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後日談

 最近の奥谷くんは私に優しい。

「先輩、後片づけ手伝いますよ!」

 部の練習が終わってからもしばらく残っては、私の仕事を手伝ってくれる。

 他の部員達は体育館の掃除が済んだらすぐに帰ってしまうし、私としてもそれが当たり前だと思ってる。九月とは言えまだ暑い中の練習は疲れるだろうし、奥谷くんにも無理はして欲しくないんだけど。

「いいよ、これもマネージャーの仕事なんだから」

 でも私が断ったところで、奥谷くんは引き下がったりしない。

「高橋先輩にはお世話になりましたし、何かお礼がしたいんです」

「何にもしてないってば」

「いえ、先輩のお蔭で俺、変われたような気がするんです」

 そう語る奥谷くんは、真っ直ぐに私を見ている。

 以前のように目を逸らすことはなくなっていたし、私とも普通に話すようになっていた。


 それは夏休み中に起きたあの一件がきっかけなんだろう。

 だけど、だとしても私のお蔭でなんて言ってもらえるほどのことじゃない。

 私はただ教えてあげただけだ。

 私が過去を乗り越えたやり方を、奥谷くんにもできるように。


「だからどうにかしてご恩を返したいって言うか……」

 奥谷くんがひたむきに言い募るから、最終的には私の方が譲ることになる。

「じゃあ、ちょっとだけ手伝ってもらおうかな」

「はい!」

 途端に奥谷くんはいい笑顔になり、私の後をついてきた。

「何しますか、先輩」

「校庭に干したビブスを取り込むんだ。一緒に来て」

「わかりました」

 私達は体育館の裏口から、夕日差す校庭へ出る。賑々しくひぐらしが鳴いていた。


 校庭の隅には水飲み場があり、各部活のマネージャーはそこで洗濯をする。

 近くには物干し台も置かれているから、午後の間に干しといて部活の後で取り込んでおくのがいつもの手順だ。

 バスケ部のビブスは部で洗うきまりだった。なぜかって言うと色落ちするから、持って帰っておうちでというわけにはいかない。だからこれもマネージャーの仕事だった。


「今日もお天気よかったから、すっかり乾いてるね」

 私は生ぬるい夕風にはためく洗濯物を撫でた。どれもすっかり乾いている。

「まだまだ暑いですからね」

 奥谷くんの手が洗濯ばさみを手早く外していく。家でもお手伝いをよくしてるんだろうか、彼はとても手際がよかった。

「暑いのは苦手だけど、お洗濯では助かるなあ」

 取り込んだ洗濯物を腕に抱えた私に、奥谷くんが手を差し出してきた。

「あ、俺持ちますよ」

 いつだったか、私の指に包帯を巻いてくれた手だ。子供らしさのない、私よりずっと大きな手。

「本当? お願いするね」

 その手が、取り込んだばかりでお日様の匂いがする洗濯物をいっぺんに抱える。それを見てると男子ってすごいな、と急に思ったりする。

「いいなあ男子は、手が大きくて」

「え……そうですか?」

「そうだよ。バスケやるのだって、手が大きい方が有利じゃない?」

「それはあるかもしれませんね」


 思えば私は現役バスケ部員だった頃、男子に勝てたことがなかった。

 小学校時代はそうでもなくて、女子の方が体格で勝っていたこともあり、ハンデなんて感じなかった。だけど中学に入って男バスと女バスに明確に別れるようになると、私は男子との体格差、ひいては力の差を否応なしに意識させられた。男子バスケ部との勝負にはいつも負けていて、悔しかった。

