第八話
朝、目を開けた瞬間に耳の中の線が先に伸びて、外の砂を踏む音を引っ張ってきた。引っ張られた足音は近くに置かれて、近いのに誰も来ないまま増えていく。増えていく音の間に紙の擦れる音が混ざり、混ざった紙の音が乾いているせいで、呼吸が勝手に浅くなる。膝の横は今日も軽い。空の重さだけが残って、指が勝手に握る形になり、その形をほどくのに力がいる。力がいるのが嫌で握ったまま寝床を抜けると、朝の白い光が皮膚に貼りつき、貼りついた熱が汗を出させ、汗がすぐ乾いて突っ張る。
縄は増えていないのに、杭が増えていた。杭の位置が揃っていて、揃っているものほど近づく前に止められる。止められるのを体が知っているから、足が勝手に歩幅を小さくして縄の線の間だけを探す。探した線の間を通るとき、砂が沈む音がやけに大きい。大砲の布は今日も揺れない。等間隔の石が白く浮き、白いものが目立って、目立つものほど見てはいけない気がするのに、目だけが戻ってしまう。
石の陰に子供はいなかった。いない影は広く、広いのに落ち着かない。落ち着かないから地面を見て歩き、縄の線を踏まないように靴先を置く。置くとき、背中から靴音が一直線に来て止まり、砂が沈む音がして、声が短く落ちた。
「ぐずぐずするな、こっちへ来い。今日はお前に見てもらわねばならんものが増えた」
腕を掴まれる。掴む力は強くない。強くないのに向きは決まっていて、決まった向きへ足が動き、縄の間を通るとき肩が勝手にすぼまって呼吸がさらに浅くなる。縄の内側に入ると、砂の匂いの下に布と油が混じり、油の匂いが指先の記憶を引っ張り出して、握ったままの手が勝手にさらに固くなる。固くなった手のひらが開かないまま、襟の立った服が見える場所へ連れていかれる。
今日は襟の立った服だけじゃなかった。襟の立った服の後ろに、もっと布の厚い服が二つ、影の中にいて、影の中の二つは砂が付いていない。砂が付いていないのがここでは変で、変なものがあると耳の線が太くなる。太くなった線が紙の音を拾い、紙の音が一箇所で重なって、重なる音のせいで喉が一回だけ鳴る。鳴った喉が乾いて痛い。
襟の立った服が何も言わないまま、こちらの手首を見て、指で短く示した。横の兵士が布の細い帯を持ってきて、帯を手首に巻きつける。巻かれた帯がきつい。きつい帯が脈のところを押して、押された場所が熱い。帯の端に小さい札がついている。札には黒い線が並んでいる。線が読めない。読めない線はただの模様で、模様は遊びのルールみたいに感じる。感じても声は出ない。出ない声の代わりに、口角が勝手に少しだけ上がりそうになって、上がりかけたところで兵士の目がこちらに刺さって止まる。止まる目は笑っていない。
「ふざけているのか。さっさと立て。そこがお前の定位置だ」
言葉は短い。立つ場所は固い線の上。靴底が沈まず、沈まない足は安定して膝が固定され、固定された膝の上で呼吸が浅いまま揃う。揃う呼吸の中に、板が置かれる。昨日の板より大きい。板の上に黒い線と印が多い。印が増えると目が迷う。迷うのに、耳の線は一本になって空の一点を硬くする。硬い一点が決まると迷いが減る。減った迷いの分だけ、指が勝手に板の端を押さえようとする。押さえる前に、横の兵士が短く言った。
「風で煽られるだろう。しっかり両手で押さえろ。その板が、お前の新しい耳だ」
押さえる。板は熱い。熱い板が指の腹を焼く。焼けた指が痛い. 痛いのに離せない。離すと言われていないからだ。襟の立った服が視線を上げ、空の斜めを見て、指を一本だけ動かした。指の動きが小さい。小さいのに、耳の線がその動きに寄って、寄った線がまた空へ伸びる。
音が来た。遠い。遠いのに太い。太い音が二つ重なって厚くなる。厚くなると耳の線が二本になり、二本が交差して、交差した場所が決まる。決まった場所に目が貼りつく。貼りついた目の先で、薄い影が出る。影は小さい。小さいのに速い。速い影が縄の外側をなぞるように滑り、滑る影の少し前へ目が勝手にずれる。ずれた場所が「そこだ」と体に決まり、決まった瞬間、口の中が鉄の味になる。
「いいか、動くな。お前が指した先に、あいつらが飛び込んでくるんだ」
