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瀬戸内の春、君と閑《しずか》の谷から旅を始める【完結】  作者: ねねこ


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13/13

エピローグ ―春の後、初夏の日

 初夏の風は、春より少しだけ匂いが濃い。梅雨が終わり、湿気のない風は初夏の緑の匂いがするからか。


 窓を開けた車の中へ、青葉と土の混じった空気が流れ込んでくる。

 県道沿いの田んぼは稲が伸び始めていて、青々とした力強い風景だった。


 7月の始まりはもう大分暑くて、車の中でエアコンなしではいられない。

 高校卒業時にアルバイト代をためたのと、両親が少し足してくれて買ったこの中古の30万円の軽も、そろそろ新しい車にしたい気持ちもあるけど、今は学費や生活費のことを考えたらまだ無理だ。車の税金が上がる前には買い替えたいな。……古い車を大事に長く乗るほうが税金が高くなるなんて、おかしな話だと思うんだけどな。



 今日は休みなのでドライブに出てきた。



 コンビニを辞め、岡山市のネイルスクールへ通い始めて、二か月が経っていた。

 基本は毎日通うので、燃料代もバカにならない。助かるのは、学校の駐車場が、生徒は無料なことだ。


 目指しているのはプロなので、学校はがっつり2年通うコースにした。

 趣味なら3か月から半年くらいのコースもあったけど、私がなりたいのはプロのネイリストなので、最初からそれ以外は選択肢になかった。

 そこそこ貯金はあったとはいえ、さすがに貯金から学費を出して、更に岡山市内で一人暮らしをするのは無理すぎたので、両親に頭を下げて自宅から通わせてもらってる。

 そういえば、コンビニを辞めてから何度かコンビニがあった場所を通ったけど、コンビニの建物はそのまま事務所になっていて、地元の運送会社の看板がかかり、敷地には何台もトラックが停められていた。

 その場所にそれまであった意味が消えても、場所そのものが消える訳じゃないんだ。閑谷学校だって昔は学校、今は観光地なんだし。


「……ふう」


 信号待ちで、ドリンクホルダーのアイスコーヒーを一口飲んで、信号が変わるのを待ち、アクセルを踏んだ。


 昼間は授業。

 夜は家で課題。

 バイトをする暇などないので、ガンガン減っていく貯金が怖い。

 貯めるのはあんなに大変なのに、減っていくのはすぐだなぁ……。


 それでも毎日毎日、やりたいことと向き合ってる時間はとても楽しい。

 最初、スクールに入った時は若い子ばかりなのかな、なんてちょっと身構えていたけど、割と同年代、何なら年上の人もいた。なので割と早く回りとも馴染んだ。


 学校では、チップの練習。

 甘皮処理。

 ファイリング。

 ジェルの塗り方。

 ポリッシュとジェルの違い。

 ハンドマッサージ。

 フットマッサージ。

 爪の疾患などについての座学。

 色彩理論。

 ヒアリングの練習。

 

 etc。


 頭がパンクしそうになることもあるけど、踏ん張ってる。


 好きだから楽しい。

 でも、好きだからこそ難しかった。


 プロってすごいんだな、と毎日のように思う。


 昨日も授業で、自分では上手く描けたと思ったチップのフラワーアートを先生に直された。


『花びらの圧が少し硬いかな』


 その一言と先生の直しで、デザインが見違えるみたいに柔らかくなった。文字通り花開くみたいに。


「奥が深いんだよなあ……」


 でも、不思議と嫌じゃない。


 五年前。

 高校卒業の時の私は、「やりたいこと」を難しいから、親に反対されたからって諦めた。


 でも今は違う。


 難しい。

 できない。

 悔しい。

 まだまだ足りない。


 その全部が、新鮮で少し楽しかった。



 スマホのナビが目的地が近いことを告げる。


 今日来たのは、赤磐の山沿いにあるカフェだった。

 SNSで見つけた、期間限定の桃パフェが有名な古民家カフェ。


 あまり広くない駐車場には、県外ナンバーの車も何台か停まっている。


「やっぱ人気なんだ」


 車を降りると、初夏の日差しが少しだけ眩しかった。ああ来月が今から怖い……。


 店の前には、小さな花壇。

 紫陽花がお客さんを優しく迎えている。


 私はスマホをバッグへ入れ直して、店の扉を開いた。


 冷房の涼しい空気。

 甘い果物の匂い。

 静かなピアノ曲のBGM。

 大きな窓ガラスは、日差しを柔らかく通すために上半分が磨りガラスになっていて、直射日光は入ってこないけど、下半分は普通のガラスなので、店の外がきちんと見える。

 古民家らしい家具で、居心地の良さを追求した内装が素敵な店だなと言う第一印象だ。


 窓際の席へ案内され、メニューを開く。


 そこには写真付きで、大きな桃パフェが載っていた。


 丸ごと一個使った白桃のパフェ。

 桃色のクリーム。

 バニラアイス。

 透き通るゼリー。

 クッキーまで刺さっている。

 写真だけで美味しいのが分かる。

 さすがに少しいいお値段だけど、周りもみんなそれを頼んでいるようだった。まあここまで、これを食べに来た訳だしね。

 

