第19話 遠野 涼子 5 見知らぬ街の水先案内人
少年は、少女へも芋を差し出す。
受け取るだろうか、瞬時危ぶむ。
はっきりとした受け答えの少女、いらぬものはいらぬと言うだろう、断られてしまうのは、少年に対して、何故か遠野が申し訳ないような気がしたからだ。
「……ありがとう。」
杞憂は杞憂で終わる、ほころぶ少女の表情に、微笑ましい一幕が素敵に成立した子を知った。
だが、さて。
なまいも、生の芋、さあてこれをいかにせむ。
遠野は己の手の中の芋に視線を戻した。
「つかぬ事をお伺いしますが。」
そこへ、青年の問いがかかる。
「何でしょう?」
「お客様は何時頃までこちらに滞在なさるのですか?」
青年の視線も芋へ向いている、さてはこれは助け船というものだろう。
「一週間ほどです。」
「そうですか、では――」
いらえると、果たして正しく続けられる控えめな提案。
「そのさつまいも、こちらでお預かりしましょうか?」
遠野は微笑んだ、対照に少年は青年の意図が汲めなかったようだ、驚いた表情で目を瞬かせている。
「きちんと保存させて頂きます。
そうしてお時間のある時にでも、
皆さんで召し上がられては如何でしょう。
場所はここで、紅茶も用意させて頂きますよ。」
青年がやわらかく少年に対しても笑んだ。
「じゃあ、お願いしても宜しいでしょうか?」
遠野は、少年に視線を向け、それから青年にさつま芋を差しいだす。
「今度皆で、このさつまいもを一緒に食べましょう。」
そうして、やっと、この一連のやり取りの意味が分かったらしい彼は、まさに破顔した、と言うのが相応しい表情で笑ったのだ。
青年が芋を正しく記憶しようとするのに、少年は拘らぬ言葉を向ける。
そして、遠野は少女へ視線を向ける。
さや、確か奥本紗耶、と名乗った。
「紗耶さんも、一緒に預かって貰いましょう?」
居合わせて仕方なく、ではなく、誘いたいから。
遠野は少女へ声をかけた。
少女は、遠慮がちに、しかし確かに本人の意思であるように、はっきりとした動作で青年にそれを預ける。
「宜しくお願いします。」
軽い一礼。
青年は、それに、丁寧に頷く。
「お任せください。」
これは、素敵な約束だ。
さて、どうやって果たされよう。
どうやって、を考えていたのは、青年も同じことのようで、提案はスイートポテトに移る。
異論を唱えたのは少年本人で、焼き芋がいい、と言う。
「ただ焼くだけでも美味しいよ。」
ケーキを出す店で、スイートポテトは確かに正論だろう。
だが。
「そうよ、焼き芋の方が美味しいわよ。」
援護射撃は、先ほどの中年の女性から来た、青年の母だと言った、人なつっこい彼女。
やり取りのほほえましさに、遠野はこっそり内心で笑う。
焼き芋、とは懐かしい。
ぱちぱちと焚き火の爆ぜる音、焼ける芋の匂い、風もなければ火事の心配もないだろう。
青年も2人に主張されて、程なく考えを変えた様子で、結局芋のゆくえは焼き芋で決定した様子だった。
少年は女性にクッキーをもらっている、「おばさんの分が」と女性の分の芋のないことに戸惑う少年は、心遣いというものを知っている、もらうばかりにはしゃぐものでばかりでないことが、さらに遠野を微笑ませた。
「それじゃあ、お芋を焼く日を決めましょうか。」
青年は、三個の立派な芋を、店の奥にしまうと戻ってきて、皆に問いかけた。
「明日だよ。明日は風がないっておじいちゃんが言ってた。」
少年が屈託なく答える。
おじいちゃんの天気予報、老爺の知恵ならばそれはきっと当たるに違いない。
…おそらく。
「でしたら、明日で決まりですわね。
風がないのなら、火の粉が飛ぶ恐れもありませんし――奥本さん、貴女は明日は平気?」
遠野は、既にそのために誂えられたようであった日付を拾い、少女へ問いを向ける。
少女は「はい。」と頷く。
「いいわね。でも気をつけてね、火の始末はしっかりしなくちゃ駄目よ。」
「ちゃんとやるから大丈夫だよ。」
女性がにこにこと笑いながら、息子へかけた言葉尻を、少年が拾う。
「そうだね。紗耶さんも、遠野さんもいるし。」
青年が穏やかに笑いながら、少年の言葉を肯定した。
そういえば、と言った様子で青年はそのまま少年へ言葉を向ける。
「今日も探検かな?」
探検。
「探検?」
遠野は瞳を瞬かせる。
そう言えば、夕べもそんな話を聞いた。
夕べは少年の母親から。
「ええ。誉君は、探検が趣味なんです。
もしかしたら、羽生を一番知り尽くしているのは誉君かもしれない――それくらい詳しいんですよ。」
「探検。」
遠野は呟いた。
横で少女が、これも小さく同じ言葉を呟いていた。
素敵な響きだ、彼はいったいこの見知らぬ街のどれだけを知っているのだろう。
「それは、素敵だわ。」
遠野は、まっすぐに少年を見た。
探検でランドセルを失い、通勤鞄で通学するほどの少年、それであれば彼に頼んでみるのも悪くはないかも知れない。
「誉君。」
確か、そう言われていた。
姓は知らぬ、それはあとで聞けばいい。
そう、少年の母君にでも。
「なに?」
少年が戸惑ったように遠野を見上げる。
黒目がちの瞳が少しだけ子犬を連想させた。
「探検が趣味で街に詳しいのだったら。
そうね、焼き芋の前に、少し羽生の街を案内してもらえないかしら。
みんなでお散歩して…、お茶の時間にこのお店に来るというのも楽しそうだと思うのだけれど、どうかしら。」
少年は、一瞬、何かを思案したようだったが、直後、首を大きく縦に振る。
「いいよ。」
少年は、どうやら基本的に言葉少ない。
しかし子供故の率直さで、言葉を誤魔化すこともない。
そのことが、むしろ遠野には好ましかった。
遠野は少女にも問いかけた。
「…奥本さんも、お時間があるだったら、どうかしら。
ご一緒しません?」
「決まりだね、散歩して、焼き芋!
どんなとこ行きたいの?」
にっかりと笑う少年の脳裡には既にいくつかの候補が浮かんでいるのだろう。
少年には遠野の希望は予想外かも知れない。
彼女は言葉を選びながら、希望を告げてみた。
「そうね、私は、この羽生でお庭に『小さな石の蛙が乗っている大きな庭石』のある、そう言ったお寺を捜しているのだけれど。
…誉君は、そう言うお寺をご存じないかしら。」
予想通り、少年だけでなく、はたで話を聞いていた青年や少女までが不思議そうな表情を浮かべたのに気付いたが、頓着せず言葉を紡いだ。
「そう言ったお寺があると人づてに聞いたのだけど、名前を忘れてしまったの。
だから、記憶に残っている手がかりはそれくらい。
…分からなければ気になさらないで。
その時には、誉君のお薦めの場所をひとつ教えて下さったら嬉しいわ。」
遠野はそう言うと、唇の端に笑みを浮かべた。
もとより、捜し物が、たったそれだけの手がかりで、容易く見つかるとも思ってはいなかった。