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Tenpure 4-3

 洋館の入り口にある正門は1メートルほどの高さしかなく、少し気合を入れてみれば飛び越えることができた。洋館の敷地内に入って辺りを見渡してみても、敵と呼べるような敵どころか、人っ子1人いなかった。空を飛んだ時に工場を見てみたが、その工場も稼働しているような様子もなかった。

 おかしい。不自然なまでに人がいなさすぎる。洋館に向かう直前の坂で敵が数人出てきたが、それよりももっと早い段階で襲ってきてもいいはずだ。

 異常なまでに人がいない。

 周囲を警戒しながら進むが、やはり敵は出てこない。すんなりと、洋館の中央に位置している本館の入り口まですんなりと来てしまった。

 入り口に立つ僕達の前に鎮座しているドアは2メートルほどの高さを持ち、木彫りで細やかな装飾が施されている。ニスで塗られたそのドアを押してみるが、動く気配はない。

「ギーブ、みて」

 バラールはドアの端を指さす。

 僕はバラールが指さした方向へと視線を動かすと、そこには蝶番がチラリと見えた。ああ、押すんじゃなくて引くのね。とくに仕掛けがあるとかではなかった。

 僕はドアの取っ手を掴み、ゆっくりとドアを引く。

 刹那、シュッという音と風が耳の横を通りすぎる。僕は身の危険を感じてドアから離れる。音の正体はナイフだった。ナイフは遠く離れた地面に刺さって、そして消えた。

 なるほどね。そうそう簡単にニュークリアーのところまではたどり着けないということか。

 シャルルさんが鞘にしまっていた大剣を出して発光させる。そのまま剣を半分開かれたドアへと向ける。そういえばシャルルさんのテーマは光だったなあとのんきに思いだす。

「ヒッ」

 シャルルさんはドアの先をみた途端、驚き怯えながら後ずさりする。その反応を見て僕も恐る恐るドアの先の景色を見てみる。

 そこに広がっていたのは、天井から地面から壁から全てがテカテカと黒光りしている、モゾモゾした何かだった。それは光が当てられたことによってよりモゾモゾがはっきりと見えてしまい、瞬時、それを見ただけで鳥肌が立つ。

 それはゴキブリの集まりだった。

 隙間なくびっしりとゴキブリが敷き詰まっている。

「シャルルさんこれ……」

「ああ、ゴキちゃんだな。どっからどうみても」

 僕達が敷き詰められたゴキブリのせいで動けずにいると、ゴキブリが2つに分かれて奥から誰かが出てきた。

「ゴキブリきしょいんだけど。刺し殺していいの?」

「いいよ」

「こんなきしょいの刺したらナイフが汚れるっつー話じゃん」

「そ」

 軽く揉めながら出てきた人は、目が眩むほどに全身が金色の格好をした人と、それとは対照的に全身が真っ黒な格好をした2人組だった。

「やあやあ、よろしゅう。うちらはニュークリアーの知り合いみたいなもんよ。うちらが雁首そろえてノコノコと来たのは理由があるわけ」

 金色が話しだす。横にいる黒色は無言でうなずいている。

「あんたら、うちらの仲間にならんか?」

 その言葉は到底予想もつかないような発言だったので僕は思わずコールラウシュさんの方を向く。コールラウシュさんは駄々をこねる子を目の前にした時のような顔をしながら肩をすくめた。

「まあ待ちな。うちらの仲間になるってのも思考停止的に悪い話じゃないっつーのよ。あんたらは国内でも有数のアレニウス使いでしょ?だからうちらに優秀なアレニウス使いが加われば独立計画や人類制圧計画はめちゃくちゃ進むわけ。これはうちらのメリットね。あんたらはうちらの仲間になれば強い力が手に入る。もちろん奴隷だって欲しけりゃくれてやるし、待遇の面はハンパないよ。なにより、世界統一王国の初代7人になれるわけ。あんたら6人にニュークリアーを加えて7人ね。どうよ、悪い話じゃないと思うんだけど。ねえ、代表さん」

