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第十九話

書き直しました。2019


「こっちに来て」


 僕はある日、廊下で火恋に腕を引かれた。あかるの死の真相を知ってから、二週間後のことだった。


「何だよ?」

 訝しがった僕に火恋は、「いいから」と短く言って、腕を引いたまま駆け出す。

「おい、何だよ?」


 困惑しながら再び火恋に問いかけたけど、火恋は答えなかった。しばらく廊下を駆けて突き当たりにある階段を上がって行く。


 最上階までたどり着くと、豪華で煌びやかな襖の前で止まった。その部屋の前には衛兵が立っている。


 何十年もここにいるけど、最上階までは来たことがなかった。理由はただひとつ。王の寝室があるだけだからだ。


「ここが、王の寝室か」


 僕は独りごちて、火恋に視線を送る。隣にいる火恋は平然としていた。無表情で立っている兵士に片手を上げると、「下がれ」と一言告げた。


 衛兵二人は頭を下げて去っていく。

 僕は怪訝に火恋を見た。火恋は僕を一瞥すると、人差し指を襖へ向ける。そっと近づいてほんの僅かに襖を開けた。


 僅かな隙間から中を覗き見ながら、手を振って僕に同じことをするように促した。僕は不審に思いながらも、中を覗いた。


 広々とした空間の奥に、巨木から造られた二つの支柱が見える。柱には蔦の彫刻が施されていて、一つには鳳凰が、もう一つには龍が彫られていた。おそらく構造的に柱はあと二つあるだろう。


 部屋の中心には大きな机が連ねられ、その上には機材が山積みになっている。中には、呪符が何十枚も放置されている机もあった。


 部屋の一番奥、少し高くなっている場所に棺が置いてある。白い棺に薔薇の彫刻。薔薇はほんのりと紅く色づけられている。あかるの棺だ。


「兄上、私の言うとおりにしてください」


 冷静で平坦な声がして、僕は咄嗟にその声の主を探した。

 部屋の左奥に殿下の後ろ姿があった。袖の袂に手を入れるようにして腕を組んでいる。その殿下の前には紅説王がいた。彼は後ろを向いて座り込んでいる。


 目玉が攣りそうだ。

 僕はいったん目を閉じて顔を振った。ぎゅっと目に力を入れて、ぱっと放す。寄った目が戻って、僕は再び中を覗く。


 王は答えることなく、黙々と何かをやっていた。おそらく、あかるを蘇らせるための実験道具の手入れか何かだろう。


「……」

「兄上」


 青説殿下は追及するような声音を出した。だが、王は振向きもしない。


「……分かりました。では、花押をお貸しください。私が兄上の代わりに指示を出します故」

「……」


 無視し続ける王に殿下は深くため息をついた。憤りが滲み出ている。


「兄上」


 もう一度、殿下は強い口調で呼んだ。それでもやっぱり返事はない。僕は、やっぱりなと、どことなく得心してしまう。


 王はここのところ、誰の話にも耳を貸さない。それはマルであっても、僕らであっても変わらなかったし、何の話であってもそうだった。自室に篭り、研究に勤しんでいるばかりだ。


「紅説!」


 殿下はついには激しい語調で兄の名を読んだが、王は見向きもしなかった。ただ黙々と目の前の作業に没頭している。

 殿下は愁いを帯びた息を吐き、額に手を当て、顔を胸に埋めるように項垂れた。


「……私には、貴方が理解出来ない」

「だろうな」


 返答があったことに驚いたのか、殿下はぱっと顔を上げた。僕もびっくりして凝視する。


「私を理解してくれたのは、あかるだけだ」


 ぽつりと呟いて、王は立ち上がった。くるりと踵を返す。振り返った表情に、僕はドキッとした。


 紅説王の表情は、冷静そのものだった。


 僕はずっと、空ろな目であったり、絶望にまみれた表情を浮かべている王を想像していたんだ。もっと言えば、狂ったようすの王を。だけど、振り返った王は真逆そのものだった。


「青説、お前の意見には賛同出来ない」

「何故?」


 殿下の質問に、王は答えなかった。

 しばらく沈黙が流れ、僕の耳が僅かな歯軋りの音を捉えた。


「貴方はいつもそうだ」

 押し殺すように殿下は呟き、次の瞬間、ヒステリックに叫んだ。

「たまには私の言う事も聞き入れたらどうだ!?」

「今は間が悪い」


 王は冷静に拒否した。


「なら、いつなら良いと言うのです?」

 殿下は責めるように続ける。


「そもそも、昔私が回収しようと言ったとき、そうしてくだされば良かったではないですか。貴方は、私の意見に従うのが嫌なだけなのでしょう?」

「……」


 王は静かに目を瞑り、黙り込んだ。


「もう良い。私の勝手にさせていただきます」

「青説」


 王の宥める声音を無視して、殿下は踵を返した。


「青説」


 もう一度、今度は少し強く呼びかけたが殿下は振向かなかった。殿下は真っ直ぐにこちらに向ってくる。僕らは慌てながら階段に向い、一目散に駆け下りた。


 * * *


「何だったんだよ?」


 僕は乱れた息を整えながら火恋に尋ねた。

 火恋も同じように息を整えながら、僕を見上げる。


「さあ?」

「はあ? 何だよそれ」

「だって私、思いつめた表情で紅説様の部屋へ向う青説様を御見かけしただけですもの」

「で、なんで僕を?」


 肩を竦める火恋に僕は呆れながら訊くと、火恋は、「だって」と僕を見据えた。


「なるべく多くを知っておきたいんじゃないかと思いまして」


 僕は意表を突かれて、思わず火恋を凝視した。

 火恋には、僕の決意は伝えてない。どうして、分かったんだろう? 元々勘の鋭い子ではあったけど、誰かに聞いたか? でも、僕は誰かにこれと言って伝えた覚えはない。検討がつくのは燗海さんだけど、彼が他人に言うとは思えない。


