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聖女の宿命  作者:
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フラグチェックともの思い2


「これは……」


 言葉を失うラタムを背後にして、あたしは部屋に踏み入った。


 狭く、奇妙な形の小部屋だった。まるで後から空いているスペースを無理矢理に部屋にしたかのような、そんな印象を受けた。ただ部屋の奥にだけは、平らな広い壁を確保してある。


 そこに、その絵が飾ってあったのだ。


 大きな絵だった。バルコニーの窓を覗いているのかと錯覚するほどに、大きく、そして生き生きとしていた。


 今までの通ってきた画廊の厳粛な空気とは打って変わって、それはとても牧歌的な風景だった。柔らかな空の青、若草が広がり、花々が咲き乱れる春の平原。遠くに光る湖から、この離宮のすぐ近くを描いたものだろうと知れる。

 敷物が広げられ、バスケットにはいっぱいに、色とりどりのごちそうが詰まっている。ピクニックだ、と見た瞬間に思った。絵に映る十数名の男女は、皆が笑顔を浮かべている。座っておしゃべりしている者。楽器を鳴らす者。歌う者。手を取りあって踊っている者。嬉しそうに大口を開け、クリームたっぷりのパイにかぶりついている者。


 そして画面の中央には、立ち上がったところなのか、それとも手に持つ大皿の重さに転びかけたのか、青年に腰を支えられ、恥ずかしそうにする少女がいた。その顔には見覚えがある。だって、直前まで見ていた顔だ。でも先程とは全然違う。内から滲み出るような、はにかんで笑うその表情。


「ニゲル……」


 いっそ衝撃的なほどに、それは幸福の一枚だった。

 硬直を解いたラタムが進み出て、絵の隅を点検している。


「やはりか。イーアの作だ」


 視線を向けると、つくづくと絵を眺め直しながら、ラタムは説明してくれた。


「有名な画家だ。そういえば、七代聖女ニゲルの、確か一のベルだったな。当時の王の末子だったが、絵の才が非常に優れていたため、臣籍に下って神殿入りしたといわれる。彼の絵は今なお人気が高い。見覚えのある筆致だと思ったんだ。彼の絵は中央神殿にも多くある。残されているのはほとんどが宗教画だが――こんな絵も描いたのだな」


 年の頃から考えて、おそらくここにいる彼が本人だろう。そう言ったラタムが指差した先には、中央からは少し外れた場所で、一心にスケッチをする小柄な少年がいた。


「これ、本当にあったことなのかな」


 思わず漏らしてしまう。もし本当だとしたら、それならどうして──。


「後ろの絵は見た?」


 こつん、と靴音がした。はっと振り返ると、吹き抜けになった戸口に、金の髪の青年が立っている。


「ジギリス? 後ろの絵って……」


 あたしの瞳は彼の隣に吸い寄せられた。ちょうど、出入り口の方に視線を戻すと見える位置に、もう一つ、小さな額が掛かっていたからだ。


 近づいて眺める。同じ人の作なんだろうけど、写実的な大作である奥の絵とは違って、そちらはデッサンに、薄く色をつけただけのものだった。遠くを見る少女の横顔。物憂げな視線は、窓の外を見ているのか、それとも違うところに思いを馳せているのか。僅かな絵の具しか使わない簡素な絵なのに、ぼうと光る月と森が幻想的で、なるほど確かに、力量のある画家だったのだろうと思わされる。


 下部に鉛筆の掠れたような跡があった。目を凝らすと、どうやらなにか走り書きがしてあったのを、乱雑に消したものらしい。短い文章のように思われるが、内容を読み取ることまではできなかった。


「過去に一度、カフィア殿下のお供で、こちらの離宮にお邪魔したことがあるんだ。その時に僕もこの部屋を見せてもらった。驚いたよね。気になって、帰ってから色々と調べたよ」

「ニゲル、だよね。これも、あれも」

「他のだれでもなく、ね。その通りだよ。興味深いことに、この絵の作者はベルではあったけれど、ニゲルとそれほど仲が良かったわけでもなかったそうだ。むしろ、なかなか人に馴染まず萎縮する彼女に、苛立っていることも多かったとか」


