親、失格
「――――なんですって?」
今、何と言いました? この小娘は……。私が? 恐れてる? 創造主たる私が? 誰を??
空気が一気に凍りついた。さっきまで饒舌だったアレイシア神は、一言も発することなく目の前の金髪少女を睨み付けた。尋常ならぬプレッシャーに意識が飛びそうになるのをこらえ、カルミナも負けじと力いっぱい睨み返す。
「誰が、何を、恐れているというのです?」
アレイシア神は静かに、ゆっくりとカルミナに近づく。一歩ずつ進むたびに、アレイシア神から発せられるプレッシャーが増し、その全てが余すことなくカルミナにぶつけられる。
カルミナは吐きそうになるのを口を押さえて必死に耐える。視界がグルグル回り、脳みそがぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような不快感に襲われる。それでも、ここで倒れるわけにはいかない。カルミナは自分を保つためにスーッと深く息を吸って――――
「あなたは、私たちを、ヒト族の可能性に恐れてる。一度とはいえ、偶然かもしれないとはいえ、あなたはヒト族に膝を屈した」
その言葉を告げた瞬間、カルミナの鳩尾がバゴンとへこんだ。全身が激痛に襲われ、我慢していたものが口から吐き出された。
「かっ……!」
カルミナは目をひんむかせ、全身から力が抜けていくのを感じながらその場に崩れ落ちた。加護のおかげでギリギリ意識を保てているが、立ち上がることができない。
「度胸だけは一人前ですね……この私を怒らせたところで、あなたにメリットなど何一つないというのに……それどころかあなた、もう楽には死ねませんよ?」
アレイシア神から完全に笑みは消え失せ、苦しそうに咳き込んでいるカルミナに向けて憎悪の目を向ける。黒いオーラを見せつけながら佇む姿に、もはや神聖さなど感じられない。さしずめ魔神といったところか。
「カルミナちゃん……!」
リンベルたちが急いでカルミナの救援に向かおうとするが――――
「邪魔ですよ」
アレイシア神がリンベルたちのいる方向に手をかざし、ゆっくりと振り下ろす。
それに従うように、リンベルたちの身体が地面と一体になった。皆必死にもがくが、見えない何かに上から押しつけられ、身動きが取れない。
「ぐうう……」
「がああ……」
段々押しつけられる力が強くなっていく。ミシ……ミシ……とヒビの入る音が聞こえてきた。
「しばらく大人しくしていなさい。この者にありとあらゆる苦痛を与えた後、ゆっくりと相手をしてあげます」
「み、みん……な……」
「他人の心配をしている場合ですか?」
アレイシア神はカルミナの腹を踏みつける。ゴパッとカルミナの口から赤い塊が吐き出される。アレイシア神は満足げに笑いながら、カルミナの腹を何度も踏みつける。
「あっ……があッ……」
「ほら、どうしました? さっきの威勢は! これでもまだ生意気な口聞けますかあっ!? はははっ!!」
勢いづいてきたのか、アレイシア神は高笑いしながらさらに踏み続ける。もはやカルミナに何か言う力すら残っておらず、アレイシア神になされるがままの状態だ。自分の血に染まりながら、身体をピクピク痙攣させている。
「おっと、このままでは死んでしまいそうですね。それはいけない、まだあなたの罪は消えていませんよ~」
アレイシア神は明るい口調でそう言うと、カルミナに手をかざす。すると、その手からポワッと白い光のベールが現れ、カルミナを優しく包み込む。その瞬間、カルミナの傷が嘘のように一つ残らず消え去ってしまった。
「え……これって……!」
カルミナはその暖かい光に身に覚えがあった。マーリル戦の時にアリシアが使ってくれた治癒の力――――!