 桃のパフェと、ちょっと考えてアイスティーをオーダーし、私はスマホをテーブルに出したまま待った。

 少しして、注文した桃パフェとアイスティーが運ばれてくる。

「わ……」

 思わず声が漏れる。

 ガラス越しの初夏の光の中で、そのパフェはまるで宝石みたいに見えた。

 その瞬間。


『まあ……!なんと綺麗な色でしょう!』


 不意に、そんな声が聞こえた気がした。

 私は小さく笑う。

「絶対好きだよね、椿はこういうの」

 椿の返事はない。

 もう、スマホの向こうから声が返ってくることもない。

 でも不思議と、いない感じはしなかった。

 だから私は今でもこうして美味しそうなものは写真に撮る。


 ガラスの器の中で、桃色がきらきら光っていた。

 その綺麗なパフェを写真に撮り、それからパフェスプーンを手に取る。

「いただきます」


 柔らかい桃。

 冷たい桃のソフトクリーム。

 ゼリーとジャムとグラノーラ。

 最高の組み合わせと美味しさだ。


「……おいしい」


 思わず頬が緩む。

 窓の外では、風が木々を揺らしていた。


 そういえば。

 春の間、私は本当にたくさんの場所へ行った。

 

 赤穂。

 牛窓。

 倉敷。

 高梁。

 尾道。

 日生。

 そして、全ての始まりの場所だった旧閑谷学校。


 海を見て。

 桜を見て。

 美味しいものを食べて。


 そして、椿とたくさん話した。


 たった一か月半の不思議な友達。


 でも、あの時間がなければ、今の私はここにいない。

 私はそっと自分の指先を見る。


 今日のネイルは、透明感のある薄い桃色だった。

 スクールの課題で練習したグラデーション。

 まだ少しムラがある。

 でも前よりは上手くなった。


「……もっと上手くなりたいな」


 ぽつりと呟く。

 すると、窓の外からふわりと風が吹き込んだ。

 テーブルのペーパーナプキンが揺れる。

 その瞬間だけ。

 本当に一瞬だけ。


『はい。きっと椿さんなら、もっと上手くなります』


 そんな声を聞いた気がした。

 私は目を瞬く。

 でも、そこには誰もいない。

 ただ初夏の光だけが、静かに店の中へ差し込んでいた。

「……うん」

 私は小さく笑った。

 寂しくないと言えば嘘になる。


 もうあの声は聞こえない。

 一緒に景色を見ることもない。


 でも。


 椿はきっと、消えたわけじゃない。

 私の中にいつでも一緒にいてくれてる、という不思議な確信があった。


 あの春の旅も。

 見た景色も。

 話した言葉も。

 一緒に食べた色々なものも。


 ちゃんと私の中に形として残っている。

 だからきっと大丈夫だ。


 私はまたスプーンとフォークを手に取る。

 桃の甘い香りが、ふわりと広がった。

 窓の外には、青々とした山。

 春は終わったけど、また巡ってくる。


 人生は、きっとそういうものだ。

 春が終われば夏が来る。

 桜が散れば、桃が実る。

 変わっていく景色の中で、人は何度でも新しい季節を生きていく。


 私はアイスティーを一口飲み、窓の外の光を見上げた。

 椿がアイスティーを好きだと言うから、私も前より飲むようになった。

 でももちろんコーヒーだって大好きなままだ。

 彼女の好きなものも大事だし、私の好きなものも大事。

 そういう「大事」を覚えていて積み重ねていくのが、椿の言っていた「道」なのかなって思う。

 そんな風に続く道の先には、まだ知らない景色がたくさんある。


 これから私は、新しいことを学んで、失敗して、迷って。

 それでも少しずつ前へ進んでいくのだろう。



 窓の向こうは天気が良くて、初夏の風が静かに夏の気配を持ち始めた雲を流していた。


 そして、この日写真に撮った白桃パフェが空になっていることに気づいたのは夏の終わりの頃だった。


「美味しかった?」



 終

ここまで読んで下さってありがとうございました。

今回は瀬戸内がテーマということで、瀬戸内在住者として、好きな場所、よく行く場所、行って楽しかった場所をチョイスしてみました。

特に牛窓はよく行きますが、一番大好きな美味しいかまぼこ屋さんを話に盛り込めなかったのが心残りです。


1度、ロードムービー的な物語を書いてみたかったので、良い機会でした。書いていて楽しかったです。読んで下さった皆様が少しでも瀬戸内っていいところだなと思ってもらえたら嬉しいです。

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