 ニゲルの友人だった少女の記述を思い出す。確かに、そんなことを読んだような読まなかったような。


「それでも、嫌っていたわけじゃなかったってことなのかな。奥の方の絵は、ニゲルが亡くなった後に描かれたものなんだって」

「そんな、まさか」

「嘘じゃないさ。彼女の死を知ってから、何日も部屋に籠もりきりで、まるで取りつかれたように仕上げたのだとか。……さすがに、絵を納めた後は、この離宮には寄りつかなかったようだけど」


 あたしは再び絶句した。

 美しく完璧な幸福の図。それなのにそれは、既に届かない思い出を描いたものだというのか。笑う人々、春の空気が感じられる風景。とても楽しげなそれらが急に、ひどく哀切な色あいを帯びた。


「もう一枚の描かれた時期はよく分からない。その頃よく持ち運んでいたスケッチブックの中にあったらしいから、もしかするとニゲルの生前に描いたのかな、とも思う。こちらに持ち込まれたのは随分と後で、彼の死後、遺品整理をしていた人が、同じ部屋に飾って欲しいと頼んだというよ。若い頃の、しかも落書きに近いもののようだから、作者にとっては、こんなところに飾られているのは不本意なことかもしれないね」

「落書きというにはハイクオリティ過ぎるけどね……」


 ジギリスはゆっくりと部屋を横切り、奥の絵の前に立った。


「この中央でニゲルと寄り添っているのは、彼女の四のベルだった男みたいだよ。元々は身分の低い騎士で、功績によって取り立てられたとか」

「ああそうか、この人か」


 少女が亡くなって、たいそう悲しんだ人。


 ──『一等酷いのはあの方ですね。当然のことですけれど』


 ニゲルの友人も、そう書いていたではないか。


「ねえ、この絵を見た時、思わなかった?」


 問いかけられた先の言葉は、容易く想像がついた。

 こんな絵が描かれるくらいなら、こんな光景があったというなら、どうして。


「どうして彼女は死ななければならなかったのだろうって」


 なにがそこまで、彼女を追いつめたのだろう。


「だれかに要らないことを吹き込まれたんじゃないの」

「僕みたいな?」

「そう、あなたみたいな」


 頷くと、彼はおかしそうにふふふと笑った。くそ、こたえてないなー。


「……そうだとしても、彼女は信じられなかったのだろうか」


 問いかけではなく、ふと漏らされたようなそれは、耳に痛い言葉だった。

 あたしは無言で奥の絵を見つめた。映るのは、人の好さそうな顔ばかり。手前の絵も見返した。静謐な横顔は、どこか侵し難いものを感じさせる。


 信じられなかったのだろうか、とジギリスの声を復唱するように考えた。そうなのだろうな、とも。人を信じること、信じ続けることはとても難しい。一度でも、ほんのちょっとでも、疑いを持ってしまったなら、それがずっと囁き続けるから。

 信じてもらえなかったからこその、これは悲哀の絵なのだ。


「作者の知らぬところで、ニゲルが耐えきれなくなるほどの、なにかがあったのかもしれないぞ。結局この絵も、一人の視点から見た出来事に過ぎないのだから」

「確かにね。和やかな光景の裏で、だれかが嘘を吐いていたかもしれない。なにかを隠していたかもしれない。それは僕らには分からないことだ」


 ラタムの言をジギリスは認めた。

 だからお前みたいにな。素知らぬ顔しやがってー!


「それにしても、ずいぶんと違うよね。まるで別人みたいだ。どれが本当の彼女だったのかな」

「全部本当だよ。全部、ニゲルだったんだよ、きっと」


 肖像画の、強張った顔の聖女。奥の絵の、年頃の娘らしく恥じらう少女。手前の絵の、もの思いに耽る女。しかしそのどれもが、紛れもなくニゲルの一面ではあったのだろう。


 あたしが絵に気を取られているうちに、ラタムが進み出ていた。おかげで反応が遅れた。


「お前に聞きたいと思っていたんだ」

「なにかな?」

「以前、言ったそうだな。ルディカがいるから、〈穴〉などが生まれるのだと。ルディカの存在意義のために〈穴〉は世界グルデナを損ねるのだと」

「あらら。ハスったら酷いなあ。言っちゃったの? 僕ら二人だけの秘密だろう?」


 ジギリスはこちらに目を向けて、笑いながらそんなことを言う。あたしは白けた表情になり、「あほか」とだけ返した。


「なぜそんな風に考えたのか、その理由が知りたい」

「理由ね。正確にはこれ、僕の考えってわけじゃないんだよね。ご先祖様のなんだよ。ほら、先々代のグズマに反逆した、我がターレン家の異端のベルだよ」

「えっ」

「なんだと……?」


 ターレン家って確か、グズマの事件の後、本流は潰されてなかったっけ? 分家が本家に成り代わって、それでなんとか名を繋いだとか。さすがに建国以前からの大貴族を、完全に消したくはなかったらしい。


