フォーミルほど、底辺直径一五フォーミルほどの、黒く小さな三角錐だ。
ラミアは悟る。メルの角だと。
角に付着していた血は粉になって消え、光も魔法陣も消えていく。
メルはラミアから一度手を放し、ラミアの右手をとり、その角をその手に収めた。
「契約、完了、です」
赤い条は、メルの顎に到達して、一滴、二滴と床に落ちる。
「メル、大丈夫なの!?」
「はい、問題ありません。角を折っただけですから」
「だけ、といっても血が出てるから」
ラミアは、治療魔法を唱えながら、メルの頭に触れようとするも、その手をメルが弾いた。
「ちょっ?」
「大丈夫ですから。この痛みは契約した証です。治療魔法という無粋な方に逃げては駄目なものなのですから」
ラミアが困惑する中、メルはハンカチを取り出して顔を拭う。出血はすぐに止まったようで、もう垂れてくることは無いようだった。
「…どれぐらい、痛いの?」
心配そうにのぞき込んでくるラミアに、メルは答えた。
「その痛みはミリア様曰く。……初めて交尾したときと同じぐらい、だそうです」
「……ちょ…こっ、こぅっ……」
清楚そのままのメルの口から飛び出た、その余りのたとえ話に、ラミアは驚き、赤面してしまうのだった。
その後、メルから角の使い方が教えられる。とはいっても、口を付けて魔力を注ぐ、たったそれだけだ。角自体への加工は本来不要だが、ネックレス等にに加工して失わないようにするのが一般的という。割れることはまず無いが、粉々になっても効力は同じである、という。
「じゃ、角笛、と呼ぶのは単に笛のように吹いているように見えるからそう名が付いた、というわけなのね」
「はい。……何かありましたら、是非角笛で知らせてくださいね」
顔に血の痕を残しつつ屈託ない笑顔を向けられ、ラミアは少々引きつった笑みを返すのだった。
それから、二人は他愛ない話をした。ラミアは旅の道中の話を、メルはその間の話を。やがて就寝の時間が迫ってきたことからメルは退散し、ラミアは一人になった。
この頃はずっとアルフが横にいたから、少し寂しくなった。
左手を挙げ、薬指に光る指輪を見る。風の魔法がかけられており、持ち主の防御力をほんの少しだけ上げてくれる魔法具。少し大きめの武具店で普通に売っているものだが、これを青い箱に入れて異性にプレゼントするときは、特別の意味となる。俺が守ってやる、私がいつでも付いている、そんな想いを込めて贈るのだ。告白や婚約の定番アイテムとなったのは、もうずいぶんと昔の話である。
今はアルフの代わりに、この指輪を抱いて。
翌朝。
朝食は、王家の面々とスナー家がそろって摂ることとなった。理由は特になく、昔ながらの付き合いだから、とそれだけのことである。
ファーネル王はいささかやつれ気味で、一方ミリア王妃は妙につやつやとしていた。アーサーはそれに対しては黙して語らず、アルフとクラウド王子はまたか、という諦めの表情をしていた。メルは、どこ吹く風といわんばかりに、ラミアを熱い視線で見守っていた。
朝からなんなのこの空気、とラミアは思うも、ここはツッコミを入れたら負けかもしれないと自分に言い聞かせ、席に着いた。そして遅れてホリーが着席し、これで全員がそろったことになる。
祈りを捧げ、朝食が開始された。
メニューはパンと簡単なサラダ、そして紅茶。王家の食事だからといって、豪華なものではなく、むしろ一般家庭よりも質素なぐらいである。
「ホリー、眠そうだな?」
パンをかじったまま停止していた、多分眠ってしまったホリーに、アーサーが問いかけた。
「…………ん、ああ」
ホリーは口の中にあるものをよくかんで飲み込み、紅茶を啜ってから理由を話した。
「昨日姉が持ち込んだものがあるだろ、あれを解析していたら楽しくなったのでな。気がついたらこんな時間になっていた」