「どうして?」


 僕は素直に訊くことにした。火恋は一瞬だけ目を瞑って、肩を竦めた。


「勘ですわ。というよりは、レテラおにいちゃんは、昔から顔に出やすい人でしたから」

「そんなこと言われたことないぞ」

「分かる人には分かるんですわ」


 分かる人ねぇ――。僕は過去を思い起こして見る。記憶を辿っていくと、確かに陽空とかには気持ちがバレてたことが多かった気がする。


「私、今日でオウスに帰りますの。だから、お礼も兼ねてね」

「帰っちゃうのか?」


 寂しさがふと胸に過ぎる。

 火恋は歩き出しながら、返事を返した。


「ええ」


 そして振り返って、柔らかく微笑んだ。吹っ切れたようなその笑顔に、僕は心底ほっとして、自然と頬が綻んだ。


 僕の周りは、暖かいもので満たされていた。

 王と殿下のケンカを見ながら、またいつものことかと呆れ、今度こそアイシャさんと陽空の結婚式を祝い、燗海さんに享受されながら、ヒナタ嬢に気を使う。

 たまに火恋と逢って、晃を懐かしんで、愛しんで。


 そんな切なくも幸せな日々は一生続くんだとどこかで思っていた。魔竜の脅威が去った今、僕がこの国を出なければならない日がきても、そんな仲間との繋がりはこの先もずっと、続いていく。


 僕はこの時、本気でそう思っていた。

 だけど、無情なる崩壊の日は、突然やってくる。何の予兆も感じずに、悲劇はいつも唐突にその身に降りかかるんだ。


 * * *


 一か月後のことだ。

 その日は突然やって来た。

 

 良く晴れた日で、青空が心地良かった。外に散歩がてら取材にでも出ようと、僕は廊下を歩いていたんだ。


 すると、廊下の角を白銀の鎧を身につけた兵士が曲がってきた。一瞬で懐かしさが蘇ってくる。その鎧の色はルクゥ国の兵士を示すものだったからだ。


 僕は、てっきり紅説王に招待されて来たのだと思って、声をかけようとした。

 しかし、すぐに異変に気がついた。


 彼らの鎧には、血が色濃くこびりついていた。僕は動揺して立ち止まってしまった。何故だろう。一気に恐怖が湧いて出た。ひどく嫌な予感がする。


 無意識に高鳴り出した心臓を隠すように、胸に手を当てた。

 先頭にいた兵士が僕を見つけると、すぐ後ろの兵士とひそひそと二、三会話をする。そして僕を見ながらにやにやと笑み、近寄ってきた。


 僕の脳裏には、二通りの言葉が巡っていた。

〝きっと大丈夫、彼らは何か凶悪なものを倒して来ただけだ〟という思いと、〝殺される〟という強烈な不安感だった。


 僕の心臓は激しく早鐘を打ち出した。しかし、彼らはにやけた顔を突如引き締めて、僕を無視して立ち去った。

 

 しばらく呆然としていると、城中に悲鳴が響き渡り始めた。何が起きたのか、僕はそのときようやく察した。これは、後者の方だったのだと――。


 はっと我に帰り、僕は兵士の暴挙を止めようと駆け出した。そのとき、雄叫びが響き渡った。

 雷のようにびりびりとした振動が鼓膜を揺らし、恐ろしいほどの大勢の駆ける音が轟く。


「なんだよ」


 僕は狼狽しながら呟いた。数十人では、とても足りない足音だ。僕は、恐怖で一歩も動けなかった。僕が直視している廊下の曲がり角へ、足音は一直線に響いてくる。


 目を離して、逃げたい。でも、身体も目も動かせない。――怖い。


 そしてとうとう、兵士が顔を出した。りょく色の鎧を着た大勢の兵士が僕目掛けて駆けてくる。僕は、心の片隅で殺される覚悟をした。


 しかし、彼らはまたしても僕をちらりと見て走り去る。そのすぐ後から走ってきた、黒い鎧を着た数十人の兵士も、僕を無視して立ち去った。今度は一瞥すらされなかった。


 僕は訳が分からず、呆然と前方をただ見据えた。

 足に力が入らない。へなへなと、その場に座り込んでしまった。


「なんなんだ……」


 呟いた瞬間、また城内に激しい雄叫びが木霊した。

 びくっと肩を震わせて、立ち上がろうとする。けれど、腰がすっかり抜けてしまって、立ち上がれない。僕は四つんばいになって逃げ出した。


 止まない大勢の悲鳴を聞きながら、適当な部屋へ入って、這いずったまま押入れの襖を開けた。押入れに入ると、襖を閉めて、しばらくじっと固まる。


 数分間そうして動かずにいると、心臓の動悸も少し治まってきた。僕は、さっとメモ帳とペンを取り出した。


「冷静になれ、冷静になれ」


 自分に言い聞かせながら、さっきあったことを思い出した。白銀の鎧はルクゥ国のものだったけど、他は違う。確か、緑色の鎧は驟雪国のものだし、黒はハーティムのものだ。


「何故、こうなったんだ。どうしてなんだ。何があった。考えろ、考えろ、レテラ」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、僕はメモを取っていく。そのとき、誰かが駆ける音が聞こえ始めた。何かを叫びながら、徐々に音は大きくなっていく。