「僕は直接彼の血を引くわけじゃないけど。彼やその前の当主なんかが集めた資料は結構うちに残ってるんだ。それらを元に考察した書きつけとかもね。ターレンは、血統の古さだけはなかなかの家だろう。ベル輩出を続けていることもあって、ルディカ関連の蔵書に関しては、王宮や神殿とも張れると思うよ」


 ラタムがうずうずと身じろぎをする。うわ、めっちゃ見たそう。めっちゃ気にしてる。


「単に嫉妬のために事件を起こした例の婚約者殿とは違って、ターレン家の彼は、ルディカに安寧を委ねることに、異議を申し立てる意味で協力していたみたいだ。ま、そこまでの思想は王家にも神殿にも睨まれるから、うちの家が必死に隠蔽したみたいだけど。あんまり国を荒れさせると良くないってことで裏取引とかもあったんじゃないかなあ」


 これ、一応内緒ね、とジギリスは口の前で人差し指を立てた。似あってるのがむかつくし、そんなたいそうな情報漏らされても困るし。本当にやめて欲しい。


「それでお前は、その思想が正しいものだと思っていると?」

「んー、正直なところ、僕にとって真偽はどうだって良いかな」

「ちょっと待って、あんた、これが真実ですって感じで語ってたじゃない」

「それはそれだよ、ハス」

「あああ腹立つ! 笑ってもごまかされないからね!」


 そのものの真偽よりも、あたしをぺちゃんこにすることの方が、こいつの中では優先されたのだ。あたしはわなわなと震えた。こいつ絶対に許さない。一生許さない。


「でも、筋が通ってる考え方ではあるんだよ。彼が参考にしてたのは、サフェーレの手記だというし。いやあ、まあ、本物かは分からないけどね」

「……は? 二代目ルディカの?」

 思わぬところからの援護射撃を見た気分で、呆然とする。


「サフェーレだと? あり得ない。彼女の手記はだれにも読めないはずだ」


 ラタムが強い口調で言った。


「ごめん、あたしついていけないんだけど」

「聖女サフェーレが残した手記は、彼女の母語で書かれているのだ。まとまった量があるので、何度か解読が試みられた、との記録は私も読んだことがあるが……。現在は他のルディカらが残したものと同様、中央神殿に保管されていると聞いている」


 なるほど、実際に、そういうものが存在はしているわけだ。確かにあたしが今、日記とかなにかを日本語で残したところで、それはあたし以外には読めないものになる。

 ……いや、ラタムはどうかな。日本語ちょっと教えたしな。ていうか、もしかして、そういうことも考えて、この人は日本語を教わってたりするのだろうか。うわー、変なもの残さないようにしよう。

 ていうかそんな、プライベートなものは捨てましょうよ。読めないとしても羞恥プレイだよ。日記とか、手紙とか、確かに歴史的文献になりますけども。いざ自分がとなると、捨てて! としか思えない。


「それがどうも、翻訳があるらしい。彼が入手できたのは、一部に過ぎないようだけど」

「……あるのか?」

「うちに? うん、そんな怖いもの触れないし、そのまま保管はしてあるよ。僕も見たけど、古代帝国語でね、読めなかった」

「本物にしても偽物にしても、一度見てみたい」

「うーん、持ち出すのはさすがに無理かなあ」

「それなら……」

 ラタムが勢い込む。


 そこで、こん、とノックの音が響いた。


 あたし達は三者三様に振り返る。あたしはびっくりして、ラタムは鬱陶しそうに、ジギリスは少し口元を緩ませて。

 この小部屋には扉がなく、出入り口は塞がれていない。だからさっきの音は、入り口近くの壁か柱かを叩いた音だったらしい。


 そこにはアサキオが立っていた。

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