第300話 【閑話】ホセの過去
この時点でホセは王孫ですが、皇室の子という事で皇子と表記してます。
収まりきらずにいつもより倍増です。
「おめでとうございますベアトリス様! とても元気な皇子様ですよ」
「可愛い…、私のぼうや」
今から21年前、ビルデオ王国の離宮で狼獣人である王太子の《《第一子》》が産声を上げた、しかしベアトリスは我が子の誕生を素直に喜べなかった、正確には愛する人との間に産まれた子は愛しくてたまらないが、問題は皇子という事。
王太子と獅子獣人の正妃の間にはまだ子供がいない、正妃は「王は獅子獣人であるべきだ」という古い考えを持つ派閥により公爵家の令嬢が王太子の意思とは関係無く決められた。
そんな派閥が第一子、しかも男児が狼獣人の側室から産まれたと知れば母子共に命が危ぶまれる。
『産まれたか! 入るぞ!』
「いけません! まだ後産の途中です! 皇子様はすぐにお連れしますから!」
王太子が信頼する自身の乳母を侍女長としてベアトリスにつけていた為、王太子はピシャリと叱られた。
『皇子…、皇子か…。母子共に無事なんだな?』
「ええ、安産でしたし問題ありませんよ」
複雑な声音の王太子の心中を察した侍女長は優しげな声で答えた。
程無くして王太子の元に皇子が連れて来られ、危なっかしい手つきで抱き上げる。
「小さいな…、なんと愛らしい…。目を開けたぞ…! 早く名前を考えねば、目は私と同じ色なのだな他は母親似か、しかし男の子だから伯父のベルトランに似るかもしれないな、ははは」
「おめでとうございます、王太子様」
「ああ、ありがとう。お前にとってもめでたいだろう、初めての甥が産まれたのだからな。護る者が増えたがこれからも頼むぞ」
「ハッ! お任せ下さい!」
王太子の側には妹であるベアトリスの結婚を機に護衛騎士となったベルトランが控えており、共に皇子の誕生を喜んだ。
しかし、産後の食事を毒味した侍女が血を吐いた事を皮切りに穏やかだった日々が終わりを告げる。
その日の夜には警護の都合上同室だった皇子とベアトリスの寝室に刺客が侵入し、ベルトランに斬りすてられた。
ベアトリスは栄養を摂らねばならない時だったが、結局安全の為に傷の無い果物とベルトランが持ち込んだ栄養価の高いお菓子以外を口にする事は無かった。
そして3日目の夜、再び現れた刺客の死体を見ながらベアトリスは決心した。
「お兄様、わたくしはこの国を出ようと思います。隣国であれば獣人も多いですし紛れる事は可能かと。もしもの時の為に出入りの商人に伯爵家から持ち込んだ装飾品を幾つか売ってお金を作ってあります」
「しかし…、産後間もないのに動いては身体に負担が…」
「この子の命を救えるのならわたくしはどうなっても良いのです、明日には名前をつけて頂く約束をしていましたが…、ホセ…、ホセという名前はどうかしら? 市井に紛れて生きるには良い名前だと思いません?」
そう言って顔を上げた妹の姿に固い決意を感じたベルトランはため息を吐いた。
「はぁ…、という事は今から行くんだな?」
「ええ、実はこんな事もあろうかと…」
ベアトリスはホセをベッドに寝かせると、ベッドの下からゴソゴソと荷物を取り出した。
そんな姿を見てお転婆な幼い頃を思い出して小さく笑うベルトラン。
「これは…騎士団で使っている背嚢ではないか? いつの間に…」
「うふふ、護衛の騎士が交代の時に備品の背嚢を棄てる話をしていたのでこっそり1つ貰ったのです。ホセのおむつも着替えも入ってますからご安心を、あとはホセを…っと」
話しながらベアトリスは簡素な服に着替え、背嚢を背負うと長い布を取り出し、肩で結び目を作るとスリングの様にホセを抱いた。
本来ならば獣人とはいえ1週間はベッドで安静に過ごさなければならない時期だったが、ベアトリスの行動に迷いは無い。
