吸血衝動
殺したかったわけではない。
食べたかっただけだ。
〜佐川一政〜
ここで、とある疑問を提示しよう。
なぜ人を殺し続けたものは殺人鬼と呼ばれるのか。
人であるのに異形なものである鬼と呼ばれる。
人なのに鬼と呼ばれ、
鬼であるのに人である。
その定義に疑問を抱くだろう。
だがしかし、答えは簡単である。
人を殺し続けたものはいつしか変化しだすからだ。
見た目でも内面でもなく本質的な人としての“なにか”がである。
そして、その本質的な“なにか”が変化してしまったとき人は人としての領分を越える。
越えてしまうのだ。
我々がなり得ないものを想像してみてほしい。
神、天使、悪魔、鬼、妖怪、なんでもいい。
これらは人々の信仰や畏怖を得て昇華する異質な物質である。
また最強であり最狂でもあり最凶でもある彼らは人類の歴史の一編にいとも簡単に介入してしまう。
バベルの塔やノアの箱船など様々な歴史の臨界点である彼等。
そんな者達を生むのもまた人間とは滑稽な話である。
『なんて、どうでもいい話なんだけれどね』
そう言って、篠宮雪はバーガーにかじりついた。
隣にいるはずの鬼の少年は今いない。
先程どこかへ出掛けてしまったのだ。
自分を置いて。
いつもいるはずの存在。
偶像でも虚像でもない彼女の大切な物はいまここにいない。
そう、いないのだ。
不思議と足元から寒気が寄ってくる。
別段冷気が強いわけでもない店であるにも関わらず寒気は少しずつ詰め寄ってきた。
それとは別に脳内には別の衝動が這い寄ってくる。
俗に言う吸血衝動と言う奴だ。
少女はフッと笑い自らの属性を恨んだ。
自らの吸血鬼の血を。
少女は、吸血鬼の純血であった。
すべての鬼に崇められる存在。
それが自分だった。
なのに今ではこんな簡単に吸血衝動に負けてしまう。
情けない限りだ。
そしてまた、彼がいないからだ。
とも、少女は思った。
彼は自分自身を自らの枷だと表現していた。
が、少女としては違う。
彼は自らの吸血衝動への楔であり生き甲斐だと思っている。
少年には内緒ではあるが、少女は少年に恋をしていた。
彼に嫌われたくない彼を殺したくない。
その一心での我慢も彼がいないと限界はすぐにやって来る。
殺したい。
血をすべて吸って皆殺しにしたい
と言う欲望が。
やってはいけないことはわかっている。
だがそれでも欲望には勝てそうになかった。
ハンバーガーショップの定員を見るたびに思うのだ。
あぁ、殺せるな。…と
殺したいな。…と
少女は暫く定員を見つめたあとおもむろに自らの髪の毛を引っ張った。
吸血衝動を我慢するためだ。
痛い、久しぶりに感じた痛みだ。
そう感じながら少女はオレンジジュースに手をつけた。
だが、しかし頭がじわじわと痛くなってくる。
あー、いらつく。
『あれ?雪さん?』
そんなことを考えていると後ろから不意に話し掛けられた。
少女は自分でもわかるくらい不機嫌そうな顔になりながらもゆっくりと振り向いた。
そして、殺人衝動が吹き飛んだ。
口に含まれていたオレンジジュースと共に。
『ごほっ…ごほごほ!れっ…霊華君かい?』
そう、彼女に話しかけてきたのは彼女が大嫌いなはずの霊華だった。
物静かなくせに高飛車で面倒くさいことをすべて自分達に押し付ける。
本来ならばそれが、雪の彼女へのイメージだった。
そう、本来ならば。
しかし、彼女は今いつもの気取ったスーツ姿ではなくなぜかメイド姿だった。
黒と白が入り交じったそれを丁寧に着こなしている。
自前なのかわざわざカチューシャまで着けて。
メイド服と彼女の長身のミスマッチがやけに似合ってはいるのだが訳がわからない。
『はぁ…私ですが…どうかしましたか?』
そんな雪の疑問を露とも知らぬかのように霊華は可愛らしく首をかしげた。