 金色はシャルルさんを睨む。

「……世界統一王国」

 シャルルさんは慎重に言葉を選びながら話していく。

「世界統一王国ってのは、その名の通り世界をひとまとめにした国だよ」

 それまで沈黙を貫いていた金色の横にいる黒色が話しだす。

「世界再編があってから、世界は新しいバランスで動きだした。この国もその時にできた新しい国さ。だけど、またバランスが崩れ始めている。世界の各国が加盟している世界斗も徐々に効力を無くしてきている。このままだったらいつ世界再再編が起きてもおかしくない。だから私達が世界を1つの国にするの。そうすれば崩れ始めたバランスを元に戻すことが出来るでしょ?世界再編の時みたいに何十億人も世界中で死者を出すわけにはいかないの」

 黒髪は流暢に話してのけた。

「そんなの――本当に上手くいくと思っているのか」

 シャルルさんは抑え込んでいる怒りが少し溢れ出てしまっていながらも冷静さを求めながら、渇望しながら返答する。

 そんなシャルルさんとは対照的に、いけしゃあしゃあとしている金色が呑気なリズムで言葉を返す。

「やってみないとわからないでしょ。でも、うちはできると思ってるよ。特にそのヘルムホルツ君の力は凶悪だねえ。あんたらが育てないでうちらが育てた方が絶対に強くなるっつー話じゃん。男なのにアレニウスを動かせるっつーレリティ以外にも別の才能がその子にはあるの。あんたらは引き出せないでしょ」

 突然、僕の名前が出たことに僕は言いようのない恐怖を覚えた。

 まるで僕が罪業を犯したような気持になる。僕が必要だと言ってくれることに戦慄している。本能的に危険を感じる。

 今まで誰にも頼らなかったし、頼ろうともしない人生を演じてきた。どんなに辛くても苦しくても、もしかしたら本当に自分が世界で一番辛いのかもしれないと思うような時も、それを一切顔に出さずに頑張ってきた。

 道化を演じてきた。どんなに自分が窮地に追い込まれていても、それをおくびにも出さずにおどけたことをした。時には死にたくても生にすがる自分を太宰治に照らし合わせて人生を悲観したりもした。しかし僕は、それでいて何も考えていないような、その場のノリと勢いだけで生きているように見えるよう行動してきた。本当はそんなことないのに。

 そんな僕を見て、人は誰も僕のことを心配しなくなった。頼られるようになった。僕は頼られるようなほどにできた人間じゃないのに。できそこないで、ちょっとしたことにも僻んで、なんでもない仕草で人のことを嫌いになってしまう、人間として落第した落ちこぼれだ。

 怖い。僕が必要というその言葉が怖い。状況が怖い。それまでの人生を全て踏みつぶされたような、本来なら喜んでいいはずなのに、僕は喜べなかった。

 幼少期にこの町を出て他の町に行ってから、僕は誰にも甘えなかった。まだ年齢から見れば甘えざかりの時期なのに、僕は施設の職員に甘えなかった。今思えばそこのころから道化を気取っていたのかもしれない。人が怒ることを酷く恐れた。怒りの反対である笑いを知らず知らずのうちに追い求めていたのかもしれない。

 ああ、こんな、会ってまだ数分しか経っていない相手に必要とされる。それは僕にとって恐ろしいことだった。まだ耐性が付いていないのだろう。

 僕にはまだ早すぎたのだ。慣れていない。

 考えれば考えるだけ、恐怖が体を、脳を支配していく。

 僕は意識を体へと移していく。

 そこでやっと、血液が上手く循環していないのが分かった。手が冷え足が冷え、頭がズキズキと痛みを訴える。

 このまま凍死してしまうのではないか。僕は冗談でも比喩でもなくそう思った。

「大丈夫よ」

 その声が聞こえたのと同じタイミングで体にぬくもりが伝わってくる。その声の主はコールラウシュさんだった。

 コールラウシュさんは僕を後ろからそっと抱きしめる。頭から背中から、僕の体がコールラウシュさんの体温によって温められていく。

「もう何も考えなくていいの。これが終わったら、そうね、ゆっくりとお茶でも飲みましょう。素敵なお菓子も用意しておくわ。シャルロット、好きでしょう?」

 コールラウシュさんは僕に他愛もない言葉をつらつらと沁みこませていく。

 僕の冷えきった心は、その少しの言葉の大きな力によってじっくりと、それでいてじんわりと温かくなっていった。

 ああ、落ち着くなあ。

 よく考えれば人肌に触れるなんて、今までの人生でそうそうあることじゃなかった。それこそコールラウシュさんがこうやって人肌に触れることを重くならないようにしてくれているから最近はそうでもなかったが、学校に来る前はそれこそ1回もなかったかもしれない。