 そんなことを考えながら洗濯物を取り込んだら、あっという間に片づいた。二人でやったからだろう。


「よし、終わり。あとは用具室に畳んでしまっとくだけだから――」

 もう帰っていいよ、そう告げようとした時だった。

 人数分のビブスを腕に抱えた奥谷くんが、浮かべていた笑顔をふと強張らせた。

「あの……高橋先輩、次の日曜って暇ですか?」

 思い詰めたような表情に見えたのは、校庭全体を埋め尽くすような夕日の色のせいだろうか。

 私は少し気がかりになりながら聞き返す。

「暇だけど、何かあるの?」

 次の日曜は部活の練習もないし、そうなると予定もないはずだった。立花が急にミーティングでもぶっこんでこない限りは。

「前に、話してたじゃないですか。今度、先輩と一緒にバスケやりたいって」

 奥谷くんは緊張気味に、だけど私を見据えて目を逸らすことなく続ける。

「日曜、暇ならどうかなって……うちの近くの公園にコートあるんですよ。休みの日でも午前中とかは結構空いてるんで、よかったら……」

 そういう話を、奥谷くんと以前していた。

 バスケをするのは本当に久々だった。ブランクは一年以上、奥谷くんに期待されてるほど上手くはないはずだ。

 でも、不思議と嫌な気はしなかった。

「いいよ、行こっか」

 笑って答えると、奥谷くんはほっとしたようだ。緊張に固まる表情がそこで解けた。

「よかった……ありがとうございます、先輩」

「ううん、誘ってもらえて嬉しいよ」

 何せ、相手が奥谷くんだ。

 夏休みに入ったばかりの頃は、唯一打ち解けられていない後輩として接し方に悩んでいた。立花に相談を持ちかけたこともあったほどだ。

「奥谷くんと遊びに行くなんて、ちょっと前なら想像もできなかったな」

 私の言葉に奥谷くんは照れたように笑った。

「そう、ですね。俺もそう思います」

 夕日に赤々と染められたその顔を、私は感慨深く見つめ返す。

 本人が言う通り、奥谷くん、変わった気がする。


「確かに奥谷、変わったよな」

 翌日の昼休み、立花はイチゴオレを啜りながらそう言った。

 日曜は用事があるからミーティングするなら平日のうちがいい――そう頼んだら、昼休みに飯食いながらと言われたので、こうして二人でご飯を食べてる。

 最近は立花の方から奥谷くんの話題を振ってくる。キャプテンから見ても確実な変化があるようだった。

「何かいろいろ自信ついてきたっつうか、堂々としてる感じする」

「やっぱりそう思う?」

「ああ。練習も今まで以上に熱心だしな、頑張ってるよ」

「そうだね、最近すごく頑張ってるよね」

 私は自分のことみたいに嬉しくなって、お昼ご飯のメロンパンにかじりつく。

 キャプテンのお墨付きまで貰ったんだから、奥谷くんはやっぱり変わったんだ。それも、いい方に。

「お前が何かやってやったんだろ?」

 立花は確信してるみたいに尋ねてきたけど、それは違うと私は思う。

「ううん、何にも。奥谷くんが自分で変わったんだよ」

 奥谷くんもそういうふうに言う。

 先輩のお蔭です、高橋先輩がいたからです、って。

 でも過去を乗り越えるのも、変わっていくのも、全て自分の意思ですることだ。奥谷くんが頑張ったからこその結果だろう。私ができたことなんてほんのちょっとしかない。

「わかってねえな、高橋。人生はバスケと同じでチームプレイだぜ」

 立花はハムサンドを頬張って語る。

「自分一人で頑張ってもそりゃ点は取れるけど、攻めが単調になるし勝てっこないわな。チームでやれば速攻もセットオフェンスもできる。駄目なとこ補えんのもチームプレイだからこそだろ」

 得意げにそこまで言ってから、立花はハムサンドを二口で飲み込んだ。

「要はそうやって支え合ってんだよな、人生も、バスケも」

「チームプレイ、支え合い、かあ……」

 ふと私は、自分自身のことを振り返ってみた。


 私は自分一人で過去の傷をぐるぐる巻きにして埋め、そして乗り越えた。つもりでいた。

 だけどその間も私は平然と過ごせてきたわけじゃなかったし、現にバスケをやめてしまった。立花が声をかけてくれなければ、マネージャーとしてバスケに関わることさえなかっただろう。

 そして不慣れなマネージャーの仕事を文句も言わずに見守ってくれた部の皆、バスケをやめてしまったことを不思議がりつつも責めはしなかった家族――私の人生もまた、いろんな人達に支えられてきた。

