愛憎③
【アレイシア】
およそ「夢」というものを見たことのない私にとって、あの体験は実に新鮮なものだった。できることなら、楽しいものであってほしかったか――――
この頃から、私は悪夢に悩まされていた。私自身、睡眠をとる必要はないはずなのに、悪夢を見るときは必ず寝てしまう。逃がさないとでも言わんばかりに――――
悪夢の内容は至極単純。私が愛してきたヒト族に裏切られ、滅ぼされてしまうというもの。
――――馬鹿馬鹿しい。私の行いを咎めるつもりか? いや待て……誰が私を咎めるというのか……私の上には、誰もいないというのに――――
私は、時折こんな風に、自分には生みの親がいる前提で物事を考える癖がある――――
~~~~~~
世界は退屈に思えるくらい、争いがなかった。理由は当然、私が睨みをきかせているから。争いの種が起きようものなら、すぐに司祭を派遣し、その種を取り除いてもらう。おかげで世界は実に平和です、
「しかし……よく働くものです、彼らも」
もうおよそ百年くらい経つ。その間、司祭たちは私に一度たりとて文句を言わずに、忠実に私の命を全うした。彼らには私の力を与えているため、老いることがない。
「彼ら以外に、使命をこなせるものはいないだろう」
という、私の主観的な判断に基づき、彼らを不老にしてしまった。本当は、彼ら以外が司祭になる未来が想像つかなかっただけなのだが……
ふと、脳裏にあの悪夢がよぎる。たしか、あの時私を殺していたのは――――
「馬鹿馬鹿しい……所詮、夢なのです」
しかし、今まで一度も夢を見たことがない私は、この悪夢にどうしても意味を考えずにはいられなかった。
~~~~~~
相変わらず悪夢は消えない。私はヒト族たちと違い睡眠をとる必要がないため、眠りに入ったことなどないのに、いつの間にか悪夢を見てしまっている。時折うなされているようで、目を覚ました時には司祭たちの泣き顔が視界に飛び込んできた時もあった。まさか、私の身体を登った? 緊急事態だと思ったみたいだから、仕方ないけど――――
「大丈夫ですか? 我が主よ。ここ最近、何やらお疲れのようで――――」
「ええ、大丈夫ですよ。わざわざありがとう」
ある日のこと。司祭の一人のアズバが私の部屋に来て、薬を作っていた。倦怠感にはちょうど良いとか何とか言っていたが、多分、私には効かないだろう。私、あなたたちとは身体のつくりが違うし、そもそも器小さいし。
(いつもは素晴らしい働きをするのに、変なところが抜けてるというか……長い付き合いなのに、アズバは全く変わらないですねぇ)
司祭の中でも、一際抜きん出た才を持つアズバ。そのせいか、彼はヒト族の代表の任を与えられ、しっかり果たしているようだ。彼はたまに抜けているところがあるが、頭も回るし、性格も実直で信仰心がとりわけ厚い。誰に対しても優しく接するようで、色んな人に好かれている。私のお気に入りだ。
今日もこうして、忙しいにもかかわらず、私のために時間を割いてくれているのだ。
「しかし、なぜ悪夢など……主には睡眠をとる必要はありませんのに」
「私にもわかりません……不思議ですね、自分のことなのに、それが一番わかっていないとは」
「いやいや、案外そんなものかもしれませぬぞ、我が主よ。私も一番、自分のことがよくわかっていないのです」
「そうなのですか?」
「はい、自分の姿は、見ることができぬゆえ」
「なる、ほど……」
確かに、そういえば、私も自分の姿を見ることはできない。というか、想像したこともなかった。
「さすがですね、アズバは」
「何をおっしゃいます! 私など、主に比べればカスみたいなもので――――」
「謙虚になりすぎても、嫌味に聞こえますよ」
「そ、そんな……! 私は謙虚など……!」
「ふふっ、冗談です♪ あなたは相変わらずからかい甲斐がありますねえ」
「なっ……主よ~!!」
アズバが泣きそうな顔をしてきたので、ここらで止めることにする。どれだけ時が経とうと、どれだけ成長しようと、彼らはやはり皆、私の子。可愛い子どもたちのために働くのが、母たる私の使命なのだ。
そう思っていた。私は子どもたちに愛され、子どもたちもまた、その愛に報いてくれている。しかし――――
その考えは、この後の会話で、覆されることになる。
「ところで主よ……」
「どうしました?」
「私たち司祭からご提案があるのですが……よろしいでしょうか?」
「勿体ぶらずに早く言いなさい」
「はっ、申し訳ありません」
アズバはそう言うと、薬を作る手を止めて、こちらに向き直った。
「これを機に、一度ご養生された方がよろしいかもしれません」
「? というと?」
「あなた様には確か、前に住んでおられた世界には行くことができる、ですよね?」
「ええ、すぐそこが入口ですが」
「であれば、一度その世界に戻られた方がよろしいでしょう」
――――え? 今、なんて?
「ア、アズバ、別に私はそこまで体を崩しては――――」
「謎の悪夢を見始めてから、御身がだんだんやつれ始めていることに気づいていませんか?」
「え、そうなのですか……?」
「どうやら、あなたはご自分で思っている以上にお疲れなのです。どうか、今一度元の世界に戻り、養生なさいませ。この世界のことは大丈夫です。私たちが、責任を持って守りますゆえ」
「…………」
私はそれ以降、何も言わなかった。今の場面を、私は知っていた。何故ならば――――
悪夢の内容と、同じだったから――――
~~~~~~
アズバと別れた途端、眠っていないにもかかわらず、私の中に知らない映像が流れ込んできた。突然のことに私は気持ち悪くなったが、身体が石のように動かない。それどころか、声すらも出なかった。
(な、なに……これ……! だ、誰か……)
動くこともできず、話すこともできず、ただ身体の中が侵されていく。私はしばらく、その苦しみを味わい続けるのだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
ようやく解放され、私は乱れた息を整える。何が……起きたの?
(あ…………)
思い当たるものがある。それは、さっきアズバがくれた――――
(何を馬鹿な!! アズバがそんなことするわけ――――)
そう思い、先程のアズバとの会話と、夢の内容を思い出す。夢では、アズバと他のヒト族が、泣きながら私を殺していた。そして、私を元の世界に戻ってはどうか、という提案。
頭をフル回転させ、これまでの事象から考えられることは――――
「もう、私は……いらないということですか」
いらなくなったら、捨てるというのですね。私の愛を仇で返すというのですか。あなた方にとって、所詮私はその程度の存在だったというのですか。
「ふふっ、ふふふふはははは……」
いいでしょう、そっちがその気なら、こっちにも考えがあります。私にできないことなど、ないのですから――――
私は、一人残された神殿で、不気味な笑みを浮かべるのだった。
~~~~~~
これよりしばらくの時を経て、神は世界滅亡を宣言し、竜となる。神がなぜ竜へとその身を落としたか、その理由は結局のところ――――
よく、分からず仕舞いである――――