 一人、二人ではきかない。もっと大勢。二十人以上は確実にいる。それが確実に僕のほうへ向って近づいてくる。


「ひっ」


 僕は息を呑んだ。

 膝と胸をくっつけて、身を縮める。部屋のすぐ側で、誰かが叫んだ。


「やつらを見つけろ! 殺したら首を持って来い! だが良いか、なるべく殺さずに生け捕れ!」

「おお!」


 びりびりと空気を震わせながら、雄叫びを上げ、大軍は駆けていく。僕は、ほっと息を吐いた。だが、次の瞬間、押入れが開かれた。

 僕は一瞬、時間が止まったような気がした。薄紫色の鎧を着た兵士が、にやりと笑う。


(水柳の……)


 一瞬過ぎって、


「見つけました!」


 兵士が声高に叫んだ。


 * * *


「出せ!」

 荒々しく叫んでみた。だが、効果は無い。


 僕は、城の地下牢に投獄されていた。もう三時間以上になるだろう。牢屋番をしている水柳国の兵士は、喚けど騒げど僕を見向きもしない。


 僕は座り込んでメモ帳を広げた。幸いなことに、牢屋番の隣で煌々と燃える松明のおかげで、メモ帳を読み返すだけの明かりはある。


「皆はどうしてるだろう」


 僕はぽつりと呟いた。

 メモ帳にすでに書き込んであった、誰かが叫んだ言葉を目視する。


『やつらを見つけろ!』とは、やはり僕らのことをさすのだろう。僕が殺されずに捕らえられたことを見れば、そう考えるのが普通だ。


 薄紫色の鎧は水柳国のものだ。ということは、条国を除いた四カ国全てが敵に回ったということだ。それは〝条国の〟なのか、〝僕達の〟なのかは分からない。


 もしも青説殿下と四カ国が共謀していたら、僕達の敵で――というよりは、紅説王の敵と言った方が正確か。共謀していなかったら、四カ国は条国を滅ぼそうとしているということになる。


「なんのために?」


 僕は自問した。それに重なるように、誰かが僕を呼んだ。


「レテラ」


 はっと顔を正面に上げると、見知った顔が牢を覗いている。


「ミシアン将軍……」

「久しぶりだね。レテラ・ロ・ルシュアール」

「お、お久しぶりです。将軍」


 混乱しながら、僕は返答した。ミシアン将軍は、昔と変わらず優しげな笑みを浮かべている。僕が混乱から立ち直る前に、ミシアン将軍の影から、ムガイが姿を現した。


「ムガイ!」

 突然の出来事に、つい声高になった。

「ムガイ、お前捕まらなかったのか」


 僕は安堵して、頬が緩んだ。ムガイは牢屋番に手のひらを差し出すと、鍵を受け取った。


(なんでだ?)


 不意に疑心が生まれる。何かが変だ。


(どうしてムガイが牢屋番から鍵を受け取れるんだ?)


 僕は思考をめぐらそうとしたけど、頭が全然回らない。

 混乱からまだ解き放たれない。


 そうこうしてるうちに、ムガイが牢屋の鍵を開けた。大きな図体で松明の光りが遮られ、暗闇が僕の視界を包む。


 ムガイは腰に差していたS字型の剣を抜いた。揺れる松明の光に反射してギラリと光る。緩やかに弧を描いた銀色が、鋭利さを物語った。

 僕は硬直する体を引き摺って、座ったまま後退った。


「な、なんだよ」


 ムガイは顔を歪めて嘲笑し、刀を掲げる。


(――殺される)


 頭に絶望が過ぎったその刹那、ムガイは血しぶきを上げて倒れこんだ。

 僕は目を見開いたまま、うつ伏せになったムガイを見つめる。ムガイは、ぴくぴくと小さく痙攣し、すぐに動かなくなった。

 愕然とする僕に、ミシアン将軍は優しげな声音で問いかけた。


「大丈夫か?」

「……はい」


 僕はムガイの死体を凝視したままぽつりと答えて、ゆっくりと目の前に立つミシアン将軍を見据えた。彼は、血のついた剣を布で拭って鞘に収めた。


(なんでだ? なんなんだ?)


 ムガイが僕を殺そうとしたってことは、ムガイはやつらの仲間だってことだ。ムガイと一緒にやって来たミシアン将軍は当然、ムガイの仲間だってことになる。なのに、どうして僕を助けるんだ? それとも、もしかして将軍は僕らの味方なのか?

 混乱する僕を見て、将軍はふと笑んだ。


「立てるかい?」


 聞かれて僕は立ち上がる。足が震えてすぐにでも地面に戻りそうだったけど、踏ん張って留めた。


「彼はね、我々の密偵さ」

「わ、我々?」

「そう。ルクゥ、水柳、驟雪、ハーティムからなる連合軍のね」

「やっぱり、そうだったんですね。目的はなんですか。条王? それともこの国?」


 ミシアン将軍は口元に優しげな笑みを浮かべたまま、僅かに黙り込んだ。そして、「とりあえず、行きながら話しをしようか」と、僕を促した。


 僕は警戒しながら牢屋を出て、そこで初めて気がついた。牢屋番の二人が床に倒れて血を流している。思わずミシアン将軍を仰ぎ見た。僕の意図することを察したのか、彼はゆっくりと瞬きをした。まるで、そうだよと言うように。


 牢屋番はおそらく、ムガイを殺す直前にミシアン将軍が殺していたんだ。恥ずかしいことに、僕はそれに今の今まで気づかなかった。


(どんだけ動転してるんだよ)