「え、……徹夜したの?」
「結果的にそうなってしまっただけだ。それでなかなか面白いことを発見した。食事が終わったら、皆にも知らせておきたい」
と話しつつも、ホリーはふわふわと頭をゆらしていた。
「まず寝ろ」
アーサーが注意するも、ホリーは首を振った。
「皆に伝えるまでは寝るに寝れん。……まずは先にだな」
ホリーはパンを再び頬張り、サラダをねじ込むようにして食べる。そして紅茶で一気に流し込み、一番先に朝食を終えた。
他の面々も追々完食し、メルと侍女が食器を下げる中、ホリーは席から立ち上がり、話し始めた。
「姉が持って帰ってきたものは、魔導石と疑われるもの、マンイーターの魔石、そして姉が開発した魔法だ。魔法の有用性はまた別の機会として、まずは魔導石と魔石について話そう」
魔導石とは、特定の魔法が持続して使えるよう、魔石から錬成された混合物である。これはアルケミストが様々な魔法特性のある植物を混ぜて魔法薬を作り出すのによく似ている。違うのは材料が鉱物になるぐらいだ。
「魔導石は、誰かが作ったものであるのは間違いない。のだが、これは禁忌に触れている可能性がある。……キメラ技術だ」
一同は息をのんだ。
キメラ技術は、ガドネア歴が制定された当初から禁忌扱いとなり、各国で厳しく取り締まられている。ユニス王国こそが、それを全世界に提唱した国だ。実際に生物を錬成した場合は、一族全員が死刑という、非常に厳しい刑罰が設けられている。但し、キメラ技術かどうかを見極めるためには、キメラ技術を知る必要があることから、ある程度の研究は認められている。ホリーも分析できる程度にはキメラ技術を学んでいた。
「たった一晩ではさすがに全容は解らなかったが、姉から聞いた話と我の見立てを総合すると、こんな感じだ。
一、特殊な波長の力場を発生し、特定の魔物をおびき寄せる。
二、触れた魔物を一度分解、凶暴性を付与して再構築する。
三、ある程度魔力を吸収したら適当な個体に魔法耐性の効果をもたらす魔石を埋め込む。
我は、この二と三の部分に、キメラ技術で利用される魔法式が埋め込まれていることに気づいた。
ついでだが、姉が拾ったマンイーターの魔石、これも分析したところ、三で付与されたものだろう。そこそこ強力な、魔法を遮断する効果があった。もう、魔導石として錬成されているほどだ。ペンダントなどに加工して身につけておけば、多少なりとも魔法防御が上がるぞ」
全容が明らかになっていないと断っておきながらも、かなり詳しいところまで調べていたようだ。
そして、マンイーターの大量発生がこの魔導石のせいであることは確実で、その余波が山脈を越えてユニス側にも流れてきたのが、先日の騒ぎだったのでは無いかと、ホリーは付け加えた。
「で、この魔石はもう用なしだ。後で姉に渡すから好きにすればよい」
ラミアは頷くが、すぐに考えを変えた。
「なら、それはホリーにあげる」
「いや、我には不要ぞ?」
ホリーは首をかしげた。売ればそれなりの値段となるし、ホリーが話したとおり、加工すれば装備品としてもまずまずの性能が期待できる。冒険者として旅を続ける姉なら有効に使えるだろう、との考えだった。
ただ、ペンダントは二人とも首から提げている。それは自身のオーブを加工したものである。二つも提げてしまうと邪魔になることは明白だ。ラミアはこの後、メルから授かった角を首から提げる予定なので、三つ目はさすがに遠慮したいところだった。
他の方法としては、魔石を割って核を取り出し、研磨して指輪の宝石代わりにする方法もある。効果は大分落ちてしまうが、ペンダントほど嵩張らないだろう。そう考えたラミアは、思ったことをそのまま口にした。
「指輪にして、アリーナにあげれば良いんじゃない?」
ホリーは一瞬呆けた後、顔を真っ赤にして慌てふためく。
