13 試験の前に
これでレイランドに追いつかれたら、どうしてくれようか。
そう思いながら男を見やった後、ティアは男をまるきり無視して、受付担当の青年のほうを振り返った。
「教えてください。朝一番で登録してはいけないという規則があるんですか?」
青年は少しあっけにとられたような顔をした後、少し笑った。まったく怖がっていないティアの態度を面白がっているのが分かる笑みだ。
「この時間帯は仕事を受ける人が多いから、混雑を避ける人が多いというだけで、いけないってことはないよ」
「更にもう一つ。ここは大陸で一番大きな国の王都だと聞いたのだけど、私一人が増えたら困るほどの仕事量しかここには回ってこないんですか?」
「いいや、そんなことはもちろんないよ。常時発注の依頼も沢山あるし、一人で受けられる依頼数の上限も決まっている。どれだけ階級が上がったとしても、一人で全ての仕事をこなすのは物理的に不可能だ。今は新しい法が導入されたばかりだから新規登録の扱いに慎重になっているけど、仕事量に対してこなす人数は決して多いわけじゃない。だから新人さんが来るのは組合としては大歓迎なんだ」
「じゃあ、この人は私のことを心配してくれたんだね。どうもありがとう?」
まるっきりチンピラな男に、にこりと笑ってみせた。
「そうじゃなければ今登録したばかりの新人に、脅威を感じるほど仕事ができない人ってことか、自分より弱いと思う相手を威嚇しないと満足しない、安い矜持の持ち主ってことになっちゃうもんねぇ」
首を傾げ、あくまで何も知らない純真な少女のような振りをして、怒鳴るのをこらえたようにぐっと口をかみ締めた男を見上げる。
「あなたは違うんでしょう?親切なお兄さん?」と付け加えることも忘れない。
追い打ちをかけるようにダークエルフの青年も笑った。黒エルフだと納得するような物騒な笑みだった。
「ああ、先に規則を言っておくね。ここでの諍いは厳禁、組合の備品を壊したら実費を請求させてもらうし、あまりに目に余る行動を繰り返すようだと、除名もありうるから気を付けて。登録するときに全員にちゃんと伝えているんだけど、忘れる人が多いんだよ。若年性健忘症なのかな?」
私よりもよっぽどきついこと言ってるよ、このダークエルフ。それとも実はこのチンピラ、問題ばかり起こしていて鬱憤が溜まっていたとか?
乗ってくれるのはありがたいので、煽るように「病気なら仕方がないと思うよ」と嘯いた。
「……ついでに聞いておくと、先に手を出された時に、避けたり反撃したりするのは良いんですか?」
「組合の建物の中は武器を抜いただけで処罰対象だから、武器は使っちゃだめだ」
確かに、狭くはないが人が沢山いる室内で武器を抜いたら危険だし、反撃するのにも刃物を使ったら本人の技量にもよるが、小さな怪我では済まないだろう。ちょっとしたいざこざで人死にまで出すのは馬鹿らしい。
「手を出されたときに、やり返すのはいいんだ。魔法は使っていいんですか?」
「魔法だろうとなんだろうと、無関係の人間を巻き込んだら、どちらが悪くてもやっぱり処罰対象だね」
「そうですか……。組合の外でやったとしたら?」
「そちらは自己責任。ただ、この中では多少大目に見れるようなことでも、外で行ったら普通に犯罪だ。……特に殺人になったら、組合じゃなくて憲兵の出番になる」
「ああ、なるほど。じゃあ余計に小心者なのか。皆が見ている時に手は出せないのね」
「なるほど」までは大きな声で、それ以降は男にしか聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
そこで、男の限界が来たらしい。
「言わせておけば……っ!」
さすがに剣に手を掛けることはしなかったが、男は体格に物を言わせて腕を振るおうとした。
だが、動いたのはティアの方が早かった。
すかさず一歩前に出ると、男の防具なしの脛をブーツのつま先で痛烈に蹴ったのだ。
ブーツは、黒蜥蜴の皮を使用している。普通の鉄製の剣では傷一つつけられないだけの強度があり、靴に仕立て上げる段階で、更に強固になっていた。いわば、つま先に鉄の塊が入っているようなものだ。
悶絶して思わず前のめりになった男のこめかみを、更に横からに蹴りつける。