 僕は自分に毒づいて、歩き出した。


 * * *


 どこに行くのか知らないが、その道すがら僕はミシアン将軍が話し出すのを待った。廊下のいたるところに血が飛び散り、死体が転がっている。


 ここに友人の顔がないことを確認したい気持ちと、目を背けたくなる気持ちが混在していた。その相反する衝動と、話を促したい気持ちから、僕はミシアン将軍の顔ばかり窺っていた。

 すると彼は突然口を開いた。


「どこから話をすればいいのかなぁ」と独りごちて、僕に視線を移す。

「さっきの質問の答えからにしようか。答えは、後者だ」

「条国そのものですか」

「結果的には、そうだね」

「――というと?」


 僕は訝しがって首を傾げる。


「私的には、民間人に手は出したくなかったなってことだよ」

 ぞっとした悪寒が走る。心臓が跳ねた。

(まさか……)


「もう、焼け野原になってるだろうね。だいぶ前に、驟雪の軍とハーティムの軍が町に火を放ってたから」


 僕は絶句して、少しの間言葉を失った。その間にも、将軍は話を続ける。


「我々ルクゥ国の部隊が、城中の者の殲滅と能力者の足止めをし、その間にハーティムと驟雪が城を駆け抜け、城下におりて町の者や条国の兵士を一掃し、最後に水柳の精鋭が君達を探し出し、捕らえるか殺す。そういう作戦だったんだよ」

「……ひどい」


 やっと言葉が出た。ミシアン将軍は苦笑した。


「ひどいか。君はやっぱり文官だね。戦争をいくつか経験していれば、町を焼くこともあるし、敵と手を組むこともあるよ」


 ミシアン将軍は、決して僕を責めている言い方ではなかったけど、言い訳じみている風に感じられて、腹立たしさがふつふつと湧いた。


「何が狙いだ」


 自然と語調がきつくなった。ミシアン将軍は少し困ったような表情を返す。


「初めは聖女。今は、魔竜さ」

「なんだって?」


 僕は一驚して、次いではっとした。青説殿下が仰っていたことを思い出した。紅説王がこの先狙われる可能性もあると僕が警告したとき、彼は、『力が手に入ってしまったからにはな』と言った。もしかして、殿下はこうなることを知っていたんじゃないか?


「青説殿下はどこまで関わっているんだ」


 僕は自分でも思いがけず、あの将軍相手に強気に訊いた。


「青説殿下は、ムガイがたぶらかしていたけど、この計画には絡んでないよ。まあ、促進させたという意味では関わっていたとも言えるのかな」


 将軍は優しげな微笑を浮かべたけれど、どことなく嘲笑的で皮肉っぽい。


「どういう意味だ?」


 怪訝に顔を顰めると、将軍はさっきの笑みを浮かべたまま言った。


「転移のコインをね。条国側が回収しようとする動きが見られたんだよ。確かに、この計画は以前より密かに進められていた事ではあったけど、魔竜という力を手に入れた条国にこんなに早く手を打たれてはね。利用しない手はない」


(転移のコインだって? ……そうか)


 突然腑に落ちた。

 火恋がオウスに帰った日、彼女に連れられて紅説王の寝室を覗いたときの会話はそれだったんだ。


 殿下は元々、転移のコインの軍事転用を恐れておいでだった。それが、魔竜という力を手に入れた今、それを狙って各国が兵を挙げることを危惧なされた。


 それで、王に進言しに行ったんだ。でも、王は聞き入れなかった。だから、殿下は独断で動こうとして、それを各国に掴まれて利用されたんだ。


 でも、ちょっと待て。魔竜が操れるようになったという情報は各国にはまだ発表していなかったはずだ。僕らにも口止めされていたし、徹底的に情報が漏れないように殿下が奔走されていた。なのに、どうして?


「そうか。ムガイ……」


 あいつだ。ムガイが、緘口令を無視して密かに情報を流した。

 そしてその事を、殿下は気づいていた可能性が高い。だから、殿下は焦ってことを急いだんだ。


「でも、それなら帰国させるか暗殺してしまえば済む話だ」


 僕がぽつりと低声を漏らすと、ミシアン将軍は呟いた言葉を繋ぎ合わせて推測したのか、


「青説殿下は、君達のうちの誰が密偵なのかまでは把握できなかったみたいだよ」と囁いた。


 驚いて将軍を見ると、彼は相変わらずの微笑みで僕を見ている。

 僕はキッと将軍を睨み付けた。


「ムガイはどこまで関わってる? あかるが殺された事件には? ムガイはあかるが殺された現場にいたと聞いた。もしかして、あいつがあかるを殺したのか?」


 僕の詰問に将軍は、「あかるというのは、聖女のことだね?」と訊いて、頷く僕を確認してから、


「ムガイ自身ではないだろうな。そんなことをすれば紅説王が気づいて、今さっきまで生きてなかっただろう。現に実行犯とされる者は、その場で王に殺されているからな」

「……そうだったんだ」


 人類皆を愛しているような、あの王が人を殺したのか。


 紅説王のあの行動は、あかるが死んだことや、あかるに庇われて死なせてしまったことだけに起因するわけじゃなかったんだな。多分、人を殺したことへの葛藤もあったんだろう。