「いやいやいやっ、それはさすがに恥ずかしいぞっ!? ……それにこれは我がつかみ取ったものではない。贈るなら、我が自分で稼いだお金で買うか、自分で倒した魔物の魔石を加工してだな……えっと……その」
そしてどんどん声が小さくなっていく。この辺りは結構こだわりがあるようだ。確かにもらい物を加工してプレゼントでは、格好がつかないところはある。
「では、ホリーが買い取るということでどうだ?」
静観していたファーネル王が、妥協案を示した。
「宮廷魔導師としての給金もそれなりに出している。それは其方が自分で稼いだ金であろ? 指輪への加工費用もそこから捻出すれば良い。なんなら王室御用達の宝石店も紹介するぞ?」
王はホリーの逃げ場をなくすように、話を進めていった。ややあってから、ホリーは小さく頷いた。
「分かった、買い取ろう。この大きさで魔法遮断の効力だから、五百ルドーリアぐらいか」
姉が相手だからといって値段を高くも低くもせず、ちゃんと相場通りの金額を掲示した。宿代なら二日分程度。安宿なら三~四日分という所だろう。さすがに現金をいつも持ち歩いてはいないので、後で渡す、ということで取引は成立した。
朝食の場はそれで解散となり、銘々自分の仕事へと向かおうとする。ラミアは王と父を呼び止め、王には後で見せたいものがあること、アーサーにはスナー流をもう少し練習したい、とお願いした。彼らは快諾し、まずは王の執務室で再度集合することにした。
ラミアは一度自室へと戻り、一振りの剣を持って執務室へと入る。
「……水の聖霊剣よ」
「…………」
剣を手渡された王は、いろいろな角度に持ち替えて見てみたり、窓から入る朝日に透かしてみたりして確認した。アーサーも王から渡され、同じように確認した。
「伝説は本当だった、か」
「だな。……ラミアよ、お前は旅の目的を、聖霊剣を探すとしていたとは聞いている。そのときに、実家の文献を色々見ていたと思うが、思ったことを正直に話してみてくれ」
ラミアは頷き、二人に語って聞かせた。その言葉が出てくるあたり、父もまた思うところがあったのだろう。
まず、文献がまるで申し合わせたかのように全て食い違い、互いを否定し合っていること。最新の娯楽小説では曖昧にされているが、作者不詳の初版にのみ、その剣の出自などが具体的に説明されていることを話した。特に、英雄伝とは違い外伝となる娯楽小説のとおり、聖霊剣はアクエイスで魔族を封印するのに使われていたこと、そして封印されていた魔族の名が一致したことなどを付け加えた。
ラミアの仮説を確定させるには、いくつか足りない情報はある。
「その、これだって断定するにはもうちょっと資料が読みたい。例の魔族が見つけたっていう資料、あれは読ませてもらえる?」
「ああ、良いぞ。あれはちゃんと回収してある。ジュリア、頼めるか?」
そばに控えていた、ジュリアと呼ばれた侍女は一礼し、部屋を後にする。ややあってから、一冊の文献を手にし、戻ってきた。彼女はラミアに、それを直接渡した。
ラミアは資料のページをめくり、いくつかの文章を指でなぞる。そこには、ラミアの欲していた情報が確かに書かれていた。時に顔色を変え、そしてこめかみに指を押しつけ、考えをまとめていく。そして、彼女の仮説は高度の次元で組み合った。
「これは私なりに立てた仮説なのだけど……」
聖霊剣は、この通り実在した。それはすなわち、いくつかの文献を完全に否定することになる。そして、実在していることから、【魔王を斃した】ではなく【破壊神を封印した】が、歴史的に正しい可能性がある。そしてこれが正しいと判断した場合に、魔族の動向が一通り説明できるのである。