背中から短い声。動かない。動かないまま、板を押さえる指だけが痛いまま固くなり、固くなった指の痛みが確かで、確かなものだけを持っている気がする。砲のほうで布の端が上がる。上がった布の下から砲身の影が一瞬見える。見えた影が太い。太い影が空の薄い影に重なりそうで重ならない。重ならない距離があるのに、体の中では「ここだ」が揺れない。
砲声が来た。胸でぶつかる。腹が叩かれる。舌の根が跳ねる。口の中の鉄が一気に濃くなる。白が目の前に広がり、白の中で薄い影が一瞬だけ欠ける。欠けた影が戻らない。戻らない欠け方が、影の線を折って、折れた影が低い方へ落ちる。落ちる影は速い。速いのに、落ちる角度ははっきり見える。見えている間、息が止まっていた。止まっていた息が戻って喉を擦り、擦れた喉が痛いのに、目は動かない。
地面の向こうで黒いものが跳ねた。跳ねた黒が砂の色に落ち、落ちた場所だけが一瞬暗くなる。暗くなったまま煙が立つ。煙は細い。細いのに上へ伸びて途中で折れ、折れた煙が風に引かれて横へ伸びる。伸びる灰色を見ていると、胸の奥が軽くなる。軽いのに胃が縮む。縮むのに、口角がまた少しだけ上がりそうになる。上がりそうな形は、遊びで当たったときの形に似ている。
肩が強く掴まれた。掴まれた肩が骨に当たって痛い。痛いのに声は出ない。首の後ろが押されて視線が下へ落ち、板の上の黒い線を見る。線の印が乱れている。乱れた印がさっきの落ち方と同じ形に見えてしまい、見えてしまうと呼吸がまた揃う。揃う呼吸の中で、背中から短い声が落ちた。
「余計なものを見ようとするな。お前はただ、目の前の板を正しく動かしていればいい」
同じ言葉。短い。見るなと言われたから、目を板から外し、外した目が自分の指を見る。指の腹が赤い。赤いところに砂が付かない。付かない赤は目立つ。目立つものは隠す。隠す癖が出て、指を握る。握ると痛い。痛いと指が確かになる。確かな痛みだけが今ここにいることを教える。
襟の立った服が紙を折る。折る音は小さいのに、耳の線がそこへ寄る。寄った線が煙の方角へ戻り、戻った線が煙の根元を指す。指す先は縄の外側のもっと向こうで、向こうは見えない。見えないのに指す。
「もう終わりだ、戻れ。明日はもっと数が増えるぞ」
戻る足は縄の間を通る。通る足が勝手に遅くなる。遅くなると熱が足の裏から上がり、上がった熱が膝を溶かし、溶ける膝のまま外側へ押し出される。押し出された直後、靴音が増えた。増えた靴音が一斉に同じ方向へ向かう。向かう方向は煙の方角。煙の方角へ向かう背中は曲がらない。曲がらない背中が揃って遠ざかり、遠ざかる背中の間に布が担がれているのが見える。布の下に硬い形。形は長い。長い形が揺れないように手が多い。多い手が揃って動き、揃って動く手の間から濃い色が一瞬見えそうになった瞬間、体が勝手に目を逸らした。逸らした目が手首の帯を見る。帯の札の黒い線がまだ読めないまま揺れている。
昼、縄の内側は静かになった。静かなのに耳の線は太い. 太い線が煙の方角を指し続け、指し続けるせいで布の擦れる音が遠くなる。遠くなる代わりに、遠い足音が近くに聞こえる。近くに聞こえる足音が何度も戻り、戻るたびに砂を払う音が混ざり、払う音が乾いていて、乾いた音ほど耳の線に刺さる。
夕方、風が少しだけ強くなって、煙の名残が薄く散った。散っても消えない灰色が空の端に残り、残る灰色を見ていると耳の線が少しだけ細くなる。細くなった線の代わりに、背中で命令が増える。増える命令は短い。短い命令に足が勝手に動き、動く足が縄の線を避け、避ける歩幅が体に固定される。固定された歩幅は遊びの線じゃない。遊びじゃないのに、覚えるしかない。
夜、寝床に戻ると手首の帯がまだきつい。きつい帯が脈を押して、押された場所が熱い。熱いのに、膝の横の空白は冷たい。冷たい空白を手が探して、探した指が空を掴み、掴んだ指がまた握る形になる。ほどくのに力がいる形のまま、耳の線が太くなる。太くなった線が布の擦れる音を拾わず、遠い金属音だけを拾う。拾った金属音は一定の間隔で続き、一定の間隔が呼吸を揃える。揃った呼吸の中で、口が勝手に動く。声にはならない。声にならないまま、舌が上顎を押す。押した舌が乾いて痛い。
閉じた目の裏に、薄い影が欠けて落ちる形と、折れて伸びる煙と、手首の帯の黒い線が残っていた。残った黒い線の少し前に、体の中の一本の線がまた走り、走った線が消えないまま夜が続いた。