 王は優しい方だから、憎む相手は人間じゃないと思えるほどの冷徹さは持てないだろう。

 その苦しさが、あかるを蘇らせることへと向った。そして、あかるが蘇れば、自分の罪も無くなるような、そんな気がしたのかも知れない。


 いずれにせよ僕は紅説王ではないから、本当にそうなのかは分からないけれど。


「でも……。じゃあ、さぞ焦っただろうな。あの頃、あかるは全人類の希望だった。聖女を求めたのだって、その象徴を手に入れて各国が優位に立ちたかったからだろ? 押し付けたとはいえ、研究も条国。成果も条国。聖女も条国じゃあ、列国の立つ瀬が無いから」


 僕はぶつぶつと独り言を呟いた。


「そして今度は、魔竜が操れると知ったからこその進軍だな。でもミシアン将軍、あなたの仰りようでは、反対する者も祖国にはいたみたいですね?」


 冷静に将軍に尋ねると、彼はどことなく満足げに笑った。


「いたよ。でも、押し切られたんだ。恐怖を煽られてね」

「恐怖? そうか。転移のコインを回収するという情報を流して、条国は各国と手を切って、魔竜を軍事転用させようとしていると反対派の連中を煽ったんだな?」


 なんて卑怯な。 

 ぎろりと将軍を睨みつけた。だけど彼は、「正解だ」とにこりと笑んだ。


 こんなにも母国を恥じたことはない。僕は憎悪を込めて、さっきよりももっと鋭く将軍を睨み付けた。


「私がしたわけではないよ」


 将軍は苦笑を浮かべる。

 そうかも知れないけど、でも、


「こんなことに加担してる時点で、貴方だって同罪でしょう」


 憎しみを込めたのに、彼は歯牙にもかけない風に微笑む。


「君は、すっかり条国の人間なんだね」

「条国だとか、ルクゥ国だとか、種族だとか、そんなことは関係ない。人間は人間でしょう。人殺しは、どの国の人を殺しても人殺しに変わりはないんだ」

「そうだね、私達軍人は人殺しさ」


 ゆっくりと瞳を閉じ、将軍はそう言って瞼を開いた。口元には、柔和な微笑が浮かんでいる。


 この人は――。


 背筋に冷たいものが這う。

 何を考えてるのか、まるで解らない。僕はずっと、ミシアン将軍は英雄にしかるべき、立派で正しく優しい人なのだと思っていた。


 だけど、この人は信用できない人間だ。

 今日だけではない、この人は逢うたびにずっと笑っている。柔和な微笑を絶やしたことがない。


 笑顔で壁を作り、本心を読ませないようにしていたんだ。おそらくこの人は、自分以外を信頼していない。


「殿下はどこにいる?」

 僕は警戒しながら尋ねた。

「もう、亡くなっているよ」

「やっぱり……」


 僕は愕然としながら呟いた。

 利用した人間を殺すくらい、こいつらにとっては容易いだろう。


「殿下は魔竜を操り私達を撃退したかったみたいだが、紅説王に拒まれたみたいでね。王は魔竜を戦争の道具として使えば、二度と他国の……というよりは人心の信頼を得られなくなる。恐怖による政治はあってはならないとして、転移のコインで退却して状勢を整えたかったみたいだけど、言い争っているところに矢が飛んで来て、殿下を王が庇われ負傷したところを消者石の粉をお二人に振りまき、王は捕縛。殿下は切り殺されたと報告では聞いたけどね」


(紅説王……。殿下……)

 