 人生はチームプレイ、か。

 本当に、そうなのかもしれない。


「お前は何にもしてないって思ってても、奥谷にとっちゃ違ったのかもしれねえぞ」

 立花の言葉が、今は妙にすんなり納得できる。

 私がしたほんの些細な親切、もしくはお節介が、奥谷くんが一歩を踏み出す為の手助けになれた。奥谷くんはそれが嬉しくて、私に優しくしてくれるんだろう。

「かもしれないね」

「ああ、そんなもんだって」

「そうだね……。私、奥谷くんの役に立てたかな」

 納得ついでに、私はずっと疑問に思ってたことを立花に尋ねてみた。

「立花はさ……私のことは、知ってたんだよね?」

 だけど立花は何も言わない。黙って笑いながらイチゴオレを啜っている。

 それで私もちょっと笑って、今更だけどお礼を言っておいた。

「ありがとね、立花」

「俺は何もしてねえよ」

 ずずず、とストローが音を立て、イチゴオレのパックがへこんだ。皆、感謝される側に回るとそう言いたくなるのかもしれない。

 そしていろんな人に支えられて、私はまた新しい一歩を踏み出そうとしている。

「私、またバスケ始めようと思ってるんだ」

 そう切り出した途端、立花の表情がぱっと輝いた。

「マジかよ!」

「うん。っつっても当面は練習しなきゃいけないけどね」

「そっか、遂に戻ってくるか! 高橋は腐らせとくの惜しいと思ってたんだよ!」

 立花はすごく嬉しそうな顔をしてくれて、私も嬉しいような、だけど一年以上のブランクがちょっと不安なような、複雑な気持ちだった。

「多分、今から頑張っても趣味レベルにしかならないと思うよ」

「十分だろ。なあ、また昔みたいにフリースロー勝負しようぜ!」

「立花と? 私、昔から勝てたことないからなあ」

 現役バスケ部員だった頃でさえ、私は立花に勝てなかった。そこが男子と女子の差なのかもしれないけど、中学の頃はそれが受け入れられなくて何度も何度も勝負を挑んだ。

 今は言うまでもなく、男バスのキャプテンとなった立花には絶対に勝てないだろう。

「シュートに絞って練習しまくれよ。高橋ならきっと伸びる」

 立花が嬉々としてプレッシャーをかけてくる。買い被られているのか、それとも余裕の発言ってやつなんだろうか。

 どっちにせよ、本当に勝負できるようになるのはもうちょっと先の話だ。

「じゃあ頑張って練習してみるよ」

 私は張り切って続けた。

「実はね、日曜はバスケの練習始める予定なんだ」

「一人でやんのか? 部活でついでにやりゃいいじゃん」

「皆に交じってはさすがに邪魔でしょ。私も基礎から始めたいし」

「どこで練習すんだよ。何なら一緒にやろうぜ」

「あ、立花も一緒にやる?」

 それならと私は立花に言った。

「奥谷くん家の近くにね、コートつきの公園あるんだって」

「……え?」

 急に、立花が気の抜けたような声を上げる。

 それから目を瞬かせつつ、

「日曜って、奥谷と約束してんの?」

「そうだよ。久々だし、コーチしてもらうことにしたの」

「ええ……それなのに俺も誘うんかよお前。奥谷が泣くぞ」

「どうして? 立花なら奥谷くんも大歓迎だと思うよ」

 普段からキャプテンキャプテンって慕ってるのを知っている。これが全く知らない友達連れてくとかなら奥谷くんに悪いけど、立花連れてくのに悪いも何もない。そしてバスケは何人でもできるのがいいところだ。

 と私は思ってたのに、立花はなぜか大げさに溜息をついた。

「いや、今回ばかりはそれはねえな」

 そして呆れたような目を私に向けつつ、乾いた笑い声を立てる。

「高橋はそういうとこ、中学の頃から変わんねえな。バスケ馬鹿っつうか」

「え、何、どういう意味。何でそんな呆れた顔するの?」

「いや、苦労するよなと思って。奥谷も」

 ぼやくように言うと、立花はまた笑った。今度は何やらおかしそうに。


 日曜日、久々に履いたバスケットシューズはちょっときつかった。

 足のサイズが変わったわけじゃなく、ずっと下駄箱にしまっといたせいだと思う。赤いシューレースのバッシュは結構くたびれていたから、どちらにせよ近いうちに新調した方がいいかもしれない。

