丘の向こうの機械 3
「そんな事を言うな。レギーネはそんな事は言わない!」
続いて彼が嘆く。視線を床に落としながらも目に血を走らせ叫んだ。
「お前はレギーネなんだ、何故分からない?」
涙を流しながら歯を軋ませる彼に罪悪感を覚えた。私が〈レギーネ〉を演じないと彼はこんな風に顔を歪めてしまう。
手の痛みと、心の痛みが混ざったのか、彼は赤くなった手で顔を覆うと唸るように「あぁ、なんて……痛い」と呟いた。
暫く彼はそうしていた。時折、鼻を啜る音が地下室に反響する。やがて、いつものか細い微笑みを浮かべながら顔をあげた。
「すまない。今、終わらせるよ」
震える骨張った手で、いくつかの道具を取ると私の腹部をいじり始めた。徐々に管が取り外され、彼女の白骨も見えなくなる。
彼女の服を着せられて、彼女の髪型に結われる。その時に私は考える。なぜ、私は彼女でないといけないのか。なぜ、人は死に抗おうとするのか。
幾度も考えるが、答えは分からない。どの本にも書かれておらず、教えてくれる人がいない。その質問を彼にしようとするが、いつも彼女の〈記憶〉に止められていた。
「はい、出来たよ」声と共に髪から彼の手が離れた。
「ありがとう」
ちょうど部屋にある金属が鏡の代わりになっている。金属に写る私は、当たり前の事だが、リビングに飾ってある古い写真の彼女ととても良く似ている。
服装も、髪型も、彼女を知っている人が見ると、その目には紛れもなく彼女自身に写るだろう。
「そろそろ上がろう。ここで飯は食べたくないだろう?」
ふふっ、と楽しそうに笑う彼は、先程の取り乱しようが嘘のようだった。彼はいつもこうだ。時折、発作の如くヒステリックに喚くが数分後には元に戻っているのだった。
研究台から降り、彼の後に続く。リビングに上がると、彼が外出時に着るコートを羽織った。
「どこかに行くの?」
そう聞いたら彼は不思議そうに「飯だからエスポワールだが?」と言った。
「ミス=エマーソンのお食事処だね」
「いいや、“ミセス”=エマーソンだぞ? 忘れたのかい?」
言い終わると少し意地悪く微笑む。
サーキー=エマーソンに対する彼女の〈記憶〉と、彼のこの笑顔が好きだったという〈感情〉が流れ込んでくる。
同時に彼女の〈記憶〉と現在の違いが、もの哀しい。
些細な違いが、彼女は過去の人だと強調しているようだ。彼女の時間は止まっているのだと、実感する。
「そうだったね」
「まったく、レギーネは忘れん坊だな」
「あはは、ごめんね?」とコートを着ながら、小首を傾げ、はにかんで見せた。
鉄の塊の私は、うまく笑えているのだろうか。リビングに飾られてある、色あせた写真の彼女のように。