男は「ぐっ」という声を上げて、倒れると、そのまま起き上がることはなかった。
蹴りや打撃の威力がなくとも、効果的に脳みそを揺らすと、体格差などに関係なく相手を気絶させることができる。
これは、幼馴染の静から教えてもらったことだ。
高校生らしからぬ体格をした自分は、時々変な性癖を持った成人男性に追いかけられることがあったのだ。部活がある静がいつも一緒にいられるわけではないし、他の二人は帰り道が反対方向だったので、手っ取り早く身を守る方法を叩き込まれたのだった。
「男に金的は効果的だが、雫の場合、足で蹴り上げるのは身長的に無理があるから、正拳突きをするのでもいいよ」
と解説されたが、そんなもの布越しであっても触りたいものではない。
実際に行ったのは元の世界では一度だけ、今回で二度目だったが、案外うまく行くものだ。
「か弱い子供に手を上げるなんて、男の風上にも置けない所業よね。私が身を守らなかったら、どうなってたと思うの?」
要約すると「向こうが先に手を出して来たんだから、私は悪くないわよね」と言う事になるのだが、先ほどまであった喧騒がすっかりなくなり、静まり返った室内ですべての視線がティアに集まっていた。
そして、そんな中で出入り口の扉がひらいた。
入ってきたのは……。
「──何だ、この状況は」
レイランドは入った途端の光景に、思わず棒立ちになったのだった。
挑発されたとはいえ、先に言いがかりをつけた上に手を出そうとした男は、罰として気絶してひっくり返ったままの状態で部屋の隅に放置され、組合員の好奇の視線にさらされることになった。
対するティアは、別室へ連れて行かれてレイランドから説教を受けていた。傍にはダークエルフの青年がいるが、組合の施設であるため、立ち会っているだけでこちらに手出しつもりはないらしい。外が騒がしくなったので、ここで登録作業の続きをするつもりだったが、レイランドが否やを告げたからでもある。
「どうして俺を待たなかったんだ、ああいう輩がいるから一緒に行こうとしていたんだぞ」
それも目的だったのかもしれないが「第一目的はちがうでしょ」と口には出さないで、
「だからだよ」
とティアはレイランドに向かって言いかえした。
「私の外見がこんななのは仕方がないけど、遅かれ早かれどうせああいうのが出てくるんじゃないかと思っていたの。大体、レイランドがくっついているのは最初だけなんだから、一人で対処できなきゃ意味ないでしょう」
「それはそうだが……」
「それに、師に言われたことでもある。新しい群れに入ったら、まずは自分の強さを示すことって」
実はこれも静に言われたことだ。最初の一人をなるべく派手にやり込めると、見せしめになるからちょうどいいよ、と。
世間一般的に、かわいらしい子供がいい年した男に襲われた場合、多少怪我をさせたとしても過剰防衛にはならない。大けがをさせる前提で抵抗しないと、小さな体では逃げ切れなかっただろうと判断されるし、所詮相手は変態だ。
当人から恨まれる可能性もあるが、ああいった人種は大体が内向的だったので、変態に襲われたという事実が周囲に広まったら変な視線を貰う事が少なくなった。
こちらでも同じことだ。
王都の入り口でしたように、今度は意図して魔力を放出して威嚇する方法もあったが、自分が魔素中毒と分かったら、碌に魔法が使えないだろうと付け込んでくる輩が出てくるかもしれない。だから、あえて挑発して叩きのめした。
予想以上に相手が弱く、上手く嵌まってくれたので視覚的な印象は大きかったろう。子供に見えるが、簡単に手は出せない相手だと認識させるだけで上等だった。
今はまだ気絶している男が、恥をかかされたと逆恨みをしてくる可能性はあるが、その時はもう少し本気で抵抗する。自分では魔法が使えなくても、青がいるし腕輪もある。時が過ぎれば少しずつでも使える魔法も出てくるだろう。
「以前暮らしていた所は、あれよりも大きくて強い魔獣がいっぱいたから。基本的に魔獣は強い存在を避けるので、襲って来た一匹目を念入りに可愛がってあげれば、ちゃんと次回からはこっちを見ると逃げるもの」
「…………」
「…………」
魔獣より弱いか。弱いだろうな。
レイランドはもはや相槌も打てなくて、疲れたようにため息を付くだけに留めたのだった。




