丘の向こうの機械
「――おしまい」
ランクはそう口にすると、パタンと音をたてながら絵本を閉じた。暖炉の前で、ホットミルクを口に含むと喉仏がゴクンと波打った。
外は暗く、草木が揺れている。
「さぁ、もう夜も遅い。おやすみ、レギーネ」
私の額に彼の唇が落とされたかと思うと、部屋の電気が消えた。暖炉の小さくなった炎が悲しげに踊っている。
薄明かりの中、手探りでダブルベッドの端に潜ると、少し経ってから彼が隣に来た。
「おやすみ、ランク」
すぐ隣で微かな息遣いを感じながら、私は夜が明けるのを静かに待つ。
彼は寝る前に必ず、あの絵本を読む。何十年も昔に出版されたそう。この町の人々は皆これを好きだと言うが、私はあの絵本に嫌悪感を覚える。
それはきっと、この体のせいだろう。彼女の骨から彼女の〈記憶〉と〈感情〉がごく自然に私に入ってくる。絵本とそれは違い、違和感が多くとても嫌い。
この田舎町には、ひとつの伝承がある。それが【魔女と英雄伝説】、つまりあの絵本の事。
半世紀以上前に、起こった出来事を絵本にし、伝承として語り継がれた。大通りには女の銅像が建てられ、祀られている。
町の方へは滅多に行かず、記憶が曖昧だがきっと魔女狩りの達人の像だろう。
「あ……」
突如、ふっと暗くなった。唯一の明かりだった暖炉の炎が燃え尽きたのだ。
静かにベッドから起き上がり、脇に置いてあるろうそくに火を灯す。僅かだが、暖炉の灰を掃除するには十分だった。
彼を起こさないように、静かに灰を掻き出し袋に詰め、部屋から出て、玄関に行く。
ドアを開け、草木を揺らしていた風が止んでいるのを確認し、握っていた袋の口を逆さまにする。
サラサラと灰がゆっくり舞いながら、足元を白くする。ろうそくの火が反射し、異様に輝いている。
袋から灰が無くなると、また静かにベッドへと戻る。寒いのか、彼が小さく唸りながら寝返りをうった。
細い白髪が彼の老いた寝顔を隠す。
その時彼が「レギーネ……」と呟いた。
それは私を呼ぶものではない。私もレギーネと呼ばれているが、正確には〈レギーネ〉ではない。
彼の言うレギーネとは、あの魔女伝説の魔女の事。そして、彼女は絵本のようにもうこの世に居ない。