バース王国は、かつての英雄達に土地を割譲して、ユニス王国の建国に携わった。そのときに、英雄達は聖霊剣を一振り、バース王国に献上したとされていたのである。また、ユニス王国の誕生にはデニアス王国も関与していたことから、返礼としてこちらにも聖霊剣を一振り献上されたという。ユニスにはこの時点で二本の聖霊剣を保有していたが、一本は行方不明となり、時代が進んでアクエイスで魔族の封印に使われた、となる。そして残る一本は―――
魔族が【魔王】ないし【破壊神】を復活させるために、封印の鍵となった聖霊剣を集めようとした場合、手っ取り早く回収するのであれば、各所を占領して探せばよい。その事実、バース王都は占領され今に至り、ユニス王都も一時占領された。そのときに、魔族はこの資料を見つけていた可能性がある。
ある日、ガーゴイルが聖龍島を襲撃する事件が起こった。
ユニス王都は、かつて空を飛ぶ二十体余りのガーゴイルに手も足も出ないまま陥落した。その二十体を優に超える三十体以上のガーゴイルが、聖龍島に飛来したのである。
その途中には、港町パルスがあった。占領された王都から避難してきた人が、数多く住まう場所だ。これを素通りして、ガーゴイル達は聖龍島へと向かったのである。なぜ人の多いパルスを無視して、王都を占領したとき以上の戦力を聖龍島まで向かわせたのか。様々な憶測は飛び交ったが、今でも謎のままとされていた。
「聖龍島に、聖霊剣が封印されていた」
ラミアは、そう断言した。その一言に、王もアーサーも驚きの表情を見せた。
これに関しては、実のところ先ほど読んだ文献に、ヒントが隠されていたのである。
王たちは、文献を回収後に一度中身を確認しているが、彼らにはその記述を見つけられていなかったのだ。
なぜラミアが、この文献に隠された意味を見いだしたのか。答えは単純だ。彼女が、聖霊剣を実在するものだと確信していたからである。聖霊剣があると信じている人にのみ、この文献がある種のパズルであることに気づき、そのパズルを解くと、聖霊剣の行方が解るような仕組みとなっていたのである。
「なるほどな」
ラミアの答えに、アーサーは一応納得することにした。
なお、ガーゴイルの襲撃に関しては、このように話が繋がる。
当時、故マリアが紐解いた古代魔法の文献より、いくつかの魔法を復活させ、空を飛ぶ魔物の迎撃に使えないかと研究がされていた。ぶっつけ本番となったものの、ガーゴイルのほとんどを撃退することに成功したのである。これによりひとりの女の子が重体にはなったものの、ひとりの犠牲者も出すこと無くことなきを得た。
ただ、結局の所ガーゴイルの正確な数は未だ不明である。ガーゴイルの襲撃はその一度だけだったこともあり、その一度で目的は不明ながらも達成したか、諦めたのでは、とされていた。
「私が襲われたお花畑の少し南に、祠があったでしょ?」
ラミアは、あのときのことを正確に思い出すことができている。
この時の記憶は、魔力と共に一度は封印されたものだ。その封印も今は解かれ、記憶も断片的に思い返すことができるのだ。
「多分、あの祠に聖霊剣が封じられていたと思うわ。あの村にそれらしいものっていったら、あれしかないし」
アーサーも、その祠について、言われて思いだした。
確かに小さな子供の頃、あの辺りで同世代の子供達と遊んだはずだった。それに、亡き妻ともその辺りを散歩したことだってある。すぐ近くに催淫効果がある花が自生していたためちょっとしたハプニングもあったことも思いだす。が、それらすべてが今までどうして忘れていたのか、疑問は残るが。
ただ、あんなところに、というのがアーサーの考えだ。
「なら、ホリーに、確認に行かせるか?」
王がそう提案すると、アーサーはすぐに答えた。
「構わないだろう。その間、空の守りは俺と侍女の部隊となるが、まあ大丈夫だろう。ジュリア、立て続けで済まないがホリーを連れてきてくれないか?」