その夜最後に置き手紙を残して側妃ベアトリスは王城から姿を消した。
数日後、ベアトリス達は隣国への脱出に成功していた、夫婦を装うには似ている2人だったが、従兄弟であり夫婦だと偽っていた。
「はぁ…、やはりお前の方が肝が座っているな。つい警戒して神経が尖ってしまう」
ベルトランは宿で朝食を済ませて部屋に戻ると、ベッドに倒れ込みながらため息を吐いた。
「うふふ、そんな風に気を張っていたら周りの人達が違和感を覚えてしまってよ? 力を抜いて自然体で、それでいて周囲の状況を把握するのが鉄則ですもの」
「お前は影の一員にでもなるつもりだったのか?」
ベルトランがベアトリスにジト目を向けた、影というのは王室が使う隠密部隊の通称である。
「それも悪くありませんけど、これは社交会を生き抜く術ですわ。ビクビクしていたら侮られてしまいますもの、かといって無理に虚勢を張ったりしても陰口の餌食になりますからね」
「私の妹は本当にしっかり者だな。そのしっかり者の妹は逸れた時はどうするか覚えているか?」
「ええ、もちろ「お客さん! ちょっといいかい!?」
2人が話していると、突然宿の熊獣人の女将が部屋を訪ねて来た。
「はい、何か?」
「さっき食材を運んで来た商人が赤ん坊を連れた血の匂いのする女を探してる柄の悪い奴らが居たって言ってたんだ、えらく乱暴な扱いをするらしいからあんた達も気を付けた方が良いと思ってね」
熊獣人は情が深い者が多い、穏やかな親子客が面倒に巻き込まれない様に知らせてくれた。
内心焦りながらもベルトランはにこやかに返事をする。
「態々ありがとうございます。元々今日この町を出る予定でしたので絡まれない様に今から出ますね」
「ああ、そうした方が良いよ、北側からこっちに向かってるらしいから出るなら南門にしな」
女将の忠告通りに宿を出てすぐに南門から脱出した、産まれたばかりのホセを馬や馬車には乗せられないので徒歩だ。
途中で騎馬の追手に見つかり森の中に逃げ込む。
「お前達はここで隠れていろ、私があいつらを引きつけるからその間に港町を目指せ、あそこなら広いし獣人も多いから紛れる事も容易いだろう。ホセ…、大人しく隠れているんだぞ?」
「あぅ~?」
生後1週間程だが、人族でいうところの2ヶ月くらいには成長しているのでベルトランの顔をぼんやりと眺めて手を伸ばした。
指を差し出すと小さな手がキュッと握り、ベルトランは頬を緩める。
「ベアトリス、もしも私が姿を見せる前に追手が来ている様なら待たずに逃げろ、何とか探して追いかけるからな」
「お兄様…、お気を付けて。わたくしは絶対に逃げ切ってみせますのでお兄様もご自分の事を考えて無茶はしないで下さいね?」
「……追手が通り過ぎてから5分は動くんじゃないぞ」
ベルトランはベアトリスの質問に答えず走り出し、脱いだ外套を折った枝に引っ掛けて大人が2人いる様に見せかけ追ってを引きつけた。
結果的にベアトリスは無事に追手から逃げられたが、この後ベルトランは戦闘中に崖から落ちて20年近く記憶喪失となる。
ベアトリスは痛む子宮と頻繁に襲う頭痛に苛まれながらも何とか港町に到着した、本来ならベルトランを待つはずだが、これ以上優しい兄に迷惑をかけられないと船のチケットを買って飛び乗った。
ホセのオムツや自分の悪露は魔導具で洗浄しているが、魔石の魔力はあと2ヶ月保てばいい方だろう。
それまでに落ち着ける場所を探さなければと考えを巡らせる。
幸い船には追手は乗って居ない様だった、次の船が出るのは2日後の為、逃げ切れる可能性が飛躍的に高くなった事を示していた。
「ホセ、あなたは絶対にお母様が守ってみせますからね、愛してるわ」
束の間のゆっくりとした時間を噛み締める様にベアトリスはホセを優しく抱き締めては口付けを落とした。