「ふふっ、知っているでしょう? この力のことを……なにせあなたの大好きなアリシアの得意分野でしたものね~まあ、元々私の力ですけど」
「くっ……」
小馬鹿にするような表情になったアレイシア神を見て、完全回復したカルミナは悔しそうに歯ぎしりする。
やめろ、あの子の姿で、そんな醜い顔をするな――――
「……そうやって見せびらかすあたり、ヒト族を恐れてる証拠だよ。絶対の自信があるなら、わざわざこんなことする必要ないもん……」
「まだ言いますか」
そして、拷問が始まった。アレイシア神はカルミナを死ぬ寸前まで痛めつけ、あと一歩の所まで来たときにカルミナに治癒を施す。このサイクルを何度も何度も繰り返した。
カルミナは死に直結するような地獄の苦しみを何度も味わい続けながらも、アレイシア神に降伏しなかった。それどころか、ますますアレイシア神を睨む力を強める。それが、神にとって何よりも腹立たしかった。
「なぜです……なぜ屈しない!? そもそも、私は万物の父であり、母である存在。下々の民であるお前に、そんな目を向けられる筋合いはないのです……!」
「ハァ……ハァ……まだ、わからない……?」
「何――――?」
がはっと口から思い切り血を吐き出した後、カルミナは不敵な笑みをアレイシア神に見せた。それを見たアレイシア神の背筋に、ぞわっと不快な空気が通り過ぎた。
「自分勝手な理由で子どもを痛めつけるようなクズに、屈する道理なんて無いって言ってんの!」
「貴様ぁ!!」
とうとう我慢の限界に来たアレイシア神は思い切りカルミナの首筋を掴み、身体ごと持ち上げる。片手でつり上げられたカルミナは苦しそうな息を漏らしながら、ジタバタともがく。
「ぐ……が、あ、あ……」
「ふふふ、苦しいでしょう? 辛いでしょう? ここまでよく耐えたと褒めてあげます。が、お遊びももうおしまいです」
アレイシア神はトドメをさそうと、ゆっくり力を込めていく。バキッ、ボキッと鈍い音を響かせながら、カルミナの意識が徐々に薄れていく。
「惨めなものです。あの子に出会っていなければ、こんな苦しい思いをしながら死ぬことはなかったでしょうに――――」
「ぁ……あな、たが……」
「? 何です?」
カルミナは残された力を振り絞る。かすれてしまっているが、多少はましなはずだ。
「あなたが……私の人生、勝手に判断してんじゃないわよ……!」
「勝手も何も、私はあなた方の生みの親です」
「違う、私は両親から生まれたの……断じてあなたからじゃないわ……!」
「私がいなければ、あなた方は生まれなかったのですよ?」
「だから何? 第一あなたの手で生まれた人たちは、皆あなたが殺したじゃない……!」
「私を滅ぼそうとしていましたからね」
「……証拠でも、あるの……? リンベルさんの話を聞く限り、皆ちゃんとあなたに感謝してたって言ってたけど……?」
「未来が見えましたからね。彼らをそのままにしておけば、いずれ牙を向くと」
「……それは……あなたの勝手な判断でしょ……? 少なくとも、アズバさんやリンベルさんは……あなたのことを信じてた……! どうして、あなたは自分の子どもを信じられなかったの?」
「私は子どもの言より、自分の力を信じますので」
「そんなやつが他人の心を読んだ気になってんじゃねえよ!!」
カルミナは血反吐を吐きながら、金切りに近い声で叫ぶ。その圧が、一瞬とはいえアレイシア神をひるませた。アレイシア神は目を見開き、思わずカルミナを掴んでいた手を離してしまう。そして、一歩後ずさった。
(この私が……押された? こんな小娘に?)
「昔、お父さんとお母さんが教えてくれた。親っていうには、子どもがどれだけ悪事を働いたとしても、最後の最後まで諦めずに子どもを信じ、隣にいる存在だって――――! 子どももね、親がそういう存在だってわかってるから、親に最後まで慕い続けるの! それに比べてあなたはどうよ!? たかが夢を見ただけで我が身大切さに子どもを怖がり、あまつさえ殺そうとするなんて!! そんなやつが神様? 万物の父にして母? 笑わせんじゃないわよ!!!」
カルミナは涙ぐみながら、ありったけの思いをアレイシア神にぶつける。神は……何も言い返せずにいた。呆然と、言われたい放題状態になっている。
「その点、アズバさんはすごかったよ。最後は悲しい結果だったけど、あの人は最後まで世界のことを考えて、人々のことを大切に想ってたわ、我が子のようにね。あなたにもあったんじゃないの……? あなたにだって、その夢を見るまでは今の世界を、人々を愛していたんじゃないの!?」
止まらない、目の前の神様は、アリシアの敵だ。それでも、どうしてもカルミナには憎むことができなかった。だって――――
神様も、ずっと悲しそうな表情をしていたから――――
「私は、私は……」
思い出す。純粋に、がむしゃらに努力していた、あの頃を――――
皆が笑って暮らしていた、あの頃を――――