侍女は一礼し、部屋を後にした。ラミアが不思議がっていると、アーサーはさも当然のように、海路が駄目なら空路があるぞ、と答えた。ラミア自身は空を飛ぶ訓練を受けておらず飛べないため失念していたが、人龍のほとんどが空を飛べるのである。
そしてしばらくして、眠そうにしているホリーが連れてこられた。
「もしかして寝てたか?」
「……すこし。だが我は研究職とはいえ軍人ぞ。これしきのことでへこたれはせぬ」
どう見ても空元気な様子だが、意欲はありそうだった。
「ただ、今日はアリーナが来る日だ。来たときに我が眠っていると、悲しむかもしれないが……」
しれっと惚気た台詞を吐いたことはさておき、アーサーは続ける。
「それなら、アリーナも連れて行っても良いぞ。彼女もそれなりに訓練を受けているからな?」
「……父よ、話が見えないのだが?」
ラミアとアーサーは顔を見合わせ、訳を話していなかったことに気づく。そして先ほどの会話をかいつまんで説明した。
「なるほど、花畑の奥にある祠を見てこい、ということだな? その場所なら我も知っている。あの辺はみんなで遊んだ場だな。あいわかった、承ろう」
「ごめんね、私が飛べないから無理を頼むことになって」
「いや、むしろ姉は家族にどんどん甘えろ」
ホリーは腰に手を当て、不敵に笑う。
「じじいと二人で島に閉じ込められていたようなものだ。我、結構不憫に思っとったぞ。これぐらいのお使いなら、どんとこいだ。……父に姉よ、じじいに何か伝言があれば、準備している間に手紙の一枚でも書いておいてくれればよい」
そしてホリーは片手を振り、不敵に笑って部屋を後にした。
じじい、と連呼しているが、それはホリーとラミアの祖父であり、アーサーの父のことを指している。
「さて、聖龍島については結果待ちだな。その他気になることがあったら聞かせてくれないか」
「んー、今のところ話せるのはここまで。ホリーがどんな情報を持って帰るかで、話は変わってくると思うけど、私はあの場所にあったと、断言するわ」
「分かった。ではそのときに」
ラミアとアーサーは執務室を後にし、中庭へ移動した。
中庭は、本来王家の面々が憩いの場として、また来訪した要人との時間を楽しむための場所なのだが、今はあまり手が入れられておらず、所々雑草が生えていた。要人を招くこと自体が様々な状況により行えるわけでも無く、そういった意味では見栄えを気にする必要は無い。
二人は、木製の短剣或いはジャマダハルを手にし、対峙していた。短剣の模倣は解るとして、ファルアスタシアの道場ならともかく、使う人がほとんどいないはずのジャマダハルまであることに、少し驚きを見せるラミアだった。
「ラミアは、誰が一番強いと思う?」
「……アリアさん、かな? あの迫力は今でも忘れられない」
アーサーも確かに、と思った。
事実、アリアは≪漆黒≫という暗殺者として闇を駆け、何十人もの要人を屠ってきたのである。その中には世界最強とも謳われた猟兵団も含まれているので、実際アリアこそ世界最強とうたわれてもおかしくはない実力者なのだ。それに対し、アーサーは異論を唱える。
「俺は違う、と思うな。……戦闘訓練だったな。ラミアは、今後どの流派で戦うにせよ、いくつか知っておくべきことがある。まずは、純粋なファルアスタシア流で、俺に挑んできてくれ」
「分かったわ」
模擬戦の開始は、一礼から。一礼し、体を起こしてからラミアはアーサーへ駆け込み、そしてファルアスタシア流で使われる転移魔法を展開、行使する。ファルアスタシアの奥義を早くも覚えてきたことには驚き感心するが、アーサーはスナー流の構えをとり、後ろ手になった短剣から手を放した。
こんっ、と心地よい音が響き、落下しようとしていた短剣が前へと飛んでいった。
「……え?」