旅の途中は毒を盛られる心配も無く、しっかり食べる事が出来たので母乳の出も良くホセは日に日にぷくぷくと可愛らしく成長していく。
値段は高いが最新のサスペンションが効いた馬車であればホセと共に乗る事も可能だった、学生時代は王太子とお忍びで街中でデートもしていたので市井の馬車の乗り方を知っていたのも大きい。
里帰りのフリをして旅を続け、最終的にあまり獣人が居ない国を目指した。
見つかりやすくなるリスクはあったが、獣人が奇異の目で見られる場所までビルデオ人が追って来る事は無いという判断だった、それは結果的に正解となる。
ベアトリスは刻一刻と己の命の灯火が消えてゆくのを感じて焦っていた、故にパルテナ国内で獣人を忌避しているというタリファス方面に行くはずが馬車を乗り間違えた。
この間違いが幸いした事を本人は気付かなかったが、もしタリファスに向かっていたら奴隷商人に捕まって奴隷になっていただろう。
そして到着したのはウルスカという町、離れた所に森があり、冒険者が多くそれなりに人の出入りもある。
ここならばホセは生きていけるかもしれないと、ベアトリスは涙が出そうになった。
そして安堵と共に本能的に自分の命が残り僅かだと感じていた。
せめてホセを孤児院に預けなければと食欲は無いが無理矢理胃に流し込む様に食事をした食堂で孤児院の場所を聞く。
「獣人かぁ…、大きい方の教会じゃ引き取ってくれないだろうなぁ。貧民街の教会なら大丈夫だろ、あそこのマザーは良い人だし安心して良いよ。それよりあんた酷い顔色だよ?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
実際のところ産後すぐに無理をしたせいか、歩く度に子宮が剥がれ落ちる様な感覚に襲われていた。
しかし最後の気力を振り絞って食堂の主人に聞いた教会を目指す。
「お願いします、この子を…ホセを育てて下さい。私はもう長くはありません…」
教会に辿り着いてマザーにホセを託した瞬間、ベアトリスは意識を失った。
翌日、目を覚ましたベアトリスは少しマザーと話をした。
「私の持ち物は全て売却なりして処分して下さい、ただ…出所がわからない様にお願いします。私の埋葬費用はそこから出して下さい、残りはマザーの良きよう使って下されば嬉しいです。あとは…ホセを、息子をよろしくお願いします…!」
何人もの死に目に遭ってきたマザーには涙ながらに話すベアトリスがもうすぐ亡くなる事がわかっていた。
マザーは身体を横たえたままのベアトリスの手をそっと握る。
「安心して下さい、ここにはやんちゃな子も居ますが良い子達ですから。ホセはみんなで大切に育てます」
「マザー、失礼します」
ドアが開いてホセを抱いた若いシスターと、シスターのスカートの裾を離さない幼いビビアナが部屋に入って来た。
「あら、ビビアナも来たの?」
「うん、あかちゃん…かわいいから」
マザーに聞かれてビビアナはコクリと頷いた。
「あなたビビアナっていうの? 良いお名前ね、これからホセと…仲良くしてあげてね」
「なかよく?」
「そう、ホセのお姉さんに…なってあげてくれる…かしら?」
「おねえしゃん…? えへへ、ビビアナおねえしゃんになる! ホシェ~、おねえしゃんだよ~」
舌足らずにホセの名前を呼ぶビビアナに目を細めて微笑むと、ベアトリスの目から涙がひと筋流れ落ちた。
「ふふ、ホセ…、素敵な…お姉さん…が…出来て…良かっ…」
「あれ? ホシェのおかあしゃんねちゃったの?」
「そうね…、ここまで頑張ってホセを連れて来たんだもの、ゆっくり…眠らせてあげましょう……」
ホセを抱いたシスターは、二度と目覚める事の無い眠りについたベアトリスの為に静かに涙を流した。




