生贄妻の心中
「入って来るなっ!!」
「きゃっ……!!」
突然の怒号に、今まで生きてきた中で怒鳴りつけられたことのない雪は腰を抜かして尻餅をつきそうになった。
後ろに手を回して槇谷が支えてくれなかったら、きっとこけていたに違いない。
「雪っ! どうしてここに!?」
「あ! え、と……ごめんね、真くん……すぐ出て行くから」
「ま、待ちなさい! あ、違うんだ。今のは怒鳴ったわけじゃなくて……」
「ううん、いいの。お仕事の邪魔しちゃったみたいで……ごめんなさい」
「ゆ、雪っ!」
真が止めるのも構わず、雪は急いで家に帰るために踵を返した。
せっかく、上手くやれてたのに。
真を怒らせてしまったことに落ち込み、そして気づく。
あんな、鬼みたいな形相の真を見たのは初めてだ。
ぽ……っと頬を染める。
先ほどは驚いて泣きそうになったが、険しい顔の真くんもかっこいい……などと心の中で惚気る雪だった。
「好きなんだけど、付き合ってくれないかな」
「……っ……ご、めんなさい」
告白されると、いつも息が詰まりそうになる。
今まで友達だったのに。楽しかったのに。
この人は私を女として、そういう目で見ているんだ、と思っただけで雪はその人の視線に耐え切れなくなって目を伏せた。
寿命が縮まってしまうかと思うほど、胸がどきどきと脈打つものの、それが雪には恐怖でしかなかった。
好きとか、嫌いとか、愛してるとか、愛して無いだとか。
そんなものに翻弄されるのはごめんだ。
不確かな気持ちを探りながら、’恋人’などと言うものと過ごすなんて、疲れるだけ。
(そう言えば、真くん今日来るんだっけ)
七回目のお見合いで知り合った真は、とても優しい、お兄さんのような存在だ。
なんとなく、結婚する気が無いことがわかった。
大手株式会社の社長さんだと言うし、きっと家と繋がりが欲しかったんだろうと思い、一気に気が軽くなり、いきなり甘えまくった。
雪は人見知りするようなことは一切無いし、気に入った人にはとことん甘える。
始め、腕を何と無く掴んだ時に真が強張って頬を引きつらせていたのを見て、接触は控えるようにした。
基本、年上が好きな雪はすぐに真を好きになった。
こんなお兄ちゃんいたらよかったなぁ……といった類のものだが。
「真くん、これ見てー。綺麗だよ」
「ん?」
他愛の無いことでも必ず返事をしてくれることが嬉しくて、子供のように話し続けた。
返ってくる返事も同い年の男とは違う、実の詰まったものが多い。
雪の知らないことをたくさん知っていて、尊敬さえする。
百八十cmはあるだろう背に、さらさらの地毛にしては茶色っぽい髪。
理知的な切れ長の瞳も雪のお気に入り。
雪のような年下を相手にするほど困っているようには見えない。
「真くんも大変だね」
「?」
大人の事情とはいえ、こんな小娘の相手をしなくちゃならないなんて。
忙しいだろうに。と哀れみに近い目を向けると真が困惑したので、にこっと笑う。
本を読んでいる真の足に凭れていた雪の頭を真が撫でてくれる。
心地良い。
甘やかしてくれる人は大好きだ。
皆に自慢したい。こんなにかっこいいお兄さんが可愛がってくれてるの! って。
子供みたいに、妹みたいに甘やかしてくれるのが心地よかった。
YESの意味が分からない。
真からきたお見合いの返事だ。
断れなかったのだろうか? と考える。
それなら私から断ればそつなく終わるか、と当たり前のように返事はNOで返す。
(あーあ、楽しかったのに……もう終わりかぁ。真くん、また遊んでくれるかなぁ)
そんなことを考えながら帰途に着こうとしたとき、校門に一台の車。
ベンツだし。似合ってるけど。
車から降りてきた真は少し青ざめていた。
体調でも悪いのか、と心配したが、「何故断ったのか」と聞かれ、首を傾げる。
「真くんこそ、どうしてお見合い、受けたの? 私のこと、そう言う意味で好きじゃないでしょう? それに、真くんは人と一緒にいるの嫌いな人でしょ? 私は甘やかされて育てられたから、寂しいのは嫌。耐えられないの」
「……そんなことはない。君を好きだと思ったから……」
「うん。でも、恋愛感情じゃないよね? 真くん、最近やっと自然体になれるようになったみたいだけど、少し前までは神経を張り巡らせてたでしょう? たまに会うから良いんだよ。毎日一緒だと、真くんきっと体壊しちゃうよ」
「恋愛感情じゃないなんてどうして言い切れるんだ?」
「え?」
何で恋愛感情なんて言うの? まさか、真は……。
「……真くん、私のこと、好きなの?」
「好きだ。結婚して欲しいと思っている」
いつものようにぼっと体温が上がって体が震える。
真が遠く感じて、いつもと同じように震える声で「ごめんなさい」と言ったのだった。
しかし。
それから真の行動が一気に変化する。