「これから少し辛いことが続くかもしれないけど、頑張ってね」

 コールラウシュさんは最後にそう言って、僕をよりいっそう強く抱きしめた。

「シャルちゃん」

「分かった」

 シャルルさんはコールラウシュさんの意図を理解したように頷き、そして金色に話す。

「その提案は断らせてもらう。私達はこの国が好きだからな」

「ふーん、じゃあ、交渉決裂だねえ。しゃーない。ここで死んでもらおうか」

 金色は戦闘態勢に入る。背中には数えきれないくらいのナイフが放射状に並んでいる。

「いっちゃれナイト!」

「はいはい」

 ナイト、と呼ばれた黒色の少女はパチンと右手を鳴らして、叫んだ。

「サンセイロウチンサク!」

 叫んだ途端、洋館の入り口に待機していたゴキブリがもの凄い勢いで飛んできた。艶々とした塊が羊羹のように押し出されていた。

 全体では真っ黒にしか見えないくせに、その一体一体がうようよと手足羽を細かく動かしながら移動している。

 生命力に圧倒される。

「バラール!今だ!」

 シャルルさんはバラールに叫ぶ。

 バラールはいつの間にか地面に寝そべっていて、いつもとは違う見た目の槍をスナイパーライフルのように立てている。どうやら前々から準備していたようだ。僕が気がつかなかったのは、きっとアレニウスで気配を消していたからだろう。

「エンゲージメント!」

 槍の先から鋭く黒い何かが飛び出して広がっていき、ゴキブリと金色黒色、それにシャルルさんを覆った。その後にバラールも黒い何かの中に入る。

 その黒い何かはバラールを中に入れたのを基点としてどんどん小さくなっていき、そして消えた。

「コールラウシュさん?」

 僕はその奇妙な光景に思わず説明を求める。

「あの中で戦っているのよ。さあ、行きましょう」

 コールラウシュさんはゴキブリがいなくなってスッキリした洋館の中に入っていく。僕も後についていくように進む。

 洋館の高い天井の近くには窓が設置されていて、そこから光が入ってくる。窓の明かりを完全に遮断してしまうほどのゴキブリがいたのだと思うと背筋が凍る。

 洋館は人の気配を感じさせないほどに静かだった。僕達の足音がカツカツと洋館中に反響している。

 普通の洋館とは違って、ここは分岐点がなかった。右に左にと扉はついているものの、廊下は直線と右折左折を繰り返すばかりで、一向に分岐する気配がなかった。コの字状に建築されているようで、途中で外と出入りできる玄関のようなものが数個あったが、そのどれもがコの字の外側に出る方向の玄関で、内側に入ることのできる玄関は1つもなかった。

 そしてなによりも異常だったのが、敵が1人も出なかった。左右には扉があり、天井も高いことから奇襲攻撃が来てもおかしくなはいはずなのだ。こちらも細心の注意を払っていたのだが、障害は一切なくスイスイと最深部まで来てしまった。

 僕は正義と悪の話を思いだした。もしかしたらニュークリアーは意図的に人を除けておいたのかもしれない。ニュークリアーにとっては自分の身を守ることよりも他の大多数の人の安全を守る判断をしたのかもしれない。工場が動いていなかったのも、庭に人がいなかったのももしかしたらそうなのかもしれない。ニュークリアーにとってはそれが正義的な行動であり、また、ボスとして待ち構えるのも正義であることだと考えているのかもしれない。悪でいることが正義だと。

 ならば僕は正義であるために正義であり続けることが、唯一の筋が通った方法になるのかもしれない。

 そう考えずにはいられなかった。

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