アーサーの背後に現れたラミアは、胸に当たった感触と前に飛んでいった短剣を見て、驚きの表情を見せていた。
アーサーは構えを解き、ラミアに振り返った。ラミアは胸を押さえる。木製でも先端は痛かったのだろう、さすりながらも腑に落ちない、という表情でアーサーを見上げた。
「いま体験したとおり、スナー流は、ファルアスタシア流の天敵となる。俺はただスナー流の構えを取っただけ、そこにラミアが自ら短剣へと飛び込んだ形となる。今も俺が手を放していなかったら、痣になるぐらいには強く打ち付けていたことになるんだ。これが、ファルアスタシアの流儀の弱点で、加えていうならマリアの弱点でもあったな」
ラミアはそういうことか、と納得する。
スナー流は、ファルアスタシア流の上に位置し、スナー流の上にユニスの剣技がある。そしてユニスの剣技の上にファルアスタシア流があって一巡する、三すくみの関係となっているのだ。
「誰が一番強いか。ラミアはアリアが最強とは言ったが、その答えは、誰もいない、だな。たとえお前が二つの流儀の皆伝に至ったとしても、弱点というものは必ず見え隠れするものだ」
アーサーは飛ばされた短剣を拾い、裏返して傷が無いかを確かめた。
「……まあ小難しいことはこの辺にしておこう。では、今度はスナー流で相手をして見てくれ」
「うん、わかった」
必要な武具は、中庭の隅に何本か立てかけてある。そちらに移動したラミアは、ジャマダハルから幅広の短剣に持ち替え、戻ってきた。
そしてスナー流の構えをとり、父と対峙する。
「では、いつでもかかってこい」
「分かったわ」
一度息を吸い、吐いて、吸って、止めて。ラミアは一気に父に迫り、父の腹部めがけて鋭い突きを放った。アーサーはそれを、短剣で軽く触れるようにして軌道を逸らし、同じように突きを入れる。
スナー流も基本的には突き刺すという攻撃方法であるが、薙ぎ払い、受け流しなどがそこに加わる。
ファルアスタシア流が転移で攻撃を躱すのに対し、スナー流は全て体術でこなす。時にカウンターを、時に誘い込む戦法も加わり、トリッキーなフェイント等、相手を翻弄するのが得意な剣術だ。
二人の攻防は数分間にわたって続いたが、ラミアの息が上がってきたところで、一旦中断することにした。
「お父さん、そんなに、持久力、あったっけ?」
一度足を止めると、ラミアは足がガクガクなことに気がついた。立っているには支障は無いが、戦闘はしばらく無理、という具合だ。あのまま続けていたら倒れていたかもしれない。対する父は平然としていた。
「これがスナー流の小技の一つだったりする。ファルアスタシアの流儀と同じく、一部魔法で補助し、持久力を飛躍的に高めていると同時に筋力を上げている。この辺りは要練習としても……、そうだな。これぐらい腕が立つなら、奥義を授けても問題は無いな」
「……それじゃあ?」
アーサーは頷き、姿勢を正してラミアに伝える。
「ラミア・スナーよ、アーサー・スナーの名の下、其方をスナー流奥伝と認めるものなり。ここに最も基本的な奥義を授けよう」
アリアの時は、こんな厳かな儀式めいたものはしなかったが、本来は一区切りを入れる意味でも必要なものである。ラミアも姿勢を正し、はい、と元気に返事した。
ラミアは、スナー流で使われる持久力を高める魔法の説明を受け、その呪文を習った。こちらもファルアスタシアの幻龍剣と同じく、呪文は短く魔力もほとんど必要としない。加えて具体的な魔法名も無い、単純なものだった。魔法名が無い、すなわち最後に魔法を発動させるためのエンドワードが不要。故に、無詠唱で瞬時に発動させるのが、この魔法の基本的な使い方となる。
いわゆる無詠唱魔法は、魔道士の中でも戦いに大分慣れたような中堅以上のものが扱える、比較的高度な技である。それぐらいの高い技術が必要となるのだ。