 胸に悲しみが振ってくる。


「だが、君も分かりきったことを訊くね。王宮に攻め入られた王は捕縛後、死刑。王族は真っ先に殺される定めだろう」


 ミシアン将軍は軽口をきくように言った。

 僕は軽蔑を込めて将軍を睨む。


「ムガイはどうして殺したんだ。仲間のはずだろ?」

 将軍は柔和な面立ちのまま、ぴくっと僅かに眉を跳ね上げた。


「そうだなぁ」と呟いて、「ムガイは、連合軍の人間だが、ハーティムの人間でもある」と答えた。


「つまり、ハーティムの手柄にしたくなかったと?」

「そうだな。それが一つの理由だ」

「一つ?」


 聞き返した僕を、将軍は見返す。


「ムガイが君を殺そうとしたのは、記録者は一人でいいからさ」

「どういう意味ですか?」


 僕はほとほと訳が分からず、渋面で将軍を見据えた。だけど、この質問にはミシアン将軍は答えなかった。


 * * *


 僕が連れて行かれた場所は、大広間だった。しっかりと閉じられていた障子を、将軍は静かに開けた。その瞬間、僕は息を呑んだ。


 大広間には、手錠をかけられて座らせられている見知った顔がいくつもあった。

 陽空、マル、そして何回か会ったことのある二条の者たちが十数人。その中には、火恋の両親である愁耶さんと悠南さん、そして彪芽さんもいた。


 彼らはいずれも、消者石しょうしゃせきの手錠をかけられていた。

 粉末状の消者石は一時的に能力者の能力を封じるが、岩自体を加工して手錠などを作り、能力者に密着させておけば、永久的に能力を封じ込める事が出来る。


 だが、そうした道具はかなり高価で、軍でも数個しか取り扱えなかった。

 それが、これだけあるということが、各国が手を取り合って条国を潰そうという明確な意思を物語っている。どっと嫌悪感が湧いて出た。


 まさか祖国にこんな風な感情を持つ日が来るなんて、思ってもみなかった。


「よう、レテラ。生きてたか」

 陽空が皮肉っぽく言って僕に笑みかけてきた。

 僕は、くすっと笑って、「お前もな」と返す。でもすぐにトーンを落とした。

「アイシャさんは?」

「さあな。はぐれちまった」


 陽空は微苦笑して首を振った。心配だろうなと思いながら、そうかと僕が返そうとすると、彼らを取り囲んでいた一人の兵士が、ミシアン将軍に噛み付くように尋ねた。


「ムガイは?」

 鎧の色と腕章から察するに、ハーティム国の将軍だ。

「残念ながら亡くなったよ。戦死さ」

「なんだと!? 誰に殺された!」


 ハーティム国の将軍は声高に叫んで、疑り深そうにミシアン将軍を睨みつける。


「さあ? 私が見つけたときにはすでに事切れていたので」


 僕はちらりとミシアン将軍を一瞥する。将軍は残念そうに微笑した。この人は、かなりの嘘つきだな。きっと自分の気持ちですら、易々と嘘で覆ってみせるだろう。


「――チッ!」

 ハーティムの将軍は、突然舌打ちをして僕を睨み付けた。


「では、そいつがルクゥ国の記録係か」

 問われて、ミシアン将軍は大きく頷く。

「そうだ」

「本当に証言するのか?」

「誰だって死にたくはないさ。だろ、レテラ?」


 ミシアン将軍は僕に向き直った。僕は突然話を振られて戸惑う。


「いったい、なんの話ですか? それに……他の皆はどうなったんです?」

 僕は恐る恐る切り出した。緊張がどっと押し寄せてくる。

「ヒナタと燗海は死んだよ」


 嘲笑いながら答えたのは、ハーティム国の将軍だった。

 僕は、一瞬で頭が真っ白になる。


「嘘だろ。だって、あの二人だぞ」


 怪物並みに強いあの二人が、死んだ? とても信じられる話じゃない。


「ヒナタは、立派な戦士だったよ。同じ国の者として、誇りに思うよ」


 ミシアン将軍は柔らかい口調で告げた。僕は促す目つきを向ける。将軍はそれに気がついて話を続けた。


「彼女は利き手を失っていたからね。昔に比べれば血を操るスピードが明らかに落ちていた。それでも、速いことには違いなかったけどね。連合軍の兵士を片っ端から貫いていったよ。でも、私はヒナタと何度か一緒の部隊に配属されたことがあってね。彼女の技は全て見ていたから、弱点も知っていた。彼女は接近戦に弱い。といっても、そこらの兵士じゃ、とても太刀打ちできないが、私は反対に接近戦の方が得意でね」


「じゃあ、貴方がヒナタ嬢を?」

 ミシアン将軍は微笑を浮かべたまま頷いた。


「そうだよ。彼女の心臓を貫いたのは、私だ。彼女は、燗海に庇われ動揺していた。そこをね……。彼女は、即死させなければ、意地でも喰らいつき、死ぬまでに一人でも多くを殺そうとするだろう。初めて戦場で逢ったときから、そういう狼みたいな娘だったから。彼女を捕らえることは、不可能だったのさ」

「そうか……」


 僕は呟いた。それしか言えなかった。

 確かにヒナタ嬢はそういう人だ。息を引き取る間際まで戦い続けようとするだろう。だけど――。


「……燗海さんは?」

 全人類を探しても、彼に勝てるやつなんているわけがない。


「言っただろう? 人には弱点があるものだって」

 そう言ったのはミシアン将軍だったが、答えたのはハーティムの将軍だった。


「やつはてんで甘いやつだったよ! やられそうになったヒナタを庇い、負傷した! まあ、急所だったにも関わらず、すぐに治ったがな。召使の子供を人質にとったら、若い命には代えられないとか何とか言って、消者石の手錠を自らかけおったわ!」


 嘲笑しながら、ハーティムの将軍は鼻を鳴らした。


「もしかして、その子供って六歳ぐらいの子でしたか?」


 気がつくと、僕は質問していた。ハーティム国の将軍は訝しがりながら、「おそらくな」と言って、「それがどうした!」と再び鼻を鳴らす。


 僕は泣き出しそうになって唇を噛み締めた。

 燗海さんがおとなしく掴まったのは、きっとその子と娘さんが重なったからなんだ。


「その後はその子供もろとも、なます切りにして俺の剣の錆にしてくれたわ!」

「なんてことを……!」


 僕は愕然として、衝動的に掴みかかろうとした。だけど、


「テメエ! この野郎!」


 突然の罵声に、僕ははっと我に帰った。陽空が立ち上がろうとしていた。でも次の瞬間には、兵に押さえ込まれてしまった。


「燗海の爺さんはな! 本当にすっげーやつだったんだよ! 俺が羨ましいと思うほどに、剣術にも長けてて、それを鼻にも掛けない、優しい人だったんだよ!」


 陽空は悔しさに顔を歪めて、鋭くミシアン将軍を睨み付けた。


「テメエもな! 女殺して鼻高々になってんじゃねえぞ! ヒナタちゃんはなぁ、お前なんかより、ずっとすげえことしてきたんだよ! お前、魔竜に少しもびびらずに立ち向かえんのかよ!」


 陽空の罵声に、ミシアン将軍は笑みを返した。


「出来ないと思いますよ。焔将軍。あの娘は、特別でしたから」


 ミシアン将軍の笑みは、変わらず優しげで柔和なのに、何故だか先程までと違ってどことなく切ないような気がした。いや、それも少し当てはまらない。


 この瞳は、どこかで見覚えがある。愛しい者を見る――いや、もっと、どこか狂気じみているような……。


 将軍は、静かに瞬きをし、陽空から視線を外した。僕に向き直ったときには、あの感じは消えていた。


「安心しろ、貴様らも用事が済んだら全員あの世逝きにしてやるからな!」


 ハーティム国の将軍が声高に宣言して、高らかに笑った。

 僕の胸に、一気に緊張感と恐怖が押し寄せる。だけど、それを出さないように努めた。場の空気が張り詰めて、諦めと不安感が漂っている。皆同じだ。怖いんだ。だけど、それと同時に諦めてもいる。


