無償の愛の謎(16)完
糸原の事件は、さほどメディアでは取り上げられなかった。動機は荷島太郎を狙った人質立てこもり事件だが、その名前は伏せられていた
荷島太郎にとっては、こんな事は日常茶飯事。糸原の事も知っていたそうだが、その処理は聡に丸投げしていたようだった。また、メディアに彼の名前が出ても、色々と差し障りがあるようで、その点はもみ消されていた。
事件が解決し、一週間がたつ。どちらといえば糸原の立てこもり事件より、亜由が逮捕された事が大きく報道されていた。メディア情報だけみると、亜由と糸原の痴情のもつれの末の犯行に見える。糸原は素直に罪を認め、重奏町で野菜泥棒をしつつアリスたちを尾行し、亜由に近づき情報を得て犯行に及んだ事を告白していた。一方、亜由は逆ギレして黙秘を貫いているらしい。
亜由は余罪が山ほどある模様。数億円貢がせた被害者もいるらしく笑えない。亜由の顔写真も公開されていたが、「あんな地味な女なのに?」と疑問視されていた。しかし、実際の亜由の詐欺シーンを見ていた誠は、微妙なブスの方が信憑性が高まり、結婚詐欺をしやすいだろう。モデルのような美人だったらもっと警戒されるだろう。ちなみに亜由は男達からの金はホストに貢いでいたらしい。色んな意味で笑えない。
ネットでも亜由が逮捕された事に軽く炎上中だった。騙されていた被害者の家族は喜んでいるようだが、当事者はまだまだ夢の住人も多く、目が覚めていない。そんなネットを見ていると、誠は複雑な気分だった。
あの立てこもりの状況は警察にも詳細に話したが、無茶するなと怒られた。下手に刺激したら死ぬ可能性もあったんだと言われる。さすがに自分でもやりすぎたと思い反省した。
すき焼きの材料は、意外と腐ってなかったので、煮物にして一人で食べた。弁当に入れて会社に持っていって食べていたが、しばらくすき焼き地獄だった。やっぱりすき焼きは誰かとシェアして食べる方がいいだろう。
豊がこのすき焼きを食べる事はなかった。あの後、気を失い、病院に運ばれたが、胃に病気が見つかり、しばらく入院する事になった。事件のショックもあり入院した方がメンタル的にも良いかもしれない。
「まあ、亜由が捕まったのだけは良かったな」
誠は、病院のロビーで週刊誌を読む。亜由の記事を読んでいたが、面白おかしく書かれていた。豊の事は書いてない。アリスに頼み、荷島太郎経由で、彼のことはメディアに扱わないよう頼んだ。案外快く聞いてくれた。豊も母親の問題があるし、メディアに憶測を書かれるのは、良くないと判断した。この週刊誌を見ていると、その判断は間違っていないと思わされた。
「誠さーん!」
学校帰り、制服姿のアリスもやって来た。派手なお嬢様風の制服と、同じく仕事帰りで作業着姿の誠は、変な組み合わせに見える。病院の看護師にパパ活を疑われて困った。もちろん、パパ活ではない。豊の見舞いに来ただけだった。
看護師の痛い視線を感じながら、部屋番号を聞き、二人で向かう。豊の入院代は荷島太郎もちになったので、個室だ。持つべきものはセレブの友達か。いや、こんな事件に巻き込まれた時思うと、セレブすぎる友を持つのも考えものだ。極秘家庭出身の誠だが、身の丈に合わないようなお金は、持ちたくなくなった。同時に金持ちへの嫉妬や憧れも消えてしまい、日々仕事も真面目にこなしていた。職場は人手不足もあいまり、今後正社員登用の道もあるとマネージャーから聞く。まだ鵜呑みにはできない情報だが、少しは希望も出てきたところだ。
「豊、来たぞ」
「私も来ましたよ。高級クッキーもお土産で持ってきたんだから」
豊の病室に入る。
豊はベッドの上でぼんやりとしていた。看護師によると、ずっとこんな調子らしい。やはり、事件のショックは大きいようで、豊の目はとろんと虚だった。それに食欲もないのか痩せている。豊の顎なのか、首なのか、顔なのかよくわからない部分がシャープになっていた。太りすぎるのも考えものだろう。痩せた事は事件後で唯一良かった事かもしれない。
もう夕方だ。病室の窓からは、オレンジ色の夕陽が差し込んでいる。白くて無機質な病室だったが、夕陽のおかげで少し柔らかく見える。
「亜由ちゃんって詐欺師だったのか……」
豊は下を向き、ポツポツと呟いていた。
その目は虚無。頭のお花を無理矢理刈り取れば、そうなるだろう。迷子の小さな子供を見ているみたいだ。かわいそうで見てられない。アリスも咳払いをし、微妙な表情を浮かべていた。
「なんか、夢だったのかなぁ。一緒に弁当食べたり、公園でデートしたり」
豊の黒い目からポロポロと雫が落ちている。
おそらく豊が女性と仲良くデートする事は、二度と無いだろう。誠も一生無いと思う。今回の件で女の厳しさも思い知ってしまった。
「だったら、私とお兄ちゃんと誠さんで、ダブルデートでもしましょうよ?」
「アリス、俺と豊を勝手にカップルにするのやめてくれん?」
「え、カップルだと思ってた!」
「やめろ! 俺はガッキー一筋だ!」
「はは。君たち、漫才コンビみたいだなぁ」
誠達の冗談に、豊は久々に笑っていた。これぐらい笑えるなら、気は狂ってはいないようだ。涙はまだ止まっていないが。
「そう、夢だった……」
「うん、豊。これは夢だった。そう思っておくといい」
「そうね。夢だったのよ」
「うん。そうだった。いい夢だった。亜由ちゃんの事は夢だと思うことにする」
豊は涙を拭う。ようやく涙が止まったようだ。ここで亜由の本性とか正論を話す必要はない。夢だと思っていた方がいいに決まってる。
無償の愛なんて誠もわからない。それでも豊のために出来る事は、一つだけなら思いついた。
後でこの事を牧師である義父に話したら、褒められた。「正論は、時に人を傷つけます。どんな時も愛を持った行動しないと、正論も無駄になる」と。
夢は夢。
亜由の事は、いい夢として処理するのが一番だろう。もうこの件は豊の前でほじくり返さない事に決めた。これが誠が豊の為に出来る唯一の事。アリスも義父も、母も、時子も聡も。みんなそうだ。豊は近所のみんなから愛されてる。
意外な事のあのパワハラ熊木も豊の見舞いに来た。相変わらず口は悪かったようだが、「早く仕事に復帰しろ!」と励ましていたらしい。そのおかげか知らないが、豊も仕事に復帰後は一生懸命働いていた。
親の借金は返せるかわからないそうだ。ただ、誠の家にいる限り、家賃は浮くし、少しは金銭的に余裕ができたという。まだまだ誠と豊の同居生活は続くようだ。