その他、スナー流では自身の翼に魔力をのせて爆発的な瞬発力を引き出したり、剣に雷撃をのせて切り込んだりその雷撃を刃と化して飛ばす技法など、多種多様だった。
スナー家は、英雄リーン・スナーを起源とするとても古いものだ。それ故に分家も多く、世界中にそれなりの人数がいる。それらのごく一部では道場を開き、門下生を集めてスナー流剣技を教えている。そのため、この剣技自体は、三すくみの剣技の中では一番知られたものとなる。
奥伝までなら、そうした道場でも学ぶことは可能だが、そこから上となると、本家のみで継承されている。
加えて、現在本家はアーサーのみなので門下生をとる余裕がない。そのため、本格的な技を受け継いだのは、今のところホリーだけとなる。ゆくゆくは、ラミアにももっと高度な技を教えていこうと、アーサーはそう考えた。
ラミアには、飛行訓練も並行して行われることになった。これはスナー流などとは特に関係なく、人龍の親が子に飛び方を教えるものだ。本来なら八歳ぐらいから親に教わり、一生懸命練習して飛べるようになるものだ。だが翼の出し入れにも魔力が必要なため、当時のラミアには無理だったのだ。
基本的に、人龍の翼は空を飛ぶには小さすぎる。そのため魔力を注ぎ込み、数倍以上の風を掴めるようにして空を飛ぶことができるようにするのだ。加えて、翼の、アストラルサイドへの出し入れに関してなど、これまでできなかったことを、ラミアは父からようやく教えてもらえることになった。
ラミアは、まずはアストラルサイドに収納されている翼を呼び出すところから始まった。生まれてくるときは、その翼を背中に背負っている。臍の緒には、小さな石が生成されており、これをオーブとして両親がプレゼントする。その時に、このオーブが働きかけて、翼はアストラルへと収納される。以後、魔力を持って翼の出し入れが可能となる。
これについては、本来人龍が本能的に行うことができるものだが、ラミアは魔力が封印されていた時間の方が長いぐらいとなる。なので、翼を呼び出すこと自体に、少々時間がかかってしまった。
翼を呼び出せたときの、ラミアの喜びようはかなりのものだったと、後のアーサーは語る。そしてアーサーも、ようやく父として飛ぶ技術を教えることが出来ると、感無量だった。
すべての訓練が一通り終わるまで、おおよそ一週間ほどかかる見込みだった。
ホリーがアリーナと共に中庭に現れる。これから聖龍島へと飛び立つとのことだった。アリーナはラミアを見つけると駆けより、そのまま抱きついた。
「ラミアおねえちゃーんっ」
スリスリと顔を埋めるアリーナの頭を、ラミアは撫でてあげる。するとアリーナは更に嬉しそうにしていた。
「あのねお姉ちゃん、お姉ちゃんが背中を押してくれたからねっ、それでねっ、私たち……えっと、お、お付き合いすることになりましたっ」
顔を赤くしつつ、アリーナは嬉しそうに報告した。
「そっか、おめでとう」
「うんっ。それでね、今日はホリーちゃんの実家に一緒に行くことになったの。今晩は向こうで泊まっ……」
ぼんっという勢いでアリーナは耳まで真っ赤になった。
「わわ、私、好きな人と外泊っ……」
初心だのう、とアーサーはつぶやく。ホリーもアリーナも奥手なことは承知しているので、そう易々と一線を越えることは無いだろう、というのが彼の考えだ。因みに、この二人が付き合いだしたことは、母アンナは承知しているが、父カイには連絡の取りようがないため報告はできていない。彼はユニス軍の特殊諜報任務に就いているためだ。
カイの性格を考えると、予想できることがある。いわゆる、貴様なんぞに俺の娘をくれてやるか、という一悶着だ。さて、そのときにホリーはどう出るか。
二人がようやく南へと飛びたち、その後ろ姿を見ながら、アーサーは父なりに楽しみにしているのだった。