「紅説王は」と、ミシアン将軍が切り出した。場の空気が一気に変わる。恐怖感が吹き飛び、強い緊張感が場を支配した。

 王は、どうなったんだ。


「君がいた地下牢とは別の牢に入れられているよ。この後、転移のコインで我が国に移動し、そこで処刑されるだろう」


 バカな――。絶望と拒絶が押し寄せる。


「バカな! 各国でももはや、紅説様は英雄王だぞ! そんなことをすれば、各国の民衆だって黙ってないだろ!」


 一瞬、僕が叫んだのかと思ったが、吠えたのはマルだった。こんなに必死な形相は初めて見た。


「そうでもない。魔竜を封じ込めた紅説王は、愛する聖女を蘇らせようとしたが、君達にそれは魔竜を蘇らせる危険があると反対され、各国から派遣されている者達を殺した。つまり、〝君達〟をね。そして乱心なされた紅説王は、人類を滅ぼそうとし、我々がそれを食い止めた。――と、そういう筋書きになるらしいからね」


「そんな嘘八百、誰が信じるか! 証人もなしに、民衆はそんなに愚かじゃないぞ!」


 マルが怒鳴り、陽空が鋭くミシアン将軍を睨みつける。


「事実を織り交ぜた嘘を見破るのは、案外難しいものだよ。それに、証人ならいるさ」

 ミシアン将軍は変わらない笑みを湛えたまま、僕の肩を引き寄せた。

「ここに」


 僕は束の間絶句し、次の瞬間ミシアン将軍を力いっぱい跳ね除けた。

「冗談じゃない! 僕は嘘は書かない!」


 声高に拒絶した僕を、ミシアン将軍は見つめる。口角は優しげに上がっているのに、その瞳はまるで笑んでなかった。瞳の奥底が冷ややかで、僕はぞっとした。


 この人は、やっぱり危険な人だ。

 ミシアン将軍は僕から視線をそらして、マル達の方を見渡すと、再び僕に視線を送った。


「じゃあ、しょうがない。君の両親にも死んでもらわなくちゃいけないな」

「……は?」

「御両親だけじゃない。ルクゥ国での君の友人も、職場の人間も、一掃しなくちゃいけなくなるね」

「なんでだよ、関係ないだろ!」


 僕は思わず叫んだ。


「関係なくはないだろう。君が紅説王の暴挙を阻止しようとした英雄の生き残りならまだしも、紅説王に与した裏切り者だとなれば、君に関係した者を処断しなくちゃならなくなる。幸いなことに、ルクゥ国からは、もう一人、ヒナタがいる。彼女に英霊となってもらえば、我が国の面目も保たれるさ」

「……なら、僕はそれでいい」


 嘘の記事を書くくらいなら、死んだ方がマシだ。両親には悪いが、絶対に僕の無実を信じてくれる。僕のことを天国で知ったなら、誇ってくれるはずだ。


 友人、職場の人間が処刑されることは、ほぼ間違いなくない。友人も、職場の者も貴族の出ばかりだ、犯罪者と関わっていたって、減俸されることはあっても命まで盗られることはない。


 これは、ただの脅しだ。

 僕の考えを見抜いたように、ミシアン将軍は僅かに目元を細めた。


「――では、君の命よりも大事な、君の書き記した全ての書物も、メモも、全部燃やそう」


 僕の記事を燃やすだって――?


「ふざけるな! あの中には晃の――晃だけじゃない。人の人生の記録が詰まってるんだ! その人が死んだって、僕が死んだって、後々に残っていく、重要な歴史なんだよ! あれは、僕の命なんかより、ずっと重いものだ!」

「だが、君が承諾しなければ、重要な歴史は紡がれない」


 僕の頭は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

(……今、なんて言った?)

 ミシアン将軍の言葉が頭を巡る。

(そうか)


