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Climax-1

「え……」

 僕はニュークリアーを目の前にして言葉が出なくなっていた。あまりにも驚きすぎて声が出なくなるということが実際に起きるなんて。なんだか時間が無限に進んでいる気がする。ほんの数秒の時間を永遠に繰り返しているような気分になる。

 小さい頃の記憶を無理矢理引っ張りだしてみる。たしかに幼少期の記憶ってのは曖昧で断片的なのかもしれない。けれど、

 違う。

 違う違う違う違う。

 僕の記憶の中にある忌まわしきニュークリアーの顔じゃない。だけれど、僕はこの顔を見たことはある。昔、物心つく前から幾度となく見た顔だった。

 こんな結末になるなんて、思ってもみなかった。

 僕の頭の中にある大団円としては、ニュークリアーをなんやかんやで倒して全員がハッピーになるか、それかニュークリアーに僕が殺されて、僕だけがハッピーになるか。そのどちらかだと疑っていなかった。

 自分の力で立っていることが異常なくらいに全身の力が抜けていて、ある意味では最高にリラックスできていた。

 ただ、僕の心臓が恐ろしいほどに脈うっていて、耳の裏や脊髄にまで血液が流れているのが本能的に感じとれる。

 ニュークリアーと戦うと思っていた僕の目の前にいたのは、

「久しぶりね」

 僕の母親だった。



 しかし僕は、自分の母親のことをどうやって呼べばいいのか分からなかった。昔、僕は母親のことをなんと呼んでいただろうか。

 親の呼び方で一種のアイデンティティを示すことも、家族というスモールスケールでのアイデンティティを表すことも、よくある話である。

 自分自身が自分であることを証明することは難しいが、しかし家族となれば自己の証明は容易になりうる。

 主観的であることよりも客観的であることの方がアイデンティティを表しやすい。

 僕がおよそ十年ぶりに母親に遭遇したときに思ったこととしては、そんな冷静ともとれることだった。

「なんで……」

 僕は母親に経緯を求める。なぜ母親がニュークリアーとして町を支配しているのか。本当のニュークリアーはどこへいったのか。母親が核兵器の製造や民間人の大量虐殺を指示したのか。自分にはその血が流れているのか。

 なにも分からなかった。

 しかし僕の母親は、問いに問いで返した。

「あら、ヘルムホルツ。そのとなりの子は彼女かしら?親に彼女を紹介するなんて、なかなか殊勝な心がけね」

 僕は横にいるコールラウシュさんの方を向く。今の今まで、まったく視界に入っていなかった。その余裕がなかった。

 コールラウシュさんは表情を一切変えずに、僕の母親の方をじっと睨んでいる。発言の意思を感じない。

 しかし僕もここからどうすればいいのか分からず、ただ1つだけ、ここで暴力的行為に及ぶことを良しとしないことだけは分かっていた。

 僕の心は動揺していて、冷静に戦いで判断を下せるような精神的状況ではなく、本来なら避けられるはずの攻撃に当たり、本来なら当てることができたはずの攻撃が当たらなくなる。

 僕は本能的にそれを理解していた。

 事態は硬直していた。

「私の渾身のジョークに笑みの1つも返せないくらいに余裕がないんかな?ね」 

 僕の母親は再び会話を始める。否、これは会話では無かった。ただ、一方的な、言ってしまえば、「独り言」だった。

 返事が出来ない。返事をしないという、英断をする。唾を飲みこむ。まばたきをする。心臓を鼓動させる。全て自力で行っているような感覚になる。

 その延長線上で、僕は言葉を発する。

「ニュークリアーは……どこにいるの」

 久しぶりにあった母親に対して距離感を掴めていない。加えて自分にとって母親が敵ということならなおさら、僕は距離感を掴めない、掴もうとしない。

 誰しもが一度は経験する、なんでもないシーンの1つだった。ただ、それがクライマックスに起こったというだけの話である。

 それは二者において地位が弱いものにだけ感じる違和感のようで、僕の母親はそれを感じていないような発言を続ける。

「ニュークリアーなんて私にきまってるでしょ。ね」

 嫌味ったらしく、まるで子供に語りかける母親を演じていることを見せつけるように語尾に「ね」をつけて話す。

「ニュークリアーが私って――じゃあ僕が昔見たのは」

 言葉を理解できないでいる僕に対して、「はっはっん」という気味の悪い笑い方をしてから僕の母親は再び話し始める。

「頭の悪い私の愚息に、1つだけ教えてあげるわ。ヘルムホルツが小さい頃に見ていたニュークリアーは全て、いいえ、あなたの脳内にあるニュークリアーの記憶は全て、私が作りだした幻覚としての存在なのよ。ね。

 私は幻覚でニュークリアーを作り上げて、そして私の息子が夫を殺すように仕向けたの。ね。全て私が仕組んだことだと知らずに、ヘルムホルツは旅立ち、村の人は私を悲劇のヒロインとして扱うようになったの。ね。

 そこからは全て簡単だったわ。相手に心を開いているほど精神干渉はかけやすいのよ。ね。村の人全員に精神干渉をかけて私がこの村のトップになり、本当は私に命令されているともしらずに、自発的に地面にコンクリートを敷き、高いビルをつくり、モノレールの駅を建てて。休まず働いたのよ。ね。それこそ寝ずに24時間365日。死んだら他の人が変わりにそこに入って補填し、また昨日までと変わらないように開発が行われていくのよ。ね。過労で死ぬことをおかしいと、異常だと思わずに、私のためだけに一生働き続けて、そして死んでいくのよ。ね。おもしろいでしょう。この村がこんなに栄えているのは、言葉の綾でもなんでもなく、それこそ本当にたくさんの犠牲があるからなのよ。ね。

 今、この村に住んでいる人は1人の例外もなくみんな、私が遺伝子組み換えを行ったことによって生み出した人たちなの。ね。恐ろしい早さで子供を産み、気味の悪い早さで成人になるのよ。労働力にならない期間は無駄だから。ね。ただ、それだけの話よ。ね」

「そんなの」

 僕の顔には血が一切流れていなかった。真っ白で、真っ青だった。僕が十数年生きてきて、そんな考えに至ったことはない。発想がイかれている。狂っている。

 ずっと横で沈黙を貫いていたコールラウシュさんが話しだした。

「そんなの……幻術師にとって禁断で禁忌じゃない。あなたは幻術師として落第だわ」

「あなたに落第だと言われたところで関係ないわ。ね。私は私がやりたいように生きるの。そうしてやりたいだけやって、そして死んでいくの。ね。人は必ず死ぬわ。それが私達には考えつかない大きな世界の厳密なルールだもの。それを破ったら、それこそこの世界は宇宙よりも大きな何かによって潰されちゃうわ。ね。でも、私は1人の人間の人生として好きなようにやっているの。ね。自分を正当化するつもりはないけれど、人の生き方に干渉するのは人としての禁忌よ。ね」

 僕の母親、もといニュークリアーは話をしている最中、徐々に眼が黒々としていき、時折見える歯は真っ赤に染まっていった。最初に会った時と今では、完全に様子が違っている。

 その内面こそ変わってはいないものの、見た目に関しては幼稚園児の間違い探しのように変化している。

 つまりは臨戦態勢に入ったということだ。

「じゃあ」

 ニュークリアーはニタリと大きく歯を見せながら笑い、そして言った。

「決着を、つけましょうか」


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