 奥谷くんとは例の公園前で待ち合わせて、一緒にコートに入った。

「何か、学校以外出会うと緊張しますね」

 その言葉通り、待ち合わせた直後の奥谷くんは目を泳がせていた。

 私も私服の奥谷くんと会うのは初めてだ。青い半袖パーカーと黒のバスパンという着合わせで、やっぱりバスケ部員だなあとしみじみ思う。

「やっぱり皆、普段でもバスパンはくよね」

「ですね。結構楽なんで」

 奥谷くんは頷いてから、ちらりと私の服装を見る。

「高橋先輩は私服……か、可愛いですね」

 言いにくそうにしながらも誉めてくれた。

「ありがとう。もうバスパンとか持ってなくて」

 私服は動きやすいものが多かったけど、そういえば手持ち服にバスパンがなくなってから久しい。きつくなっていたバッシュといい、随分と長い間バスケから遠ざかっていたんだと実感する。


 そしてそれはコートに入った時、更に痛感させられる羽目になった。

 ボールを手にフリースローラインの手前に立ったら、ゴールがやたら遠く見えた。

「こんなに距離あったっけ……」

 四メートルちょっとの距離にはとても見えない。一応ボールを構えてはみたけど、とてもシュートを決められる気がしない。

「試しに俺、打ってみましょうか」

 奥谷くんがそう言ってくれたので、私は彼にボールを渡した。

 大きな手でボールを構えた奥谷くんは、膝を曲げて腰を落とすと、手首のスナップを効かせてボールを放った。造作もなく見えたシュートはあっさりとリングを潜り、ネットを揺らしながらコートに落ちた。

「さすが、上手い!」

 すかさず拍手した私に、彼は照れ笑いで応じる。

「このくらいはできないと、レギュラー争いに加われません」

「でも練習してるからこそでしょ? すごいと思うなあ」


 フリースロー練習は部のトレーニングでもよくやる。皆はさくさく決めてるから簡単そうに見えたけど、こうしてコートに立つとその難しさがよくわかった。

 私も奥谷くんのフォームを真似て、何本かシュートを打ってみた。残念ながら一本として決まらなかった上、バックボードまで届かないのも何本かあった。一日やそこらじゃ勘が戻らないのはわかっていたものの、これは練習が必要なようだ。


「今日一日で一本くらいは決められるようになりたいな」

「できますよ。先輩、フォームは悪くないですから」

 奥谷くんは保証するように力強く頷いた。

 手にしたボールで軽快にドリブルを始めながら、

「でも、ずっとフリースロー練習だと疲れませんか? あとで息抜きに一対一やりましょうか」

 と言ってくれたので、それも楽しそうだと私は応じる。

「いいね。シュート決められるようになったらそうしよっか」

「どうしても決めたいんですね、先輩」

 奥谷くんが明るく笑う。

 こんなに屈託のない笑顔が見られるなんて、やっぱり感慨深い。私もつられて笑ってしまう。

「そうなの。実はね、立花にフリースロー勝負しようって言われて」

「キャプテンとですか? あの人、フリースローめちゃめちゃ上手いですよ」

「知ってる。勝てないのはわかってるけど、一本も入らないんじゃさすがにね」

「それで先輩、一生懸命なんですね」

 そう言って、奥谷くんがドリブルをやめる。

 両手でしっかり掴んだボールに視線を落とし、呟いた。

「でも俺も……どうせなら高橋先輩を勝たせたいです」

 それから顔を上げたかと思うと、いやに真剣な面持ちで口を開く。

「負けたくないですから、俺」

 普段の奥谷くんとは違う、挑戦的な口ぶりに聞こえた。


 そして呆気に取られる私の前で、奥谷くんはくるりと背を向け、ドリブルしながら駆け出した。

 あっという間にゴールまで辿り着いたかと思うと、ボールを持ち上げ、まるでリングに載せるみたいなきれいなレイアップシュートを決めた。

 ネットが揺れ、ボールが音を立ててコートに落ちる。


 奥谷くんはそれを大きな手で拾うと、こちらを振り返った。まだ真剣な目をしている。

「よろしくお願いします、先輩」

「う……うん」

 気圧されて頷いた私は、それ以上何も言えなかった。

 お手本のように美しい奥谷くんのレイアップシュートに見惚れていた。

 あの腕の筋肉の動き、激しくはないのに力強い動作、ジャンプの後でバッシュの底が着地して立てる音。男の子だな、って思った。


 昔、バスケで男子に勝てなくて、悔しかったことを思い出す。

 勝負に負けたわけじゃない。そもそも彼と競ってるわけでもないのに――どうしてだろう。

 私、奥谷くんには敵わない気がした。

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