 この状況下にあって、皆が生き延びる方法がひとつだけある。それは多分、皆が望む形ではないし、僕もまた本意ではない。だけど、このままでは確実に皆は抹消されてしまう。


「……分かった。承諾する」

「レテラ!」

 陽空が悲鳴めいた声を張り上げた。

「この状況の打開策はない」


 僕はぽつりと呟く。陽空は裏切られたような顔をして僕を見た。


「連合軍を打破出来る英雄がこの状況で現れると思うか? 万に一つもないよ」

 僕はわざと自嘲を漏らす。

「……やつらに寝返っても、お前、証言した途端に殺されるぞ。それに、どうせ巻物だって燃やされるに決まってる」


 陽空は真剣な表情で言った。声音には僅かに棘がある。

 僕はなるべく、冷淡な声音になるように心がけた。完璧な裏切り者に見えるように。


「僕の命は保障してくれるんでしょう?」

「ああ」


 ミシアン将軍は少しの間を開けて答えた。きっと嘘だろう。


「それに、燃やされるとしても全てじゃないさ。ここにいた十数年の記録は燃やされるだろう。でも、それ以外は残る」


 どうせ、と僕はミシアン将軍を見据えた。諦めた顔つきになっているようにと願いながら。


「そのために、町に火をつけたんだろ。それが城にも回ったと言い訳するためにな。そうすれば、誰かが研究に興味を持っても、このことを怪しんでも、調べようがないから」


「分かってるじゃないか。レテラ。君を亡くすのは、おしいと思っていた。仲間に加わってくれて良かったよ」


 ミシアン将軍は誉めそやすと、にこりと笑んだ。相変わらず、どれが本当の笑顔か分からない人だ。僕は半ば嫌気がさしてしまった。


 この人の笑顔をもう見ていたくない。だが、感謝はしている。

 ミシアン将軍は、マル達に向き直った。


「さて、君達を生かしたのは、火恋という次期国王に決まっていた女が、どこにいるのか、誰なのかを証言してもらおうと思ってね」

「誰が言うかよ」


 陽空は将軍を睨みつけて唾を吐きかけた。将軍には届かなかったが、一瞬だけミシアン将軍は不快そうに眉を顰めた。珍しい、そんなことが過ぎったとき、


「立たせろ!」

 ハーティムの将軍が叫んで、兵士が皆を立たせた。


「打て!」


 兵士達は号令と共に、槍の側面を一斉に皆に打ちつけようと振りかぶった。そのとき、

「待て!」

 マルが叫んだ。


「火恋は、僕だ」

(マル? なにを――?)

「嘘をつけ! 貴様は男だろう!」

「違う! 僕は女だ! 僕が、火恋だ! その証拠に、ずっと紅説様と研究を続けていたのは僕だぞ! 次期国王だからこそ、ずっと研究に立ち会っていたんだ!」


 ハーティムの将軍相手に、マルは怒鳴り返した。そして、強い瞳で僕を見据える。強い意志を感じて、僕はマルが何を言いたいのか、解ってしまった。


「……そうだよ。そこの、女の言うとおりだ。彼女は女で、火恋だよ。眼鏡を取って見ると良い。そうすれば、はっきりする」

「レテラ?」


 陽空が動揺した声音を出したけど、僕は陽空を見れなかった。

 ハーティムの将軍が顎で合図を出し、兵士がマルの眼鏡を取った。現れたマルの素顔に、皆が息を呑んだ音が聞こえた。

 その中には陽空も含まれていた。


(そうか。陽空はマルが女だって知らなかったんだっけ)


「分かったか。僕は火恋だ。そうだな、皆」


 マルは二条家の者達を振り返った。彼らは悲痛な面持ちで頷いた。マルの両親である愁耶さんと悠南さんは、身を乗り出したけど、マルに視線で止められた。

 悠南さんは泣き出し、愁耶さんが彼女を抱きしめる。


「どうやら、そのようだ」

 ハーティムの将軍は納得して、兵の槍を下げさせた。マルは彼を見据える。


「お願いがある。ここの、二条の者達を生かしておいて欲しい」

「何をバカな。貴様の顔が判明した今、生かしておく必要がどこにある」

「いや、生かしておいた方が良い。これは、お前らのために言ってるんだぞ。結界師が一人もいなくなれば、困るのはお前らじゃないのか」

「なに?」


 ハーティムの将軍は怪訝に眉を顰めた。そこに、賛同する声が上がった。


「確かに、彼女の言うとおりですよ。タンザ将軍」

 ミシアン将軍は柔和な表情のまま、続けた。

「結界師がいなければ、魔王に結界を張れない」

 マルは「そうだ」と頷いて、強気に出た。


「良いか。魔王は聖女の体に入っていなければ無差別に命あるものを殺すぞ。魔王に近づけなければ、魔竜を操ることさえ出来ないだろう」


 嘘だ。マルと紅説王の研究を一番長く見てきたのは僕だ。他の呪符ならともかく、魔竜を操れる呪符は、多分呪術者じゃなければ使えない。だから、マルはさっき、僕にマルが火恋だと嘘をつくように目で合図を送ったんだ。火恋を死なせないために。


「聖女、あかるの体に魔王が入っていても、あかるは既に死んでいる。その肉体がいつまで持つと思う? 一年か、五年か、十年か、百年か、それは誰にも分からない。もしそのときがきて、結界師がこの世にひとりも存在しなかったら、お前らはいったいどうするつもりだ? もしもあかるの体に魔王を戻すとしても、誰が戻す? 結界師なしで魔王に触れられる者など、一人もいない!」


 マルは激しく捲くし立てた。研究を発表しているときでさえ、こんなに迫力があったことはない。今のマルに気圧されない者など、この場に一人もいなかった。マルも、まさしく王族なんだ。


「分かった。ここにいる二条の者の命の保障は私がする」


 ミシアン将軍は快諾し、初めて真顔になった。微笑まないミシアン将軍には、言い知れぬ迫力がある。やっぱりこの人は、恐ろしい人だ。敵にしてはいけない相手だ。そう、本能が呼びかけてくる。


 タンザ将軍は歯軋りを響かせたが、ミシアン将軍に促されて渋々頷いた。そして、タンザ将軍は腰に差したS字の剣を抜いた。マルは、跪いて首を差し出した。

 胸がざわつく。


「待っ――」


 駆け出そうとした瞬間、ミシアン将軍に片手で押さえ込まれた。

 マルは僕を見据えて、微笑む。眼鏡のないマルの瞳は大きく、澄んだ蒼い瞳が僅かに涙で潤んだ。


「レテラ、ありがとう」


 マルが囁いたその瞬間、マルの頭は胴体と切り離された。そして、瞬く間に陽空も乱暴に地面に伏せられて、心臓を一突きにされた。


「……っ!」

「キャアア!」


 悠南さんの発狂を聞きながら、喉元まで上がった悲鳴を押し殺した。





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