今までは親や祖父に決められた日に家で話をするだけだったのに、色んなところに出かけるようになったのだ。
今までと違い、緊張して余り話さなくなった雪を、真は心配して、今度は真がたくさん話すようになった。
雪が態度を変えても、真の態度は変わらなかった。
寧ろ、前より優しいし、甘やかしてくれる。
雪は告白されたことも忘れて、甘やかしてくれるだけ甘えるようになった。
真を見つけたら後ろから抱きついたり、足が痛くなって抱っこしてもらったこともあるくらいに。
ある日、真にプロポーズされた。
「結婚して欲しい」と。
雪はまただ、と思って、また「ごめんなさい」と言う。
「何故? 雪は俺を好きだと思っていたんだか」
「す、す……き、だけど。嫌なの」
「何が?」
「胸が、苦しくて死にそうになるんだもん……」
正直に言うと真は笑った。そして「子供だな」と言って鼻を摘まれた。
そのまま両手で頬を挟まれてちゅっとキスをされて、真が何かを言う。
でも、雪は自分の心臓の音がうるさくて、外界の音が何も聞こえなかった。
今思えば、ただ怖かっただけなのだ。
恋愛をすることが。
好きの種類が分からないくらい、幼すぎただけなのだ。
抱きしめられて、安心して。
抱きしめられながら「結婚しよう」と囁くように言われて、頷いていた。
その後、真はただ雪を優しく抱きしめたままで、雪は眠ってしまったのだった。
新婚生活はとても充実していて、楽しかった。
掃除したり、食事を作ったり。
会社から帰ってきた真にじゃれ付いて、愛されて。
雪を抱きしめながら「……癒される」と言ってくれるのがちょっと嬉しい。
そんな生活のなか、槇谷に呼ばれて会社に行った。
何でも真が呼んでいるらしい。
しかし、そこで聞こえた真の声は知らない人のようだった。
誰だろう、と部屋に入ろうとしたら、それは真で。
驚いた。
部屋に篭って雪は沈んでいた。
あんな人は知らない。
真は、優しくてかっこよくて。幼すぎる私をそのまま受け入れ、愛してくれる、包容力のある人。
自分だけに優しいなんて、嬉しすぎる。
でも、真の焦った顔を見て、知られたくなかったのかなと落ち込む。
じわり、と涙が湧き上がる。
だから、恋愛ごとは嫌なのだ。
情緒不安定になって、自分でも何をしているのかわからなくなる。
いいじゃないか。自分だけに優しいのなら。
でも、嫌。たとえどんな真であっても、他の人に、自分の知らない真を見られたくない。
コンコンとノックがして、真が何を思ったか謝って来るので扉を開けると抱きしめられる。
ぎゅっと真に抱きついて駄々っ子のように泣く。
(真くんは、私のだもん……!)
そう思いながらぐずる雪を、真がいつものように自分の体に雪をしまい込むように据わらせた。
雪はこの体勢が好きだ。
真の体温や匂いに包まれて、安心する。
「雪、泣くな……怖かったな。すまない」
「ん……ち、がうの」
「何が違う?」
優しく笑って撫でてくれる手にうっとりとする。
「……あ、のね?」
「ん?」
「……嫌、だったの」
「……」
優しい空気に促され、自然と口が開く。
「真くんのこと、私まだ全然知らなかった」
「え?」
「どうして、私に全部見せてくれないの?」
「……」
「私に、真くんの全部を見せて」
「……雪、そんなことを言わないでくれないか」
あ、真くんの苦しそうな顔。
いつもの’優しいお兄ちゃん’ではなく、心臓が壊れそうになるような感覚をもたらす’愛しい旦那様’になる。
「可愛い」
「……むー」
「雪、可愛い」
「……真くんも可愛いよ?」
「……それは、嬉しくないな」
「何で?」
私は真くんに可愛いって言ってもらえると嬉しいのに。
照れくさくて、素直に「ありがとう」なんて言えないけれど。
ちゅ、ちゅっとキスをされながら、雪は不安になった。
全部を見せて、とは言ったが、怒られるのはやっぱり嫌だ。怖いし、きっと泣いてしまう。
「で、もね。怖いのは、やっぱり、やだ」
「……すまない」
「……優しくしてね?」
「もちろん」
にやっと色っぽく笑う真に、雪はまた外界の音が聞こえなくなる。
心臓が、痛いくらいに高鳴る。
いつか死んでしまうんではないかと思う。
だから。
助けを求めて、真にぎゅう……と抱きついた。
+++++++
『いやー、雪ちゃんありがとう。これからもちょくちょく顔出してよ。あいつも少しは自重するだろうし』
『は、はい?』
『これで少しは社内の空気も軽く……おわ! 見つかった!! またね、雪ちゃん』
『は、はい』
携帯から、後ろのほうで「てめぇの仕業かっ!」と怒る真の声がした。
終わり。
とにかく恋愛が書きたくなっただけです。
精神年齢が幼い、恋愛避け気味の女の子のお話……かな?
まぁ、つまりはバカップルなんですが。。。
なんかすいません……ORZ